”涙そうそう”by 田端義夫
この土曜日の朝、というか毎日のことではあるけれど、世間様がそろそろ目を覚まして一日の生活を始めようかという早朝に、申し訳なくも就寝しようとベッドにもぐりこんだ私だったのだが。
ふとつけた枕もとのラジオからバタヤンこと田端義夫氏の”芸能生活65周年記念シングル”であるらしい「涙そうそう」が流れてきて、どうしたらいいのか分からないみたいな気分になってしまったのだった。
思えば、かっては小坂忠の曲を不意に吹き込んだり、意外なレコーディングを結構平気でやっているバタヤンであるから、あの曲を吹き込んでいても驚きはしなかったのだが。
芸能生活65周年って、15の時にデビューしたとしたって今、80歳だぞ。現実には田端義夫氏、88歳だそうだが。そしてもちろん、その年齢のレコーディングであるから、全盛期のパワーなどと比べるのも余計な事なのだが、それでもいつものバタヤン節、ちょっと鼻にかけて、肩のギターを揺すり上げるようにコブシを廻した、あの歌いっぷりはまだまだ健在なのだった。
音程が危うくなるかな、と思わせて狂わず、例のあのメロディをゆっくりと辿って行く。悠揚迫らざるそのペースは、得意のマドロス姿の氏が、天高くを横切って行くお日様を追って静かに船を大海に走らせて行く姿などを、こちらのまぶたの裏に描いて見せもしたのだった。
ラジオは小林克也の番組だったのだが、この曲の前にジョン・レノンの”アクロス・ザ・ユニバース”が、小林氏の日本語訳詞朗読付きで流れたりしたのも、大いに雰囲気作りに貢献していた。
田端義夫氏といえば、やはり「帰り船」だろう。波の瀬の瀬に揺られて揺れて~♪と、まるで華やかなんかではない、手垢のついた日常としての海の生活の感傷を伝えるかの歌、朝鮮半島からの”引揚者”である五木寛之は、敗戦後の”植民地朝鮮”からの引き揚げ体験を思い起こさせて好きではない、などと言っていた。
海沿いの観光地の生まれである私にはあの歌、島巡りの観光船の、潮風の染み付き、あちこちペンキなど剥げかけた姿や、笑いさざめく観光客たちの姿など、不思議な懐かしい光景を喚起する歌であったのだが。
今回の「涙そうそう」は、田端氏の”十九の春”とか”島育ち”といった”島もの”の延長線上に歌われたものだったのだろう。粋なマドロス、晩年の航海に乗り出す。
長い長い時が過ぎて。静かに凪いだ海を、ギターを抱えたマドロスを乗せた船は、ゆっくりとゆっくりと、太陽を追って進んで行く。
ところで氏の使っているギターは、どこのメーカーなのか。誰かがレスポールとか言っていて、それは絶対違うと思うんだが。リッケンパッカーと言う説もあり、あれは誰が言ったのだっけな。
どこのメーカーだったとしても。我々なんかが弾くギターとは全然ニュアンスの違う、こいつも盛り場育ちの私には懐かしい”流しのギター”のタッチを今に伝える、氏のギターの響きであったのだった。
バタやんのギターは、もともとはアメリカのナショナルだと聞いております。ジョニー・ウィンターが愛用していた、フル・メタル・ボディのスティールボックスが有名ですね。ただし、バタやんは修理と改造を重ねていますので、ほとんど原形をとどめていないようです。
バタやんのギタープレーはいいですね。コードもピッキングも知らない。ただこの音が欲しいから、こう押さえて、こう弾いてるだけだ。と言われたら納得してしまいそうな、ギターとの一体感がたまりません。
そうですか、ナショナル製ですか。いずれにせよ、原形をとどめていないのでは、形状を見てあれこれ言ってみるのも意味ないことでしたが(笑)
あと、もう一つの不思議は、あれは昔からずっと同じギターを使っているのか、途中で何代か入れ替わっているのか、なんてあたりです。
しかし、あのギターの音、生々しいですね。ソウルフルなプレイってのは、ああいうものなのでありましょう。