goo blog サービス終了のお知らせ 

ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

シアワセな人々

2008-05-31 15:04:06 | その他の評論

 キムタクの運命はどうでもいいけど、あまりにもソフトバンクにおいしい結果が出過ぎていて逆にうさんくさい気がしてくる。これ、情報操作じゃないの?
 この”CM総合研究所”のサイトを見ると、最近3年間の人気CMベスト10でもソフトバンクがずっと一人勝ちしていて、どこまでこの調査結果が信用できるのか首を傾げたくなるのだ。そこまで好かれてるか、あのCMが?

 などと言っている間にも、大勢に流されるのが大好きな昨今の青少年諸君は、「そうか、ソフトバンクが勝ち組なのか。それならそっちに乗っておこう」と”ノリのいい”所を見せて、「そういえば前からあのCM、大好きだった」とか言い出すんだろうなあ。
 気の利いた事を言った気分になりたい人には「キムタクはもう古い。いや、俺は前から嫌いだった」なんて”鋭い感想”があらかじめ用意されているから、そいつをなぞって発言すれば良い、と。

 てな事をしているうちに、流れは本当にソフトバンクに行く、と。こんな”言いなり”の大衆を相手に商売してるんだから、そりゃ企業は楽だわ。

 ○CM好感度調査で黒人俳優、キムタク蹴落とす
 (ゲンダイネット - 05月31日 10:01)
 CMタレント好感度ランキングの男性部門で8年間トップだったキムタクが4位に転落。ソフトバンクモバイルのCM「ホワイト家族24」シリーズで、上戸彩の兄貴を演じている米黒人俳優ダンテ・カーバーが1位になった。CM総合研究所が発表した。
 カーバーは「予想GUY(ガイ)」として知られるキャラで登場したが、文字通り予想外の大躍進。その他の部門も同シリーズの白戸(ホワイト)家の面々が独占した。女性部門では上戸彩が2年ぶり2度目の首位。母親役の樋口可南子は468位から2位に急上昇。総合部門でも1位、さらに「まさか白戸が犬になるとはなぁ」のお父さん役「北海道犬」(声は北大路欣也)がキャラクター部門で1位となった。

”素晴らしい方”稼業

2008-04-20 05:54:35 | その他の評論


 6日の日記に武田鉄也をクサす文章を書いたら、その翌日、さっそく武田のファン、というより信者と言うべきであろうと思われる人物からコメントをいただいた。いわく。

 >実際の武田さんは金八以上に素晴らしい方ですよ。

 私は脱力のあまりイスから転げ落ちそうになったのであるけれども。

 だからね、それはあの男がドラマの中でも役を離れても、とにかくカメラの前にいる限りは”素晴らしい方”扱いをする、そんなドラマのヒットを受けて出来上がった芸能界内部の合意があって、すべてはそれに従って動いてるのであって。
 あなたはテレビドラマも何もかも含め、そんな”芸能界”という名の出来合いの芝居を見ているだけなんだよ、言っても通じない雰囲気だけれども。

 ここででふと思い出してしまった事がある。以前、テレビで”街を行く頭の軽そうな女の子の意識を探るインタビュー”なんてのをやっていたのだ。
 マイクを向けられた、そのいかにも今そうな女の子は、「好きな芸能人は?」って質問に「××さん」と、その頃人気の高かったある俳優の名を挙げた。インタビュアーは重ねて問う、「なぜ、××さんがすきなんですか?」と。彼女は答えていわく、「やさしいから」と。

 変な答えだね。その俳優が優しい人物かどうか、”一般人”の彼女にどうして分かる?
 まあ、その発言の根拠の見当は付いた。その頃彼は、高視聴率を取るテレビドラマで”やさしい人”の役をやっていたのだ。

 要するにあれなのね、いまやドラマの中で”優しい人”の役をやったらすなわち優しい人、”素晴らしい方”の役をやったら、その役者はイコール”素晴らしい方”なのだ、その素顔も何もかも。
 音楽の世界でも同じことですな。優しい歌を歌っていたら優しい人。明るい歌を歌っていたら明るい人。

 虚構と現実、作り物と本当の姿なんてめんどくさいことは、もう皆、考える事をやめてしまった。誰かが”優しい人”を演じているドラマが心地良かったら、その俳優は現実でも”優しい人”なのだ。そう決まったのだ。だってその方が楽しいもの。なのでしょう。
 で、そんな思い込みの楽園を乱すような発言を成す者があったら、「あなたの心は歪んでいる」となる次第で。こりゃやっぱりへんちくりんな宗教もどきの現実拒否システムと化してしまったのでしょう、芸能ファン意識って。

 かっては現実の側に身を置き、”役者が役を演ずる事を楽しむ”って芸能への接し方があったと思うんだけど、もはやそんなものは無効となっていて、そのようなシステムとは別の形で社会に機能しているらしい、今日の”芸能”なる代物。
 何でこんなことになってしまったのか、おいおい検証して行きたく思う次第です。
 

アポロン喪失

2008-04-17 04:42:26 | その他の評論


 知らなかったのだが、この8日に作家の小川国夫氏が亡くなっていた。享年80歳。

 独特の透明感溢れる作風が印象的な作家で、ことに私は、彼が若く、まだ無名の学生時代にバイクを駆って地中海沿岸を流離った、そんな旅の想い出をつずった詩的覚書、とでも言うべき初期作品集の澄んだ余情を愛していたものだった。
 大学を出たものの就職もせずにブラブラとフーテン生活を続けていた頃私は、「アポロンの島」等、小川国夫のそれら初期ものを読みふけった。

 いま思えば、容赦なく過ぎ去って行く時の流れから目をそらさんがために、小川氏の描く、人の姿も意識も透明になり日差しの中で溶けて行きそうな地中海の日々の永遠に逃げ込んでいたのだった。
 私は本の記述の向こうに、出口の見つからないオノレが日々へのひとときの慰謝として時間と空間の向こう、幻想の地中海世界から差して来る非在の陽光を弄んだ。

 まあ、過ぎ去った思い出のように装ってはいるが、今でも私はあんまり変わらない日々を過ごしてはいる。

 氏の訃報を聞き、あの頃と同じ、白い表紙に赤い背の文庫本で小川作品を再読してみたいなあ、などと思ったのだが、もう一度手に入れようにもあれはとうに絶版である。小川氏の澄んだ作風に似合った、良い感じの装丁だったのだけれど。
 愛読書だったはずの、あれらの書が見当たらないということは、その後の放浪時代に二束三文で手盤してしまってそれっきりだったのだろうか。そうなのだろう。今頃になって思い出したところで、もう20年も30年もの歳月が流れている。

 そして、小川氏は亡くなられた。私は、若い頃と同じようなすべてを捨てての放浪の日々に今また焦がれつつ、しかし実行に移す気力も失われたまま、なすすべもなく年老いて行く。地中海の陽光は遠く、どこでもいつでも、時との戦いは過酷だ。

 (冒頭の写真は、故・小川国夫氏)

芸能人のエゴ誤拡大の一様相について

2008-04-06 22:46:06 | その他の評論


 下のニュースは、”勘違いしてしまった馬鹿な芸能人の悲喜劇”の典型例として、大いに笑わせていただきました。すっきりしない日々、こういうシンプルなニュースは助かるなあ。

 武田は、”人格者の教育者”の役をやっているうち、それを自分の実像と思い込んでしまっていたんですなあ。で、歳下の者たちすべて、自分が担当しているクラスの生徒と思い込み、誰彼かまわず説教垂れるようになった。

 ドラマの中で物事が武田の都合よく進行するのは、台本がそうなっているからに過ぎないんだけどね。そもそも武田は教育者でもなんでもなく、単なる暑苦しい歌手上がりの俳優、それだけの存在なんだけど、そこのところもすっかり忘れて。

 それでも芸能界、ドラマが受けているなら皆はそれなりに話はあわせてくれますわな。けど、それにもおのずから限度があったって事で今回の事態。「自分は金八であり人格者だから、他人の秘密をバラしてもかまわない」なんて、そりゃ勘違いどころじゃすまないものなあ。

 これで本当に番組も武田も終わりとなれば、そりゃ楽しいだろうけど、なにしろ芸能界ですから、適当なところで手打ちをしたほうが金になると双方が判断したら、何事もなかったように笑顔で握手でしょ。まあ、そんなもんだよね。
 
 ○武田鉄矢が二重の意味で信頼を失った“亀梨騒動”
 (ゲンダイネット - 04月05日 10:00)

 ドラマ「3年B組金八先生」(TBS)の武田鉄矢(58)が役者生命の危機を迎えている。
 騒動の始まりは一部週刊誌が明らかにした亀梨和也(22)と小泉今日子(42)の破局報道。以前「3年B組」の生徒役で出演していた亀梨が昨年暮れに武田の元に小泉とのことで相談に来たそうで、報道後、武田が「デイリースポーツ」で連載中のコラム「武田鉄矢のなして?なしてや?」でこんなふうに書いた。
〈亀が小泉さんと一緒に僕の所に来て「付き合ってます」と、きちんと伝えてくれた。「今は若いからドラマとかできるけど、僕には役者としての才能がないと思ってます」「(将来は)ブティックを経営したい」「29歳までには結婚をしたいんです」〉
 このコラムを知って関係者は大騒ぎ。アイドルが女性関係を口にし、自分から才能がないなどというのはもってのほかで事実なら大問題だ。しかも、武田がそのことを先方の了解なしに書いたら当然、モメる。
「亀梨が所属するジャニーズ事務所サイドはカンカン。ジャニーズは武田と『3年B組』を通じて28年間の付き合いになるけど、今後は縁切りするしかない。武田が出るドラマにジャニーズのタレントはもう出ないのではないか。『3年B組』も武田も大ピンチです」
 それでも“恩師”の武田の元に亀梨が相談に来てもおかしくないし、八方ふさがりで悩んでいる姿を見た武田が応援したくなる気持ちもわかる。
 武田が人間性を疑われるのはその後だ。3月28日掲載の同コラムで「お詫び」として、亀梨が言っていないことをライターが書いてしまい、自分もチェックをしなかったのがミスといったように言い訳し、一方で発売中の「週刊現代」では「僕の失言でしかない」とオロオロしている。
 金八先生は今回の件では言った言わないでモメた上に、“教え子”を守ることができず、信頼も失った。これで従来通りに仕事ができるというのは考えが甘すぎないか。
【2008年4月2日掲載】

ケータイ小説としての赤軍派

2008-01-27 04:35:24 | その他の評論


 ネットの世界に連合赤軍の記録映画を研究するコミュなど出来たそうなので、やつらと、まあ同じ時代を生きた私としては若干の興味を抱き覗きに行ったのだった。
 そしたら、「彼らのまじめさ、ひたむきさに心を打たれた」とかそんなことがコミュ設立の趣旨として記してあって、暗澹たる気分になってしまったのでした。

 私は、もうあんな”純粋真理教”はこりごりだよ。

 一つの”真理”に囚われて他の何も見えなくなってしまう。その結果、とんでもない袋小路に入り込んで陰惨な命の削りあいに終始する。
 そんなのが”純粋”と言えるんだとすりゃ、”純粋”ってのは”狂信的”とか”小児病的”、あるいは単に”バカ”という意味しか持ちえないだろう。

 もうそんな愚は冒すまい、もうあんな悲し過ぎる喜劇はたくさんだと我々は学んだんじゃなかったのか。
 にもかかわらず。同じ愚かしさがもう一度グロテスクな戯画として繰り返されてしまったのが、あのオウム真理教の事件だった。若い信者たちは”尊師”とその教えに”ひたむき”に帰依し、その結果、”純粋”の旗印の下に陰惨な殺戮を繰り返すに至った。

 そしてまた、か?
 この”まじめ”や”ひたむき”なる呪文に酔い、”清く正しい私たち ”の、穢れた世の中に対する短絡的な最終戦争の夢こそが、青春なる狂気の時の永遠の玩弄物なんだろうか。どこかにないのか、この狂気を覚ます特効薬は。

 そして最後の締めは昨今流行の”涙”だ。「映画を見終えたとき私は感動で涙が止まりませんでした」と、この一言だけで映画の神聖化は完了する。

 神聖にして犯すべからず。昨今の若者たちの最高の神器、涙。

 「監督さんも泣きながら映画を取ったに違いありません」なんだって。
 そうだよなあ、”ハートブレイク・ホテル”の歌詞にもあったものな、「ホテルの人も 黒い背広で 涙流してる~♪」ってね。
 従業員が泣いてたんじゃホテルの仕事は務まらないだろう。なんて冗句も正義の使徒には通じません。やれやれ。

 真実から目をそらし、事件を自分に都合の良いファンタジィに作り変えるための工作としての”感動”やら”涙”やら。
 結局、映画を見た昨今の若者には赤軍派の事件が、世界の中心でなんとかかんとかやら”百倍泣けるケータイ小説”などの一種と感じられているのだろう。

 そんなに赤軍がお気に入りなら、今でもその残党は存在していますからそこに合流して、あなたの言われる”ひたむきでまじめな”人生を実体験したらいかが?とでも申し上げておきましょうか。

フランダース、その他の多湿世界

2007-12-26 05:11:44 | その他の評論


 それは「滅びの美学」なんて立派なものなのか?世界の中心でなんたらとかガッキーの主演でこの間映画化されたケータイ小説とやら、あのへんのゴミみたいな物語を涙を流して愛好する癖も、「滅びの美学」なのか?

 とりあえずこのジメジメメソメソした精神風土に、もううんざりしてるんだが。
 けど、この記事に対応して書かれた他の人の日記は圧倒的に”フラ犬支持”なのなあ。皆、この焼き鳥屋のカウンターみたいにベッタベタの世界が居心地が良いらしい。救いはない。
 
 いっそ人影の絶えた深夜の乾燥機の展示場で、ドライフルーツとか干物とか握り締めて死んでしまったら。天使たちは俺の死体を、ゴビ砂漠とかサハラ砂漠とかへ運んでくれるんだろうか。

 ○「フランダースの犬」日本人だけ共感…ベルギーで検証映画
 (読売新聞 - 12月25日 09:14)
 【ブリュッセル=尾関航也】ベルギー北部フランドル(英名フランダース)地方在住のベルギー人映画監督が、クリスマスにちなんだ悲運の物語として日本で知られる「フランダースの犬」を“検証”するドキュメンタリー映画を作成した。

 物語の主人公ネロと忠犬パトラッシュが、クリスマスイブの夜に力尽きたアントワープの大聖堂で、27日に上映される。映画のタイトルは「パトラッシュ」で、監督はディディエ・ボルカールトさん(36)。制作のきっかけは、大聖堂でルーベンスの絵を見上げ、涙を流す日本人の姿を見たことだったという。

 物語では、画家を夢見る少年ネロが、放火のぬれぎぬを着せられて、村を追われ、吹雪の中をさまよった揚げ句、一度見たかったこの絵を目にする。そして誰を恨むこともなく、忠犬とともに天に召される。原作は英国人作家ウィーダが1870年代に書いたが、欧州では、物語は「負け犬の死」(ボルカールトさん)としか映らず、評価されることはなかった。米国では過去に5回映画化されているが、いずれもハッピーエンドに書き換えられた。悲しい結末の原作が、なぜ日本でのみ共感を集めたのかは、長く謎とされてきた。ボルカールトさんらは、3年をかけて謎の解明を試みた。資料発掘や、世界6か国での計100人を超えるインタビューで、浮かび上がったのは、日本人の心に潜む「滅びの美学」だった。

M-1グランプリ 2007

2007-12-24 01:34:06 | その他の評論


 ともかく冒頭に出て来た笑い飯をはじめ数組のあまりのつまらなさに呆れ、逆に興味が出て最後まで全部見てしまった。
 「こんなつまらない事やって一千万円もらえるのかよ!?」あるいは、「こんなものが”日本漫才シーンの頂点”でいいの?」という唖然。または、「こんなんで番組成立するのか?」という疑問。

 実際、笑い飯とあとその次の何とか言うコンビ(名前なんか覚えてるもんか)が終わったあたりで番組制作サイドも青くなってたんじゃないかと想像する。「おい、やばいよ、全然笑いが起こらない!」とか。
 それでもそれなりにドラマは起こり、敗者復活組が優勝のサプライズと、何とか番組の恰好がつくんだねえ。不思議なものです。

 でもなあ、何度も奇跡は起こらないし、そもそも毎年、大賞にふさわしい漫才を披露できるコンビが次々と登場するなんてありえないんだから、M-1の企画そのものに無理があるだろう。冒頭のしらけようを思うにつけても、そう確信する。来年あたりひどいことになるぞ、きっと。もう今年、すでにやばかったんだから。

 しかし、あの笑い飯という連中は最悪だなあ、いつも思うんだが。
 ダウンタウンのマッチャンに気に入られてるんだか知らないが、それに寄りかかって何の実績もないのに大御所みたいな気分になってる。漫才やるんだって、気持ちは完全に審査員のほうに向いてしまっていて、「ボクたち、いけてますよね」と審査員連中に媚売ることしか考えていなくて、客を相手に漫才をやっていないんだから、そりゃ受けるわけないわな。

 あと、これに関する他の人の日記を一渡り読ませていただいたが、「漫才は関西固有の文化です」なんて思い込みというか縄張り意識にカチカチになっている人が結構いて、「関西のコンビ以外が優勝すること自体、間違いなのである」と、洞穴にこもって拗ねているのには苦笑させられました次第で。

 ○敗者復活サンドウィッチマンがM1初優勝
 (日刊スポーツ - 12月23日 21:23)
 07年M-1グランプリ決勝が23日、テレビ朝日で行われ、7代目チャンピオンにサンドウィッチマンが輝いた。敗者復活組からの優勝。審査員8人のうち島田紳助、松本人志ら4人の得票を集め、参加コンビ過去最多の4239組のトップに立った。
 サンドウィッチマンは伊達みきお、富沢たけし(ともに33)のコンビ。賞金1000万円を手にした2人は「何も覚えてない。夢見心地」と話していた。

鋼鉄の夢

2007-12-12 05:17:16 | その他の評論

 見てもいない映画の話で恐縮ですが。

 知り合いのVARIさんが先日の日記で触れておられた『リベリオン』(02・米 監督:カート・ウィマー)なる映画の話が妙に印象に残ったんで、ちょっと文章にしてみます。
 なにしろ見てもいない映画の話、全面的に見当違いの可能性、大いにありですが。

 まずは以下に、VARIさんが引用されていた”ストーリー紹介”を孫引きします。

 【第3次世界大戦後、人間は戦争の根源である「人間の感情」を抑制する薬、プロジウムを開発した。人々は毎日薬の投与を義務付けられ、本や絵画、音楽は一切禁止された。違反者の取り締まりを行うプレストン(クリスチャン・ベール)は、最小限の空間で銃の威力を最大限に伸ばす武道ガン・カタの達人。ある日プレストンは、誤ってプロジウムの瓶を割り、投与をしないまま仕事に就く。それは、プレストンが長い間忘れていた「感情」のかけらを、ゆっくりと目覚めさせていった…】

 なんじゃこりゃあ?なんてムチャクチャな反戦思想(?)だろう。「戦争の根源」は、「人間の感情」ですかね?

 戦争ってのは逆に、人間の感情などと言う”低劣”なものは無視して粛々と行なわれる冷徹なる国家プロジェクトでしょう。どういう発想をしているのかね、この映画の作者は?
 そんな”お上”の意向に沿い、尻馬に乗って騒ぎまくるお調子者、自らの死に直面してはじめて事態の真相に気がつくのだが、もちろんもう遅い。これが庶民の姿であるのであって。

 実際はどのような映画か知りません。ただ、上のストーリー紹介を読む限りでは”そりゃ話が全部逆だろう”みたいな、非常な理不尽さの連続と感じられる。
 まあ何のことはない、映画”ランボー”を見ただけで国際政治を学んだ気になっている頭の軽い人物が、一風変わったアクション映画をでっち上げるためにテキトーに思いついた舞台設定なんでしょうけどね。

 それにしても、描かれている感情抑制剤や「違反者」の取り締まりは、戦争を根絶やしにするというより、国民が政府の政策に反発して暴動を起こしたりしないように工作している、そんな風景にしか思えないのであって。
 製作者の心の底の泥沼に棲んでいるのは、実際のところ、そんな抑圧によって支えられた全体主義社会への歪んだ渇望、つまりは権力志向じゃないのかね。などと考えると、そんな渇望を底流に孕ませる時代の精神がなにやら不気味に感じられる今日この頃だったりするのでありました。


くだらねえ邦題、邦訳に関して

2007-12-09 23:44:03 | その他の評論

 知り合いのバッキンガム爺さんさんのところで、「バーズのどの辺の盤が最高か?」みたいな話題が出ていました。

 私はバーズに関しては”サイケな世界に色気を出してるフォークロックバンド”であった時代がやっぱりあの連中、創造的だったし刺激的だったとおもってるんで、その辺を推します。後のカントリーめいた時代って、完成度はどうだか知らないが、音楽的なスリルが感じられなくてね、なんか退屈じゃないか。

 で、そこの皆さんの書き込みを読みながらふと、「バーズって、そもそもどんなアルバムをどの位のペースで出してきたんだろう?」と気になって調べてみたのです。
 そしたら、昨年、ボックス物が出ていて、その邦題が「巡る季節の中で」なんですね。

 なんだよ、このタイトルは?今、初めて知ったんだけど、かっこわり~!

 恥ずかしいから、この商品がカタログから姿を消すまで、「バーズなんてバンドは聞いたこともない、なんだそれは?」ってな顔して生きて行こうと思います。
 それにしてもギョーカイの人間のセンスのなさって、どうにかならんの?フォークロックがどうの、カントリーがどうの、なんて語ってみても空しいですよ、マツヤマチハルと同じ扱いじゃさあ。

 そういえば昔、心の底から呆れた、「ハエハエカカカザッパッパ」なんてフランク・ザッパの作品に付けられた実にくだらん邦題、あれはまだ生きてるんですかね?面白いですか、ザッパの曲にそんな邦題を付けることが?
 このあたりに如実に現われている、レコード会社の洋楽担当者の趣味の悪さって、ほんと絶望的ですね。ザッパの名に”雑派”なんて漢字をあてたりしてさ。中学生の世間話か?と言うのだよ。

 以前、この”雑派”の件を、所属していた某メーリングリスト(音楽ライターなど、業界人多数参加)で話題にしてみたら、「ザッパ本人に確認を取っているんで、かまわないんじゃないの?」なんて返事が返って来てますます呆れたものでした。

 そりゃザッパにしてみたら、遠い東洋の国に演奏旅行に行った際、「俺らの国ではお前の名前をこう書くんだけど、これで良いよな?」とか訳の分からない文字を見せられたら、「オウイェ~、そいつはゴキゲンだぜ」とか、ご祝儀で言ったりもするだろうよ。それをもって「ザッパ本人もみとめた」ってのはいかがなものか。

 本来であれば、日本、そして東洋における漢字の歴史とその存在、いかなるものかなどを詳細に解説し、”雑派”なる文字表現のいかなるものかを完全にザッパ本人に理解させたのちに、それを名前の表記に使うか否か承諾を迫る、それがスジじゃないのか。
 うん、そんな面倒くさいことはやっちゃいられない。だろ?だからさ、やっちゃいけないんだよ、安易に”雑派”とかさ。

 あと、「××さんの許可取ったから良いんじゃないの?」って発言にも呆れたものでした。”××さん”ってのは、どうやら日本におけるザッパ研究の権威者らしいんだけどね。そんな奴には謹んで「引っ込んでいろ、バカ」と申し上げたい。何が許可だ。手前はザッパ本人じゃねーだろ。根拠のない図に乗り方をしやがってからに。

 それでは、そんなたちの悪いレコード会社の担当者諸氏に捧げるパスティーシュなど。

 ~~~~~

 ☆セックスピストルズの最終決定版ボックスセット!

  邦題・”このぬくもり君に伝えたくて”

 ☆キング・クリムゾン、デビュー当時の未発表音源、集大成を公開!

  邦題・”思いやり”

 ☆シド・バレット、知られていなかった本当のラストアルバム発掘さる!

  邦題・”欽ちゃんに会いたかったんだよ”

 ~~~~~

 悪ふざけ書いてますけどね、ありえないことじゃないですから。だって、あの”ミスター・タンブリンマン”のバーズのボックス名が”巡る季節の中で”なんだからさあ。

審査員狩りの夜

2007-12-04 04:15:46 | その他の評論


 なんかこれ、凄く気持ち悪い事件だなあ。優勝作品にクレームを付けた人たちって、作品内容が、とか運営方法が、とかいろいろ指摘しているようだけど、言いたいことは要するに「優しいサンタさんをいじめるなんて許せない!」って”義憤”なんでしょ?

 さまざまな苦情内容ってのは、その怒りに公共性を帯びさせるための、そして「自分はもっと高邁な理想を掲げているのだ」と自らに信じ込ませるための口実に過ぎないんじゃないの?

 で、人々はそいつを掲げ、”サンタ狩り”に大賞を与えてしまった審査員たちを”正義の刃を振るう聖戦士”の姿で攻撃している訳だ。「自分たちは正義のための戦いをしているのだから、反抗するものは悪魔だ」なんて大書された旗を振りつつ。

 何のことはない、それじゃ、”サンタ狩り”と同じことだよ。”審査員狩り”じゃないか。
 今度は自分たちが、映像の中でサンタに暴行している連中と同じ事を審査員たちに対してしてしまっている、その滑稽さ、グロテスクさに気がついていない。
 あなたが主演の”審査員狩り”は、果たして”サンタ狩り”より立派な作品といえるんだろうか?
 そんな”あくまでも正義”な人々の、ヒステリックに硬直した”ピュアさ”を私は大いに恐怖します。

 ~~~~~

 ○7人の審査員」と「不特定多数の住民」の間で――第1回「ニコニコ映画祭」騒動
  (ITmediaニュース - 12月03日 14:20)

 「こんな動画を選ぶなんて」――ユーザーから募集したユニークな動画作品に賞を授与する「第1回 国際ニコニコ映画祭」の大賞受賞作が、「面白くない上に暴力的」などとユーザーから批判が殺到。審査員の1人のブログに対して批判コメントが相次ぎ、ブログで謝罪に追い込まれる事態に発展した。
 ニコニコ動画は、多数の一般ユーザーが盛り上げて急成長したサービス。人気動画は再生回数の多さで分かり、いわばユーザー全員が“審査”に参加しているとも言える点も人気を集めた理由だ。
 これに対して映画祭は、専門家など少数の審査員が優秀作を選ぶ形。一般ユーザーの声は反映されておらず、このギャップが受賞作に対する批判コメントの殺到で浮き彫りになった形だ。
 ニコニコ映画祭は、ユーザーからオリジナルの動画作品を募集し、ユニークな作品に賞を授与する企画。第1回は11月上旬に作品を募集し、204作品が応募。1次審査で28作品が選ばれ、タレントの松嶋初音さんや、ビジュアリストの手塚眞さん、ニワンゴ取締役で2ちゃんねる管理人の西村博之さんなど7人が最終審査に参加した。
 大賞に選んだのは、繁華街でサンタクロースを追いかけてつかまえ、馬乗りになって殴る――という内容の「サンタ狩り」。だが、この作品が受賞作として公表されると、ユーザーからは「暴力的」「いじめだ」「悲しい気分になった」「何が面白いか分からない」といったコメントが殺到した。
 審査の様子をまとめた動画にも批判コメントが殺到。「サンタ狩り」を審査しているシーンでは「これを選ぶなんて信じられない」といったコメントとともに、松嶋さんなど審査員への中傷が多数書き込まれた。
 中傷は松嶋さんのブログにも飛び火し、松嶋さんは「今回はわたしの発言で気分を害するようなことになってしまい、本当に申し訳ありませんでした」などとブログで謝罪し、サンタ狩りを推した理由などを丁寧に説明した。
 ニコニコ動画の開発者ブログは29日付けで、批判は「映画祭への期待が予想以上に大きかったためだと前向きに受け止めている」とした上で、大賞作品については「審査方法も結果も間違っていたとは考えていない」とした。
 ただ、「よりユーザーが楽しめるような映画祭になるよう、選考過程や基準についてもっと明確にするなど、運営方法を改善していきたい」と、反省点をふまえて映画祭の運営も見直す方針を明らかにした。

 ~~~~~