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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

雨上がりのトラッド

2011-11-04 23:48:45 | ヨーロッパ

 ”Young Love”by Anne Brennan

 やあ、これは爽やかなトラット・アルバムであります。初夏、雨上がりの日曜日、みたいな感じでしょうか。
 Brennan Sisitersというグループで活躍しているアイルランドのトラッド・シンガー、Anne のデビュー作であります。まあ、この手の人たちというのは、デビュー作といっても結構ベテランの貫禄の歌を聴かせたりしますな。彼女もそんな一人。

 それにしても、冒頭の曲がペギー・シーガーの曲だ、というのがなんだか嬉しいじゃないですか。と言って、分かる人も分からん人も、そりゃあおられるでしょうけれど。
 その他、お、それを持ってきたか、みたいな選曲のトラッド曲にゴスペル風情やらビートルズのカバー(これも、人があんまり歌わないみたいな曲を選んで)を取り混ぜ、マニアの琴線をくすぐりつつ、アルバムは進行して行きます。

 結構、ゴタマゼの選曲ながら不思議に統一感があるのは、彼女が歌をさらりと流しつつ歌って行くからでしょうか。
 ともかくくどくない。澄んだ清涼感のある声で笑みを含みつつの歌唱が爽やかで、うん、この文章もとっとと終わっておこう。



我が心のスペイン、その他のスペイン

2011-11-02 03:14:19 | ヨーロッパ

 ”CHICAS, Spanish Female Singers 1962-1974”

 1960年代から70年代にかけてのスペインの女性ポップス歌手たちを集めたコンピレーション、ということでありまして。いやあ、楽しそうな企画、楽しそうなジャケでありますなあ。
 まあ私などにとっては60年代のスペインの流行り歌というと、なにはさておきまず、ロス・ブラボーズの「ブラック・イズ・ブラック」であるのです。あの、ブリティッシュ・マナーのギンギンのブルーアイド・ソウル曲の底に脈打つどす黒いスペインの情念が忘れられない。というか、60年代のスペインの曲といったらあれしか知らない私なのでありますが。

 そんないい加減な私でありますが、このアルバムで聴ける”当時のスペインの音楽状況”が盤を編集した人のかなりの”創作”であるのは、なんとなく分かります。おそらくこの盤を編集した人は中南米の音楽のファンであるに違いない。そしてこの盤はその人にとってのアリバイ作りのニュアンスがありはしないか?”ラテンの本国スペインがこんな国だったらいいなあ”という。
 おそらくブーガルー流行あたりを紐帯の根拠として、中南米音楽の影響下にスペインで生まれたポップスを集めて、このアルバムは作られたのでしょう。「ラテンの血の源流、スペインって、こんなに”ラテンアメリカ”だったんだぜ!」とか言いたい事はそんな感じか。

 でも、そりゃないと思う。いくら”情熱の国スペイン”とは言っても、陰湿なるヨーロッパの一角を占める古い国がこんなに陽気な世界であるはずがないよ。
  ともかくこの盤、終始、南の国のリズムは弾け、明るい歌声は天高く響き、明るい太陽は盤の隅々まで光り輝いてるわけで。でもスペインてさあ、太陽が明るければその分、地上に出来る影は暗さを増す、みたいな大いなる暗さも秘めての太陽の国って気がしない?

 とかなんとかケチ付けるような事を言ってますが、この盤、結構気に入ってます。ともかく楽しい。ラテン魂漲る英米ポップスのカバーなど連発で出てくると、ニヤニヤしっぱなしなのさ。ただ、これをそのまま当時のスペインの実態と信じるのは違うんじゃないかといいたいだけで。
 まとめ。この盤は、1960年代から70年代にかけて南米大陸のどこかに存在していた”スペイン”なる陽気な国の流行り歌の忠実な記録である。という設定の、これは優れたSF作品である。紹介される女性歌手たちも皆、明るくチャーミングな人たちで楽しくなります。非常に楽しいファンタジィといえましょう。
 



ウクライナの秋

2011-10-31 04:20:36 | ヨーロッパ

 ”Pshenychne pereveslo”by Oxana Bilozir

 ウクライナの民謡調ポップスの大物ということ。歌のお姉さん上がり風?の揺るがぬきっちりとした唄いっぷりで、民族色豊かなメロディを歌いついで行く。

 しかし、東欧圏というか旧ソ連圏諸国のこの種の盤の製作者たち、もう少し伴奏に気を使わないか、と思わないでもないのよなあ。アップテンポの曲はどれも行進曲風の処理であったり、なんというか一本調子で音楽の陰影というものを考慮に入れていないのだ。いかにも、「党大会の会場に流せば景気がいいだろう」なんて価値観で音楽を学んできた人たちの仕事、という感じ。
 まあでも、その辺の融通の利かなさというか石頭ぶりが、いかにも旧共産圏らしい異世界ぶりで逆に良い、という面白がりかたもあるのだから、マニアの感性もどういうものだか。まあ、私のことなのだが。

 歌い上げられるウクライナの調べは、ロシアのものとは微妙に違うのだろうが、あのスラブの哀愁を濃厚に内に秘めた、これもまたマニアにはたまらないもの。暗闇の中に一筋灯す明かりのような、ほのかな希望や憧れを胸に秘め、広大な大地の永遠の苦悩や孤独を生きてきた人々の、静かな情熱が奥深くに力強く脈打っている。



青草のファブリツィオ

2011-10-29 01:38:59 | ヨーロッパ

 いけね。昨日の記事に、初期のファブリツィオの歌の画像を貼るのを忘れていた。昨日の分に貼ったのは、イタリアの伝統に耽溺していたファブリツィオがアメリカのフォークなどに影響を受けて、それなりにインターナショナルな感覚を身につけていった5枚目のアルバムに所収の曲でした。で、今回、下に貼ったのが、それ以前の曲。3枚目のアルバムに入っている曲です。

 このメロディはイタリアのトラディショナルな音楽に添う形で書かれたもの、と考えていいんでしょうか。こんな感じの薄暗い湿ったメロディを、この頃の彼はメインに歌っていたのですが。
 しかし、激動の60年代末、という感じでもないですね、このファブリツィオの姿を見ていると。居間でくつろぐカーディガン姿の若年寄り、ではないか。
 まあ、社会派として売り出した彼ですから、歌詞内容など分かれば、それなりに過激なことを歌ったりしているのかも知れませんが、当時のイタリア北部の日常は、まだのどかなものだったのかな、などとなんとなく気恥ずかしい気分でこの映像を見てしまうのですが。

 とはいえ最近の心境としては、この国際化以前の青臭きファブリツィオに、次第次第に惹かれていかないでもない私だったりもするのです。



ファブリツィオ・デ・アンドレ 1967 - 1971

2011-10-28 02:21:26 | ヨーロッパ

 70年代の終わりから80年代の初めにかけて、PFMやマウロ・パガーニといったイタリアン・ロックのスターたちをバックに従え、”イタリアの大物シンガー・ソングライター”という触れ込みでロック・ファンの前に姿をあらわした、ファブリツィオ・デ・アンドレ。
 その後、印象的なアルバム何枚かを世に出した後、21世紀が来るのも待たず、58歳の若さで逝ってしまった彼なのだが、そんな彼が若い頃はどんな歌を歌っていたのか、気になっていた。そこに今回、好都合にも彼のアルバムを時期ごとに5枚ずつまとめたボックスセットが出たので、さっそく入手してみた。まずは初期の5枚のアルバムを集めたセットの感想など。

 ざっと聴いてみると、あの低く良く響く声で語りかけるように歌う、というのはこの人の一貫した姿勢のようだ。声高に叫んだりはしない。甘口に夢を歌ったりもしない。モノトーンの歌声は、往年のイタリアン・リアリズム映画など連想させたりする。
 彼が造り歌うメロディは、古いヨーロッパの歴史の底に降り積もった民衆のため息を煮しめたみたいな、伝統の重みを感じるマイナー・キィの暗く淀んだ旋律が多い。
 歌詞はどの曲も相当に長い。多くの曲で、早口でメロディの中に長文の歌詞を無理やり押し込む、の芸も見せる。
 このあたり、イタリア版のシャンソン、なんていう人もいたジェノバ派シンガー・ソングライターの重鎮たるファブリツィオの面目躍如たるところなのだろう。「能天気にアモーレアモーレ言っていたカンツォーネの世界に社会派の旗を掲げたジェノバ派」の総帥としての彼の。

 シャンソンといえば、PFMとのライブでも彼は孤高のシャンソン歌手、ジョルジュ・ブラッサンスの曲を歌っていたものだが、この初期作品群でも折に触れて取り上げている。3rdを聴いていて、”ゴリラ”が飛び出してきた時には、よほど好きなのだなと、なんだかニヤニヤしてしまったのだが。

 全体から受ける印象は”物語歌”であり、”詠嘆”である。社会の矛盾を冷徹に見据え、無辜の民衆の上に襲いかかった悲痛な運命を歌に形を借りて訴えかけ、問いかける。そんな歌なのだろうなと、イタリア語なんかろくに分かりはしないのだが、長いこと音楽ファンをやってきた者の嗅覚にかけて、そのように断じてしまう。
 1st(Volume 1)においては、ほぼギター一本をバックに歌われている。自身の演奏かどうかは分からないが、使われている楽器はガットギターであり、使われているテクニックはクラシックのそれである。

 2nd(Tutti Morimmo a Stento)にいたって、伴奏にいくらか変化が出てくる。ジャズっぽさが持ち込まれたり。とはいえ、それはスパイ映画やマカロニ・ウエスタンのサントラめいた、ともかく映画音楽経由のそれであるのだが。アレンジャーがその方面の人だったのか?ともかくこのあたりではまだ、サウンド上の面白さは出て来ていない。
 3rd(Volume 3)にいたって、いろいろカラフルに楽器が使われるようになって来ている。とはいえ、特にひらめきは感じられないのだが。それと同時に彼の歌い方も生硬一本でなく、心持ち、広がりを感じさせるようになって来ている。少なくとも、メロディをヤクザに崩して歌うすべをこのあたりで覚えたのは事実だ(笑)

 以上が1967年から68年にかけてファブリツィオが世に問うた3枚のアルバムの駆け足の感想なのだが、それにしても、あの激動の60年代後半であるのに、ここまでで彼の音楽にロックの気配はまるで感じられず。そのような流行とは無縁の世界に彼が住んでいたということなのだろう。むしろヨーロッパというものの底の広さを感じてしまったのだが。

 さて、4枚目(La Buona Novella)でついに70年代に突入。何度も登場する聖歌隊みたいなコーラスをバックに、というかファブリツィオの歌声と掛け合いのように進行して行き、全体で何らかのテーマを追ったトータル・アルバムではないか。
 3曲目、なんとバックにシタールとタブラ登場。ファブリツィオの歌はいつもの通りなんだが(笑)ともかく、ヨーロッパの伝統と向き合ってばかりいた彼の音楽世界に時の流れが影響を及ぼしだしたのだ。そういえばバックで鳴るギターもエレキギターであり、後ろではハモンドの音さえする。
 サウンドは確実にロックの洗礼を受けており、ファブリツィオの歌声にも、曲作りにも、時代は大きく影を落としている。9曲目なんか、アメリカのフォークシンガーが作っても不思議はない曲調だ。ほかにもロック的感性で聴いて「良い曲」と思える曲あり。そういえば、ジャケのデザインも、このあたりからお洒落になってきた。
 とはいえ、ファブリツィオの古きヨーロッパを見つめる憂愁に満ちた視線だけは変わらず、その翳りはやはり彼の音楽の根元にあり続けるものだろう。

 さて、71年度作の5thアルバム(Non Al Denaro Non All'Amore Ne Al Cielo)この辺になると普通にロックの音がしています(笑)いや、ほんとに。この当時はロック界もシンガー・ソングライター・ブームだったわけだけれど、このアルバム、当時の”ブラックホーク”で聴かされても、好きになったに違いない。
 それほどアメリカのシンガー・ソングライター的な曲作りが出来ているのだけれど、同時に、デビュー当時から背負っていたヨーロッパ的な暗く湿ったメロディを、新しく手に入れたロックの方法論で同時代化する術を覚えたのも大きいだろう。とにかくスケールの大きな音楽を作れるようになってきている、確実に。

 ということで、「歌い手・ファブリツィオの冒険」その第一章は、こんなところで。




アルメニア蜃気楼

2011-10-23 00:37:54 | ヨーロッパ

 ”Emmy”

 昨日のミャンマーに続いて、今回も同じくらい使用文字の形象に驚かされる国、アルメニアであります。ともかくどちらの国の文字も、それが文字であるという予備知識をあたえてもらっていなければ、それが文字であることさえ分からないんじゃないか。まあ、欧米の人たちにとっての漢字なんかも相当なものなんでしょうけど。

 それにしてもアルメニア、苦悩の歴史だったんだろうなあと地図を見るだけでため息も出ようというものです。ほぼ西アジアといっていい地にあって、古くからキリスト教を国教とする、東ヨーロッパの一国と扱うほうが自然な文化を持ち、しかも南にはイスラム諸国、北にはロシアが控えていて、さまざまな形でちょっかいを出してくる。宗教や人種問題で周囲の国々と揉め通し。生きた心地がしない、という日々なんじゃないか。

 今回は、ユーロビジョン・ソングコンテストにそのアルメニア代表として参加した事もある若手歌手、エミー嬢の2006年度作のアルバムでありますが、この一枚の中にもアルメニアという国の複雑な文化のありようが浮かび上がっております。
 ざっと聴いてみると、やはり”ヨーロッパ諸国”にありがちな、アメリカのポップスの圧倒的影響下にある音楽、と感じます。打ち込みっぽいリズム、R&Bっぽい節回しで歌われるボーカル、絡んでくる感傷的なストリングス、といったところで。

 ところがしばらく聴き続けるうち、その音楽の土台あたりから立ち上るアジア臭さ、イスラム文化の落とす翳り、なんてものが見えてくるようになる。エミー嬢の熱唱にも、アジア歌謡の伝統にも連なるお醤油っぽさが香らないでもない。ソウルっぽいコーラスの向こうにインド音楽の幻みたいなものが見えてきたり。
 文字の形ばかりじゃなく、アルメニア語の響きってものも結構粘り気があって、そいつに引っ張られてソウルっぽいつもりのアルメニア・ポップスのメロディ、やはり独特の響きがしてるんですね。

 この辺の危うさといいましょうか、アジアの深部にまで侵入しているヨーロッパの飛び地のユニークなありよう、現実に存在してしまっている蜃気楼みたいで非常に興味深く、今後も注目してゆきたいと思うのであります。




ウクライナの酒場まで

2011-10-12 03:06:22 | ヨーロッパ

 ”Khochu do tebe”by Lilya Vavrin

 ウクライナの女性歌手。ドスの利いた低音の迫力で迫るその歌いっぷりを、「お、怖そう」とか首をすくめつつ聴いていたんだが、ふと連想が行ったのが、トルコの女性歌手の喉を詰めて威嚇するがごとく迫り来る、あの迫力歌唱法。
 トルコとウクライナは黒海をはさんで隣国であるし、なんかあのあたりに女性が凄む文化ってのがあるんじゃないか。違いますか?

 それにしても、このスラブっぽいメロディは、歌謡曲派の私には嬉しい。ロシア民謡にも通ずるマイナー・キイの、どこかに物悲しさを秘めた、うらぶれ気分の。これを”アジアっぽい裏町歌謡曲性”と呼んでしまっていいのかどうか分かりませんが。
 一瞬、「あ、”ホテル・カリフォルニア”が始まるのか」と思わせておいて、全然別の展開を示す曲とかね。どうにも血の騒ぐ話であります。

 今回、You-tubeで画像を探していて大苦戦。そもそもロシア文字がちんぷんかんぷんだってのに、ロシアとウクライナとでは微妙に使い方が違うみたいで、もう、何がなにやら。そんな次第で、このアルバム収録の曲は見つけられなかったんだけど、お許しを。




甘きアマリリス

2011-10-10 04:32:47 | ヨーロッパ

 ”Songbook Vol.3”by Cecile Corbel

 これはフランスのトラッド歌手、セシル・コルベルが2008年に出したアルバムです。”ソングブック”と名付けられた、彼女なりの伝統音楽探求シリーズのVol.3となります。とか言ってるけど、こんな盤が出ていること、まったく知らなくて先日、慌てて買い求めたもの。
 まあ、わが国では「あのスタジオ・ジブリ製作のアニメ映画、「借り暮らしのアリエッティ」の主題歌を歌った人、という紹介のほうが通りが良いでしょうね。というか、それ以外に紹介の方法もないかと思いますが。

 もともとジブリ作品のファンだった彼女が、自ら宮崎監督の下に自分のCDを送り、音楽面でジブリ作品の製作に係わりたいとの意思を伝えた、という話を聴きましたが、さて、どのCDを、どんな具合に聴こえるつもりで送ったのか?
 このことにちょっと興味がありまして、知りたいんだけど、インタビュー等でその辺が話題に取り上げられるでもなし。いまだ、分からないままなんですが、映画の製作年度を考えれば最新盤だったはずのこれなんかが一番、可能性が高いという気もします。

 アルバムを実際に聴いてみますと、”フランスはブルターニュ半島に伝わるトラッド音楽を基礎において彼女が作り上げた、妖精のいる音楽郷の幻想”の完成度をますます深めていっている、という感じ。デビュー・アルバムの頃の、”田舎の民謡歌手”らしい、畑からとってきた野菜を丸かじり、みたいな素朴さ、新鮮さはここにはなく、妖しげな虚構の世界の屈折した構造がほの暗く甘美な明かりを放っている。
 いや、これはこれで十分面白いんですがね。いつまでも田舎の音楽を情熱もってやっている人たちもいれば、芸術の荒野に踏み込まずにはいられない人々もいる、ということですな。

 まあ、私の考えている彼女の最大の魅力は、その非現実的なくらい甘ったるいロリコン声でありますんで、実は彼女のその声さえ聴ければいいや、というのが私の立場だったりします。面目ない。
 さて、ジブリの関係諸氏は、この音楽をどんなものと認識し、どの辺が気に入って、この音楽を映画に使う気になったんでしょう。この辺、訊いてみたいものだなあ。




退廃の甘き淵にて

2011-10-05 03:53:18 | ヨーロッパ

 ”Hilvern”by Artesia

 フランスのプログレ・バンド。うら若き美しげな女性二人が中心メンバーとなっている。かたやキーボード、かたやバイオリンを弾き、ともに淡い、妖精の囁きのごとき歌声を聴かせている。
 重厚な音の壁を作るキーボード群。悲しげな和音の連鎖が迷宮を形成する。女性たちの歌声は悠然と移ろい、夜霧のように漂う。すすり泣くバイオリン。

 まあ、プログレの革命の時はすでに遠く、こういう音楽もつまりは様式美の世界でね。パターンは決まっているわけで、むしろその居心地よく計算された調度群の中にいかに潜み、精神の快楽を得るかが楽しみどころとなってしまった。

 それにしても、なんと身を預け易い音楽なんだろう。黒い森、古城、霧にまかれた湖、そして演奏者は謎の美女たちと、神秘なヨーロッパ幻想のキーワードがあちこちに仕掛けられ、美しく悲しげな旋律は休みなく足元を流れ続ける。
 その流れにどっぷりと首まで浸かり、甘美な絶望のうちに朽ちて行くのも退廃芸術の罪深き悦楽。ドキドキするねえ。





退廃の甘き淵にて

2011-10-05 03:53:18 | ヨーロッパ

 ”Hilvern”by Artesia

 フランスのプログレ・バンド。うら若き美しげな女性二人が中心メンバーとなっている。かたやキーボード、かたやバイオリンを弾き、ともに淡い、妖精の囁きのごとき歌声を聴かせている。
 重厚な音の壁を作るキーボード群。悲しげな和音の連鎖が迷宮を形成する。女性たちの歌声は悠然と移ろい、夜霧のように漂う。すすり泣くバイオリン。

 まあ、プログレの革命の時はすでに遠く、こういう音楽もつまりは様式美の世界でね。パターンは決まっているわけで、むしろその居心地よく計算された調度群の中にいかに潜み、精神の快楽を得るかが楽しみどころとなってしまった。

 それにしても、なんと身を預け易い音楽なんだろう。黒い森、古城、霧にまかれた湖、そして演奏者は謎の美女たちと、神秘なヨーロッパ幻想のキーワードがあちこちに仕掛けられ、美しく悲しげな旋律は休みなく足元を流れ続ける。
 その流れにどっぷりと首まで浸かり、甘美な絶望のうちに朽ちて行くのも退廃芸術の罪深き悦楽。ドキドキするねえ。