まりっぺのお気楽読書

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オランダ王ウィレム2世妃 アンナ

2009-10-09 01:33:17 | オランダ王妃
小さな王室に驚いた
ウィレム2世妃 アンナ・パウローナ


1795~1865/在位 1840~1849

アンナはナポレオンがジョゼフィーヌと離婚した後
高貴な家柄の公女と結婚したいと望んで最初に求婚した女性です。
兄のロシア皇帝アレクサンドル1世が断ったのでハプスブルク家にとばっちりが…

        

アンナは1816年にウィレム2世と結婚しました。
式をサンクトペテルブルクで挙げて1年ほどロシアで過ごした後
オランダに向かったアンナは、ロシア皇室とオランダ王室の
あまりのギャップにショックを受けました。

「え? これって王宮? 門番小屋じゃなくて? 」てな感じでしょうか。
なにしろロシアの宮殿は、寒いかもしれないけどでっかいしゴージャス。
それに比べてオランダは… 素朴でコンパクトだったんでしょうね。

それから貴族社会が小さくて、王室と民衆の距離が小さいことにも驚きました。
昔から気さくだったんですね、オランダ王室。

アンナはなかなか慣れることが難しかったようです。
慣れる気がなかったんじゃないか? とも思われます。
最後まで民衆との距離は縮まらなかったようですよ。

だいたいアンナはロシア正教からプロテスタントに改宗もしていません。
逆にロシアに嫁ぐ女性ほとんど改宗させられていたんですけどね。

ウィレム2世は浮気癖があったようで、喧嘩が絶えることがなく
結婚生活は大荒れでした。

1829年にアンナの宝石がいくつか盗まれる事件がおきると
彼女は夫に疑惑の目を向けたほどです。
ロシア皇帝一家の宝石ってすごそうじゃない?
愛人にあげたらさぞ喜ぶことでしょう… 真偽のほどは分かりませんが。

1840年に父王が退位し、ウィレム2世が即位しました。
アンナは王妃になったわけですが、その3年後にはふたりは別居します。

1849年、ウィレム2世が亡くなると息子ウィレム3世が即位します。
風格と威厳たっぷりで堂々としていたアンナは、未亡人になっても
前王妃に相応しい晩年を送ったとされています。
てことは、偉そうだったってことかしら? 次の王妃へ…つづく

(参考文献 Wikipedia英語版)

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