ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

”レココレ誌の60年代”をさらに疑う

2007-05-31 05:16:10 | 音楽雑誌に物申す

 昨日の続きでアレですが。

 昔々、あるフォークグループがやっていたラジオの番組で、視聴者から寄せられた彼らの新曲への感想文が読み上げられたのです。その視聴者のお婆ちゃんが、彼らの新曲をラジオで聞いていて洩らした言葉として。
 「ああ、私も若い頃、あのかたと、この歌のように夜の××の町をいつまでも二人だけで語り合いながら歩いたものじゃった。私は女学校に入ったばかり、あのかたも旧制高校の学生さんでのう」

 フォークグループのメンバーは”良い話”として、その葉書を読み上げていたのだが、私は「嘘付け」とせせら笑っていたものだった。あのなあ、戦前がどういう時代だったか分かってないだろ。今と同じ”恋人たちの風景”がずっと昔からあったと信じてるの?
 たとえ兄と妹の間柄といえども、若い男女が二人連れで夜の街を歩いたりすれば大顰蹙だったの、その頃は。ましてや、旧制高校生と女学生が二人きりでなど、考えられないんだってば。そんなの、視聴者の”作り”のエピソードに決まっているじゃないかよ。

 あの葉書を思い出させるものがあります、「レココレ」誌の”60年代ロック記事”は。まるで今と同じ時代が、30年も40年も前から続いていたかのような。
 60年代も、今と同じように皆がポンポンとアルバム単位でレコードを買い、誰それの新作は名盤だの何だのと普通に語り合われ、音楽雑誌にもそんな記事が溢れていたかのような印象を受けるでしょ、あの特集を読むと。

 そもそもさ、今日あるようにシリアスにポピュラー音楽について語られるようになったのは、あくまでも”ニュー・ミュージック・マガジン”が創刊された後の話であって、それ以前の音楽雑誌は、”軽い芸能の話題”に終始していたんだよ。

 「どこそこのバンドのメンバーの何とか君の靴のサイズは何センチ」とか「好きなタイプの女の子はこんな感じ」なんてのが音楽雑誌のメインを占める話題であって、「このアルバムにおける黒人音楽の影響は」とか、「××の新アルバムを分析する」なんて話題をする奴が、今と同じような形で存在していたわけじゃない。

 そりゃ、マニアの人々はいましたよ。アルバム単位で音楽を聴くような。けど、いつの時代にも例外的に存在する、そんなマニアの人を基準に話をしてみても仕方がないしね。

 当時は皆、軽くて浅いポップスファンだったの。どれが名盤だの何だのって屁理屈並べたりはしていなかったんだよ。で、お金が無かったからレコードはシングル盤しか買えなかった。当時、”名盤××”なんて、リアルタイムで買えた奴なんて、まずいなかったんだよ。買えなけりゃ聞けない訳だし。

 そんな時代の音楽のありようを語るのに、今と同じ”ベストアルバム100選”みたいなやりかたって、なんかおかしい。別の語り方がなされなければ、”同じように時代背景が連なっていた”みたいな誤解の発生の元にしかならないと私は思うのですね。

 なんか、音楽雑誌の”記事作りの都合”に合わせて音楽の歴史が組み替えられていっているような。そんな違和感を感じてならないんです、レココレ誌の特集記事を読むと。