午前中の用事と買い物を済ませて帰ってきたら、
ばあちゃんがシュロの木のシュロを、燃やし終わったところでした。
このシュロはコナラの木の横に並んで立っていた物を、数年前に切って、
道路の端に置いてありました。
一人の時は絶対に燃やさないでと言ってありますが、無理、
やりたいと思うと止まらないので、現実を受け止めています。
これで満足したかと思ったら、午後になって、動かしたいとおっしゃる。
道路の反対側には、丸太や竹で畑の土留をしてあるのですが、
そこの古くなった竹を取って、シュロを置きたいと言うのです。
私も竹がダメになったらそうしようと思っていたのですが、
まだ壊れていないので、もう少し先でいいかと考えていました。
しかし、ばあちゃんのやる気は収まらないので、
竹を取って、土を移動し、シュロを転がして、セットしました。
シュロの皮に草がからんで、持ち上げるのが大変でしたが、
きちんと置いて、道を掃除して、完了です。
竹の方が長かったので、足りない部分には丸太を探して来て置きました。
「なぜやっちゃう?」という疑問の考え方は、意味が無いことに気づきました。
あと1か月で90才の人が、「今日はこれをやりたい。」と思って、
それに向かって夢中になれるのは、幸せな事です。
そう思いつつ、ばあちゃんが「これで草刈りがやり易くなるら。」と言った時、
「そうだね。ありがとう。」の言葉は出なかった・・・。
まだ修業が足りません。
伯母様はご長寿だったのですね。最後まで歩けるというのは、誰もが望むことだと思います。
ブレーキが効かなくなるのも、自然のことかなと思えるようになりました。現実をそのまま受け止めると、悩むことも減りました。
自分自身もこの先どうなるのか分かりませんが、出来る努力はして、人生を全うしたいです。
今日もお母様の支援をしながらの労働、お疲れ様でした。
木を燃やすのは、腐りにくくする知恵でしょうか?
私の知人もお母様と同じ位の年齢です。
99才で亡くなった伯母は、脳梗塞で入院するまで毎日散歩を欠かしませんでした。
89才で意欲的に体を動かせるというのは、素晴らしい事ですね。
私がそうなれる保証はないので、感嘆するばかりです。