まりっぺのお気楽読書

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スウェーデン王インゲ1世妃 ヘレナ

2011-06-28 09:30:02 | スウェーデン王妃
               神話の女神シリーズ、Sagen作ノルン

兄の宿敵の妃になった
インゲ1世妃 ヘレナ・アヴ・スヴェリィエ


生年不詳~1105以降/在位 1079~1084、1088~1105

へレナはエステルイェートランド地方の、ユグリング家の傍系の出身でした。
ロシア出身説もあってはっきりしませんが、アイスランドの言い伝えや多くの叙情詩で
“ イングヴァールの娘で、ブロット・スヴェンの姉妹 ” と書かれているそうです。
ということは、いとこ同士ですね。
        
スウェーデンはキリスト教化が進んでいましたが、初めて洗礼を受けた
オーロフ・シュートコヌング以降、宗教の自由は認められていました。

インゲ1世は宗教の自由を廃止して改宗を促進し、異教徒を弾圧したことで有名です。
ブロットはそんなインゲ1世への不満を盾に王の座を奪った人です。

インゲとへレナの結婚は、インゲの最大の敵であるブロットをおさえるための
キリスト教と異教がからむ政略結婚と思われます。
ヘレナはキリスト教に改宗して結婚しました。

1084年、インゲ1世は敗れて廃位されてしまいましたが返り咲きを狙います。
ヘレナは1087~1088年の間、夫と兄の争いを目の当りにすることになりました。

結局ブロットが戦死して異教徒たちは敗れました。
ヘレナはもちろん悲しみましたけど、その頃にはかなりキリスト教に染まっていたらしい…
異教徒を敗った後には、エステルイェートランドに、スウェーデン初と考えられている
ベネディクト派のヴレタ女子修道院を設立したりしています。
従順というか、臨機応変な人だったのかしらね?

お子様は一男三女ですが、王子はインゲ1世より早く亡くなりました。
次女のマルグレーテがノルウェー王マグヌス3世に嫁いで
後にデンマーク王ニルスと再婚しました。
三女カタリーネがデンマーク王子ビョルンと結婚して
その娘クリスティーナが後にスウェーデン王エリク9世の妃になります。

夫よりは長生きしたようで、インゲ1世が1105年に亡くなった後
ヴレタ修道院に修道女として入りました。

エリン・アヴ・シェブデ(セント・ヘレナ)と同一人物というのは誤りですって。



スウェーデン最後の異教徒の王妃
ブロット・スヴェン妃 ブロツルカ


生没年不詳/在位 1084~1088

王妃とはいえブロツルカについて何ひとつわかっちゃいないんだが
ブロット・スヴェンが王になる前には結婚していて、即位中は生きていたそうです。
エリク豊作王の母親である可能性が高いらしいです。
ブロット・ツルカとも言うらしいので、ブロットの何か、って意味かもしれません。
           
言い伝えによると、ブロットが殺された時、王宮は火が放たれ焼け落ちましたが
女性は誰一人殺されず逃がされたということです。
キリスト教の影響か? 騎士道精神がありますね。

なのでブロットより長生きしてるはずですけど、その後のことはさっぱり…

息子のエリク豊作王は、実在はしていて評判も良いってことまでわかってますが
即位したかどうかが不明…後々王の座を狙う誰かが作り上げた話しかもしれません。

スウェーデンで最後の異教徒の王妃と言われていて、異教徒たちの間では
“ 犠牲者スヴェン ” と “ 生け贄の処女 ” と語り継がれたそう。

殉教者はその後祭り上げられて(真偽はともかく)神秘的なエピソードが
あったりするものですが、やはりキリスト教化を推し進める国家の中では
伝承が難しかったんでしょうか?
古い話しが語り継がれる山奥あたりに伝説が残ってそうな王妃ですね。

(参考文献 Wikipedia英語版)
コメント
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