
新世紀の王妃
フレデリク9世妃 イングリッド・アフ・スヴェリエ
1910~2000/在位 1947~1972
イングリッドはスウェーデン王グスタフ6世の王女で
母マルグレート・コンノートは生後6ヶ月の時に亡くなりました。
3歳の時父がルイーズ・マウントバッテンと再婚しました。
実母は大英帝国女王ヴィクトリアの孫、継母は曾孫というわけで
イングリッドと英国王室には深い繋がりがありました。

1928年、イングリッドにまたいとこの英国王太子エドワード(後の8世)との
縁談が持ち上がりましたが、婚約には至りませんでした。
もしこの縁談が上手く運んでいたらシンプソン夫人との世紀の大恋愛は
なかったかもしれませんね。
1935年、やはりまたいとこにあたるフレデリクと結婚しました。
この結婚はおおいに注目を集め、メディアはうるさくつきまといました。
ダイアナ妃を思い出すなぁ…いつも人の輪ができていたもの。
イングリッドは責任感が強く真面目な一方で、スポーツ好きのアクティブな女性でした。
乗馬とテニスが得意で、運転免許も持っていたそうです。
当時としてはかなり珍しいんじゃない? しかも車で町まででかけたらしい。
また、ラジオにも度々出演して詩の朗読などをしたそうです。
なんて気さくな…
王太子妃だった時に、デンマークはナチスドイツの占領下に入りました。
父王クリスチャン10世、王妃アレクサンドリーネが国内に踏みとどまる中
イングリッドも自転車に乗ったり、ベビーカーを押して町中を闊歩しました。
スウェーデンの父グスタフ6世は、娘の行為をとても心配して
「少し控えめにね…」とアドバイスしましたがイングリッドは聞きませんでした。
国民はイングリッドを “ 静かなる革命のシンボル ” として絶賛したそうです。
1947年、フレデリク9世が即位して王妃になったイングリッドは
宮廷の古いしきたりを変えようと改革に乗り出します。
また、歴史を調べ上げて、グラステン城を古き良き時代の外観に改修しました。
第二次大戦後フレデリク9世は、憲法の改正を行っています。
これによって女性への王位継承が可能になりました。
それから工業の大幅な導入など国家をあげての大改革を行っています。
また、名高い福祉国家もこの頃に形成されています。
変革に用いるパワーというのは並大抵のものではありませんよね?
イングリッドのサポートはとても力になったのではないでしょうか。
1972年、フレデリク9世が亡くなった後も
娘マルグレーテ2世が不在の時には摂政を務めたりと国家に関わっていたイングリッドは
2000年に亡くなりました。

頼りになりそうなお顔立ち
務めを果たしてきた自信に満ちていますね
(参考文献 武田龍夫氏『物語北欧の歴史』 Wikipedia英語版)
フレデリク9世妃 イングリッド・アフ・スヴェリエ
1910~2000/在位 1947~1972
イングリッドはスウェーデン王グスタフ6世の王女で
母マルグレート・コンノートは生後6ヶ月の時に亡くなりました。
3歳の時父がルイーズ・マウントバッテンと再婚しました。
実母は大英帝国女王ヴィクトリアの孫、継母は曾孫というわけで
イングリッドと英国王室には深い繋がりがありました。

1928年、イングリッドにまたいとこの英国王太子エドワード(後の8世)との
縁談が持ち上がりましたが、婚約には至りませんでした。
もしこの縁談が上手く運んでいたらシンプソン夫人との世紀の大恋愛は
なかったかもしれませんね。
1935年、やはりまたいとこにあたるフレデリクと結婚しました。
この結婚はおおいに注目を集め、メディアはうるさくつきまといました。
ダイアナ妃を思い出すなぁ…いつも人の輪ができていたもの。
イングリッドは責任感が強く真面目な一方で、スポーツ好きのアクティブな女性でした。
乗馬とテニスが得意で、運転免許も持っていたそうです。
当時としてはかなり珍しいんじゃない? しかも車で町まででかけたらしい。
また、ラジオにも度々出演して詩の朗読などをしたそうです。
なんて気さくな…
王太子妃だった時に、デンマークはナチスドイツの占領下に入りました。
父王クリスチャン10世、王妃アレクサンドリーネが国内に踏みとどまる中
イングリッドも自転車に乗ったり、ベビーカーを押して町中を闊歩しました。
スウェーデンの父グスタフ6世は、娘の行為をとても心配して
「少し控えめにね…」とアドバイスしましたがイングリッドは聞きませんでした。
国民はイングリッドを “ 静かなる革命のシンボル ” として絶賛したそうです。
1947年、フレデリク9世が即位して王妃になったイングリッドは
宮廷の古いしきたりを変えようと改革に乗り出します。
また、歴史を調べ上げて、グラステン城を古き良き時代の外観に改修しました。
第二次大戦後フレデリク9世は、憲法の改正を行っています。
これによって女性への王位継承が可能になりました。
それから工業の大幅な導入など国家をあげての大改革を行っています。
また、名高い福祉国家もこの頃に形成されています。
変革に用いるパワーというのは並大抵のものではありませんよね?
イングリッドのサポートはとても力になったのではないでしょうか。
1972年、フレデリク9世が亡くなった後も
娘マルグレーテ2世が不在の時には摂政を務めたりと国家に関わっていたイングリッドは
2000年に亡くなりました。

頼りになりそうなお顔立ち
務めを果たしてきた自信に満ちていますね
(参考文献 武田龍夫氏『物語北欧の歴史』 Wikipedia英語版)
さて、肖像画の時代から写真の時代に1800年代後半からなりましたね。
そこで思うのは、絵は大分脚色が入っているのに対して、写真はその人物そのものを映し出してしまうので、本当によくわかりますね。
でも、このイングリッド王妃にしてもアレクサンドリーヌ王妃にしても、晩年はいかにも貴婦人らしい’ろうたけた’という表現がぴったりの風貌になっている事です。威厳たっぷりの神々しさと申しますが、「That's 王族」って感じですね。
デンマーク王妃編はこれで終わりですね。勉強させて頂きましたよ。
お疲れ様です。
このイングリッド王妃の逝去後の国葬には、確か日本から秋篠宮ご夫妻が参列されたようですね。
そうなんです。
デンマークは最終回でした(ふうぅ…)
どの国もそうですけど、王国ができ上がった当時のプリミティブな絵から始まって、きらびやかな肖像画になり、写真になって終わる…という感じですね。
でも、私はどちらかというと肖像画の方が好きです。
写真だとチャチャが入れづらいんですよね
描く人の腕や思い入れで違いが出るのも面白いですし、!! というとんでもなくブチャイクな絵を見ると想像がふくらみます。
当時はこのタイプが美人だったのかしら? とか、すごく叱られたり罰が与えられたんじゃないかしら? とか…
現代の王室の方々も写真以外に肖像画で残しておいたりするのでしょうか?