昨日、フォーク演歌の悪口が言い足りなかったんで、その続きを。
フォーク演歌とは、1970年代あたりから現れてきて、今や演歌のメインストリームに位置するかと思われる独特の音楽形態である。
その特徴は、長ったらしい言い訳だらけの歌詞を陰鬱なメロディに乗せてグダグダ歌う、というあたりか。具体的に曲名を挙げれば、「津軽海峡冬景色」「越冬つばめ」「天城越え」「北の宿から」などなど。
70年代日本のフォークの影響が顕著に見受けられることから、とりあえずフォーク演歌と名付けてみた。長く曲がりくねったメロディラインや、アレンジにフォークギターが重用されるあたり、いかにもフォークの嫡子という感じがする。
変にドラマ仕立ての歌詞なども目立ち、このあたりは、フォーク演歌発生期に人気作詞家であった”阿久悠”の文学趣味が大きな影を落としていると言えよう。
同時に、やたら大げさなオーケストラの伴奏なども特徴といえようか。この歌詞の文学気取りや荘重がりたがるアレンジなどに、「ちょっと高級な歌なんだぜ」などと言いたげな権威主義の匂いもする。
この陰鬱な音楽が日本の流行歌の中枢として認知されて行きつつあるのはやりきれなく思い、この一文を期するものである。
長老・北島三郎などは、早くから彼独自の道筋でフォーク演歌の道を築いて来た人物で、あの「アイヤ~、アイヤ~、津軽八戸」云々という歌など、シロウトにはとても歌いこなせない壮大な曲調、「瞽女」をテーマにする文学趣味など、いかにもという感じである。この歌を、彼の”フォーク化”以前のレパートリーである「函館の女」などと続けて歌ってみれば、「アイヤ~♪」を歌ううち、自分の心が陰湿なフォーク根性に満たされてゆくのが実感として理解できると思うのであるが。
美空ひばりの「愛燦々」などもフォーク演歌の典型と言えるのだが、あれは小椋佳の曲だっけ?彼などは阿久悠とともにフォーク演歌の形成に大きく関わった戦犯と言えるのではないか。
ここで思い出したのだが、フォーク演歌の不愉快な副産物として、独特の気色悪い造語、というのもある。サンプルを示せば、「夢待ち人」「歌人」「来夢来人」なんての、あるでしょう。あの辺もフォークの影響かと思うのだが、嫌なところ、嫌なところを選んで影響受けて行くよなあ、どういう感性してるんだろう。
ともかく。フォークぶりっこの気色悪さ、安い芸術ぶりっこの権威主義のいやらしさなど、実に不愉快な代物と思うのだが、フォーク演歌。でもみんなは、今日もカラオケであれらの歌を歌うんだろうね。うん、今日も。