深夜ラジオを聴きながら、この頃、消したままのことが多いテレビの暗い画面をぼんやり見ながら、「ああ、もう二度と、あの素敵だった”日本の夜景シリーズ”を見る機会もないのだろうなあ」との、苦い確信を噛み締める。あれらの映像を享受していた時期と今とのあいだに起こった、”テレビの地デジ化”と、東日本大震災という二つの事件を思い、その荒波に翻弄されて消えて行った儚きものたちを想う。
”日本の夜景シリーズ”とは、NHKの総合テレビがかって、深夜3時頃から朝五時近くまでの、放映時間の深夜の分と早朝の分との狭間に流されていた埋草番組、「映像散歩」から生まれた大傑作だった。
どれも、大都市の夜景のゆっくり時間をかけた空撮から始まり、地上の、例えばクリスマスのオーナメントなど、夜の闇と光の造形との饗宴やら、深夜の街灯に照らし出された、もはや人影も途絶えた都会のメインストリートの上空からの眺めをじっくり追ったりしていた。
夜の大都会の輪郭を、光の輝きを辿ることによって描き出していたというべきだろうか。
”東京・横浜””神戸””北九州””札幌”などなど、シリーズはいくつかの作品に分かれ、そのどれもがたまらなく美しい映像詩だった。
何しろ埋め草番組であるので、それらはいくつかのフィルムが交代交代に、何度も何度も繰り返し放映されていた。深夜のNHKファンというか映像散歩ファンは人が電源を切る時間帯にテレビの前に座り、お気に入りのフィルムに出会う偶然に期待しながら胸ときめかせて、チャンネルをNHKに合わせたものだった。
その後。どのような事情があったのかは知らぬ、いつの間にか我々は”映像散歩”を失っていた。その時間がNHKにとって埋草番組の時間であるのに代わりはなかったのだが、かっての黄金の時間帯、午前三時すぎは執拗に繰り返される蒸気機関車の記録フィルムの放映時間と化し、あるいは不人気らしい大河ドラマのアピール&再放送のために使われるようになってしまった。
何処も同じ経費節減で、NHKは埋草番組を作る費用もケチるようになったのか。(いや、我々マニアは新作など望まぬ、ただ”日本の夜景シリーズ”を繰り返し巻き返し放映してくれれば大満足なんだが)
また、あのような夜の都会に溢れかえる光の海を描き出す映像は、大震災以降の省エネルギーを謳う世相にはいかにも合わない、そんな事情があるのやもしれなかった。
放映がかなわぬならば、あれらを収めたDVDの制作など、なされないものだろうか。いや、何しろ埋め草番組で、放映当時もNHKのサイトに番組の詳細さえ掲載されていなかったくらいだから、そのような形で商品化など、あちらでは考えてもいなかったとしても不思議はない。
それにそもそも、「深夜、なんの気なしにつけてみたテレビで、たまらなく心に残る映像に出会う」という偶然の驚きも込めての楽しみがあった”映像散歩”であり、DVDになったものを手元に置いておく、などということをするべきものではないのかもしれない。
ついでに書くが。さっきから我々我々と言っているが、たとえばmixiには「深夜のNHK」なる、その方面の愛好家の集まりさえあるのだ。ここに書いたことは、決して私一人の奇矯な愛好癖の紹介ではない。
ここは、新趣向少年合唱団である”リベラ”の歌など聴きたい。サウス・ロンドンの教会付きだった少年合唱団にエレクトリック・ポップの意匠を組み合わせ出来上がったサウンド。聖なる祈りと、最新技術による作り物感がないまぜとなった、不思議な輝きのあるその銀色の響きは、いかにも”日本の夜景”のBGMにふさわしかったもの。