「実家に帰らしていただきます!」を実行した妃
フレデリク7世妃 カロリーネ・シャルロッテ・アフ・メクレンブルク
1821~1876/在位せず
フレデリクはヴィルヘルミーネとの離婚から4年後の1841年に
メクレンブルク大公の公女カロリーネ・シャルロッテと再婚しました。
母マリーはヘッセン=カッセル家出身です。
従姉妹のルイーセはグリュックスブルグ家のクリスチャン(後の9世)妃になります。
デンマークではマリアンネと呼ばれました(でもカロリーネでいく)
カロリーネは、小心でナイーヴな女性でした。
ものすごく合わなさそうでしょ? フレデリクとカロリーネ。
暴れん坊とナイーヴよ、水と油、ドリフとPTA、っていうぐらい合わなそう。
フレデリクにとっていてもいなくても…みたいな存在だったカロリーネは
1844年に里帰りした際、「もうデンマークには戻らない!」と駄々をこね
居続けること2年、晴れてフレデリクと離婚しました。
その後は再婚せず、故郷で静かに暮らしました。
フレデリクについてはほとんど語りませんでしたが
デンマークから客人が来たりして、フレデリクの話題になると
「とても変わった人だったから…」と言っていたということです。
こういう台詞、大竹しのぶっぽく言うといいんじゃないかしら?
1876年に故郷ノイシュトレーリッツで亡くなりました。
(参考文献 武田龍夫氏『物語北欧の歴史』 Wikipedia英語版)
フレデリク7世妃 カロリーネ・シャルロッテ・アフ・メクレンブルク
1821~1876/在位せず
フレデリクはヴィルヘルミーネとの離婚から4年後の1841年に
メクレンブルク大公の公女カロリーネ・シャルロッテと再婚しました。
母マリーはヘッセン=カッセル家出身です。
従姉妹のルイーセはグリュックスブルグ家のクリスチャン(後の9世)妃になります。
デンマークではマリアンネと呼ばれました(でもカロリーネでいく)
カロリーネは、小心でナイーヴな女性でした。
ものすごく合わなさそうでしょ? フレデリクとカロリーネ。
暴れん坊とナイーヴよ、水と油、ドリフとPTA、っていうぐらい合わなそう。
フレデリクにとっていてもいなくても…みたいな存在だったカロリーネは
1844年に里帰りした際、「もうデンマークには戻らない!」と駄々をこね
居続けること2年、晴れてフレデリクと離婚しました。
その後は再婚せず、故郷で静かに暮らしました。
フレデリクについてはほとんど語りませんでしたが
デンマークから客人が来たりして、フレデリクの話題になると
「とても変わった人だったから…」と言っていたということです。
こういう台詞、大竹しのぶっぽく言うといいんじゃないかしら?
1876年に故郷ノイシュトレーリッツで亡くなりました。
(参考文献 武田龍夫氏『物語北欧の歴史』 Wikipedia英語版)