まりっぺのお気楽読書

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スコットランド王ジェイムズ5世妃 マデリーン

2009-01-25 01:14:59 | スコットランド王妃・王女
命を縮めた結婚
ジェイムズ5世妃 マデリーン・オブ・ヴァロア


1520~1537/在位 1537

ジェイムズ5世は、1歳5ヶ月で即位しましたが
王太后マーガレット・テューダーがほどなくイングランドに追放され
摂政オールバニー公を始めとする親仏派に囲まれて育ったせいか
自らもフランスびいきになっていきました。

なにしろ幼い王、戦乱に陥っていたヨーロッパで少しでも同盟国を増やしたい各国の王は
ジェイムズ5世に熱い視線を向けました。
後のイングランド女王メアリー・テューダー
後のフランス摂政カテリーナ・ディ・メディチなど
婚姻の申し入れは山のようにありました。

そんな中、お年ごろになったジェイムズ5世は、同盟関係の強化や莫大な持参金を考え
フランス王フランソワ1世の娘マデリーンに求婚します。

     

マデリーンは生まれたときからか弱く、フランソワ1世は彼女を
パリより暖かい地方で大事に大事に育てていました。
ですから、スコットランドの過酷な気候には娘が耐えられないと思い
健康を理由に申し出を断りました。

するとジェイムズ5世はとっととマリー・ド・ギーズに目を向けます。
ただ、当時マリー・ド・ギーズは既婚ですから、不倫か
あるいは、すでに夫の病状が危なかったのかもしれません。

けれどもジェイムズ5世は宮廷でマデリーンを見かけると
自分の行いが恥ずべきことに思えてきました。
なんか・・・ラブ・ストーリーっぽくなってきましたねっ
そして再びフランソワ1世に結婚を申し入れます。

フランソワ1世はあきらかに嬉しそうなマデリーンを見て断りきれず
しぶしぶ結婚を認めました。
あぁ、娘可愛さが裏目にでてしまうのですね。

1937年1月、フランスで式を挙げた二人は5月にスコットランドへ向かいますが
その2ヶ月後、マデリーンはエディンバラで17年の短い生涯を終えます。

私利私欲のためなら娘の幸せや人生なんか顧みない父親が多いこの時代、
身体を心配してくれた父王の反対をおしきってまで果たした結婚は
数ヶ月の儚いものでしたが、マデリーンは幸せだったかもしれないですね。
いやな相手と結婚させられるよりも、自分が望んだ相手と結ばれたのですものね。

(参考文献 森譲氏『スコットランド王室史話』 Wikipedia英語版)

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