先日、部屋の不要物の破棄作業をしていると、昔使っていた小型のラジカセが出てきた。おお、こんなところに隠れていたのかと懐かしい気分になり、汚れを拭ってみると錆びている箇所もなく、見た目だけは新品同様となった。なにやらレトロなテクノ感覚漂う、良い雰囲気だ。
電池を入れてみると20年以上の歳月を超え、ラジオはちゃんと鳴るではないか。残念ながら肝心のカセットの稼動部分はキイを押し込んでもピクリとも動かなかったが。カバーをはずして中のゴミ埃のタグイを掃除したら意外に復活するのではないかとも思ったが、バラした各部品を元通りに組み立て直す自信はない。
何とかもう一度使えないものかと思うのだが、こんなもの、メーカーの修理に出しても呆れられるだけだろうなあ。四半世紀も前の新製品だ。しかし、どこかでこの種のものを修理する仕事をしているキトクな人がいてもよさそうなんだが。
この機械との最大の思い出となると、やはり故・中村とうよう氏の”アフリカの音楽を聴く会”に持っていった、あれになるんだろうな。あれももう、20年以上前の昔話になってしまった。
ともかく連日、私はバッグにこのラジカセを放り込んで、東京の某ビルにあった会場に通いつめたのだ。会場では、自身のコレクションであるさまざまなレコードをかけつつ、とうよう氏はアフリカ音楽について語り続け、そして私はこのラジカセでそのすべてを録音したのだ。
とはいえ、そのテープを聴き返したことはただの一度もない。
それはたとえば、とうよう氏が掲げて見せるE・T・メンサーのアルバムのジャケを会場のみんなが、まるで猫じゃらしを見せ付けられた猫の群れみたいに同じ形で首を伸ばして目で追い、そして会場にメンサーののどかなハイライフ・ミュージックが流れた、そんな風景が私の心に記憶として刻みつけられている、それだけでもはや十分なのではないか。そんな風に考えたりする。
あのとき自分は確か、そんなわけの分からない(周囲の目としては、そうだろう)レコードを探し当てて嬉々としている、レコード入手当時のとうよう青年の気持ちなどを想像などしていたのだが。凄いなあ、あれから20年もの時が流れ、そして自分は、おそらく会場にいたみんなも、あの頃と同じ気持ちで音楽を追い続けている。
・・・それにしても。このラジカセ、なんとかもう一度、動かす方法はないだろうか。使ってみたいんだよ、もう一度。