ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

8月15日。2日遅れで

2007-08-17 02:47:16 | 時事


”ピース・ナイン”by 笠木透と雑花塾

 8月15日と言うことで、それにちなんだ話でも書こうかと思っていたのだが、知人がお盆の帰省ラッシュで混雑する国道で車を駆っていて交通事故を起こし、亡くなってしまうという出来事があった。
 さらには車に同乗していた彼の女房子供も怪我を負い、生死の境をさまよっているのであって。当方としても、まとまった文章が書ける状態ではない。いつもだってまとまっていないじゃないかといわれれば、それまでだが。

 目の前に、超ベテランのフォーク歌手である笠木透のアルバムがあって、そこに”あの日の授業・新しい憲法の話”なんて歌が収められている。
 このテーマを笠木は別のアルバムでも取り上げていて、どうやら”子供の頃に戦争を体験した社会派フォークシンガー”たる彼にとって、ライフワークとでも言うべきテーマなのだろう。

 第2次大戦後、発布されたばかりの新憲法、それも第9条に付いて論じていた先生の思い出。泡を吹いて怒鳴ったり吠えたり、熱っぽく語っていた先生だが、こちらは何の話か分からなかった。
 「これから我が国は軍隊を持たない国になるのです。軍隊がなくなっても心細く思うことはない。日本は正しい事を世界に先駆けてやるのです。世の中に何が強いと言って、正しいことほど強いものはありません」と、先生はおっしゃっていたのだが。

 時は流れ、今、先生のあの時の気持ちが良く分かる。教え子を戦場に送ってしまった心の傷のいえない先生の、訴えかけたかったことが。・・・そのような歌なのだが。
 そういわれてもなあ。これがネット右翼諸君の言う「左翼のお花畑理論」と言う奴なのだろう。「だったらお前よう、その”正義”とやらで北朝鮮のミサイルを止められるのかよ。拉致された人たちを奪い返せるのかよ」と、非難されたりする事になるんだが、これで返せる言葉はあるんだろうか。

 CDの中の笠木透の歌声も、なんだか昔話をする人の良いお爺さんみたいで(まあ実際、年齢的にもそうなのだが)物語はすでに語り終えられ、良いおじいさんも悪いおじいさんも鬼が島の鬼も皆、とうに死に絶えてしまっている、みたいに感じられ、これを機会に”憲法を考えてみよう”などという思いは、笠木には悪いが湧いて来ない。

 このような生のテーマを掲げるよりも、いつものように大自然への愛や子供たちの夢について歌うのが笠木の本来の仕事であろうし、それが結局は、彼の想いを人に、より効果的に伝える事になるに違いないのだが。

 私の父は戦争中、関東軍の兵士として中国東北部、ロシアとの国境付近に駐屯していた。
 父が関東軍兵士の軍務として戦時中、一貫して直面していた最大の問題は、日々振るわれる上官の暴力といかに対峙するかだったようだ。「そんなに不満なら、今からでも遅くはない、元上官に仕返しに行けばいいのに」子供の頃、父の昔話に接するたびに、私はそう思った。

 最大にして唯一の”敵”は、国境の向こうにいる外国人でも、理想でも理念でもない。軍規にかこつけて陰惨なイジメ願望を思い切り発動させていた同胞の湿った心だった。

 なにが「靖国で会おう」だ。そんな事を言い交わしていたのは一部”マニア”だけだったのであって、大多数の日本人は途方に暮れ、恐怖に打ちのめされつつ戦場に引き出されていったのだ。そして、砂のごとき庶民の心根に、戦前も戦後も、なにが変わりがあるものか。

 この時期、軍神のなんのと言う上っ面の話を聞くたび、上官の鉄拳制裁をただ恐れ、腹いっぱい飯を食うのがともかく夢だった、そんな情けない兵士だった 亡父の思い出話を、私は彼のための勲章として胸に飾りたくなるのだった。


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