まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

オランダ王ウィレム3世妃 ソフィア

2009-10-11 00:06:04 | オランダ王妃
死装束に思いを込めた王妃
ウィレム3世妃 ソフィア・ファン・ヴュルテンブルク


1818~1877/在位 1849~1877

ソフィアにはギリシャ王オットー1世との縁談があったのですが
父のヴュルテンブルク公が「できたばっかりの王国は信頼できない」と
考えて破談になりました。

1839年、シュトゥットガルトでウィレムと結婚しました。

ソフィアの母カタリーナは、ウィレム2世妃アンナの姉ですので
ウィレム3世とは従兄弟、義理の母は伯母にあたります。

       

この結婚はソフィアにとって大変不幸なものになりました。

まずは義理の母アンナ… やっぱりね
アンナはなぜか姪のソフィアとの結婚に大反対だったんですね。
そこでソフィアのことを完全無視、見向きもしません。
そんな母親にウィレムが全幅の信頼を寄せているというのも腹立たしいですね。

ソフィアはウィレム3世より、知性の面ではるかに勝れていました。
そしてそのことを隠そうとせずウィレムを見下していました。
現にウィレム3世は権威主義者で国民にも不人気だったそうよ。
ソフィアがウィレムのことを王に相応しくないと考えていることは
誰が見ても丸見えスケスケだったということです。

ソフィアは離婚を試みるも拒否され、なんとか1855年に別居にもちこみました。
その後はできるだけ故郷で過ごしていましたが亡くなったのはハーグでした。

ソフィアのたっての望みで、彼女は花嫁衣装で葬られました。
これはね…ロマンティックな理由からじゃないの。
彼女がこのドレスに込めた思いはね…
「私の人生は、結婚した日に終わった」という意味なのです。
幸せの絶頂で着るはずの花嫁衣装を、こんな形で着なければならないなんて…

            
                若い頃の肖像画
               こんなにふっくらした顔が…やはり気苦労か?


(参考文献 Wikipedia英語版)

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5 コメント

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Unknown (cucciola)
2009-10-12 07:30:07
まりっぺさま、

ずっと続いているオランダ王妃シリーズ。
ほとんど存じ上げない名前ばかりなのですが、肖像画と説明を比べながら拝見しています。

それにしても時代のせいなのか、オランダ王妃って不幸な人が多いんですね。政略結婚ならば当然そういう夫婦が多くなるのでしょうけど、代々続いちゃったんですね。
娘時代と王妃になった後のbeofre-afterの肖像画を見ているとつらくなっちゃいますね。

そのうち幸せなカップルが出てくることを祈りつつ。
返信する
こんばんわ (まりっぺ)
2009-10-13 00:25:30
オランダ王妃もあと3人になりました。

やっぱり王妃って不幸な人の割合が多いような気がします。
第二次世界大戦後はがらっと様変わりしたようですが、それまでは顔も見ずに結婚ってパターンが多いですものね。

あとは王を尻に敷いて悪妻よばわりされるか…どちらかですよね。
もしも王妃になれるなら、もしもですけど、悪妻の方を選びたい気がします。

ヘンリー王子とかウィリアム王子ってどんな女性を選ぶんでしょうね?
興味津々です。

返信する
ソフィアの姉について (ケイコ・オカモト)
2010-11-08 14:05:24
まりっぺ様、こんにちは。
度々ごめんなさい。

どうしても気になることがあり、こちらにコメントしました。
ソフィアの姉がアルフレート・フォン・ナイペルクと結婚しているとwikipedeliaにありました。
そこで、江村洋さんの本に書いてあったことを思い出したのですが、ナポレオン妃のマリー・ルイーズとナイペルク伯にとっては孫であり、
フランツ・ヨーゼフ帝の時代に侍従長として全権を振るったモンテヌオーヴォという人物がアルフレート・フォン・ナイペルクという人だったと書いてあった気がします。
これは本当なのでしょうか?

そうだとしたらすごいなあ、と思ってしまいます。
返信する
ナイペルク伯 (まりっぺ)
2010-11-10 07:59:59
ケイコ・オカモトさま
こんばんわ

私のナイペルク伯ソースも江村洋先生の著書なんですが、今思い出せるのは女帝マリア・テレジアの夫フランツ1世がご執心だったヴィルヘルミーネの父ヴィルヘルム・ナイペルクの孫が皇后マリー・ルイーズの夫アーダムだということですかね…

Wikipediaで調べてみたら、確かにソフィアの姉マリーがアルフレート・フランツ・フォン・ナイペルクに嫁いでますね。
このアルフレートという人はアーダム・ナイペルクの孫ではなくて息子みたいです。
ただ母親はマリー・ルイーズではなくてTeresa Pola di Trevisoという女性です。

でもイタリア語版とドイツ語版で見ているので詳しいことがわかりませんです

アルフレート・モンテヌーヴォ候は、このアルフレートではなくて、マリー・ルイーズが生んだヴィルヘルム・アルブレヒトの息子になりますので別人です。
フランツ・ヨーゼフとは従兄弟同士になります。
祖父や父親と同じ名前をつけるからややこしいですよね

ともあれナイペルク伯一族というのは皆さんハンサムだったみたいですね。
返信する
ありがとうございます。 (ケイコ・オカモト)
2010-11-10 19:22:19
お返事ありがとうございます。
毎回色々あちこちにコメントしてしまってごめんなさい。
読んでいてとても楽しいし、いろんな新発見があるのでつい長々と書いてしまいます。

モンテヌオーヴォ侍従長とは別人だけど、ナイペルク伯の息子だったんですね。
名前を聞いた時「あれ?」と思ったので。

ナイペルク伯はマリー・ルイーズと一緒にパルマに行ったときには、すでに結婚していたというし、昔の王侯貴族は奥さんが一人ではないし
彼自身かなりの色男だったようですから母親がマリー・ルイーズではなくても不思議じゃないですよね。

これからも楽しみにしてます。
(毎度のごとく長々すみません)
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