久々の神話シリーズ、ドールマン作ノルン
選出王の強~い味方、もてなし上手な王妃
カール8世妃 カタリーナ・カールスドッテル
1400頃~1450/在位 1448~1450
カール8世は王様の子っていうわけではなく、反カルマル派の枢密議員で
エンゲルブレクトの後を継いで内戦を続けて王に選出され
1448~1457年、1464~1465年、1467~1470年と三回も廃位・復位を繰り返したという
とってもあわただしい王様でございます。
王になる前にビィエルケ家のビリギッタと結婚していますが彼女の詳細は不明…
1438年にスウェーデン貴族家のカール・オルムッセン・アヴ・Gumsehuvudの娘で
ビリギッタの親戚にあたるカタリーナと再婚しました。
内戦続きで廃位・復位と忙しい日々ではありましたが
二人の結婚生活はとても幸せなものだったそうで、お子様も9人生まれました。
お子様たちで王侯貴族や王妃になった人はいませんけどね…
カタリーナはすごく美しく魅力的で、とても愛想が良い女性でした。
彼女が王妃だった時の宮廷は、居心地よくリラックスすることができたそうです。
1450年にカタリーナが出産で亡くなった時、カールは深く喪に服しました。
実力だけではどうにもならない中世時代の王位…とにかく味方が必要です。
お妃になる女性は家柄も大事ですが人柄も重要だったかもしれませんね。
物語みたい…死の床での結婚式
カール8世妃 クリスティーナ・アブラハムスドッテル
1432~1492/在位 1470
カタリーナを亡くしたカール8世はずっと独身だったみたいですけど
1470年にラーセポリ(フィンランド)の知事の娘と思われるクリスティーナと再婚しました。
カールはデンマーク王クリスチャン1世に廃位されて、1457~1464年の間
フィンランドに追放されていました。
カールは1464年にスウェーデンに戻って再び王を宣言しました。
クリスティーナはその時には愛妾としてカールについて来ました。
言い伝えによれば、カールとクリスティーナは、カールの死の床で挙式したそうです。
クリスティーナは王妃になり、既に生まれていた男の子カール・カールッセンは
嫡子として認められました。
しかしなにしろ5歳という幼さで、しかもクリスティーナに政治的な後ろ盾はありません。
カール・カールッセンは王位を譲られましたが
実際は摂政ステン・スチューレが王のようなものでした。
水を差すようですが、死の床の挙式のエピソードは臭いですね…
ステン・スチューレが幼いカールを王に仕立てて操るために
うまいことつくり出した話しかもしれません。
でも、嘘でもロマンティックではありますね。
息子のカール・ッカールッセンは23歳で亡くなります。
その後クリスティーナはひっそりと人生を送り60歳で亡くなりました。
その後もスウェーデンではカルマル同盟の支持派と反対派が戦っておりまして
王様にはデンマーク王ハンス(妃はクリスティーネ・アヴ・サッシェン)、続いて
クリスティアン2世(妃はエリザベス・アヴ・エストリク)が即位しました。
そして、やっと、グスタフ・ヴァーサによって独立を果たします。
つづく…
(参考文献 武田龍夫氏『物語北欧の歴史』 Wikipedia英語版)
選出王の強~い味方、もてなし上手な王妃
カール8世妃 カタリーナ・カールスドッテル
1400頃~1450/在位 1448~1450
カール8世は王様の子っていうわけではなく、反カルマル派の枢密議員で
エンゲルブレクトの後を継いで内戦を続けて王に選出され
1448~1457年、1464~1465年、1467~1470年と三回も廃位・復位を繰り返したという
とってもあわただしい王様でございます。
王になる前にビィエルケ家のビリギッタと結婚していますが彼女の詳細は不明…
1438年にスウェーデン貴族家のカール・オルムッセン・アヴ・Gumsehuvudの娘で
ビリギッタの親戚にあたるカタリーナと再婚しました。
内戦続きで廃位・復位と忙しい日々ではありましたが
二人の結婚生活はとても幸せなものだったそうで、お子様も9人生まれました。
お子様たちで王侯貴族や王妃になった人はいませんけどね…
カタリーナはすごく美しく魅力的で、とても愛想が良い女性でした。
彼女が王妃だった時の宮廷は、居心地よくリラックスすることができたそうです。
1450年にカタリーナが出産で亡くなった時、カールは深く喪に服しました。
実力だけではどうにもならない中世時代の王位…とにかく味方が必要です。
お妃になる女性は家柄も大事ですが人柄も重要だったかもしれませんね。
物語みたい…死の床での結婚式
カール8世妃 クリスティーナ・アブラハムスドッテル
1432~1492/在位 1470
カタリーナを亡くしたカール8世はずっと独身だったみたいですけど
1470年にラーセポリ(フィンランド)の知事の娘と思われるクリスティーナと再婚しました。
カールはデンマーク王クリスチャン1世に廃位されて、1457~1464年の間
フィンランドに追放されていました。
カールは1464年にスウェーデンに戻って再び王を宣言しました。
クリスティーナはその時には愛妾としてカールについて来ました。
言い伝えによれば、カールとクリスティーナは、カールの死の床で挙式したそうです。
クリスティーナは王妃になり、既に生まれていた男の子カール・カールッセンは
嫡子として認められました。
しかしなにしろ5歳という幼さで、しかもクリスティーナに政治的な後ろ盾はありません。
カール・カールッセンは王位を譲られましたが
実際は摂政ステン・スチューレが王のようなものでした。
水を差すようですが、死の床の挙式のエピソードは臭いですね…
ステン・スチューレが幼いカールを王に仕立てて操るために
うまいことつくり出した話しかもしれません。
でも、嘘でもロマンティックではありますね。
息子のカール・ッカールッセンは23歳で亡くなります。
その後クリスティーナはひっそりと人生を送り60歳で亡くなりました。
その後もスウェーデンではカルマル同盟の支持派と反対派が戦っておりまして
王様にはデンマーク王ハンス(妃はクリスティーネ・アヴ・サッシェン)、続いて
クリスティアン2世(妃はエリザベス・アヴ・エストリク)が即位しました。
そして、やっと、グスタフ・ヴァーサによって独立を果たします。
つづく…
(参考文献 武田龍夫氏『物語北欧の歴史』 Wikipedia英語版)