強い女性のはずが夫の死に大打撃を受ける
ヘンリー2世王女 エリナー・オブ・イングランド
カスティーリャ王アルフォンソ8世妃
1162~1214/在位 1177~1214
エリナーはヘンリー2世とエリナー・オブ・アキテーヌの次女で
リチャード1世の妹、ジョン王の姉でした。
名付け親のロバート・オブ・トリニーは歴史家で、エリナーのことを
出来る限り書き残したっていうんだけれども、あまりエピソードが見当たらない…
ヘンリー2世は王妃エリナーの分と併せるとものすごい領土を持っていました。
北はスコットランドとの境まで、南はスペインとの国境まで
とにかくフランス王領の10倍ぐらいあるんじゃないでしょうか?
フランス王に臣従している貴族の公領を併せても、ヘンリー2世&エリナーの領土の
2分の1か、3分の1しかありませんでした。
だから、王女たちは引く手数多ですよね。
王子も多かったのでまさか王位はまわってこないでしょうが
少しぐらい王女が領土を譲られるかもしれないし、持参金としてもらえるかも…
エリナーもやっぱり持参金にガスコーニュが要求されています。
エリナーはカスティーリャ王アルフォンソ8世と14歳の時に結婚しています。
この結婚はピレネー山脈に国境を定めるためのものでした。
母エリナー・オブ・アキテーヌには、フランス王ルイ7世との間に二人、
ヘンリー2世との間に三人の王女を生んでいますが、エリナーが一番母親似だったそうです。
つまりパワフル! 夫と二人三脚で政治を行いました。
お子様も11人生まれています(4人は夭逝)
王子たちには恵まれず、末子エンリケ(1世)以外は父王より先に亡くなっています。
エンリケも王になってから3年、13歳で亡くなっています。
長女ベレンガリアはレオン王アルフォンソ9世妃になり、その後カスティーリャ女王に、
三女ウラッカはポルトガル王アフォンソ2世妃に、
四女ブランカはフランス王ルイ8世妃に、
六女レオノーラはアラゴン王ハイメ1世妃になりました。
アルフォンソ8世が亡くなった時には、10歳の息子を助ける意気込みだったらしいのですが
悲しみのあまり葬儀を取り仕切ることもできず、仕方なく長女のベレンがリアが
喪主の役目を果たしました。
「あの王妃が!?」ってことでまわりは困惑したそうです。
悲しみのせいか病に陥ったエリナーは、夫の死からわずか28日後に亡くなりました。
鉄の女のように見えて夫恋しさで亡くなるなんて…なにやらぐっとくる最後ですね。
(参考文献 森護氏『英国王室史話』 Wikipedia英語版)
ヘンリー2世王女 エリナー・オブ・イングランド
カスティーリャ王アルフォンソ8世妃
1162~1214/在位 1177~1214
エリナーはヘンリー2世とエリナー・オブ・アキテーヌの次女で
リチャード1世の妹、ジョン王の姉でした。
名付け親のロバート・オブ・トリニーは歴史家で、エリナーのことを
出来る限り書き残したっていうんだけれども、あまりエピソードが見当たらない…
ヘンリー2世は王妃エリナーの分と併せるとものすごい領土を持っていました。
北はスコットランドとの境まで、南はスペインとの国境まで
とにかくフランス王領の10倍ぐらいあるんじゃないでしょうか?
フランス王に臣従している貴族の公領を併せても、ヘンリー2世&エリナーの領土の
2分の1か、3分の1しかありませんでした。
だから、王女たちは引く手数多ですよね。
王子も多かったのでまさか王位はまわってこないでしょうが
少しぐらい王女が領土を譲られるかもしれないし、持参金としてもらえるかも…
エリナーもやっぱり持参金にガスコーニュが要求されています。
エリナーはカスティーリャ王アルフォンソ8世と14歳の時に結婚しています。
この結婚はピレネー山脈に国境を定めるためのものでした。
母エリナー・オブ・アキテーヌには、フランス王ルイ7世との間に二人、
ヘンリー2世との間に三人の王女を生んでいますが、エリナーが一番母親似だったそうです。
つまりパワフル! 夫と二人三脚で政治を行いました。
お子様も11人生まれています(4人は夭逝)
王子たちには恵まれず、末子エンリケ(1世)以外は父王より先に亡くなっています。
エンリケも王になってから3年、13歳で亡くなっています。
長女ベレンガリアはレオン王アルフォンソ9世妃になり、その後カスティーリャ女王に、
三女ウラッカはポルトガル王アフォンソ2世妃に、
四女ブランカはフランス王ルイ8世妃に、
六女レオノーラはアラゴン王ハイメ1世妃になりました。
アルフォンソ8世が亡くなった時には、10歳の息子を助ける意気込みだったらしいのですが
悲しみのあまり葬儀を取り仕切ることもできず、仕方なく長女のベレンがリアが
喪主の役目を果たしました。
「あの王妃が!?」ってことでまわりは困惑したそうです。
悲しみのせいか病に陥ったエリナーは、夫の死からわずか28日後に亡くなりました。
鉄の女のように見えて夫恋しさで亡くなるなんて…なにやらぐっとくる最後ですね。
(参考文献 森護氏『英国王室史話』 Wikipedia英語版)