![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/7c/a4f53245dd4ece28dbf81f6a9a1a81fb.jpg)
さようなら、ロシア皇室
ニコライ2世妃 アレクサンドラ(アリックス)・フョードロヴナ
1872~1918/在位 1894~1917
改名前の名はヴィクトリア・アリックスで、ドイツのヘッセン大公の公女ですが
母親が大英帝国女王ヴィクトリアの王女アリスで、イギリスで教育を受けていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/da/e8dead9ff3f02af0839da69c71e6227f.jpg)
ニコライの叔父セルゲイとアリックスの姉エリザベスが結婚することになり
ふたりは初めて顔を合わせます。
16歳のニコライと12歳のアリックスはお互いを憎からず思い
その5年後にモスクワで再会してから愛し合うようになったと言われています。
けれどもアリックスを気に入っていたヴィクトリア女王は、彼女と、同じく孫の
(切り裂きジャック説がある)クラランス公アルバートと結婚させたがっていました。
ロシアでもアンチ・ドイツのアレクサンドル3世夫妻がアリックスとの結婚には反対で
次々に他の王女との縁談を考えますが、いずれも改宗がネックになって上手く運ばず
また、ニコライも女優などと遊びまわり同棲までするようになります。
その後アレクサンドル3世は目に見えて衰え、根負けしてアリックスとの結婚を認めました。
婚約した年にアレクサンドル3世が崩御しましたが式は延期されませんでした。
ふたりはかなり嬉しかったらしく大はしゃぎでした。
が、ヴィクトリア女王はロシアの先行きにかなり不安を覚えていたご様子で
「何事もなければ良いが…」と書き残していらっしゃいます。 さすが![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp02.gif)
ロシア宮廷はアリックスに対してかなり冷ややかでした。
アリックスは地味だし、無口だし、なによりも横柄そうに見えました。
また、不幸なことには姑マリーヤがめちゃくちゃ人気者で何かと比べられてしまうし…
マリーヤの絶大な影響力には宮廷もニコライ2世も言いなりでした。
アリックスもロシア宮廷をふしだらで軽薄だと見なして、なるべく公の場には出ず
お気に入り以外とは付き合うのを避けようとします。
けれどこんな頑な姿勢がさらに不人気に拍車をかけていきます。
後年は待望の皇太子アレクセイが血友病だとわかり
治療を頼んだラスプーチンに心酔してしまうことになりました。
ラスプーチンは皇帝夫妻に多大な影響力を持ち政治にも口を出し始めます。
ところでニコライ2世は大の日本嫌いって知ってました?
(この説には異論もあります。たぶんそちらが正しいみたい)
独身時代に大津事件があったからなんですけれど
その影響でアリックスも日本大嫌い! だったそうでございます。
思えばロシアは君主国になってからも権力闘争と反乱に明け暮れて
ニコライ2世だから革命がおきたというわけじゃないと思うのですが
満州をめぐる日露戦争の敗戦があり、第一次世界大戦へも参加したもので
国内の疲弊は並大抵なものではありませんでした。
また飢饉などもあったので、今まで燻っていたものが大爆発してしまったようです。
2月革命の後、退位したニコライと一家はツァールスコエ・セローへ送られ
臨時政府は従兄弟にあたる大英帝国王ジョージ5世に引き取りを要請しますが
ジョージ5世は自国内の労働運動の激化を怖れて拒否したそうです…ひっど~い
(ニコライ2世の方が復位を楽観視していて断ったという説もあります)
そうこうしているうちに革命政府が樹立され、ニコライ一家の扱いはひどくなり
とうとうエカチェリンブルクの農家の地下室で殺害されることになりました。
アナスタシア皇女については生存説も根強くありましたが、真相は謎のままです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/81/1b7577df38f42d3475093cab05fd2ad9.jpg)
ニコライ2世一家です
右端がアナスタシア皇女です
ニコライ2世は内気で気が優しく家族思いでした。
アリックスの教育は庶民的で部屋の掃除は自分たちでやらせたり
目上の人への挨拶にうるさかったという普通の良きお母さんでした。
贅沢はできなくても一家仲良く我慢できたと思うんだけど…
せめてイギリスに渡っていたらなぁ… 一般人の甘い考えでしょうか?
(参考文献 デヴィッド・ウォーンズ『ロシア皇帝歴代誌』
外川継男氏『ロシアとソ連邦』
三浦一郎氏『世界史の中の女性たち』 Wikipedia英語版)
ニコライ2世妃 アレクサンドラ(アリックス)・フョードロヴナ
1872~1918/在位 1894~1917
改名前の名はヴィクトリア・アリックスで、ドイツのヘッセン大公の公女ですが
母親が大英帝国女王ヴィクトリアの王女アリスで、イギリスで教育を受けていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/da/e8dead9ff3f02af0839da69c71e6227f.jpg)
ニコライの叔父セルゲイとアリックスの姉エリザベスが結婚することになり
ふたりは初めて顔を合わせます。
16歳のニコライと12歳のアリックスはお互いを憎からず思い
その5年後にモスクワで再会してから愛し合うようになったと言われています。
けれどもアリックスを気に入っていたヴィクトリア女王は、彼女と、同じく孫の
(切り裂きジャック説がある)クラランス公アルバートと結婚させたがっていました。
ロシアでもアンチ・ドイツのアレクサンドル3世夫妻がアリックスとの結婚には反対で
次々に他の王女との縁談を考えますが、いずれも改宗がネックになって上手く運ばず
また、ニコライも女優などと遊びまわり同棲までするようになります。
その後アレクサンドル3世は目に見えて衰え、根負けしてアリックスとの結婚を認めました。
婚約した年にアレクサンドル3世が崩御しましたが式は延期されませんでした。
ふたりはかなり嬉しかったらしく大はしゃぎでした。
が、ヴィクトリア女王はロシアの先行きにかなり不安を覚えていたご様子で
「何事もなければ良いが…」と書き残していらっしゃいます。 さすが
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp02.gif)
ロシア宮廷はアリックスに対してかなり冷ややかでした。
アリックスは地味だし、無口だし、なによりも横柄そうに見えました。
また、不幸なことには姑マリーヤがめちゃくちゃ人気者で何かと比べられてしまうし…
マリーヤの絶大な影響力には宮廷もニコライ2世も言いなりでした。
アリックスもロシア宮廷をふしだらで軽薄だと見なして、なるべく公の場には出ず
お気に入り以外とは付き合うのを避けようとします。
けれどこんな頑な姿勢がさらに不人気に拍車をかけていきます。
後年は待望の皇太子アレクセイが血友病だとわかり
治療を頼んだラスプーチンに心酔してしまうことになりました。
ラスプーチンは皇帝夫妻に多大な影響力を持ち政治にも口を出し始めます。
ところでニコライ2世は大の日本嫌いって知ってました?
(この説には異論もあります。たぶんそちらが正しいみたい)
独身時代に大津事件があったからなんですけれど
その影響でアリックスも日本大嫌い! だったそうでございます。
思えばロシアは君主国になってからも権力闘争と反乱に明け暮れて
ニコライ2世だから革命がおきたというわけじゃないと思うのですが
満州をめぐる日露戦争の敗戦があり、第一次世界大戦へも参加したもので
国内の疲弊は並大抵なものではありませんでした。
また飢饉などもあったので、今まで燻っていたものが大爆発してしまったようです。
2月革命の後、退位したニコライと一家はツァールスコエ・セローへ送られ
臨時政府は従兄弟にあたる大英帝国王ジョージ5世に引き取りを要請しますが
ジョージ5世は自国内の労働運動の激化を怖れて拒否したそうです…ひっど~い
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp28.gif)
(ニコライ2世の方が復位を楽観視していて断ったという説もあります)
そうこうしているうちに革命政府が樹立され、ニコライ一家の扱いはひどくなり
とうとうエカチェリンブルクの農家の地下室で殺害されることになりました。
アナスタシア皇女については生存説も根強くありましたが、真相は謎のままです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/81/1b7577df38f42d3475093cab05fd2ad9.jpg)
ニコライ2世一家です
右端がアナスタシア皇女です
ニコライ2世は内気で気が優しく家族思いでした。
アリックスの教育は庶民的で部屋の掃除は自分たちでやらせたり
目上の人への挨拶にうるさかったという普通の良きお母さんでした。
贅沢はできなくても一家仲良く我慢できたと思うんだけど…
せめてイギリスに渡っていたらなぁ… 一般人の甘い考えでしょうか?
(参考文献 デヴィッド・ウォーンズ『ロシア皇帝歴代誌』
外川継男氏『ロシアとソ連邦』
三浦一郎氏『世界史の中の女性たち』 Wikipedia英語版)
日本に対して友好的だったそうですよ。
個人的には。
『ロシア皇帝歴代誌』を下敷きにして書いたんですけれども
歴史上の人物は、誰をどういうふうに書きたいか、という教授や歴史小説家の見解で
かなり変わってしまうものですね。
主役になる人物が誰かで悪人にも善人にもなってしまうんですものね。
例えば徳川秀忠の正妻お江。
けっこう嫉妬深い恐妻説が多いのですが、私は最初に永井路子さんの小説を読んだので
まったく違う見解を持っていたりして…
見極めるのが難しいですよね。
大学時代にロシア研究を専攻していたみんとと申します。
まりっぺさん同様、各国王室の系図が大好きでこちらのブログにたどり着きました。
どの記事もとても興味深く、たのしく読ませていただいています。
特にロシアに関しては、わたしの恩師・外川教授の本(1年生のときの教科書でした、「ロシアとソ連邦」(笑))を使っていらっしゃって、懐かしいやらうれしいやらです。
ロマノフ朝以前のとてもややこしいあたりもわかりやすいテキストで、学生時代にこちらのブログがあればよかったのに。。。なんて思ったりして。
専門的に学んだ方に読まれるのはお恥ずかしいほどロシアの歴史には詳しくないんです。
家系図を載せたいばっかりににわか勉強で…
そう言っていただけると恐縮です。
でもロマノフ家ってなんとなくロマンティックな響きがありますよね?
アリックスはどうだか知りませんが、ニコライ2世は日本嫌いではなかったようですよ。(日記には好意的なことが書いてあります)
以前同様のご指摘をさくらこさんからもいただいたんです。
一応『ロシア皇帝年代誌』という本を参考にしているのですけれども、何か間違っているのかもしれないですね。
そういえばアリックスはジョージ5世の奥さんになった可能性があったのですよね。(ヴィクトリア女王はジョージ5世の早世したお兄さんとアリックスを結婚させたがっていたので。ちなみに、そのお兄さんの婚約者がジョージ5世の王妃なのですよね…)
個人的には皇后として凡庸だったアリックスより彼女の姉のエラ(セルゲイ大公妃エリーザべト)に興味があります。(ウェストミンスター寺院の「20世紀の殉教者」10人の像に彼女の像もあるほどです)
ちなみにエラもドイツ皇帝のヴィルヘルム2世の奥さんになっていた可能性があったそうです。(ヴィルヘルムは青年時代、彼女にぞっこんだったそうですので)
書き手でがらりと違う印象になってしまう…肝に銘じなければ…
でも日記が残っているのであればきっと私が資料にした本に誤解があるのだと思います。
教えていただいてよかったです。
アリックスはヴィクトリア女王のお気に入りだったようなのでクラランス公と結婚させたかったみたいですけど、アリックスはニコライに夢中になるし、クラランス公にも恋人エレーヌがいたりして実現しなかったみたいですね。
アリックスのお姉様についてはまったく知識がありません。
早速興味がわいてきました。
いろいろよくご存知ですね。
また教えて下さい。
当時の皇室の恋愛はきっと、ほとんどが成就しなかったんじゃないかしら?と思うと、王様の子も案外うらやましくないものですね。
子供の頃には「お姫様になりたい」と考えたものでしたが…
エラ大公妃はその美貌と気立てのよさから皇族の中にも崇拝者がいっぱいいたそうです。
それに精神的に脆いタイプのアリックスとは違い、すごい強い女性だったようです。(夫が暗殺された時には常人には信じられない強い精神力を示しています。詳しくは姪マーリヤ大公女の自伝、「革命下のロマノフ王家」をお読みくださいね。)
その後、皇后たちの反対を押し切って修道女になって貧困者や孤児を助けたそうです。
ですが彼女もボリシェヴィキにより殺害されてしまいます。
あと、特筆に値すべきことと言えばラスプーチンに傾倒する妹を懸念し、たびたび妹を諫めに出向き、皇帝や皇太后などに皇后を説得させるように頼む手紙を送っている、ということでしょうか。
ラスプーチンが一番敵視した女性だったようです。
「革命下のロマノフ王家」amazonで発注しちゃいました。
来週ぐらいに来るみたいです。
楽しみです