まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

オーストリア皇帝カール1世妃 ツィタ

2010-01-30 00:07:00 | ハプスブルク帝国の妃・皇女
帝国最後の皇后
カール1世妃 ツィタ・マリア・フォン・ブルボン=パルマ


1892~1989/在位 1916~1918

ツィタ・マリアの母マリア・アントニアはポルトガル王女で、カールの義理の祖母の妹です。
どうでしょう!! この、何かを企んでいる感じの家系図。
どの王家も生き残りに必死という時代でした。

         

カールとツィタは幼い頃から見知っていましたが、カールが21歳、ツィタが17歳の時に
親族一同の計らいで再会し1911年に結婚しました。

皇帝フランツ・ヨーゼフは甥の皇太子フランツ・フェルディナントの妃ゾフィー・ホテクが
どーにもこーにも気に食わなかったのね。
なぜかって言うと、ゾフィーはベーメンの下級貴族の娘だったからです。
それでカールとツィタの結婚には大喜び!
結婚式にも列席してツィタにティアラを贈ったり記念撮影に収まったりと上機嫌でした。

               
               帝国最後の輝き。御成婚でのおふたり

もちろん、皇帝に冷たくされている皇太子妃ゾフィーがおもしろかろうはずはなく
また、名家ブルボンの血を誇るツィタも家柄の悪いゾフィーを見下すところがあって
ふたりが仲良くできるわけないわよねぇ…

1914年、第一次世界大戦の引金になるサラエボ事件がおこります。
皇太子フランツ・フェルディナントとゾフィーが暗殺され
カールが皇太子になりました。

しかし皇太子とは名ばかり… 皇帝は80歳を越えても元気ばりばりで仕事をして
カールには何も関与させてくれませんでした。
なんと!カールは第一次世界大戦の宣戦布告も知らされてなかったんだって。

戦争のさなか、とうとうフランツ・ヨーゼフが力尽き、カールは皇帝に即位します。
戦況はオーストリアにとって良くありませんでした。
ツィタは王家存続のために精力的に活動しますが
これが高慢ででしゃばりというイメージを与えてしまいます。

その上、イタリアが同盟を破棄して敵にまわったために憎まれるようになり
(注…ツィタはブルボン=パルマ家とはいってもイタリアに住んだことはないのよね)
兄ジクストゥスを通じて、カールにこっそりフランスと和平交渉をさせたことで
国民を激怒させてしまいます。

1918年、大戦は終結、オーストリアは負けました。
帝国のひとつハンガリーでは革命がおこってウィーンでも市民が声をあげはじめました。
カールは側近たちの説得を受け入れて退位を決意します。
根っからの王侯貴族ツィタは激しく反対しましたが、退位は避けられませんでした。

その後オーストリアに共和国政府が誕生し、スイスに亡命したカール一家でしたが
「ハンガリー王はまだ退位してないじゃん!」と言ってはハンガリーへ向かいます。
一度は温情で見逃してもらえたのですが、二度目には逮捕され
ポルトガルのマデイラ島に島流し… その後しばらくはおとなしく過ごしたようです。

1922年にカールが島で亡くなると、大陸に戻ることになったツィタは
スペインやベルギーでハプスブルク王家復活の活動を再開します。
第二次大戦中は、もとハプスブルク帝国だった国々の行く末を憂い
戦後はオーストリア復興のために援助を惜しみませんでした。

嫁の鏡よね。
実家ではなくて嫁ぎ先の家のために一生懸命になれるんですもの。

1962年からはスイスの聖ヨハネス修道院で暮らすようになりました。
1982年に一度だけ、娘の墓参りのためにウィーンを訪れています。

97歳で亡くなったツィタの命日は、なんとカール1世と同じ4月1日でした。
葬儀はシュテファン大聖堂でおこなわれ、カプツィーナ教会に埋葬されました。
ただし、心臓は彼女の望み通りカールの心臓とともにスイスのムリに葬られました。

              
              すごく私好みのおばあちゃまなんだけど…
              激動の人生だったわりにはおだやかなお顔をしていらっしゃる
               

王じゃなくなっても、働かなきゃ食べていけないってことはないと思うのよ。
使用人だってふんだんに雇えるでしょう、変わらず贅沢もできるでしょう。
(これはとんでもない偏見だったことが発覚! 皇女エリーザベトのページをご覧下さい)
でも称号と人々の尊敬を失うのは、王侯貴族にとって堪え難いことなんでしょうね。

ツィタがそんなにまでして取り戻したかったハプスブルク家の栄光は
甦ることはないのでしょうね…

ちなみに、カール1世&ツィタの息子オットーと孫カールはEUの議員ですってよ。
(98歳のオットー氏は引退したもよう)
欧州統合… 別の意味で帝国の復活とも言えるかも…(無責任コメント

(参考文献 江村洋氏『ハプスブルク家の女たち』『ハプスブルク家史話』
      Wikipedia英語版)

ハプスブルク家の女たち  講談社


このアイテムの詳細を見る

コメント (6)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『ショコラ』お口の中から幸... | トップ | フランス王シャルル6世愛妾 ... »
最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ツィタの葬儀と息子のオットー (マリアンヌ)
2010-01-30 09:35:08
まりっぺ様、ハプスブルグ家ってしぶといんです。

まず、ツィタ、亡くなったのは1989年の3月です。このツィタの葬儀は確か第一次世界大戦以前のオーストリア帝国時代の葬式様式に則ってオーストリアのウィーンで執り行われたはずです。当時まだ共産主義国だったハンガリーなどから要人が出席し、又、現・旧王室の面々の列席もあったようです。
当時、まだあった週刊誌「週刊時事」今まだある「ニューズウィーク日本版」に葬儀の様子が詳しく報じられていました。これ程の大規模葬儀は異例だ、という論調でした。

次に、オットーです。このツィタの葬儀から半年も経たない内に、8月に「汎ヨーロッパピクニック」とう’東欧崩壊’に繋がる一大イベントを企画します。
このイベントから、次々に東欧の共産主義体制が崩壊していきました。だから、東欧崩壊の’真の’立役者と言われているんですよ。
ちなみに、オットー、日本でも有名なあのリヒャルト・クーデンホーフ・カレルギー伯爵と行動を共にしていました。このカレルギー伯、第一次世界大戦後、「友愛」という事を説き始めました。この「友愛」、鳩山首相のキャッチフレーズでもあります。

私はエリザベートにも興味津々なんですけど、このツィタにも興味があるんですよ。
返信する
さすが! (まりっぺ)
2010-01-30 17:47:57
マリアンヌさん、いつもながら詳しいですね。

私は実はツィタのことはあまり知らなかったのですよ。
たしかにお葬式は盛大だったみたいですね…あの馬車 …
でもオーストリアからは反対の意見も出たようですね?

オットーのその行動は、東欧の主義にしばられた元ハプスブルク帝国国家を解放したいという
ツィタの信念を反映したものだったのでしょうか?
だとしたら親孝行ですね。

“ハプスブルク家”と聞くと大昔のような気がしますが、1989年て最近ですよね。
なにかのきっかけで王政復古になってハプスブルク家が甦ったら素敵だなぁ…(またまた務責任感発言)
返信する
ツィタの伝記、1冊出ていますよ (マリアンヌ)
2010-01-30 23:21:12
まりっぺ様、ツィタの伝記、日本で唯一の物が新書館から出ているんです。
http://www.shinshokan.jp/pub/normal/411.html

このツィタとまりっぺ様はご存知かと思いますけれど、シシィこと前記事のエリザベートの孫、「赤い皇女」と言われたエリザベート(マイヤリンクのルドルフ皇太子の唯一の娘)、この二人って、本当に数奇な運命を生き抜いた、と思います。
ツィタの死亡記事、当時、何気なく朝日新聞を読んでいたら、国際面に小さく載っていました。第一次世界大戦の亡霊がまだ生きていたのか、という驚愕でした。

それと、オットーの事なんですが、東欧崩壊時に、ハンガリーから、ハンガリー国王になってくれ、という要請はあったみたいですよ。なんでも、オットー大公自身が辞退されたそうで・・・・・・。でも、それが実現「していたらなあ、と今になって考えてみたりしています。
去年でしたか、オットー大公、NHKBS2の番組で実際に会ったフランツ・ヨーゼフ皇帝について答えておられました。それを見て、オットー大公、歴史の生き証人なんだと、改めて感慨にふけったのです。もう100歳に近いですからね。

返信する
ロイヤルファミリー (まりっぺ)
2010-02-03 00:08:51
こんばんわ

25ansで海外のハイソなパーティー速報なんかを見ていると「◯◯家の末裔」とか「◯◯王の血をひく」とか書いてあるお嬢様たちが載っていてうっとりしちゃいますけど、華麗なる貴族全盛期を体現した人となるとなかなかいないですもんね。



返信する
ハプスブルク家の子孫 (きなこもち)
2012-04-01 10:45:23
お久ぶりです☆ウィキペディアの彼女の記事によると、彼女とカール1世の子孫は婚姻によりスペイン、ベルギー、ルクセンブルクの君主継承権を保持していて、それによって将来一族が君主に返り咲く可能性があるそうです。

もしそうなったら彼女の悲願達成になりますね。
返信する
こんばんわ (まりっぺ)
2012-04-02 23:36:30
きなこもちさま、こんばんわ。

おやおや、ハプスブルク家復活!!でしょうか?
世界の貴族好き、セレブ好きには見逃せないビッグニュースですね?

確かシェーンブルン宮殿って公開部分を除いてマンションになってるんじゃなかったでしたっけ?(ガセネタ?)

復活したらどこに終結するんでしょうね?
ワクワクです 
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

ハプスブルク帝国の妃・皇女」カテゴリの最新記事