まりっぺのお気楽読書

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イングランド王リチャード2世妃 アン

2008-10-19 21:39:35 | イングランド王妃・王女
凶兆とともに輿入れ
リチャード2世妃 アン・オブ・ボヘミア


1366~1394/在位 1382~1394

お人好しが仇となって廃位に追い込まれることになるリチャード2世は
神聖ローマ皇帝カール4世の娘アンと結婚しますが
実はこの結婚、イングランドの議会や貴族は大反対でした。

      

(ちなみにリンブルク家は、それまでフランス王家との婚姻が多く
 ここで両国に何かがおこったのかもしれません。調べてみます)

当時リチャード2世にはミラノ卿ベルナボの娘との縁談があり
彼女は13,000ポンドという持参金があったのに対し
アンには一文も持参金がなく(皇帝の娘なのに?)
イングランドにこれといって利益をもたらさなかったためです。

それでも二人は結婚しますが、アンがイングランドにやって来た時の身支度が
とても質素だったため、国民がっかり
さらにはアンが乗ってきた船が、彼女を降ろすやいなや粉々に砕け散ったということで
「凶兆とともにやってきた」とまで言われる始末
さらにさらに、アンは自国から多数の使用人を引き連れて来て宮廷費が嵩んでしまい…と
とにかく不人気な王妃でした。

でもそんな雑音はよそに、二人は一緒に領地を回ったり
名だたる寺院を訪ねたりとかなり仲睦まじかったようです。
それに、アンは農民一揆の首謀者の恩赦などを進言し
徐々に優しい人柄が知られていきました。

彼女が亡くなった時、リチャード2世はふたりで過ごした離宮を見るのは忍びないと言って
破壊を命じています。 お城を破壊!! いくらなんでもやりすぎでは?

後年リチャード2世は亡くなるとアンの遺体と指をからませて埋葬されました。

国内に不穏な動きを抱え、叔父や従兄弟との政争に明け暮れたリチャードにとって
アンとの生活は至上の歓びだったのかもしれませんね。

(参考文献 森譲氏『英国王室史話』 Wikipedia英語版)

これさえあれば、あなたも英国王室通
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