尾崎豊のパロディをやる芸人てのがいますね?破れたジーンズはいて出てきて、なにやら思い入れたっぷりの絶叫調のギャグをかます。「コンビニで温められてしまった、弁当の隅の漬物が叫んだ。”俺が欲しかったのはこんな生暖かさじゃねえ!”と」なんて調子の。
たまに見ると結構笑わされるのだが、まあ、たまにしか見たことないな。
その尾崎(本物の方)であるが、こちらはすでにオトナになってから彼の音楽に接したので、その思い入れたっぷりな音楽はむしろ滑稽に感じられて、「これはパロディにしたらおかしいだろうな」というのがまあ、最初の感想だったのだが、あれにリアルタイムの青少年当時に接していたらどうなんだろう?
意外に夢中になっていたんだろうか?それともやっぱり、というか今に倍加して「ケッ!」だったんだろうか。
なんとも分からないよな、ロックに夢中の高校生だった自分など思いだすに。どちらの反応だったとしても不思議はない。
昨夜遅くにNHK総合で、チューリップってバンドのリーダーの特集番組みたいなものをやっていて、こちらはまるで彼のファンだったことなんかないのだが、チャンネルを変えるのも面倒なレイジーな性格ゆえ、ネットをやりながらつい横目で、最初から最後まで見てしまった。
まあ特に感ずるところもなかったのだが、彼なんかを見るといつも思うことがある。
当時。というのは彼のバンドなどが世に出た70年代初頭の話なのだが、彼らを含む”売れ線のフォークとロックの関係者”たちは”ヒット曲を出す”事に関して、決まってこんな”言い訳”をしていた。
「ボクらには叶えたい夢がある。その夢の実現のために、今はこのような歌が必要なんです」と。
まだ、”売れる音楽”をやってしまうことが”商業主義に身を売る”罪を意味する、なんて解釈がまかり通っていた時代ゆえ、そんな事を言ったりもしなければならなかったんだろうか。で、当時の私のその件に対する感想としては、「別にお前らがどんな音楽をやろうと俺は興味ないから、勝手にやれよ。つまんない言い訳はいいからさ」だったのだが。
で、今にして思うのだが。彼らの”叶えたい夢”ってのは、どうなったのだろう?その夢なるものが叶ったのが、今のこの世の中なんだろうか。まあ、問うてみる事自体、「あんた、なに言ってんの?」と聞き返されるような形勢になってしまっているが、いや、教えて欲しいものだと思うよ、時々。