まりっぺのお気楽読書

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フランス王ルイ15世愛妾 ポーリーヌ・フェリシテ

2011-06-13 20:33:49 | 王の寵姫・愛妾
王以外に嫌われすぎた愛妾
ヴァンテミール候夫人 ポーリーヌ・フェリシテ・ド・マイイ


1712~1741/愛妾 1739~1741

ネル四姉妹の次女ポーリーヌは、姉ルイーズに続いてルイ15世の愛妾になったのですが
優しく無欲な姉とは逆の欲深い女性でした。
        
1739年、公妾になっていたルイーズにヴェルサイユに行きたいと手紙を出し
招いてもらったポーリーヌは、早速ルイを誘惑しました。
ポーリーヌもそんなに美しくはなかったそうですが、優美な長い首の持ち主でした。

前にも書いたかもしれないのですが
当時フランス宮廷で誰かの愛妾になるには結婚していなければならないんですよ。
どちらかが未婚だと “ 不義密通 ” とか “ 姦通 ” ということになるのですが
両方とも既婚なら “ 恋愛 ” と見なされたんですって…へんな話しよね

そんなわけで、ルイはポーリーヌをヴァンテミール候ジャンと結婚させまして
愛妾にいたしました。

ルイーズは公妾としてとどまっていましたが、おねだりをしないのでほっとかれて
ポーリーヌにはショワジー・ル・ロワの城が贈られました。

ポーリーヌは金や権力に強欲で横柄でした。
王妃マリー・レクザンスカのことも人前で「魅力が無い」と侮辱しました。

こんな愛妾は…そう!すぐに宮廷の嫌われ者になります。

王妃や宮廷の人たちにとってはラッキー…と言ってはなんですけど
ポーリーヌは愛妾になるとすぐに妊娠し、出産の時に亡くなってしまいました。

ポーリーヌの遺体はヴェルサイユ市内に安置されましたが、守衛がちょっと飲みに行った隙に
暴徒が「王の売春婦!」と言って押し寄せ、バラバラにされてしまいました。
守衛も飲みに行っちゃだめでしょ…

生まれた男の子はルイと名付けられてルイーズに育てられましたが
ルイ15世は特に目はかけていなかったようです。
後にポンパドゥール夫人は娘のアレクサンドリーヌとルイを結婚させようとしました。
でもルイ15世が許さなかったということです。

長生きしていればポンパドゥール夫人デュ・バリー夫人並の
強力な愛妾になったかもしれません。

ポーリーヌが去って、宮廷は一時胸をなでおろしたかもしれませんが
このあとにもっと強力な五女マリー・アンヌがやってまいります。
詳しくは…つづく

(参考文献 エレノア・ハーマン『王たちのセックス』 Wikipedia英語版)

王様たちの恋愛スキャンダル満載です
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