ナポレオンに愛された義理の娘
ローデウェイク1世妃 オルタンス・ド・ボーアルネ
1783~1837/在位 1806~1810
オルタンスはナポレオンの最愛の人、ジョゼフィーヌ の連れ子です。
ジョゼフィーヌの再婚のいきさつは省くとして
ナポレオンは彼女の子供たちを実の子のようにかわいがっていました。
オルタンスはナポレオンの妹カロリーネとともに教育されました。
背が高くスレンダーで、顔立ちが美しい少女でした。
音楽好きでアマチュア作曲家だったオルタンスは
ナポレオン軍のためにいくつか行進曲も作曲しました。
ナポレオンはお年頃になったオルタンスを、弟のルイと結婚させることにします。
義理の娘可愛さからか、一族の結束を強化したのか、はたまた
娘をナポレオンの弟に嫁がせれば安心と考えたジョゼフィーヌの影響によるものかは
分かりませんが、この結婚はあまり幸福ではなかったみたい
オルタンスはお美しい上に母親に似て社交的だったのね。
その上19歳という遊び盛りです。
一方ルイは精神的に弱いところがあり沈みがちで
一時はホモセクシャルにもはしったということで、夫婦生活は愛のないものでした。
肖像画をもう一枚
やはりお美しいという噂は本当だったみたい
1806年、ナポレオンにオランダ(ホラント)王に指名されたルイは
ローデウェイク1世としてハーグに赴きオルタンスも従いましたが
1810年に退位するとルイはドイツへ、オルタンスはフランスへ向かい
ふたりは別居、事実上の離婚ということになりました。
自由の身になったオルタンスは、かねてから想いを寄せていた
フラオー伯シャルル・ジョセフの愛にこたえることにします。
1811年にはジュネーブでシャルル・オーギュストを極秘の内に生みました。
シャルルは後にルイとの息子フランス皇帝ナポレオン3世によって
モルニー公に叙位されています。
1814年のブルボン家再興の時には、オルタンスはロシア皇帝アレクサンドル1世の
保護を受けて、その口添えでルイ18世からサン・ルー公爵にも叙位されました。
それなのに! ナポレオンが俗に言う百日天下でパリに戻って来ると
オルタンスは全面的に義理の父をサポートする側にまわりました。
アレクサンドル1世といえば、ナポレオンを打倒したことで
ヨーロッパで一目おかれる存在になった皇帝です。
ルイ18世はナポレオンの宿敵以外の何者でもありません。
そんなふたりを手玉にとるなんて、大人しそうな顔してやり手だね!
もちろん、ナポレオンの失脚後はフランスから追放されちゃいました。
ドイツやイタリアを渡り歩いた後スイスのアレネンベルク城に落ち着き
亡くなるまで過ごしましたが、ボナパルト家再興の夢は捨てなかったらしいですよ。
義理の父親だし、母親は離婚されてるんだし、夫とも縁は切れてるのだし
大人しくしていたらフランスで安泰に暮らせたかもしれなかったのにね。
何が彼女をそうさせた? ナポレオンとの思い出だろうか?
義理深い女性だったんですね。
(参考文献 Wikipedia英語版)
ローデウェイク1世妃 オルタンス・ド・ボーアルネ
1783~1837/在位 1806~1810
オルタンスはナポレオンの最愛の人、ジョゼフィーヌ の連れ子です。
ジョゼフィーヌの再婚のいきさつは省くとして
ナポレオンは彼女の子供たちを実の子のようにかわいがっていました。
オルタンスはナポレオンの妹カロリーネとともに教育されました。
背が高くスレンダーで、顔立ちが美しい少女でした。
音楽好きでアマチュア作曲家だったオルタンスは
ナポレオン軍のためにいくつか行進曲も作曲しました。
ナポレオンはお年頃になったオルタンスを、弟のルイと結婚させることにします。
義理の娘可愛さからか、一族の結束を強化したのか、はたまた
娘をナポレオンの弟に嫁がせれば安心と考えたジョゼフィーヌの影響によるものかは
分かりませんが、この結婚はあまり幸福ではなかったみたい
オルタンスはお美しい上に母親に似て社交的だったのね。
その上19歳という遊び盛りです。
一方ルイは精神的に弱いところがあり沈みがちで
一時はホモセクシャルにもはしったということで、夫婦生活は愛のないものでした。
肖像画をもう一枚
やはりお美しいという噂は本当だったみたい
1806年、ナポレオンにオランダ(ホラント)王に指名されたルイは
ローデウェイク1世としてハーグに赴きオルタンスも従いましたが
1810年に退位するとルイはドイツへ、オルタンスはフランスへ向かい
ふたりは別居、事実上の離婚ということになりました。
自由の身になったオルタンスは、かねてから想いを寄せていた
フラオー伯シャルル・ジョセフの愛にこたえることにします。
1811年にはジュネーブでシャルル・オーギュストを極秘の内に生みました。
シャルルは後にルイとの息子フランス皇帝ナポレオン3世によって
モルニー公に叙位されています。
1814年のブルボン家再興の時には、オルタンスはロシア皇帝アレクサンドル1世の
保護を受けて、その口添えでルイ18世からサン・ルー公爵にも叙位されました。
それなのに! ナポレオンが俗に言う百日天下でパリに戻って来ると
オルタンスは全面的に義理の父をサポートする側にまわりました。
アレクサンドル1世といえば、ナポレオンを打倒したことで
ヨーロッパで一目おかれる存在になった皇帝です。
ルイ18世はナポレオンの宿敵以外の何者でもありません。
そんなふたりを手玉にとるなんて、大人しそうな顔してやり手だね!
もちろん、ナポレオンの失脚後はフランスから追放されちゃいました。
ドイツやイタリアを渡り歩いた後スイスのアレネンベルク城に落ち着き
亡くなるまで過ごしましたが、ボナパルト家再興の夢は捨てなかったらしいですよ。
義理の父親だし、母親は離婚されてるんだし、夫とも縁は切れてるのだし
大人しくしていたらフランスで安泰に暮らせたかもしれなかったのにね。
何が彼女をそうさせた? ナポレオンとの思い出だろうか?
義理深い女性だったんですね。
(参考文献 Wikipedia英語版)
こんばんは。
ジョセフィーヌの娘さん、お母さんにも似ていますがきれいですねえ。
こんな楚々とした美女が権力のある男を手玉に取っていたかと思うと面白いですね。
ナポレオンの周辺の女性って我の強い人が多いですね。時代が変わりつつあったんでしょうか。
オルタンスも死ぬまで義父の栄光が忘れられなかったんでしょうか。
ナポレオンてジョゼフィーヌ一筋のようにみえて結構愛人とかいるんですよね。
マリー・ヴァレフスカは肖像画でみるとそんはふうには見えないのに夫まで捨てて、ナポレオン命!って感じの熱烈ぶりですものね。
なんでもナポレオンはかなり女性にマメな人だったらしいんです。
英雄でマメ… もてないわけないですよね。
ナポレオン一族っていきなり栄華をつかんだので手放したくなかったんでしょうね?
急に貴族になって由緒ある家と縁組みして、今さら一般人にもどれるかいな、というその一点で再興を夢みていたような気がします。
さきほど遊びにいかせてもらいました。
ストライキの合間にあんなに美しい建物がたくさん見れるなんて…
羨ましくてため息がでてしまいます。