まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
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プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世妃 ルイーゼ

2009-11-12 01:42:03 | ドイツ系王妃
ナポレオンを手こずらせた王妃
フリードリヒ・ヴィルヘルム3世妃 ルイーゼ・アウグステ・フォン
                  メクレンブルク・シュトレリッツ


1776~1810/在位 1797~1810

ルイーゼの母フリーデリケ・カロリーネはヘッセン=ダルムシュタット家出で
フリードリヒ・ヴィルヘルム2世妃フリーデリケの叔母にあたります。
だからルイーゼはフリーデリケの…なににあたるのかしら? はとこ? いとこだ。

メクレンブルク家も大変な名家のひとつです。
ルイーゼは父方で英国王室と、母方でフランス王室と繋がりがありました。

       

1793年、ルイーゼはフランクフルトで王太子フリードリヒ・ヴィルヘルムに会いました。
ルイーゼの美しさと高貴さに魅せられた王太子は彼女に求婚して
ふたりはその年のうちに結婚しました。
これまで不幸な王妃が続いていますから、幸せな王妃に登場してもらいたいところですね。

ちなみに妹のフリーデリケもプロイセン王子ルートヴィヒと結婚しています。

結婚から4年後にフリードリヒ・ヴィルヘルム3世が即位します。
ルイーゼは王妃になると国民の尊敬と愛情を一身に集める存在になりました。

しかし世は激動の時代です。
プロイセンは1789年のフランス革命の後、マリー・アントワネットの処遇に憤っていた
オーストリアと手を組んで1792年から戦争に突入していました。
一度は講和を結んで中立の立場をとったものの、ナポレオンの勢力が拡大していた
1806年、何を思ったか宣戦布告しました。

この戦争はプロイセンの大敗に終わります。
ルイーゼはなんとか講和の条件を良くするために、個人的にナポレオンに訴えかけようと
あの手この手を駆使しますが失敗します。
プロイセンはティルジット条約で国土の大半を失う事になりました。

しかしルイーゼの果敢な行いは国民から多くの賞賛を浴びたそうですよ。
ナポレオンは戦争中、影響力が強いルイーゼの評判を打ち砕こうと試みましたが
結局プロイセン国民の反感をかっただけでした。

故郷のシュトレリッツに父を訪問している最中の1810年
ルイーゼは夫の腕に抱かれて亡くなりました。
34年の短い生涯でしたが、夫にも国民にも愛され、幸福な人生だったのではないかしら?

プロイセンはこの後ロシアと手を組み、打倒ナポレオンを主導します。
ナポレオンの前にひれ伏していたヨーロッパ各国もこの戦いに加わり
1814年にはナポレオンからの解放を勝ち取りました。

きっとルイーゼもこの勝利を夫とともに喜びたかったでしょうね。
一緒に戦ってきたんですもの。

フリードリヒ・ヴィルヘルム3世は愛人を持ったことはありませんでしたが
ルイーゼの死後アウグステ・フォン・ハラハという女性と貴賤結婚しています。

(参考文献 鈴木晟氏『面白いほどよくわかる世界の王室』
      坂井榮八郎氏『ドイツ史10講』 Wikipedia英語版)

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2 コメント

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Unknown (cucciola)
2009-11-13 06:30:06
まりっぺさま、

こんばんは。
なんだかずっと時代錯誤的に男尊女卑のプロイセン宮廷胃の話題が続いていましたが、やっと夫婦らしい王族のご登場ですね。
それにしても美しい肖像画。聡明そうでここ最近の王妃の中ではぴかいちの美しさですね。
ナポレオンの姉妹はあまり頭が良さそうな人はいないので、彼女の才色兼備にくらくら来たんじゃないでしょうか。美人薄命で残念です。
ナポレオン (まりっぺ)
2009-11-14 01:42:31
こんばんわ。

最近ブログを書いていて思うのは、どの王国もある時代にくるとナポレオンが登場するということでしょうか?
ナポレオンにはたいして興味がなく「我が輩の辞書に不可能という文字は無い」と言ったというエピソードぐらいしか知らないのですが、たしかに一時代の寵児であったことは否めないですね。

カエサルやチンギス・ハン、アレクサンダー大王など、世界を股にかける英雄がいたほうがいいのか悪いのかは別にして、歴史を遡れば遡るほどダイナミックな指導者がいたという事実には驚きます。
現代にもそんな夢を捨てきれない指導者がいるようですけれども…

ドイツは本当に家系図がぐちゃぐちゃで胸がはずみます。
ハプスブルク家なんてもう…
しかし王妃はあまりエピソードや肖像画がないのですよね。

イタリアのように女性を大事にする風潮が無かったんじゃないかしら? なんて思ってしまいます。

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