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ロシア皇帝パーヴェル妃 ナタリヤ

2009-07-10 00:14:07 | ロシア皇妃
失意の新妻
パーヴェル妃 ナタリヤ・アレクセエーヴナ


1755~1776/在位せず

ナタリヤは改名前の名をヴェルヘルミーナといい
プロシアの中堅どころの貴族ヘッセン=ダルムシュタット方伯ルートヴィヒ9世の娘でした。

エカチェリーナ2世が息子の嫁を探しましょうと思い
プロシアのフリードリヒ2世に相談を持ちかけたところ紹介されたのが未婚の3人姉妹でした。
エカチェリーナ2世は誰がよいのか決めかねたもので3人ともをロシアに招待し
パーヴェルが気にいったヴェルヘルミーナと結婚させることにしました。
ヴェルヘルミーナは陽気で華やかで美しくパーヴェルは狂喜したそうです。

一方パーヴェルは “ 稀に見る醜男 ” “ 目以外は醜い ” など という人もいまして
あまり容姿は良くなかったみたいです。
普段は上品で貴公子然としていましたがキレ易く、怒ると醜さ倍増だったそうです。

     

改名、改宗を経て18歳の時に結婚したナタリヤは最初の数ヶ月は
のびのびと無邪気に宮廷生活を満喫していましたが、みるみるふさぎ込むようになりました。
彼女は夫パーヴェルに失望するとともに女の幸せも得られないと絶望して
ロシア語も覚えようとしなくなり、パーヴェルのことも拒むようになって
ついにはパーヴェルの親友アンドレイ・ラズモフスキーと愛し合うようになります。
ラズモフスキーはナタリヤがロシアにやって来る時に迎えに行った人物なのですが
その時からナタリヤに惹かれていたということです。

ふたりの不倫は宮廷中に知れ渡り、ラズモフスキーは追放されそうになるのですが
ナタリヤにぞっこんLOVEのパーヴェルは不貞に気がつかず
親友を追放から守ろうと奔走する始末…お人好し

結婚から3年後、ナタリヤは身ごもりました。
エカチェリーナ2世はもちろん嫁の不貞を知っていましたが
「もう誰の子でもいいや、後継ぎさえできれば」と思っていたふしがあります。
パーヴェルだってピョートル3世の子じゃないかもしれないんだしね…

結局ナタリヤは女の子を死産した後しばらくして亡くなりました。
21年の短い人生でした。

この時期ドイツ方面との縁談が増えていますが、どうやらロシアに比べて
家庭的な雰囲気の中育ってきた娘さんが多いみたいでホームシックにかかる人続出。
それにロシアの宮殿は見た目は派手でも防寒がずさんでたいそう寒かったと
アンリ・トロワイヤは『女帝エカテリーナ』の中で書いています。
ロシア宮廷という華やかな印象とは大違いで戸惑うことも多かったんじゃないかしら?

ナタリヤはドイツにいれば、もちろん王侯妃など
トップクラスの貴婦人にはなれなかったかもしれませんが
見せかけだけの豪華さと陰謀渦巻くロシア宮廷でファーストレディになるよりは
幸せな人生が送れたかもしれないですね。

さてさて、ナタリヤには早々に失望されてしまったパーヴェルなんでしたが
次の奥様は少し事情が違ったみたい…つづく

(参考文献 デヴィッド・ウォーンズ『ロシア皇帝歴代誌』
      外川継男氏『ロシアとソ連邦』 Wikipedia英語版)

ロシアとソ連邦 講談社


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