”ベスト・オブ・大橋節夫”by 大橋節夫
大橋節夫のオリジナル曲集というのを聴いてみたわけですよ。と、いきなり言ってもなんだか分からない人のほうが多いでしょうね。大橋節夫とは戦後日本のハワイアン界の大物で、ほら、加山雄三の”お嫁においで”ってあるでしょう。あれのアレンジをしたのがが大橋節夫です。あのイントロのスチールギターの響きなんか、まさに大橋節夫ワールド。
とか、分かったようなことを言ってますが、さすがに日本ハワイアン音楽史とか、詳しくはないですけどね。
この大橋氏のオリジナル曲というと、有名なのはやはり”秋の夜は更けて~♪”でおなじみの、「幸せはここに」でしょう。マイナー・キイの哀愁に満ちたメロディは、実に日本人好みの架空の、ちょっぴり哀しげな”南国幻想”を現出していました。
まあ、そちらの方は残念ながら私の趣味ではなかったんですが、まだ青少年の頃に、ある初老のラップスチールギター弾きから教わった、ちょっと良い曲がある。”赤いレイ”っていうんですが。こいつはいかにもハワイアンらしい爽やかで愛らしいメロディを持っていました。
日が落ちてから夏の砂浜を散策しつつ何の気なしに口ずさんでいる、なんてのが似合いの気のおけない小曲。いかにもウクレレ片手に作った感じの。
歌われているのは、レイに託した夏の日の恋の思い出、ひと夏だけの”あの子”との思い出という、まあ定番の歌詞ですね。
季節を過ぎて色褪せちゃった清涼飲料水の夏のセールのポスターが秋風に吹かれてヒラヒラしているみたいな、過ぎ去ってしまった恋の感傷がサラリとまとめられていて、、なかなか粋な歌でね。
万人の感動を呼ぶ大げさな大作より、こんな風に、散歩のときにふと口ずさんで、ちょっぴり胸の奥に甘酸っぱいものがよぎったりする、そんなのが本物のポップスと信じられた。そんな歌が好きなんですよ、私は。
だから私は、「大橋氏は、あんな歌をもっと作っているのではないか。もし他の作品もあるのなら、聴いてみたいものだなあ」とか願ったものでした。でも当時、さすがに戦後日本のハワイアン・ブームなんて過ぎ去っていたし、大橋氏のレコードなんて手に入らなかった。
やがて時の流れに流され、いつのまにかそんな想いも忘れてしまった頃、大橋氏の訃報がもたらされんでした。(大橋氏は第2次世界大戦の末期、特攻隊の隊員として出撃命令を受け取り、が、出撃の数時間前に日本が無条件降伏して命をとりとめた経験をもっておられる。そんな世代に属します)
そして没後、発売されたのが、この”大橋節夫オリジナル・ヒット集”と副題を打たれた大橋氏の自作自演曲集だったのですね。
で、親類縁者でもないのに遺産を貰っちゃったみたいな気分で、このアルバムを聞いている次第です。
やはり良いですね。中にいくつも収められていました。期待したとおりの、”赤いレイ”に通ずるような、海辺の仄かで儚い、そしてまるで重苦しいリアリティなんかはない、水彩画で描かれた絵葉書の絵みたいな歌の世界が。
大橋氏がナウいハワイアン音楽のスタートして鳴らしたのは昭和30年代でしょうから、その当時のものはやはり古い印象を受けてしまうのは仕方のないところで。
なかにはマヒナ・スターズなんかにも通ずる、やや歌謡曲臭の強過ぎるものもあり、いやそういう音楽そのものを否定するわけではないんですが、やはり私は”赤いレイの大橋節夫”のファンですんでね、お許しを願って、そのあたりはパスさせていただいておきます。
それにしても驚いた、というかどぎまぎしてしまったのが、このアルバムではじめて聴いた大橋氏の歌声でした。そのスチールギターのプレイと同じく、ビシッと決まったプロらしい歌声を想像していたのだが、聴こえてきたのは、なにやらヒラヒラと空を掴むような、そう、加藤和彦なんかを想起させるような茫洋たる歌声。それが逆に生々しくてね。
あんまり”歌手”としての表現に主眼を置いていなかったのか。いやいや。変に気張って歌ったりするのは粋じゃないと江戸っ子の大橋氏は考えておられたのかも知れませぬ。だから私もとりあえずこの文章、とっとと終わっておくことにします。