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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

赤道直下、神の薗にて

2011-08-26 01:22:45 | アジア


 ”Love Eternal”by Nikita

 とりあえず、このアルバムについて得られる知識があるならば知っておこうとアーティスト名とアルバム・タイトルを打ち込んで検索をおこなったら、エロ・ゲーム関連のサイトやらその他ポルノ情報がズラズラズラッと出てきたんで、頭を抱えてしまったのでした。偶然、共通する単語があったってことなんだろうが、そりゃあんまりだろうよ。

 何しろこの盤、インドネシアのキリスト教ポップス、ロハニの新譜なのであります。歌われる歌は、どれも心洗われるような清浄な美しさを持つ讃美歌調のメロディであり、というか、いくつかは”アメイジング・グレイス”をはじめとして、私のような非クリスチャンもメロディをたどって一緒に歌えるような有名賛美歌そのものであったりする。
 それを歌い上げる新人歌手ニキータちゃんも、リンと伸びる声を可憐に張って、心を込めて信仰への想いを歌い上げているのであります。伴奏なんかもなかなか豪華で、ストリングスやコーラス隊を含む分厚い音は、神の愛に包まれた約束の地の豊穣を描くが如きであったりするんであります。

 でも・・・もしかして、このロハニなる音楽を成立せしめている要件の一側面を結構突いてきているんじゃないか、この偶然の符合は。なんて思ってみたりもするのでした。聖なる音楽のハザマに窺える、庶民の猥雑なる生へのエネルギー、などというものについて。
 豪華カラー版の内ジャケでは、なんだか佐藤江梨子あたりを連想させる南方系美少女の歌手ニキータちゃんはお伽話のお姫様みたいな衣装に身を包み、森の中で艶然と佇み、ポーズをとっているのです。たまらんわ。萌えるわ。となります、信仰も何もない私にしてみれば。

 ヨーロッパのどこぞの教会から聴こえて来ても不思議はないくらいの賛美歌ポップスのロハニではありますが、あくまでもインドネシアの音楽であり、インドネシア語で歌われております。その言霊からは、濃厚な”アジア”が香ります。
 また、歌唱法の基本には、昔々にポルトガルが置き忘れていったラテンの情熱がほのかに漂います。
 その、交錯する不思議な矛盾、違和感のファンキーな心地よさ。やっぱり奥深い、刺激的な音楽です、ロハニとは。やめられません、クリスチャンなんかでは全然ない私ではありますが。



メランコリー・バンコック

2011-08-24 04:03:05 | アジア

 ”KHON TEE TER KID TUENG” by EARN THE STAR
 
 え~と、この人は取り上げたことがあったっけ?タイの演歌とも称される大衆歌、ルークトゥンの歌い手で、美人歌手の誉れも高いEARN THE STARであります。”スターのアーン”ってのも凄い芸名だけど、美人歌手なんだから納得するよりしょうがないやね(?)
 これが4枚目のアルバムなんで、まだ新人歌手と言っていいのかも知れないけど、もうきっちり独自の歌の世界を確立していて、もはや貫禄さえ感じさせるのでありました。

 その、彼女独自の歌の世界とは。もう、このアルバムでも一曲目から開陳されます、しっとりと落ち着いた、哀感たっぷりのフォーク調演歌の世界。母なるメナム川の流れのようにゆったりと刻まれるリズムに乗り、汎アジア的とでも呼びたい優雅な哀感をたたえる美しいメロディを、しっとりと歌い上げて行きます。

 そのサウンドも、そりゃ実力派の美人歌手というんでレコード会社も張り切ったのでありましょう、非常に洗練された都会的な洗練を感じさせるものとなっております。
 その流麗なサウンドにのって、なにしろものが”演歌”のルークトゥンでありますからね、ユラユラと声を裏返らせつつコブシをまわして流れて行くアーン嬢の可憐な歌声は、ほのかに田園の記憶と言いますか民謡調の響きをたたえつつ、高層ビル立ち並ぶ喧騒の街バンコックの夜に紛れ込み、消えて行くのであります。



バラ戦争経由、マイケル・ジャクソン演歌

2011-08-23 01:55:09 | アジア


 ”1st”by Chamiin

 いやあ、こうやってジャケ写真を提示してみると、これを当初の予定通り「これは新作のトロット演歌、なかなかの傑作」と紹介できたら良かったんだがなあ、という思いが、改めてしてきてしまいますねえ。これは韓国の新人歌手、”チャ・ミイン”嬢のデビューアルバムなんですが。
 いや実際、始まりは良い感じだったの、このアルバム。
 冒頭のタイトルナンバー、「この駅に降ります」は、古い歌謡曲っぽいメロディにハードロックがかったアレンジを施し、ミイン嬢がやや粘着質なボーカルを聴かせる、私が昨年のNo1アルバムに選んだMoon Bora嬢のデビュー盤など想起させる都会派不健康トロット演歌の出来上がりで、大いに期待させられたんだが。

 そして2曲目、「バラの戦争」が、まさに傑作だった。ファンク仕掛けのサウンドがバシバシ打ち込まれるなかで、ボコーダーで変調されたミイン嬢のボーカルがユラユラと下世話な幻想美とでも言うしかないコブシ回しのトロット演歌で不思議な世界を現出し、そこにゲスト参加の男性ラッパーのラップが絡む。まったくスリリングな進行で、私はひそかに「やった。これ、今年のNo1かも知れない。まいったなあ。2年続けてトロット演歌が一位かよ」なんてニヤニヤしてしまったんですが。
 3曲目、次は何が来るかとの期待したのだが、なんか普通のソウルっぽいバラード物が始まってしまう。あれ、どうしたことだ?

 以下、普通にロックとかR&Bとかが好きな女の子の、特にひらめきも感じないポップ・ソングが次々に披露されるばかりで、ついにそのまま終わってしまうのですな、このアルバム。それじゃ、冒頭のトロット2曲はなんだったんだよ?
 どういうことなのか、いまだに分かりません。もともとポップスの歌い手志望だった女の子が2曲だけ、持ち込まれた企画ものかなんかのトロットを歌っただけなのか?
 実に中途半端な気持ちであります。せめて、傑作と思う「バラの戦争」の試聴でもここに貼り、「ねっ、面白い曲でしょう」と皆さんにご披露できたら、まだ救われるんだが、これがYou-tubeにあがっていないんでどうにもならない。ああ、もどかしいなあ。なにやってるんだよ、ミイン。

 まあ、この辺が他国の超ドメスティック音楽など勝手に愛好する身の背負わねばならぬ悲哀というものでしょうか。
 で、しょうがないから下に、ミイン嬢とは関係のないトロットの画像を貼ってシメとさせていただきます。これが、マイケル・ジャクソンがトロット演歌を歌う、という妙な細工もので。こういうことしていいの?よく分かりませんが。まあ、消されてしまう前に、お楽しみください。



広東の月の下で

2011-08-21 00:38:05 | アジア

 ”Lily Sings Teresa”by Lily Chan

 香港の中堅女性歌手、リリィ・チャンによる、テレサ・テンのカバー集。ライブ・レコーディングである。
 内ジャケの写真を見ると、欧米白人を含む少人数のジャズ・コンボ・スタイルのバンドに囲まれて歌っている。このバンドが完全にジャズ・マナーの演奏をし切っていて、間奏のアドリブ合戦など聴いていると、とても歌謡曲の伴奏とは思えない。このバンドの志向がリリィの歌の情感の表出をあくまでクールにまとめてくれていて、なかなか瀟洒なアルバムとなった。

 聞こえる拍手の音の感じなどから、本当に小さなジャズクラブなどで歌っているようなのだが、この、”ある夜、街の小さなジャズクラブで”という何気なさ、気のおけなさがとても良い。
 これ以前にもテレサの曲を吹き込んだりしてきているリリィ・チャンだが、ここではそれほどテレサを意識した歌い方はしていない感じだ。むしろ、バックのバンドのジャズィな雰囲気に溶け込むように、濃密にたゆとう香港の夜の空気の中へ溶け込もうとしている気配がある。

 テレサがあちらの世界の人となって幾歳月、彼女への想い、彼女の記憶、などなどはすでに街の空気に溶け込み、こんな具合に夜の風となって人々の日々を物言わず包み込んでいるのだろうか。終わり近く、ピアノの伴奏だけで歌われる”昴”などは、テレサの魂を抱きしめるように歌う子守歌って感じで、胸がいっぱいになってしまったよね。

 テレサの歌に似合いの春の夜なんかに、広東の月の下、小さなジャズクラブでこんな風に時を過ごし、少しの酒に酔っていられたら。世の中の何が変わるわけでもあるまいが、ああ春宵値千金。




明洞ロック、最初の女王

2011-08-12 05:42:47 | アジア

 ”BEST20”by Kim Choo Ja

 なんか韓国には、「韓国のジャニス・ジョプリン」が何人もいそうな気配なんだけれど、その中の最右翼というか歌謡曲臭の一番高いのがこのキム・チュジャ、とか分類してみる。まあ、見当違いな見立てなんだろうけど。

 この人の歌には、我が日本でもマニアな歌謡曲ファンがときおり研究編集盤を世に問うたりする一連の”昭和やさぐれ歌謡”に通ずる空気がある。1960年代の終わりから70年代にかけてのじっとりと湿った闇を見据える、革ジャン羽織った大都会の裏通りの感傷がある。
 ややサイケがかったエレキベースの呟きがのたうち、コンボ・オルガンがジャズィーなフレーズを夜の中に撒き散らす。そいつをお供に歌いだすタフなしわがれ声は内藤やす子か和田アキ子か。いや、キム・チュジャだ。

 そもそもは韓国の近代ロックの父、シン・ジュンヒョンの息のかかった人で、このアルバム収録曲の中でも何曲もにおいて彼のサイケでファンキーなギターのプレイが聴け、好き者は血を騒がせる。
 また、「最高のダンシング・スター」とも賞賛されたのが彼女で、それまで律儀に直立不動でかしこまって歌っていた儒教国の流行歌手たちを尻目に、まさに尻目に、激しく腰を振り、扇情的なステージを演じ、韓国の聴衆に大いに衝撃を与えたのが、このキム・チュジャであったのだ。

 70年代半ば、政府によって行われた歌謡曲規制やマリファナ渦などで急速に終息に向かわされてしまう韓国の初期ロックのつかの間の高揚期に咲いた大振りの・・・なんか食虫植物に喩えたくなるのが、キム・チュジャだ。




バンコック、R&B大通り

2011-08-07 04:50:31 | アジア

 ” カーオ・ノーク・ナー”by チャンタナー・ギティヤパン

 駅前のSホテル・ボーリングセンターといえば、当時の私の町の不良少年(死語)たちの中でも相当の上級者が出入りする場所と、中高校生頃の私には認識されていて、登下校の祭など、その施設がある道を通るのさえ遠慮される”聖域”であったのだった。
 今、オトナになった身でその場を見ると、単なる古いホテル所有のボーリング場であり、特に妖気も放ってはいない。多分、中学生当時の私が、街で名高い不良の誰某がその場に出入りするのを偶然見かけ、そこをそのような場と思い込んだのだろう。

 当時流行の生バンドの入っていたディスコを”締めて”いたFさんは、ちょっとでも暴力の雰囲気を漂わせた見慣れない男の顔を見かけるとソッコーでトイレに連れ込み、一瞬のうちに文字通りのボコボコにしたものである。
 そんな彼はハコで、あるいはトラで入っているバンドを、ともかく彼が踊りやすいリズムを刻んで演奏するように、鍛え上げた。もちろん彼に音楽の知識などなかった。ただ非常に感覚的な言葉だけで「あそこはこうしろ、ここはこう弾け」と短く命じた。
 ナウいサウンドであるかないかとか、それは今流行りではないからかっこ悪いとか、そのようなありがちな曲は恥ずかしいから演奏したくないとか、そんな事はまったく考慮に値いしなかった。ただ奏でられる音楽が、彼がかっこよく踊れる仕組みになっているかどうかが問題だった。

 そのような過去を、オトナになってから酒の席で再会した私に向かい、F氏は、こう回顧したものである。
 「なあ、××ちゃんよ。俺があの時、ビシビシ鍛えてやったから、あんたたちは立派なミュージシャンに成れた。違うか?」
 違うよ。そもそも俺はミュージシャンで食えた事なんかないし。と言い返そうとしたが、やめておいた。見た目、穏やかな中年男に変化している彼の内実が、おそらく昔と何も変わっていないであろうこと、確実だったからである。

 そんな彼ら不良連中がなぜか一様に好んだ音楽がリズム&ブルースだった。これは日本中で、あるいはもしかしたら世界中の若い奴らが踊る場所では、そのような定番となっているようだ。リズム&ブルースには、不良の住み着いた場所の臭気が芯まで染み付いている。
 その辺の空気をうまく商売上のイメージ作りに転嫁していたのが、たとえばバブルガム・ブラアースなんて連中だったが。
 というわけで、ここに取り出したのは、おそらく1960年代の終わりから70年代にかけて活躍したのではないかと思われるタイのリズム&ブルース歌手の復刻アルバムである。

 一聴、そのかっこよさにしびれたものだった。往年のスタックス風のグッとタメの効いたサウンドに乗せ、クールな黒っぽさを秘めて、往年のリズム&ブルースの定番を次々に歌いこなして行く女性歌手。歌詞などはタイ語であるのだが、何も不自然に聞こえず、何より楽曲を自分のものとして自在に料理しているのが、たまりません。後ろで聞こえるオルガンがかっこいいやあ。
 うわ、こんなことやっていた人がいたのか。70年前後、日本人はR&Bシーンにおいて、タイに大きな差をつけられていたぞ。などと、今頃になって焦っているのだ。  いたんだろうなあ、タイのディスコにも、怖い不良が。





カナディアン・リバー、インディアン・ブルース

2011-08-05 06:02:56 | アジア

 ”Aam Zameen Common Ground ”by Kiran Ahluwalia

 たとえば私の最愛のベトナム人歌手は、アメリカ在住のニュ・クインなのだけれど、この「外国在住の民俗派ミュージシャン」という存在は何なのだろう?さまざまな理由で、まあ多くは政治的理由からだったりしつつ、他国に身をおき、ルーツ音楽を奏で続ける、という立場におかれたミュージシャンがいる。
 その身分も、難民に近い形だったり、その国にある自国民のコミュニティに抱かれる立場だったり、いろいろなのだが。
 ともかく異国の制度の中で異文化に囲まれつつ、の活動だ。自らの文化の根からも支持してくれる民衆からも引き剥がされて、軋轢を感じる部分もあったり。その一方、優れたレコーディング設備やら資金やら販売ルートが使用可能であったり、あるいは場合によっては好きな音楽を演奏しても生命の危険にさらされなくともすんだり。あるいは周囲を囲む異民族相手に営業をせねばならず、自分の音楽を変質させざるを得なかったり。

 今回のアルバムの主人公は、カナダ在住のインド人女性歌手である。どのような立場におかれている人かは分からない。しっとりとしたガザルと、リズミカルなパンジャブ地方のフォークロア、というのが彼女の基本的な演奏内容であるとのこと。
 このアルバムでなんといっても目に付くのが、”砂漠のブルース”で名を売ったティナリウエンをバックに、あのヌスラットの作品を歌った、冒頭の一曲である。本格派のインド音楽を求める人たちにはどうか知らぬが、とりあえず軽いワールドミュージック野郎の私には相当にかっこよい音楽と感じられる。砂漠の重たいブルースと、ゆったりたゆとうインド音楽との絡み合い。

 その後に収められている演奏も、さほどインド色は濃くない、ギターやベース中心の伴奏で、ハルモニゥムなど入っていても扱いは地味である。むしろフォークロック的ニュアンスを強く感じる。
 さほど民族色が強調されないので、私はてっきり現地アメリカのミュージシャンがメインでプレイされているものかと思ったのだが、参加ミュージシャンの名を検めると、そうでもないようだ。
 歌唱面を見ても、インド音楽に特徴的に見られる細かいビブラートはさほど使われていない。音程の揺れは、我々になじみの演歌のコブシ程度のものである。
 ちなみに、ほとんどの曲が歌手自身の作曲による。

 事情を良く知らない当方としては、長いカナダ暮らしのうちにクールな演奏の個性を彼女が身につけた結果がこの音楽、と見てしまうのだが、そうでもないのだろうか。とりあえず私には、インド音楽のもつ臭みがあまり感じられず親しみやすい音楽、と受け取られるのだが。



韓国に関する、まとまらない話。

2011-08-03 03:10:46 | アジア
 ”1st Album”by Han Soo Yung

 え~っと、今、思い切りいらだたしい思いをさせてもらって、すっかり血圧を上げたところですが。何をやっていたかといえばほかでもない、ワールドミュージックのファン特有な因果とでも申しましょうか、外国のマイナー歌手の情報を求めて検索かけれどもかけれどもたいしたものは見つからず、すっかり頭にきていた次第で。

 探していたのは韓国のトロット演歌の新星、、ハン・スヨンちゃんの情報だったんです。この子のデビュー・アルバムを先日聴いたんですが、かなり良い感じの出来上がりで。この場で紹介するために、彼女に関する詳しいところを調べようとしたのです。
 が、これが出てこない。以前にもお話ししましたが、韓国の有名人はなぜか”同姓同名問題”に無頓着だ。このスヨンちゃんにも、同じような名前の有名女優がいるようで、さらに今をときめくガールグループ、”少女時代”にもスヨン名の人気者がいるようで。
 パソコンで検索すると、この三人の情報がゴタマゼで出てくるわけで。まあ、三人の仲では新人の演歌歌手、スヨンちゃんの立場が一番弱いですよ。で、似たような名前の二人のハザマで埋没してしまうことになる。いらだたしいなあ。

 それでも何とか拾い出した情報では彼女、テレビの人気番組、「男の資格ー青春合唱団」なる番組への出演で人気を得、デビューにこぎつけた、ということで。それにしてもこの妙な名前の番組は何だ?私はてっきり昔ドリフターズがやっていた合唱団みたいなパロディものかと思ったんですが、あちこちのネットの記事を読んで行くと、どうも相当に”本気”の代物のようだ。出場者を”50歳以上”に限ってみたり。むしろ、”寮歌祭”とか、あのノリに近いのか?
 その番組でウヨンちゃんはなにをやっていたんですかね?司会者のアシスタントか、懐かしの演歌を出演するオヤジ連中相手に歌ってあげる接待係か?

 そんな彼女のデビュー盤を仕切ったのは、ブラックジョークの色合い強い歌で知られる男性デュオ「NORAZO(ノラジョ)」のリーダー、チョビンなる男。今回、この専門の演歌のプロデューサーを使わなかったことが良い結果をもたらした。チョビン君、アルバムを変に新しげなものにするより、伝統に敬意を表する方向に動いたんですな。韓国のトロット演歌の伝統に沿った、実に堅実な音つくりが行われ、それがアルバムの成功につながった。
 そりゃ、チョビン君も現代の馬鹿な若者の一人だ、間奏で一瞬、ラップを聞かせもするけど、総じて瀟洒な、落ち着いた演歌アルバムに仕上がっていてこれはめでたい。

 また、そんな新伝承派(?)を演ずるに、アルバムの主役のソユンちゃんは適任者だったようで。彼女は、昨今の韓国の若手トロット歌手のようにハスキーな声でドスを効かせて迫力で迫る、という感じの歌声ではなくて、しっとりとした声質の、実に昔の歌謡曲っぽい哀感を持って迫る歌い手だった。一方、バラードものでは可憐な乙女の純情を見せるといった芸の幅も披露して、こいつには私もちょっぴり切なくなったものです。
 そんな彼女が、上のジャケ写真から分かりますでしょうか、”ビジュアル系演歌歌手”なんて呼ばれている存在である、というのも不思議な話で。もっともこのアルバム、サウンドは伝統的だけれども歌詞が相当遊んでいるようで、そこまで理解できたら、また別の感想がもてたのかなあ、などとも思ってしまうのであります。

 という次第で、ごめん、今回もハン・スヨンちゃんの歌声、You-tubeで見つけられませんでした。韓国サイドでも、誰も貼ってないんだなあ。彼女の動くところを見たかったんだが。まあ、いすれ貼られたら。
 で、しょうがないから、アルバムの仕掛け人のデュオ、ノラゾの二人の歌でも代わりに。かなりバカな代物であります。こんな連中もいるんですねえ、あちらには。





ヨンウォン、いつまでも、何度でも。

2011-07-26 04:21:14 | アジア

 ”第4集- 영원(ヨンウォン・永遠)”by FIN.K.L

 ダウンタウンが司会の歌番組に韓国のアイドルグループ、KARAが出ていて、それを見ているうちにこのアルバムを思い出して、久しぶりに聴きたくなったのだった。

 ピンクル(なぜ、”FIN.K.L”というスペルでこの発音になるのか、韓国人にしか分からないのではないか?)とは、90年代の終わりにデビューして圧倒的な人気を博した韓国の4人組アイドルグループである。
 いまや韓国のエロい女の代名詞と化しているイ・ヒョリや、グループに”歌唱力向上”だけを目的として放り込まれた実力派オク・チュヒョン、などの人材を輩出している(「お前のルックスには期待しない。歌だけ歌っていればいいのだ」という扱いを受けたオク・チュヒョンがグループ解散後、20キロだったかの大ダイエットなど成功させ、”いい女の歌い手”に生まれ変わって”反撃”を成すあたりの人間ドラマも面白いのだが、それはまたいずれ)

 そして彼女らは、KARAにとっては同じ事務所の先輩に当たる。KARAたちはピンクルの”スターへの道”を踏襲して売り出されているとの事。
 そのシステムとしては、まず”元気な女の子”として注目を集め、それから”可憐な子達”の面を見せて、”気になる存在”と成し、最後に大人の女性として完成された美でトリコにする、とかいうものらしい。KAREAの子達は今、第一段階から第二段階に移行中ってところなんだろうか。
 そしてこの盤はピンクルが最終段階にあった時期にリリースされた、グループの事実上のラストアルバムとなったもの。・・・などと言いつつ、今、調べてみたらもう、ピンクルのアルバムなんてほとんど廃盤なんだね。これは寂しいなあ。とはいえ、このラストアルバムが出たのだって、もう10年近く前の出来事で、そりゃ大衆音楽の現場で10年の歳月はかなりのもの、仕方がないか。

 このアルバム、ひそかに私の愛するところのものだったのだ。関係者も人気アイドルグループ・ピンクルの集大成とするべく努力したようで、作曲家たちも良い出来の曲を提供している。
 そしてピンクルのメンバーも周囲の応援に応えて、なかなか力の入った歌唱を聞かせているのだ。
 まずは冒頭、”グッバイ”からタイトルナンバー”永遠”と、2曲続く切々たるバラードが泣かせる。これがムード決定となって、なんだか漆黒の闇の中でピンクルのメンバーたちが手を取り合って歌っているような、ある種スピリチュアルな雰囲気さえ漂う、美しい出来上がりのアルバムとなっている。

 メンバー一人一人も、”韓国人風のソウルミュージック表現”に、彼女らなりの回答を見出したようで、充実した歌声である。その”凛”とした空気感は、今日のKARAたち、いわゆる”韓流”の連中が振りまく華やかさとは逆の、ある種ストイックな美意識を感じさせ、これがこの時代、逆に好ましく思える。
 こういうものが出来上がってしまう瞬間というのがある。これはやっぱり、「ここでグループは解散」て意識があったんだろうなあ。解散てのも基本、一回しかできないものだしなあ。





演歌の南回帰線

2011-07-25 04:54:14 | アジア

 ”BER TOE BER HONG MAI TONG MAR KHOR”by ORN ORRADEE

 せっかく買ったのに、なんとなく聴かずに放り出してあるCDってのも結構あるんだけど、これもそのうちの一枚だった。そいつを今、何の気なしに聴いてみたら、その音の広がりの優しさに、なんだか泣けそうになったりして。こりゃ相当に精神弱ってるかもなあ。

 タイの演歌といわれるルークトゥン・ミュージックの歌い手、ORN ORRADEE 嬢の2008年作、4枚目のアルバムだそうです。なにしろコテコテのド演歌ばかりを恥ずかしげもなく世に送り出す事でいろいろ毀誉褒貶のある地元のノッポーン・レーベル謹製。まあ、タイ音楽好きは、このキンキラキンのジャケを見るだけでノッポーンと分かるんでしょうな。
 そしてレーベルは今回もコテコテを堅持、南の国の人々が日々織り成す喜怒哀楽を極彩色に描いてみせる。

 我々日本人にも十分に懐かしいフレーズをのんびりと奏でるアコーディオンと、何百年も前からタイでは、この楽器はこのように弾かれてきたのだとうそぶくように、まったりとした響きを歌うシンセとが絡み合いながら流れて行く。
 大昔、巡礼者の持つ尺杖の打ち鳴らしにまで遡れそうな、不思議に仏教くさいリズムがウッチャチウッチャチと泥臭く繰り出される。それらは、南の国の街角の喧騒や水田の水の温みの匂いを濃厚に含んでいる。

 なにより彼女の、ヒラヒラとひるがえる声が良い。コブシを伴いつつ裏声になり地声に戻り、時にロングトーンは「ア~アッアッアッアッア~アアアッ~ア~♪」くらいの癖のあるビブラートを伴い、そして舞うその歌声はあくまでも透明で、照りつける南の灼熱の太陽の下、吹き抜ける涼風を思わせるのだ。

 こんなの、現地で聞いたらどんな気分かね、などと汗を拭きつつ、夏の形の雲沸き立つ海の彼方を想う夏の日。