さっきからこのアルバムを聴いているわけです。さすが噂のエチオ・ジャズといいますか、彼の地独特の演歌ミーツ・アフリカ地溝帯、みたいなミステリアスなグルーブ満載のプレイにすっかり魅了されて・・・しまいたくなるのだけれど、そうなりきれない、奇妙な納得しきれなさがある。演奏は素晴らしいんですけど。
なぜというに、ここで聞かれる音楽、そのままが今日のアチオピアに溢れかえっているというわけではないと私は知っているから。このアルバムの中で演奏しているバンドは、フランスはパリで結成されたバンドであり、演奏の実態はほとんどフランス人のメンバーによるものであると。ヨーロッパの人間による巧妙なエチオピア・ジャズの模倣であり再構成であるわけですね。
エチオピアの首都、アジスアベバの地下鉄路線図がプリントされたTシャツ、なんてものを見たことがある。この音楽もそれと同質の、ある意味苦いジョークでしょう。
現実には、アジスアベバに地下鉄なんて、ない。と同時に、このような音楽のフレイバーはエチオピアに存在しているのだけれど、現実にこんな音を出し、バンド活動を成立させているバンドがエチオピアにいるわけではない。
どちらも、「あったら素敵だろうなあ」という儚い夢想の産物。
このように、あたかも”現地ミュージシャン”になりきったかのような姿勢でエチオピア音楽の演奏に傾斜するエチオピア人ではない人々によるバンドの数、世界にいくつあるのだろう。そのような奇妙な挑戦を誘発するようななにかがエチオピア音楽の内に潜んでいるのだろうか。
よくわからないが、その種の”外人バンド”の演奏を集めたコンピレーション・アルバムなどもあるくらいだから、ただ事ではない。そのただ事でなさの具合の探求は、まだまだこちらの準備不足ゆえ、するわけには行かないけれど。
ともかく、ただ聞いているだけでも微妙な気分になってくるのだ。外国人による巧妙なエチオピア音楽の模倣。それをどこまで無邪気に楽しめるのか。さらに、その事情を知らず、エチオピア人による演奏と信じ込んで聴いてしまい、あとになって事実を知った場合はどうなるのだ。いっぱい食わされた気分になりはしないか。
まあ、「区別がつかないなら、そのまま聞いていればいいんじゃないか」という考え方もあろう。そう割り切れれば、それはそれでいいのだろうけれども。
さて、どうすりゃいいのか、現実のアジスアベバ。幻のアジスアベバ。幻の駅へ着くための切符は、どうすれば手に入る?