まりっぺのお気楽読書

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イングランド王ヘンリー2世王女 エリナー

2011-01-31 01:22:34 | イングランド王妃・王女
強い女性のはずが夫の死に大打撃を受ける
ヘンリー2世王女 エリナー・オブ・イングランド
カスティーリャ王アルフォンソ8世妃


1162~1214/在位 1177~1214

エリナーはヘンリー2世とエリナー・オブ・アキテーヌの次女で
リチャード1世の妹、ジョン王の姉でした。

         

名付け親のロバート・オブ・トリニーは歴史家で、エリナーのことを
出来る限り書き残したっていうんだけれども、あまりエピソードが見当たらない…

ヘンリー2世は王妃エリナーの分と併せるとものすごい領土を持っていました。
北はスコットランドとの境まで、南はスペインとの国境まで
とにかくフランス王領の10倍ぐらいあるんじゃないでしょうか?
フランス王に臣従している貴族の公領を併せても、ヘンリー2世&エリナーの領土の
2分の1か、3分の1しかありませんでした。

だから、王女たちは引く手数多ですよね。
王子も多かったのでまさか王位はまわってこないでしょうが
少しぐらい王女が領土を譲られるかもしれないし、持参金としてもらえるかも…
エリナーもやっぱり持参金にガスコーニュが要求されています。

エリナーはカスティーリャ王アルフォンソ8世と14歳の時に結婚しています。
この結婚はピレネー山脈に国境を定めるためのものでした。

母エリナー・オブ・アキテーヌには、フランス王ルイ7世との間に二人、
ヘンリー2世との間に三人の王女を生んでいますが、エリナーが一番母親似だったそうです。
つまりパワフル! 夫と二人三脚で政治を行いました。

お子様も11人生まれています(4人は夭逝)
王子たちには恵まれず、末子エンリケ(1世)以外は父王より先に亡くなっています。
エンリケも王になってから3年、13歳で亡くなっています。

長女ベレンガリアはレオン王アルフォンソ9世妃になり、その後カスティーリャ女王に、
三女ウラッカはポルトガル王アフォンソ2世妃に、
四女ブランカはフランス王ルイ8世妃に、
六女レオノーラはアラゴン王ハイメ1世妃になりました。

アルフォンソ8世が亡くなった時には、10歳の息子を助ける意気込みだったらしいのですが
悲しみのあまり葬儀を取り仕切ることもできず、仕方なく長女のベレンがリアが
喪主の役目を果たしました。
「あの王妃が!?」ってことでまわりは困惑したそうです。

悲しみのせいか病に陥ったエリナーは、夫の死からわずか28日後に亡くなりました。
鉄の女のように見えて夫恋しさで亡くなるなんて…なにやらぐっとくる最後ですね。

(参考文献 森護氏『英国王室史話』 Wikipedia英語版)

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