まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

オラニエ公ウィレム2世妃 マリーア・ヘンリエッテ

2009-09-25 01:55:21 | オランダ王妃
故国を捨てられなかった公妃
ウィレム2世妃 マリーア・ヘンリエッテ・スチュアート


1631~1660/在位 1647~1650

マリーアはイングランド王チャールズ1世の王女なのですが
イングランドで初めて“ プリンセス・ロイヤル ” の称号を与えられています。
母であるフランス王アンリ4世王女アンリエッタ・マリア
「フランスの “ マダム・ロイヤル ” みたいのがほしいわ~」と言ったそうです。

チャールズ1世はマリーアをスペイン王フェリペ4世と結婚させたかったのです。
それから従兄弟のプファルツ選帝候カール・ルドヴィクからも
しつこく求婚されていました。

母后アマリエの押しの強さに負けたのか、結局オラニエ公子ウィレム(後の2世)と
9歳の時に結婚しました。 9さいって!
実際にお嫁に行ったのは10歳になってからです。
でも小学校5年生でしょぉ?10歳って… お母様と一緒に海を渡りました。

      

1647年に、夫ウィレムが若くして父の後を継いだのですが
3年後に天然痘で亡くなり、その後を継いだのはマリーアのお腹の中にいた
ウィレム3世、父の死から数日後に生まれました。

マリーアは母親ですから後見人になったのですが、19歳という若さだったので
同時に義母アマリエも後見人になりました。
たぶんアマリエに仕切られてたと思うよ…

マリーアは実家に対する愛情が深いってことでオランダで不人気でした。
イングランドではピューリタン革命から王党派と議会派の争いがおこり
チャールズ1世が処刑されてしまいます。

兄のチャールズ2世やヨーク公ジェームズ(後の2世)たちが亡命して来たので
マリーアは、そりゃあ受け入れますよね? 兄弟姉妹ですもの。
でもその歓待ぶりが国民の怒りを招き、ついには家族との関わりを禁じられてしまいました。
さてはチャールズったら豪遊しちゃった? たくさんの女に手を出したとか?

マリーアは1654年から3年間、オランダを離れてすごしました。
1657年、国に戻ってウィレム3世の摂政に就きましたが
アンリ4世がオラニエ公国をフランスの直轄領にしようとやいのやいの言ってきて
幼い領主を抱えたマリーアの立場は厳しいものになりました。

1660年、イングランドが王政復古になり兄のチャールズ2世が即位すると
マリーアの立場は俄然高まりましたが、そんな思いも束の間
イングランドに帰ったマリーアは天然痘で亡くなりました。

              
                 お輿入れした当時のマリーア
                       The 王女って感じですか


幼い頃に家族と離れて…どんな理由であれ家族が訪ねて来るというのは嬉しくて
おもてなししたい気持ちは分かりますよね。
ただ、当時は些細なことが戦争の口実になってしまうから
巻き込まれたくないという気持ちも分かる…
フランスなんか手ぐすねひいて待ってたでしょうからね。

(参考文献 Wikipedia英語版)

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3 コメント

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Unknown (shinkai)
2009-09-25 05:15:18
こんにちは! 
知らない名前ばかりで、でもお話は人間臭くて面白くて・・!
それにしても、家系図を作られるの(ご自分で作られているのですよね?)凄いですね。
でも、やっぱり飲み込めない、とほほ。

リンクをして頂いているのに気がつきました。有難うございます。 私の方からもさせていただきました。 よろしくお願いいたします。
返信する
Unknown (cucciola)
2009-09-25 05:39:17
まりっぺさま

こんばんは。
この少女時代のマリーア・ヘンリエッテはお母さんのヘンリエッテにそっくりですね。
この家系から将来メアリー二世が出るんですね。やっとつながりました。
それにしても、10歳でお輿入れして19歳で未亡人。他の姉妹も他国で苦労していたと思われますが、唯一チャールズ二世だけは終生お気楽な人だったんですね。
返信する
こんにちわ (まりっぺ)
2009-09-26 11:22:39
shinkaiさま こんにちわ

実は家系図づくりが趣味でして、作り貯めてきたんです。
でも特に役立つ場面がなかったので(そんな場面ないですよね~
ブログにのせちゃおうと・・・
家系図がのせたいばっかりに文章をひねり出しているしだいです。

家系図は複雑になればなるほどわくわくします。
遡れるところまで遡ろうとするのですが、時々こんがらがります。
欧州には家系図専門家もいらっしゃるようで、密かにあこがれています。

cucciolaさま こんにちわ

自分には徳に失策がないのに、歴代の王のつけで非業の最後を遂げたルイ16世やニコライ2世のように不幸な王もいるというのに、チャールズ2世はラッキーな王様のひとりですよね。

王政復古のために戦っていたとはいえ、クロムウェル親子の共和制が勝手に倒れてくれたようなところがありますもんね。復古後は派手で享楽的な毎日を送ったのになぜか人気者。
真面目で質素だった父チャールズ1世は処刑されたというのに・・・不思議ですよね。


おふたりのブログを見ていると、イタリアはどこを写しても絵になりますねぇ、感嘆です。
イタリアは王家よりはかつての公国の方が興味深い家が多いですよね。
ボルジア家とかメディチ家とかスフォルツァ家・・・メディチ家とスフォルツァ家は家系図作ってあるのです。いつかアップしたいと思っています。
返信する

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