”恋は不思議ね 消えたはずの 灰の中から なぜに燃える~♪”・・・などとエンリコ・マシアスの”恋心”のメロディをたどっていくと、いつも似たような曲、”思い出のソレンツゥアラ”とゴタマゼになってしまう。いや、そもそも両曲ともマシアスの作曲なんだっけか?
エンリコ・マシアスの歌が日本でもヒットしていた頃、などというのは1960年代、それこそロックもシャンソンもカンツォーネも同格で町に流れていた時代であり、そして私がワールドミュージックなんて概念に出会うのは遥か先の話だった。そりゃそうだが。
でもマシアスの顔立ちには、どこかエキゾチックなものを感じ、彼はシャンソン歌手ということだが、どこか国境の微妙な場所の出身なのだろうな、とは思っていた。彼の歌の、どことなく歌謡曲っぽいニュアンスも、もしかしたらそれと関係があるのではないかとも、なんとなく想像はしていた。が、それ以上の興味を持つ事も無かった。今言った、その”歌謡曲っぽさ”がダサくて嫌で、それゆえ特に彼のファンでもなかったからである。
それにしても微妙も微妙、彼はかってフランス領だった北アフリカはアルジェリアの、しかもユダヤ系なんて立場だったとはね。
アルジェリアがフランスから独立する際、かの国はユダヤ系住人抜きでの国作りを選んだ。なぜというに、独立の際、ユダヤ人の多くが宗主国・フランスの側に付き、独立を阻もうとしたから。なぜアルジェリアのユダヤ系住人は、そのような動きをしたかといえば、フランスによりフランスの市民権という”毒入りの贈り物”を彼らだけ与えられていたから。なぜ、そのような”特権”を与えられたかといえば。これの真相は藪の中みたいだが、つまりはフランスの分断政策なんでしょ、おそらく。
・・・。このあたりはなかなかややこしい歴史の展開があり、本当はさらに裏事情をさかのぼって語って行くべきなのだが、これ以上、”なぜかといえば”の連発で文章をつなげるのは格好が悪いのでやめておく(そんな・・・)
ともかくそのような出自の”有名歌手”であるゆえマシアスは、故郷のアルジェリアで、いまだ公式にステージに立てない立場だそうな。彼の存在がアルジェリアにおけるユダヤ民族問題に再び火をつけてしまうのを、アルジェリア政府は恐れている。
そのような複雑な事情が、彼の風貌や音楽における”エキゾチック”の影に隠されていたと知ったのは、まあ、つい最近、彼がそんな自らの出自を明らかにした、つまり故郷アルジェリアのユダヤ音楽を演じたアルバムを聴く機会があったからなのだけれど。
そしてその内容は。実は、まるでミもフタもなく”アラブ音楽”としか聞こえなくて、唖然としてしまったのだった、私は。例の”歌謡曲っぽさ”のルーツとの対決を、今でもやっぱり”ダサいなあ”としか自分には感じられないかを試すことをしてみたかったのだが、これ、シャンソンとも歌謡曲とも、遠く隔たった世界だよ。
と、間が抜けたままこの文章は閉じねばならないのだが。いや、そんな謎を自ら解き明かしてくれるアルバムでも、いずれマシアスが出してくれることなど期待しながら。
この歌謡曲って言うモノの説明をもう少しお願いします。どれを、どんな事を、どの辺のモノを指しているのか。。という事です。
今回に限り私は「歌謡曲」という言葉を、「昭和30~40年代当時の、日本のドメスティックな流行歌」という意味で使っています。本来の、と言いますか、日本にもタイにもヨーロッパやアメリカにもある「歌謡曲」を、この場合は指しません。と言う説明でよかったかどうか分かりませんが・・・