まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
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オーストリア皇帝フランツ1世皇女 マリア・クレメンティーナ

2011-06-04 15:24:30 | ハプスブルク帝国の妃・皇女
ここから二人、家系図だけお楽しみ下さい
フランツ1世皇女 マリア・クレメンティーナ・フォン・エスターライヒ
サレルノ公レオポルド妃


1798~1881

弱腰で神聖ローマ皇帝の座を捨て、オーストリア皇帝で妥協しちゃったフランツ1世は
なぜか結婚には積極的で4回結婚しています。

一人目の妃エリーザベト・フォン・ビュルテンブルクには
長女ルドヴィカ・エリーザベトが生まれましたが1歳で亡くなりました。
三人目の妃マリア・ルドヴィカ、四人目の妃カロリーネ・アウグステ
ともにお若かったんですがお子様はできませんで
フランツ1世の長女を除く、12人のお子様は全て二人目の妃マリア・テレジアのお子様です。

12人のうち皇女は8人、次女マリア・ルイーゼはフランス皇帝ナポレオン1世に、
五女マリア・レオポルディーナは、ブラジル皇帝ペドロ1世に嫁ぎました。

マリア・クレメンティーナは、フランツ1世の六女です。
三女マリア・カロリーネ、四女カロリーネ・ルドヴィカは幼いうちに亡くなりました。
      
姉のマリア・ルイーゼやマリア・レオポルディーナのインパクトが強すぎるのか
それ以外の皇女のエピソードが見当たりません。

1816年に母の弟サレルノ公レオポルドと結婚しました。
お子様は4人ですが、3人が幼くして亡くなりました。
唯一成人したマリーア・カロリーナは父方の従兄弟オマール公アンリに嫁ぎました。

夫レオポルドは1851年に亡くなっています。
マリア・クレメンティーナは長生きで83歳で亡くなりました。
フランスに移っていたみたいでシャンティイ城で亡くなりました。
娘のマリーア・カロリーナについていったんでしょうかね?
しかし娘は母親に先立ち、1869年に亡くなっています。



              
同じく、家系図だけを・・・
フランツ1世皇女 マリア・カロリーナ・フォン・エスターライヒ
ザクセン王フリードリヒ・アウグスト2世妃


1801~1832/在位せず

マリア・カロリーナはフランツ1世の七女です。
八女マリア・アンナは精神的な病があり、未婚のまま54歳で亡くなりました。
九女マリア・テレジアは生後3日で亡くなりました。
     
マリア・カロリーナは1819年にドレスデンで、また従兄弟にあたるのかしら?
ザクセン王太子フリードリヒ・アウグスト(後の2世)と結婚しました。
31歳で亡くなりました。

フリードリヒ・アウグストはその後マリア・アンナ・フォン・バイエルンと再婚しました。
マリア・アンナの双子の姉妹ゾフィーはマリア・カロリーナの弟フランツ・カールに嫁ぎ
その皇子が後にフランツ・ヨーゼフ1世としてオーストリア皇帝に即位します。
フランツ・ヨーゼフ1世の妃は、有名な“シシィ” エリーザベトでございます。

マリア・クレメンティーナとマリア・カロリーネは、江村洋先生の本でも
“ごく平凡な人生をおくったと言ってよいであろう” って一行で終わってしまってます。
華やかな姉妹がいるとなかなか陽の目があたりませんね。
何百年後になっても性格があーだこーだ言われるよりはいいかしら?

(参考文献 江村洋氏『ハプスブルク家の女たち』 Wikipedia英語版)
コメント
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