![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/3f/e5b9f50792b631e2d50b50363121d898.jpg)
王家を繋ぐ結婚は大失敗
フレデリク7世妃 ヴィルヘルミーネ・マリー・アフ・ダンマーク
1808~1891/在位せず
デンマーク王室の暴れん坊、フレデリク(後の7世)の妃に選ばれたのは
フレデリク6世とマリー・ソフィー・ヘッセン=カッセルの王女ヴィルヘルミーネでした。
ここらへんから家系図にヘッセン=カッセル家が目立つようになりますよ。
フレデリク6世が王子を遺さなかったため、ヴィルヘルミーネは引く手数多で
スウェーデンのオスカル(後の1世)との結婚も有力視されました。
結局、一族のフレデリクと1828年に結婚します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/f5/01aacbcd35e6b40ab4db518a00b72784.jpg)
フレデリク5世直系同士の結婚は、オルデンブルグ家を盤石にするはずでした。
しかしすぐに幸せな結婚ではないことが露呈しました。
なんたって暴れん坊! と言われるだけあって、フレデリクは大酒飲みで不信仰、
女性関係もあり堕落した生活を送っていました。
普段は温厚なタイプだったそうですが、癇癪持ちで突飛な振る舞いをする人でした。
気分がコロコロ変わる上に嘘つきだったそうです。
ふたりは結婚から6年後に別居し、1837年に離婚しました。
ヴィルヘルミーネは離婚の翌年、グリュックスブルク公カールと再婚します。
カールの弟が、後のクリスチャン9世になります。
ヴィルヘルミーネには子供はいません。
どちらかの結婚で王子のひとりでも生まれていたら
デンマークの王位継承はかなり違ったものになったでしょう。
シュレスヴィヒがデンマークからの独立を目指した第一次シュレスヴィヒ戦争の際
ヴィルヘルミーネの夫カールは敵方につきました。
これはデンマーク王室とヴィルヘルミーネを断絶させましたが
終戦後の1852年には和解しました。
ヴィルヘルミーネは、フレデリク6世の愛娘ということで人気がありました。
また、フレデリク7世の(3人目の)妃ルイーセの悪口を言わせれば気が利いていたらしく
上流社会ではもてはやされたみたいです。
別れた夫のことなんか黙っていればいいのにね。
王女出身のヴィルヘルミーネにしたら
王妃の座を下々の娘に奪われたことが悔しくてならなかったのかしら?
とはいえ、飲み会に悪口上手がいると結構楽しいのよね![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp31.gif)
長生きしまして、83歳でグリュックスブルクで亡くなりました。
(参考文献 武田龍夫氏『物語北欧の歴史』 Wikipedia英語版)
フレデリク7世妃 ヴィルヘルミーネ・マリー・アフ・ダンマーク
1808~1891/在位せず
デンマーク王室の暴れん坊、フレデリク(後の7世)の妃に選ばれたのは
フレデリク6世とマリー・ソフィー・ヘッセン=カッセルの王女ヴィルヘルミーネでした。
ここらへんから家系図にヘッセン=カッセル家が目立つようになりますよ。
フレデリク6世が王子を遺さなかったため、ヴィルヘルミーネは引く手数多で
スウェーデンのオスカル(後の1世)との結婚も有力視されました。
結局、一族のフレデリクと1828年に結婚します。
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フレデリク5世直系同士の結婚は、オルデンブルグ家を盤石にするはずでした。
しかしすぐに幸せな結婚ではないことが露呈しました。
なんたって暴れん坊! と言われるだけあって、フレデリクは大酒飲みで不信仰、
女性関係もあり堕落した生活を送っていました。
普段は温厚なタイプだったそうですが、癇癪持ちで突飛な振る舞いをする人でした。
気分がコロコロ変わる上に嘘つきだったそうです。
ふたりは結婚から6年後に別居し、1837年に離婚しました。
ヴィルヘルミーネは離婚の翌年、グリュックスブルク公カールと再婚します。
カールの弟が、後のクリスチャン9世になります。
ヴィルヘルミーネには子供はいません。
どちらかの結婚で王子のひとりでも生まれていたら
デンマークの王位継承はかなり違ったものになったでしょう。
シュレスヴィヒがデンマークからの独立を目指した第一次シュレスヴィヒ戦争の際
ヴィルヘルミーネの夫カールは敵方につきました。
これはデンマーク王室とヴィルヘルミーネを断絶させましたが
終戦後の1852年には和解しました。
ヴィルヘルミーネは、フレデリク6世の愛娘ということで人気がありました。
また、フレデリク7世の(3人目の)妃ルイーセの悪口を言わせれば気が利いていたらしく
上流社会ではもてはやされたみたいです。
別れた夫のことなんか黙っていればいいのにね。
王女出身のヴィルヘルミーネにしたら
王妃の座を下々の娘に奪われたことが悔しくてならなかったのかしら?
とはいえ、飲み会に悪口上手がいると結構楽しいのよね
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長生きしまして、83歳でグリュックスブルクで亡くなりました。
(参考文献 武田龍夫氏『物語北欧の歴史』 Wikipedia英語版)