スピリチャルTIMES 「とにかく生きてみる!」

スピリチャルTIMESの編集長北村洋一が、この不確定な社会に生きている人々の喜怒哀楽をレポートする。

とにかく生きてみるvs内田百聞「大貧帳」vs素素麺

2017年08月01日 | 自分的エッセー
暑くて動けない、動けばさらに金が掛かると言うたもんだいちゅ!
丸山ブラリブラリと夜風に当たりなが歩くとこなんか無いと言うたもんだいちゅ!
そんわけで、月曜日の休み、細かい用事をこなし、図書館で借りた本を5冊の中から一つ選び出してページめくる。
偶然と言うか、必然と言うか、「大貧帳」のタイトル。
働いてもやんごとなき金に貧すると言う御自分の話しだった。

そんな時期を過ごしながら痴呆のオカンとの夕餉の用意となると清貧の食である素麺となる。
この夏僕は素麺をやたら食べている。
三輪、揖保 、半田を点々して各地の食べ比べをしている。そして今夜は佐賀県吉野ノ里の素麺とうどんのあいだの、「そ〜どん」を買ってきた。

ここからが話しの本遍である。
金がないから「素麺でもーー」がどうもいかん事に気がつく。
素麺を見下しているのが鼻に付く。
されば、お素麺と尊ぶには、素麺もこそばいだろうと考える。
それより素麺の具が全く無いとなると、素素麺(すそうめん)と呼ぶ事になるのかなぁと心配するが、心配ないからねと最後にきっちり愛は勝つのだ。
素うどんの街場感より、素素麺は一位上のお供え感たっぷりになって来るから、ちょっと興奮してしまう。
けど、うどんの三拍子がカレッジフォークなんだ。
と言ってもツユの方には、ちょっと芸を忍ばせてあるのだ。そう京都にいる時は忍と呼ばれた忍をさせてあるのだ。
海苔、煮しいたけ、を入れる予定であるが、お店で食べるくらいの量以上に、大胆に、ツユの中に具を入れるもんだからそのバランスが崩れてしまうし、海苔とか煮しいたけの個性を伸ばしてやれない、私の責任だ!選手はよくやった!と言わねばならない。
麺を湯掻く煮こぼれの子守も邪魔くさいので、バリ硬素素麺になってしまうが、それでもお金を借りに行って、飯に誘われて、貸してくれる人が酔っ払らい始める時に食べる飯よりは、断然美味い。
そんな時は、いくら数寄屋橋次郎の鮨でも味はしないし上手くは無いし、そんな状況なら断るべきなんだろう。

「お金を貸してくれるのなら飯を食う前に貸して貰え! 」と書いている。
その通りである。
酒に付き合って、最後に貸してもらえるか?どうかの心細さは辛いし自分の卑しさに折れてしまうと書いてある。
経験があるから心に響く話しだと思う。

コメント
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