まりっぺのお気楽読書

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フランス王フランソワ1世王女 マルグリート

2012-04-13 22:19:55 | フランス王妃・王女
瀕死の兄王の指示で挙式
フランソワ1世王女 マルグリート・ド・フランス
サヴォイア公エマヌエーレ・フィリベルト妃


1523~1574

フランソワ1世はルイ12世の王女クロードと結婚し
アンリ2世を含む7人のお子様を授かりました。
王女は4人ですが、長女ルイーズは2歳で、次女シャルロットは7歳で亡くなりました。

三女マドレーヌはスコットランド王ジェイムズ5世の妃になります。

      

さて、四女マルグリート。
義理の姉にあたるカトリーヌ・ド・メディシスとはとても仲が良かったそうです。
カトリーヌも中傷や夫とディアーヌ・ド・ポワティエの問題でつらい結婚生活が続く中
宮廷内にお友達ができてとても心強いことだったでしょうね。

15歳の時、フランソワ1世と神聖ローマ皇帝カール5世の間で
マルグリートとカール5世皇子フィリップ(後のスペイン王フェリペ2世)の
結婚が決められましたが、すぐに破談になりました。

実はフランソワ1世は、カール5世に神聖ローマ皇帝の座をもってかれた経験があります。
フランスと神聖ローマ帝国はイタリアの覇権も争っている最中でした。
スペインの王座奪い合いもこれから激しくなっていくし…
まったく、他所の国で何やってんでしょうね?

ちなみに、フランソワ1世は王妃クロードを亡くしてから6年後
カール5世の姉アリエノールと再婚しました。

その後マルグリートに相応しいランクの相手を探すために時間が費やされ
結婚が決まったのは36歳の時… 費やしすぎではないのか?
相手は5歳年下のサヴォイア公エマヌエーレ・フィリベルトでした。

この結婚の祝賀式典の一環で行われた騎馬試合で兄アンリ2世は傷を負い
瀕死の状態に陥ります。
けれども一瞬意識を取り戻すと、マルグリートの結婚式を直ちに執り行うよう指示しました。
これはサヴォイア公側がアンリ2世の死で同盟を拒むのを恐れたためです。

宿敵カール5世の息子フェリペ2世にミラノとナポリを奪われた以上
少しでもイタリアにリンクしておかねば!! というガッツが感じられますね。

アンリ2世はマルグリートの結婚式の最中に亡くなりました。

マルグリートとエマヌエーレ・フィリベルトのお子様で成長したのは
カルロ・エマヌエーレ(1世)だけでした。
後にフェリペ2世の王女カタリーナ・ミカエラと結婚します。

父親と破談になった姑がいる家なんて… 嫁いだらいじめられそうで怖いですね
でもマルグリートは亡くなってたらしい。
ま、当時はそんな個人的な感情なんて関係なかったんでしょうけど…

フランス王家とハプスブルク家の覇権争いが激化しているのはうっすらわかるが
マルグリートのパーソナリティについてはまったくわかりませんでした。

(参考文献 柴田三千雄氏『フランス史10講』 Wikipedia英語版)

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3 コメント

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ご訂正よろしくお願いします。 (I LOVE ヨーロッパ)
2012-04-14 08:50:24
おはようございます。I LOVE ヨーロッパです。すみません、まりっぺさまにご訂正を頂きたくてですね。まりっぺさまは、サブタイトルの中に、「瀕死の父の指示で挙式」とお書きになられておりますが、「瀕死の兄の指示で挙式」ではないのでしょうか?
返信する
Unknown (エリア55)
2012-04-14 17:19:08
アンリ2世が騎馬試合でのケガがもとで死んだのは有名?な話ですが
今から考えると、なんでそんな危険な試合を平気でしちゃうんだろう・・・
って思っちゃいません?^^;
中世を出てすぐの時代だからしょうがないんだろうけど
かなり野蛮だったんですね^^;

↓チェーザレがイケメンだった話
塩野七生の「チェーザレ・ボルジア あるいは華麗なる冷酷」
に版画かペン画の肖像が出てくるんですが、かっこいいですよ^m^
ところが私が歴史上の人物で一番好きなのは
「ハプスブルグをつくった男」の主人公ルドルフ4世なんですよね
かなりのブ男かもしれません(笑
返信する
こんばんわ (まりっぺ)
2012-04-16 22:27:40
I LOVE ヨーロッパさま

ありがとうございます。
早速書き直しときました。


エリア55さま

確かに!
この時は目を突いちゃったんですよね?
もしアンリ2世が勝っていたとしたら、相手が亡くなってたということでしょうか?
王様は自ら戦わずお席からご覧になってるという印象が強いですが、ある意味勇敢な行いだったのかしら?

↓チェーザレがイケメンだった話
澁澤龍彦さんの『世界悪女物語』では “ふさふさした美しい赤褐色の顎髭と秀でた額とほっそりした鼻筋をもつ堂々たる男ぶりを誇示” となってまして、マリオン・ジョンソンの『ボルジア家』では “父同様大胆かつ沈着な青年であるが容貌は父よりはるかに優れ” ていて “女たちの恰好の対象” で “際立った才能と魅力的な人柄”と書かれています。

どの文献にも書かれているあたり、かなりの美男子だったのでしょうね?
どなたが演じるのかも楽しみではないですか?

『ハプスブルクをつくった男』は私も持ってるのですが読んだ覚えがないぞぉ…
神聖ローマ帝国皇帝になる前のハプスブルク家の家系図を書く時にちゃんと読んでみますね。
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