親元を出るために結婚…ていうパターン
ジョージ3世王女 エリザベス・オブ・ユナイテッドキングダム
ヘッセン=ホンブルク伯フリードリヒ6世夫人
1770~1840
エリザベスはジョージ3世とシャーロット・オブ・メクレンブルク=ストレリッツの三女です。
バッキンガム宮殿で生まれました。
エリザベスも姉シャーロット&オーガスタ同様、ものすごい箱入り状態で育ち
いつも家族と一緒でした。
年長の3人姉妹は出かける時、いつもお揃いのような色違いの服を着ていました。
シャーロット王妃は政治的なことには口をはさまず、家族に愛を注いだ人で
倹約家でもありました。
しかしいくら倹約したところで子供が15人、うち王女は6人、お金かかるったら…
だってドレスに合わせて靴でしょ、帽子・手袋・扇子・ポーチ…それを
年長の王女たち3人が一気に買ったら大変な出費ですよね。
てなわけで、王女たちのドレスはお出かけのときも普段着みたいなものでした。
家にいるときは着替えず、1日中ガウンで過ごすこともあったようです。
次女オーガスタはそんな生活が嫌いでなかったような気もしますが
エリザベスはいやだったみたい。
42歳の時、バークシャーの小修道院を自分の邸宅用に購入してます。
これは親元から離れようという試みですかね?
そして、私も何度も年号を確認したのですが、間違いなく44歳の時に
ヘッセン=ホンブルク方伯子フリードリヒ(6世)と出会って48歳で結婚しました。
エリザベスは宮廷の舞踏会でオーストリア将校の制服に身を包んだフリードリヒを見た時
そのエレガントさに心奪われ「あの方が独身だったら結婚したい」と言ったとか…
フリードリヒは当時45歳、そして独身! 奇跡のような出会いですね。
そんなに素敵な人がその年まで未婚だなんて!! なにか理由があったりして…
ていうことはなく、軍務に明け暮れていて結婚が遅くなったみたいです。
しかし、まわりからは反対されます。
ヘッセン=ホンブルク家はヘッセン=ダルムシュタット家の傍系で
フリードリヒの母方(ヘッセン=ダルムシュタット家)の方が家柄がいいみたい。
そんなに悪い家柄ではないけれど、やはり王女とは釣り合わない?
1818年、そんな反対は押し切ってふたりはバッキンガム宮殿のチャペルで結婚しました。
エリザベスは家から出ることができたし、フリードリヒの出世には大きく貢献するし、
というわけで、この結婚はお互い満足できるものでした。
年も年ですし、ラブラブ、というわけではなかったようですけど…
結婚から2年後、フリードリヒがヘッセン=ホンブルク方伯になりました。
221平方kmの領地の君主になったということだけど、どれくらいの大きさなんでしょ?
と思いまして調べてみましたら…中国の重慶江北区と同じみたい。
わかりやすいところでいくと、大阪市がありました。
うぅぅむ…君主と言っても市長さんクラスってことね、小さかないけど…微妙。
しかしホンブルク宮廷に落ち着いたエリザベスは、英国の堅苦しい作法にはおさらばし
自分好みのスタイルに囲まれて楽しく過ごしたようです。
いくら母シャーロット王妃が倹約家だったとはいえ、ホンブルクの宮廷は
英国宮廷とはくらべものにならないほどこじんまりしていたと思いますが
エリザベスにはホンブルクの暮らしがマッチしていたみたいですね。
フリードリヒは結婚から9年後に亡くなりました。
子供はいなかったので英国に帰っても良かったのでしょうが、エリザベスは帰らず
1840年にフランクフルトで亡くなりました。
身分違いの結婚… ロマティックなようで、やってみるとけっこう大変だと思うよ。
エリザベスの結婚は上手くいって良かったですね。
あ! これも倹約的に育てられたおかげでしょうか?
(参考文献 森護氏『英国王室史話』 Wikipedia英語版)
ジョージ3世王女 エリザベス・オブ・ユナイテッドキングダム
ヘッセン=ホンブルク伯フリードリヒ6世夫人
1770~1840
エリザベスはジョージ3世とシャーロット・オブ・メクレンブルク=ストレリッツの三女です。
バッキンガム宮殿で生まれました。
エリザベスも姉シャーロット&オーガスタ同様、ものすごい箱入り状態で育ち
いつも家族と一緒でした。
年長の3人姉妹は出かける時、いつもお揃いのような色違いの服を着ていました。
シャーロット王妃は政治的なことには口をはさまず、家族に愛を注いだ人で
倹約家でもありました。
しかしいくら倹約したところで子供が15人、うち王女は6人、お金かかるったら…
だってドレスに合わせて靴でしょ、帽子・手袋・扇子・ポーチ…それを
年長の王女たち3人が一気に買ったら大変な出費ですよね。
てなわけで、王女たちのドレスはお出かけのときも普段着みたいなものでした。
家にいるときは着替えず、1日中ガウンで過ごすこともあったようです。
次女オーガスタはそんな生活が嫌いでなかったような気もしますが
エリザベスはいやだったみたい。
42歳の時、バークシャーの小修道院を自分の邸宅用に購入してます。
これは親元から離れようという試みですかね?
そして、私も何度も年号を確認したのですが、間違いなく44歳の時に
ヘッセン=ホンブルク方伯子フリードリヒ(6世)と出会って48歳で結婚しました。
エリザベスは宮廷の舞踏会でオーストリア将校の制服に身を包んだフリードリヒを見た時
そのエレガントさに心奪われ「あの方が独身だったら結婚したい」と言ったとか…
フリードリヒは当時45歳、そして独身! 奇跡のような出会いですね。
そんなに素敵な人がその年まで未婚だなんて!! なにか理由があったりして…
ていうことはなく、軍務に明け暮れていて結婚が遅くなったみたいです。
しかし、まわりからは反対されます。
ヘッセン=ホンブルク家はヘッセン=ダルムシュタット家の傍系で
フリードリヒの母方(ヘッセン=ダルムシュタット家)の方が家柄がいいみたい。
そんなに悪い家柄ではないけれど、やはり王女とは釣り合わない?
1818年、そんな反対は押し切ってふたりはバッキンガム宮殿のチャペルで結婚しました。
エリザベスは家から出ることができたし、フリードリヒの出世には大きく貢献するし、
というわけで、この結婚はお互い満足できるものでした。
年も年ですし、ラブラブ、というわけではなかったようですけど…
結婚から2年後、フリードリヒがヘッセン=ホンブルク方伯になりました。
221平方kmの領地の君主になったということだけど、どれくらいの大きさなんでしょ?
と思いまして調べてみましたら…中国の重慶江北区と同じみたい。
わかりやすいところでいくと、大阪市がありました。
うぅぅむ…君主と言っても市長さんクラスってことね、小さかないけど…微妙。
しかしホンブルク宮廷に落ち着いたエリザベスは、英国の堅苦しい作法にはおさらばし
自分好みのスタイルに囲まれて楽しく過ごしたようです。
いくら母シャーロット王妃が倹約家だったとはいえ、ホンブルクの宮廷は
英国宮廷とはくらべものにならないほどこじんまりしていたと思いますが
エリザベスにはホンブルクの暮らしがマッチしていたみたいですね。
フリードリヒは結婚から9年後に亡くなりました。
子供はいなかったので英国に帰っても良かったのでしょうが、エリザベスは帰らず
1840年にフランクフルトで亡くなりました。
身分違いの結婚… ロマティックなようで、やってみるとけっこう大変だと思うよ。
エリザベスの結婚は上手くいって良かったですね。
あ! これも倹約的に育てられたおかげでしょうか?
(参考文献 森護氏『英国王室史話』 Wikipedia英語版)