今年は酷暑だろう、なんて言っていた気象庁が夏本番になると自信をなくし、「意外に冷夏かも」とか言い直したりしたが、何のことはない、夏が来てしまえばやっぱりクソ暑いじゃないか。
なとど言っている間にもう時計の針も真夜中を回り、気が付けば8月最後の日曜日は、もう来てしまっている。そういえば、日課の真夜中のウォーキングの際にもこの頃は、海浜公園のあたりからはいつの間にか虫の声なども聞こえているのだった。
明日、いや厳密にはもう今日なのだが、ともかく明けて日曜日となれば、夏休み最後の悪あがきと言うべきか、凄い人出なんだろうな今年も。
毎年、私の街では8月最後の日曜日に、ひと夏に何度やったか分からない花火大会の締めくくりを行なう。さすがにそこまで来てしまうと、もう近隣でも夏のイベントはあらかた終わってしまっているようで、その花火大会には、夏を惜しむ、行き所のない観光客が大量に押し寄せるのだった。
そいつが終わればさすがにひと段落と言う感じになり、海水浴場に押し寄せる客の数もガクンと減る次第となっている。そういえば今現在も、いつものように酔っ払った観光客が砂浜に花火を持ち込み、自主的に花火大会を挙行しているのだが、その花火の音もなんだか力を失って聞こえる。秋が来たとはっきり目には見えないものの、ふと風の音に驚かされると古人が詠ったのも、こんな感覚か。
思い返してみると、この夏は稲川淳二の怪談をテレビで3回くらいしか聞かなかったなあ。良くないなあ。その辺を減らして行くのがテレビ局の編成の方針だとすればきわめて面白くないぞ、怪談マニアとしては。あんなものは季節の定番だし、同じ話だって良いのだ、落語とかだってそうじゃないか、何度聞いても面白い話は面白いのだよ。
あれはバブルの頃という事になるのか、深夜のテレビで夜明け近くまで延々と怪談を語る番組などあって、良かったなあ、あの頃は。
深夜に怪談の放送は、相当以前に遡っても行なわれていたのだろうな。私は学生時代、というよりほんのコドモの頃にも、そのようなものに見入っていた記憶がある。
当時、稲川淳二に相当する怪談スターは誰だったのだろうな?まったく記憶はないが、それなりに名手はいて、陰々と闇を語る営業をしていたはずだ。
そういえば。過去のそんな番組の中で歌われたある歌があり、今にして思えばそれをきちんと聴いて記憶にとどめて置けばよかったと私は悔やんでいたりするのだ。
その時私は深夜、居間のテレビに見入っていた。家族は二階の寝室でとうに寝入っていたと思う。私は一人、深夜の怪談番組を楽しんでいたのだ。今日のその種の番組よりずっとのんびりした作りではあったと記憶にはある。
老人の司会者がゆったりと時間を割り振り、出席者は静かに体験談を語り終え。そのあたりで”幽霊”に扮したコメディアンかなにかが不意に乱入し、スタジオに賑やかしに呼ばれていた女性タレントが悲鳴を挙げる、なんてのが定番の進行だった。
そんな中で一人だけ、ちょっとレベルの違う怖い話をした出席者がいたのだ。どんな話だったか、一言も覚えてはいない。ただ、深夜に一人だけで聞くのは、ちょっとヘヴィ過ぎると感じたことだけ覚えている。彼が話し終えると、他の出席者が「うわ」とか言って腕に出来た鳥肌をこすったりした。
司会者はそこで、さて、とこちらに向き直り、ここで怪異に関する持ち歌がおありの歌い手の方がゲストにいらしているので、歌っていただきましょうと言った。
その歌手、誰だったかなあ?女性歌手であったこと以外、何も思い出せないが、確かにそんな歌がレパートリーにあっても不思議はない感じの歌い手ではあった。筈だ。
その歌は「右腕」というタイトルの歌であり、「この歌は、本当にあった事に取材して作られたんですよね」なんて会話が、司会者と歌手の間であったような気もする。
彼女はスタジオの中央で一礼し。陰気な感じのイントロが流れ。そこで私は。なにしろ根性なしで、その後の次第を報告するのも恥ずかしいが、ともかく当時私はまだ頑是無いコドモであったので、お許し願いたい、そこで私は恐ろしさに立ち上がっていた。あんなに怖い話を聞いたあとで、そんな気持ち悪そうな歌など、とても聴けないと思った。
家族は二階で寝静まっており、あたりはシンとして風も起こらぬ夜の静粛が広がっているばかり。そんな環境で自分は一人ぼっちなのだ。
そして歌手は冒頭の一節を歌った。
「裏の沼で」と。
そこで私は。う~ん、はっきりとは覚えていないんだな。ともかく私は、その歌の続きを聞いていない。テレビのチャンネルを換えてしまったのか、それともテレビを切ってしまい、そのまま2階へ、家族の元に行き、オシッコして寝てしまったのか。
で、今にして思うのだ、あれはどんな歌だったんだろうなあ?と。検索かけてみたり、いろいろと調べてみたんだけど、何もそれらしき資料に出会えない。もはや、「そんなこと、本当にあったのかな?」と、自らの体験ながら疑いの気持ちまで起こって来る始末。
まさか、まさかね、そんな歌が放映された事実はなく、私が聞いたと思っている歌など、ぜんぜん歌われていないし、そもそもそんな歌は存在しない、なんてことは・・・
夏は行く。