![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/78/515a27b0146790c01075d60b3ddd9706.jpg)
“割れ鍋に綴じ蓋”夫婦
ジョージ4世妃 キャロライン・オブ・ブルンスウィック
1768~1821/在位 1820~1821
亡くなった時でさえ新聞に酷評されたという
愚王の名高いジョージ4世の妻キャロラインは、これまた悪名高い王妃ですが
賛否両論の分かれる女性でもあります。
国からの莫大な借金をチャラにするため、長年同棲していた未亡人と別れて
王妃を娶ることに同意した皇太子ジョージは、従姉妹のキャロラインを希望します。
二人は会ったことはありませんでしたが、肖像画が美しかったためと言われています。
(もしやもしや、ヘンリー8世の4人目の妻、アンの二の舞かっ
)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/88/4bcbe886e51165c3a9b33bbb0b76fe83.jpg)
キャロラインは実際もそこそこ美しかったらしいのですが
大陸では軌道を逸している(殿方と親密になりすぎるとか、身なりに構わないとか)と
ささやかれていて、母親であるシャーロットは自分の弟のお妃候補から
キャロラインをはずしたことがありました。
しかし、王太子ジョージの気が変わることを怖れた英国議会は結婚を急ぎます。
ジョージは、イギリスにやって来たキャロラインを見るなり
友人にひと言「気分が悪い、ブランデーをくれ」と言いました。
(・・・臭かったっていう説が濃厚です。風呂嫌いだったんだって![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp02.gif)
でも結婚式の前ぐらい、お風呂に入らないかなぁ?)
一方、キャロラインも「思ったよりデブじゃんか!」と言ったとか言わないとか。
ジョージは結婚式を中止しようともしたそうですが、そうもいかず
二人の嫌悪感に満ちた新婚生活が始まります。
ジョージによればベッドインは3回だけで、結婚から9ヶ月後
一人娘シャーロットが産まれると、ジョージは家を出て二人は別居生活を始めます。
次いで館を出たキャロラインは、娘に会えないことは悲しがりましたが
新しい自宅に(主に男性の)取り巻きたちを招き、楽しい日々を送っていました。
そんな中、政治家のキャニング、海軍大将スミス、肖像画家ローレンス、
海軍大佐マンビーなど次々と恋人の名があがります。
また、突然キャロラインが養子にしたウィリーという男の子が
彼女の私生児だという噂も拡がって、とうとう調査されることになります。
父王ジョージ3世は、嫁に対して好意的でしたが、息子の激怒や
王妃シャーロットの勘ぐりに合い、あまり助けてあげることはできませんでした。
公式な行事にも一切参加できず(皇太子ジョージは以前別れた未亡人や
新しい愛人などを同席させていて、これがまた国民の非難を招きます)
移り住むごとにジョージに追い出されるキャロラインは、ヨーロッパ旅行にでかけます。
数年後、莫大な借金を抱え、どの国でも歓迎されなくなったキャロラインは
夫ジョージが王に即位したことを聞き、急いで帰国を決意します。
しかし、帰国した彼女を、やはりジョージ4世は拒み、イタリアでの使用人との
不倫を理由に離婚裁判をおこします。
離婚が王の立場をさらに危うくするという裁判所の判断で離婚は避けられますが
戴冠式の式場となったウェストミンスター寺院のドアを叩く彼女を
ジョージ4世は閉め出したといいます。
結局、心労のためか、戴冠式の3週間後キャロラインは息を引きとります。
ジョージ4世は彼女の埋葬も拒み、亡骸は故国に戻され埋葬されました。
ジョージ4世はとにかく評判が悪く、キャロラインに同情的な声も多かったようです。
作家ジェーン・オースティンも「王妃を支持する」と述べました。
摂政時代にリージェント・ストリートを造り散財を非難をされたジョージ4世ですが
今では有名な観光地・・・良かったんだか悪かったんだか![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp02.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/68/5e2a64b0b839a69ae8c2e0db664a9dcc.jpg)
当時のリージェント・ストリート
(参考文献 森譲氏『英国王室史話』『英国王妃物語』
デボラ・フィッシャー『プリンセス・オブ・ウェールズ』
エレノア・ハーマン『女王たちのセックス』)
これさえあれば、あなたも英国王室通
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね
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こ画像がないのですが…女王にまつわるスキャンダルが満載です
読んでみたいな!という方は下のテキストをクリックしてね
女王たちのセックス![](http://ir-jp.amazon-adsystem.com/e/ir?t=marifle1010-22&l=as2&o=9&a=4584189870)
ジョージ4世妃 キャロライン・オブ・ブルンスウィック
1768~1821/在位 1820~1821
亡くなった時でさえ新聞に酷評されたという
愚王の名高いジョージ4世の妻キャロラインは、これまた悪名高い王妃ですが
賛否両論の分かれる女性でもあります。
国からの莫大な借金をチャラにするため、長年同棲していた未亡人と別れて
王妃を娶ることに同意した皇太子ジョージは、従姉妹のキャロラインを希望します。
二人は会ったことはありませんでしたが、肖像画が美しかったためと言われています。
(もしやもしや、ヘンリー8世の4人目の妻、アンの二の舞かっ
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キャロラインは実際もそこそこ美しかったらしいのですが
大陸では軌道を逸している(殿方と親密になりすぎるとか、身なりに構わないとか)と
ささやかれていて、母親であるシャーロットは自分の弟のお妃候補から
キャロラインをはずしたことがありました。
しかし、王太子ジョージの気が変わることを怖れた英国議会は結婚を急ぎます。
ジョージは、イギリスにやって来たキャロラインを見るなり
友人にひと言「気分が悪い、ブランデーをくれ」と言いました。
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でも結婚式の前ぐらい、お風呂に入らないかなぁ?)
一方、キャロラインも「思ったよりデブじゃんか!」と言ったとか言わないとか。
ジョージは結婚式を中止しようともしたそうですが、そうもいかず
二人の嫌悪感に満ちた新婚生活が始まります。
ジョージによればベッドインは3回だけで、結婚から9ヶ月後
一人娘シャーロットが産まれると、ジョージは家を出て二人は別居生活を始めます。
次いで館を出たキャロラインは、娘に会えないことは悲しがりましたが
新しい自宅に(主に男性の)取り巻きたちを招き、楽しい日々を送っていました。
そんな中、政治家のキャニング、海軍大将スミス、肖像画家ローレンス、
海軍大佐マンビーなど次々と恋人の名があがります。
また、突然キャロラインが養子にしたウィリーという男の子が
彼女の私生児だという噂も拡がって、とうとう調査されることになります。
父王ジョージ3世は、嫁に対して好意的でしたが、息子の激怒や
王妃シャーロットの勘ぐりに合い、あまり助けてあげることはできませんでした。
公式な行事にも一切参加できず(皇太子ジョージは以前別れた未亡人や
新しい愛人などを同席させていて、これがまた国民の非難を招きます)
移り住むごとにジョージに追い出されるキャロラインは、ヨーロッパ旅行にでかけます。
数年後、莫大な借金を抱え、どの国でも歓迎されなくなったキャロラインは
夫ジョージが王に即位したことを聞き、急いで帰国を決意します。
しかし、帰国した彼女を、やはりジョージ4世は拒み、イタリアでの使用人との
不倫を理由に離婚裁判をおこします。
離婚が王の立場をさらに危うくするという裁判所の判断で離婚は避けられますが
戴冠式の式場となったウェストミンスター寺院のドアを叩く彼女を
ジョージ4世は閉め出したといいます。
結局、心労のためか、戴冠式の3週間後キャロラインは息を引きとります。
ジョージ4世は彼女の埋葬も拒み、亡骸は故国に戻され埋葬されました。
ジョージ4世はとにかく評判が悪く、キャロラインに同情的な声も多かったようです。
作家ジェーン・オースティンも「王妃を支持する」と述べました。
摂政時代にリージェント・ストリートを造り散財を非難をされたジョージ4世ですが
今では有名な観光地・・・良かったんだか悪かったんだか
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(参考文献 森譲氏『英国王室史話』『英国王妃物語』
デボラ・フィッシャー『プリンセス・オブ・ウェールズ』
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女王たちのセックス
キャロライン王妃、少女時代の肖像画はなかなか可愛らしいですし、実在も十分美人とは言えなかったらしいですが、醜女などではなかったみたいですが、ジョージ4世は、外見云々ではなく、彼女の体臭(笑)、不潔さが身震いするほどに嫌っていたらしいですね。そんなに臭かったんかい(汗)。アンリ4世も体臭が凄すぎて、妻二人はウンザリしていて、互いに愚痴の的になっていたらしいですが、アンリは男ですし、やはり女性、しかも王妃がそうだと退いてしまうのでしょうか、偏見ですが…キャロラインも、肖像画と違っていたことに、落胆し、それでも二人は、一応は床を共にしたものの、ジョージは、“あいつったら、本当に汚くって、もう嫌だ!あいつの身体に触れるのは…!”と友人や側近に嘆いたらしいですが…キャロラインが子供を出産した後は、子供を取り上げ、彼女を追い払うことができて、せいせいしたみたいですが、キャロライン王妃の浪費ぶり、男関係の酷さ等が、遠く離れた場所にいても耳に入ってきて、ジョージは気の休まる暇がなかったらしいですね。だけど、夫婦関係が悪いのは、ジョージに責任がある、なんて言われたり、とりわけ、女性陣からは、追い出すのみならず、子供まで取り上げるなんて、王妃が気の毒過ぎる!なんてジョージが悪者扱いされる有様だったらしいですね。ジョージが、妻を“嫌悪”から“憎しみ”の対象にしたのは、こういった事があったからでしょうか?仲の悪さがピーク(笑)になったのは、戴冠式だとも言われ、ジョージは、死んでも、あの女を王妃として公認させたくない!とばかりにキャロラインを参加させまいとしたのは、あまりにも有名ですよね…彼女との闘いの結果、ジョージ4世は、国民に嫌われまくり、王妃も嫌われていましたが、ジョージの方がより嫌われていたみたいですね。この闘い、キャロラインの勝ち?ジョージがキャロラインを出し抜いたと言えるのは、彼女が亡くなった時で、ジョージは狂喜乱舞(笑)したとされていますが…本当でしょうか?二人の間には、王女しかいなく、ジョージ4世の弟が王に就いたのですが、この弟王も……ジョージ、ウィリアムの両親はあれほどに仲が良かったのに…