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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

機械仕掛けのサランヘヨ

2011-07-20 00:43:05 | アジア

 ”Golden Album”by Han Hyew Jin

 こういうのは近未来系ハードテクノ演歌とでも呼んだらいいんでしょうか?
 ドスドスと情け容赦もなく打ち込まれる機械打ちのリズム、電子楽器が奏でる硬質の電子音が渦を巻き、もはやすっかり手垢のついた印象のある映画・ブレードランナー的な”暗い近未来”のダークなイメージ乱舞の中、アルバムの主人公、ハン・ヘジン嬢の良く鍛えられたハフなハスキー・ボイスがコブシ効かせて炸裂します。

 この辺、いかにも力技を好む韓国人の趣向など感じますね。このようなべヴィな手触りの音空間の真ん中には、むしろセクシー路線の歌手のアンニュイな囁き声とかロリコンぽいカマトト声の少女歌手など置いて、その対比のうちに世紀末チックな退廃美を狙ったりするでしょう、普通?ところが、その重金属サウンドと勝負できるようなパワフルな実力派を連れて来てしまう。この辺、もう業ですな、韓国の人の。

 韓国のトロット演歌歌手、ハン・ヘジン嬢が2007年にリリースしたベストアルバムです。前半が、今述べたハードテクノなサウンド爆発の近未来演歌で、アルバム中ごろからガットギターが切なく爪弾かれサックスがむせび泣く、昔ながらのコテコテなトロット演歌サウンドにいつの間にやら戻っていて、こちらの方に”茶色の思い出”や”ソウルの夜”といった彼女の過去のヒット曲が集中している。

 ということは。前半のテクノな音は当時の彼女が押していた新路線だったんだろうか。彼女のアルバムをまだ全部聴けていないんでよく分からないんだが、この路線の音がもっとあるならぜひ聴いてみたいと思うんであります。これはいいよ、刺激的で。カッコ良いです。昔ながらの演歌も落ち着いて聴けて、いいんだけどね。

 ところで。彼女と同じハン・ヘジンという名の人気女優がいるんですね。検索かけるとそちらばかり出て来て、邪魔でしょうがない。まあ、世間一般では女優のほうが圧倒的に有名なんだろうけど。
 それにしても、韓国のことを調べているとかなりの確立でぶち当たる、この同姓同名問題。放置されているようなんだけど、なんとも思ってないんだろうか、韓国の人々は?

 というわけで、You-tubeでも女優の方のヘジンばかりが出て来てうんざり状態の中、何とか探し当てたのが下の動画です。このアルバムの7曲目に収められている「あなたは私の男」を歌っています。フルバンドをバックのテレビの歌謡ショーのひとコマのようで、テクノ演歌サウンドは聴かれないけれど、ハン・ヘジン嬢の豪快な個性はお分かりいただけると思います。というか、韓国の演歌歌手ってこんな個性の人が多いんだけどね、そもそも。

 歌ばかりではない、エネルギッシュに恥ずかしい振り付け、バックのバイオリン弾きのお姉さんまでがエッチなミニの衣装でサービスしてしまう、この大衆音楽の真実をお楽しみください。




台湾の日時計

2011-07-14 03:52:51 | アジア

 ”你在看我嗎”by 張恵妹

 なんだか洒落たレターセットでも入っているのかと思うような瀟洒なグレーの小箱があり、そいつを開けると高級そうな紙に包まれたものが入っている。開くと、まず数葉のタレント生写真があり、歌詞が印刷された柔らかな一枚の紙があり、最後に水色の封筒が出てくる。それを開けるとやっとそこからCDが出てくる、という仕掛けであり、もう、香港や台湾盤のこの妙な懲りよう、なんとかならないの?と溜息つかずにはいられないのだ。
 最初のうちは楽しくてなんだか得したような気もしたのだが、慣れてしまうと、こりゃ資源の無駄という奴だよなあ、などと言いたくなってくる。
 どうやら中華圏名物、といっていいのか例の海賊版対策の意味とかあるようなのだけれど、私としては音楽が聴ければいいのであってね。

 というわけで、もはや台湾ポップス界の大スター、アーメイこと張恵妹ちゃんの今年出た新譜であります。(もっとも現地では、もうすでに次のヴァージョンが出ているらしいが)
 知人が「良い!」とえらく盛り上がっていた盤なので、期待して聴きました。
 彼女の履歴に関してはすでに書いているけれど、民族としては中国人ではなく、台湾の先住民の血筋に連なる人。そんな子がアイドル歌手としてデビューし台湾ばかりか中華圏全体においても人気を集めてしまう、というのがなんだか痛快に思え、デビュー当時は応援しました。が、ここしばらくはほかに気になる音もあり、彼女の盤には疎遠になっていた。だからどのくらい成長したのかと期待もあり、です。

 が、まず聴こえて来たのが、憂いを秘めた押さえ気味のミディアム・テンポのバラードだったんで、ちょっと肩透かしを食らった気分。
 なにしろジャケにエレキギターなんか抱えて写っていたこともある、ロック姉ちゃん的個性でも売っていたデビュー当時の彼女のシャウトが、まだ生々しい私なんで、こんなオトナな語り口で来られるのは意外だった。彼女にとってもしばらくぶりのアルバム、もっとドカーン!とくるのかと思った。
 それでも3曲目、意味の分かる漢字を追っていってなんとなく見当をつけたところでは、愛を失った生活にもそぞろ慣れた都会暮らしの女の子が衝動買いの癖が直らないでいる、みたいな歌詞ではないかと思う3曲目(いい加減な姿勢で、どうもすみません)あたりで私も、このアルバムにはまり始めたんであります。

 一個人の都合などに配慮することなどなく、容赦なく変転して行く社会。そして人間の孤独を置いてきぼりにスルスル流れ去ってしまう時間の過酷さ。そんなものに囲まれ拡散に耐えながら日々を送る人の胸にふと点る、まだまだ生きていた輝きへの憧れ、そんな想いの切なさの表現に、胸打たれた次第です。
 いや、私がご無沙汰しているうちに、こんなアルバムを出すまでになっていたんですな、アーメイちゃんもね。

 バラードものが5曲続いた後、アナログ盤で言えばA面が終わると、B面に当たる後半の5曲はアップテンポのファンク・ナンバーが続く不思議な編成。
 同じアメリカのブラック連中の影響下にあるダンスものとはいえ、これも彼女がデビュー当時に言われた”台湾のアムロナミエ”的なものではなく、彼女独特の陰影を持ったそれに仕上がっているあたりも良い。台北の下町の汗臭さや駆け抜けて行くオートバイの騒音などを気配としてきちんと漂わせているのだ。
 今日の台湾都市部に生きる名もない女の子のリアルな手触りの喜怒哀楽を受取った、みたいな気分。だめだねえ、こういうコを聴かずにいたんでは。と大いに反省させられた私でありました。どこかに売ってないかな、次の盤。






メコンデルタの月のように

2011-07-05 05:21:26 | アジア

 ”LẠ GIƯỜNG”by Như Quỳnh

 夜のニュースをボヤっと見ていたら、窓の外に激しくたたきつける雨の音。慌てて階上に走り、開け放しておいた窓を閉めてみたりする。
 いや、普段はこんなことでは立ち上がりもしないレイジーなワタシだが、何しろ一昨日は我が家の駐車場が突然の雨で水没という事件あり、さすがに神経質になっているのだった。この調子で降り続けるなら、寝る前に一回、見回りに行ってみるべきかも知れない。
 戸口に出、空を見上げてみると、いつの間にか夜の通りは水の匂いでいっぱいとなっている。いきなりやってきた猛暑に、脇に追いやられてしまった感があるけど、そういえばまだ梅雨だったんだな。

 こんな具合に空気に含まれる水分の気配の強い日に私は、かっては殷々たるシンセ音楽など聴いていたものだが、最近はニュ・クィンである。この東アジアの海洋性で湿気の強い空気の流れの夏には、彼女のしっとりとしたベトナム歌謡に乗り、地上60センチくらいに魂を浮かばせて過ごしたい。家の裏の竹の囲いを吹きぬけてきた風は、夜になっても下がらない気温に汗ばんだ体をやさしく吹き抜けて行くだろう。
 ニュ・クィンは1970年、ベトナム生まれの歌手だが、今はアメリカ合衆国に住んでいる。世界中に存在するベトナム人社会に向かって、伝統色の濃いベトナム大衆歌謡のCDを発表し続けている。

 そんな彼女の、これは本年作、最新作。もう、ジャケからして良い感じなのである。白を基調とした清楚な雰囲気は彼女の歌に良く似合う。
 多くの人が彼女の歌を表現するに当たって”たおやか”なんて言葉を使っている。無駄に感情を垂れ流すこともなく、しっとりと水分を湛えて、なだらかに上下するベトナム伝統のメロディを織り上げて行く彼女の歌声。それは、熱帯の一日における木陰の清水の流れのような慰めを、聴く者に与える。
 今回のアルバムは民俗楽器あり電子楽器あり、彼女の特質を生かした好アレンジで、ニュ・クィンの歌世界の美しさを効果的に演出して見事だ。そしてニュ・クィンも、まさに水を得た魚のようにベトナム伝統美の湧水の中を自在に泳ぎまわっている。良いアルバムとなった。

 それにしても、と聴くたびに思うのだが、ブラジル音楽におけるサウダージのような感覚って、彼女の歌には自覚的なものとして存在するのだろうか?後にしてきた故郷への想い、というものは。若くして故国を離れ、そして非常にベトナム的な音楽を歌い続けているニュ・クィンなのだが。

(このアルバムの曲は、まだYou=tubeにはあがっていません。で、他のアルバムの中から、とりあえず彼女の歌がどんなものかだけでもわかって頂こうと、下の曲を)



イ・スヨンと秋を想う

2011-07-03 05:24:11 | アジア

 ”THE COLORS OF MY LIFE”by LeeSooYoung

 金曜日の突然の豪雨で被害を受けられた方もおられるかと思うが、私もその一人。自宅の駐車場が、気がつけば豪雨の中で水没していた。
 もともと若干の落ち葉や泥が溜まりはしていた駐車場の排水口が、大量の降水量に対処出来なくなり、排水不能となっていたのだ。あっと、青空駐車場じゃなく、一応は建物の一階にあるんだよ。ただ、その入り口がやや地面から下がっていて、半地下にある駐車場という感じ。その斜めの入り口から、道路に溜まった雨水が一気に流れ込んだのだ。

 いやあ、水に浸かっている車、なんて風景はニュース番組等でこのところ見慣れたものとなっていたのだが、その車が自分のもの、という経験をしようとは。何より情けないのは、同じ場所に駐車していた、というかさせてやっていた妹のダンナ(つまり義弟)の車とその娘(つまり私のメイ)の車はさっさとほかの駐車場所に逃げ出していたこと。おい、現場の状況をなんとかしようとはおもわなかったのか。
 なんて言っていても仕方がないので、今にも水位がタイヤから車体に至らんとしている我が車を「大丈夫か、おい?」と横目で見ながら、私は豪雨の中ずぶぬれで、排水口に詰まったゴミのタグイを掘り出し、なんとか復旧作業を行なったのであった。雨が上がった夕方頃には、どうにか水も掃けて行ったのだが。

 それから、遅くなってしまったが月変わりの毎度の仕事だ。昨日集めた家賃を取りまとめ、銀行に入金に行き、ついでに業者に頼んだ仕事の工賃など振り込む。で、家に帰りついて、ああ今日は参った参ったとクーラーの直下で寝転んでテレビを見ていたらいつの間にか寝入っていて、目が覚めたら風邪を引いていたという次第だ。えーいくそ。
 さらには、これも先日来、歯茎の辺りに傷が出来ていて、これが膿んでしまって痛い。医師に見せたが何の病気かわからないようで、とりあえず抗生物質らしきものを呑み、歯の消毒を重ねる日々なのである、これで治ればいいのだが。それにしても何の病気か分からないってのも困るね。弱り目に祟り目って奴か。えーいくそったれめ。

 という訳で、イ・スヨン。1979年ソウルの出身で、韓国のバラードの女王といわれる。まあ、彼女と上の文章とどういう関係があるやら分からないが、ここで聴きたくなってしまったんだからしょうがない。

 彼女の、小学校2年生の時に父親を、高校3年生の時に母親を交通事故で失い、妹と弟の生活を支えつつ、自身の歌手への夢をかなえた、なんて生い立ちは日本人好みか?その、今にも折れそうな可憐な歌声と、彼女が好んで歌う感傷的な曲調とが、その不幸色の少女時代の出来事といい具合に重なり合い、薄幸の美女みたいなイメージが出来上がっている。
 が、むしろ私は、2004年に日本進出を考え、「成功するまで韓国に帰らない」なんて宣言しながら、その日本デビュー曲がオリコン100位にも入れず失敗に終わると、とっとと韓国に帰ってしまった、なんてエピソードのほうが好みだが。

 実際彼女は結構な日本びいきみたいで、日本の曲を何曲もカバーしたり、CDやプロモーションビデオを日本で製作することも多く、またその内容、時に日本に対する憧れが正面に出ていて、そりゃ日本の歌曲を歌うことさえ禁じられていた時代はもう過去のものとはいえ、まだまだ反日感情の強い韓国民も多かろうに大丈夫なのかと気になったものだ。どうやら、「そんな事、どうというものでもない」というのが現実のようだが。

 今、ここで鳴っているアルバム、”THE COLORS OF MY LIFE”は2004年09月に発表された、第6集である。この時点で、もうすでに彼女はナントカ大賞、ナントカ歌謡賞のタグいはあらかた受賞していて、いわば功成り名を遂げた状態にある。それが証拠にこの盤だって特殊ケースに入ったライブDVDとの2枚組みという凝った仕様になっている。なんたって「不況知らずの女性歌手」と言われて、2000年代に入って不調だった韓国歌謡曲界を支えた人でもある。
 実はこのアルバムが、私が聴いたはじめてのイ・スヨンの作品だった。カラーズ・オブ、なんてタイトルにあるから、カラフルな内容かと想像したのだが、聴こえてきたのは、やや灰色がかった白い霧みたいなものが経ちこめてただ続く、シンと静まり返った世界だった。

 静かにうつむき、過去を追憶するマイナー・キイのバラードがあり、時に差し挟まれるボサノバものやファンクものも、メジャーセブンス・コードのモヤモヤとした響きのうちに、霧に巻かれた内省の世界に沈んでいってしまう。
 今年も、もうやってきてしまったクソ暑さの中で、イ・スヨンの歌を聴きながら考える。なんとかこの、夏などという下品な季節の存在しない世界に逃げ出す方法はないものか。永遠に続く晩秋の中で、イ・スヨンの歌声の響く霧の中で踏み迷っていたいものだ、などと。




時の向こうで台湾は

2011-06-26 04:48:54 | アジア

 ”台湾歌古早曲”by 黄乙玲

 台湾演歌のベテラン、黄乙玲がしっとりと台湾の古謡を歌った、切ない一枚。これは良いです惚れました。

 収められている曲、一つ一つの来歴など、もちろん知らない。歌詞カードもないので、漢字の意味を辿って歌詞内容を推察することも出来ない。が、どの曲も、もう失われてしまった古き南の夢の小島、台湾の持っていた心優しいバイブレーションを懐かしく伝えてくる佳曲ばかりだ。
 昔の江南名画に描かれたみたいな花鳥風月を宿す風景に揺籃されつつ、名もない巷の男女の切ない恋の一場面一場面が優雅に描かれて行く。

 古謡とはいっても、それは堅苦しい博物館行きのものではなく、裏町の気のおけない飲み屋で傾ける酒盃に似合いの、生きた庶民の調べである。一杯機嫌で飲み交わし歌い交わす、春刻は値千金なり、か。
 毎度言っている通り、いもしなかった場所に帰る事など出来ないのだが、そりゃ帰りたくなりますよ、昔の台湾に。歴史の過酷な波が、あの小島の岸に打ち付けられる、その前に時代に。日本人がこんなこと言っちゃいかんのかも知れないが。




北風を越え、海峡を越えて

2011-06-19 03:45:18 | アジア

 ”ヒット全曲集”by 朴仁姫

 パク・インヒという韓国の歌手のCDを持っている。毎度申し訳ないが、この人の資料的なもの、人となりなど、何も分かっていない。何も資料が見つからないんだもの。もう過去の人なんだろうか。それとも韓国語が分かれば、そうでもなかったんだろうか。
 何でそんな人の盤を手に入れたかといえば、某所で偶然聴いたこの人のヒット曲、”放浪者”が、なんか気になって仕方がなくなってしまったから。曲として好きになった、というんでもない。むしろ、その歌の放つ孤独、貧しさ、そんなものの気配が心に残って仕方がなくなってしまったからだ。
 その貧しさ寂しさは私などの記憶の片隅に生きている、”戦後”の瓦礫の中からようやく抜け出した頃の我が日本の姿を想起させずにはいないものだったのだ。

 ジャケの写真を見ると、なんか寒々しい風景の中を今どきあんまり見ないファッションでギターケースを提げたパク嬢がうつむきがちにこちらに歩いてくる。全体に垢抜けない様子で、やはり一時代も二時代も前の歌手なのかと思わされるのだが。
 それは彼女の歌にしても同じで、なにやらうら寂しい、まだ韓国が貧しかった時代を思わせたりする。といっても歌っているのは演歌とかではない。昔の音楽のジャンル分けで”ホームソング”ってのがあったが、そんな感じ。韓国において終戦後に”うたごえ喫茶”の流行などあったか知らない、あったとすればその場で愛唱されたのではないか。

 伝統的な歌謡曲の尻尾をぶら下げつつも来るべき新しい時代の歌たらんとする、そんな意思のうかがえる歌を、彼女は歌っているのだ。彼女の歌うメロディは”北上夜曲”なんて歌に似ていたり、かってのトリロー工房が作りそうな曲だったりする。どれも、はじめて聴くのに不思議に懐かしい。
 パク嬢、ひとつ前の時代、日本で言えばマイク真木とか森山良子なんかがナウかった時代の、彼女は韓国における”フォーク歌手”だったのではないか。実際、パク嬢の歌を聴いていると、本田留津子なんて、60年代末・日本のフォーク歌手など思い出させる持ち味が漂ったりするのである。
 まあ、韓国と日本の歩いた年代のあちこちにズレは、それはいくつも出て来もするだろう。たとえば、私はパク嬢に60年代的な空気を感じているが、実際には彼女は70年代の人だろう。

 パク嬢の写真を見ると、その多くがギターケースを抱えて、何となく”旅”の風情を漂わせてポーズをとっているものが多い。そりゃ青春だもの。旅とかしますわ。と言う感じだね。「自分探し」なんてセリフは、まだ韓国でも日本でもまだ見つかっていなかったけどね。
 このアルバムを買った時の自分の「韓国のアナクロな歌を聴いて笑ってやろう」なんて期待が、ちょっと恥かしくなってきた。遠くない昔、苦悩の中から立ち上がり、おぼつかない足取りで歩き始めた姿は、日本も韓国も相似形だったろう。我々は似たような様子で石ころだらけの道を辿り、今日まで歩いて来たのだ。パク嬢のヒット曲、”放浪者”が身に染みるのも、何の不思議はないのだった。
 などと思っていると、CDからは”スカボロー・フェア”が聴こえて来て驚かされたりする。韓国語のこの曲を聴く日が来るとは思わなかった。

 いや、パク嬢の歌詞を訳したものをいくつかネット上に見つけたのだけれど、海辺の貧しい漁村で育った子供時代の思い出を歌った作品に強い共感を得たり、それから砂浜の焚き火を見つめながら歌う、”人生は煙と一緒に去って行く。灰だけを残して”なんて曲はサンディ・デニーの”時の流れを誰が知る”など想起させたりするのだった。というと言い過ぎだが。






「見えない私」に捧ぐ哀歌

2011-06-14 01:50:53 | アジア

 ”ROAD MOVIE ”by Zi-A

 「顔のない歌手」なんて妙な話題で注目されちゃった歌手、韓国のジーア(Zi-A)嬢のお話でございます。
 1986年生まれの彼女は2003年、新人スカウトのためのコンテストで優勝し、歌手となります。その音楽性と歌唱力は早くから評価され、あちこちのイベントやレコーディングにゲスト参加の後、2007年に発表したデビューシングル、”Voice of Heaven”は、文字通り天国へ導いてくれるような美しさ、と評価も高かったんですが。
 そんな彼女は、”鋭敏過ぎる自意識”という、困ったものを内に飼っている人だったんですね。

 まあ、そのようなものは適度に存在していればむしろ、表現者には有利に働く属性とも考えられるんですが、「人前に私の顔を晒したくない、人に見られたくない」ってんじゃ、なかなか厳しいものがあります。実に彼女、そういう人だったんですね。まあ、よくそんなんで芸能界に入ろうなんて気を起こしたものだという気もしますが。
 ともあれ、そんな事情から、彼女はその素顔を明かさない歌手としてデビューすることとなったのであります。
 彼女のCDはこうして発売され、そして次々にヒットしちゃったんだから面白いもので。「顔が秘密の歌手」ってのも、むしろ人々の好奇心をくすぐる結果となっていたようですね。

 もちろん、売れたからってライブなんか出来やしないんですよ、人前に顔を出したくないんですから。まあ、それでも売れたから良かったものの。
 そうこうするうち。心無い噂、なんてのも立つことになります。まあ、話はシンプル。「覆面歌手のZi-Aって、なんかすげえブスらしいぜ」「だから顔を出さないのかあ。やっぱりなあ」なんて話がネットで花盛りとなる。それに心を痛めたZi-A嬢はついに失踪騒ぎまで起こすこととなります。あちらのネットは、なんか凄いらしいですねえ。
 さて、その後、彼女はどのような運命を辿ったか?まあ、それに関してはいずれ気が向きましたら、ということで。

 とりあえず今回は、彼女が人々に顔を見せない歌手であった時代に出したヒット曲を集めた、このデビュー・アルバムをご紹介。
 これは私も大好きなアルバムですね。Zi-A嬢の良く伸びる高音を生かした美しいバラードばかりが満載の一枚。聴いていると、彼女のガラス細工のように壊れ易い感性が、その底で震えているのが見えてくるようです。
 ピアノのアルペジオや揺れ動くストリングの流れの中で、スッと糸を引いて流れて行く透明な哀しみの感情。切々と想いを伝える歌唱は、なんだか痛々しく聴こえもします。

 なんたって、下に貼った彼女の最大のヒット曲のタイトルが「愛してる、ごめんね」ですからねえ。「私なんかが愛しちゃってごめんね」いいから。そういうことまで気を使わなくて、いいから。





アメイ行き最終列車

2011-06-11 02:27:15 | アジア


 ”BAD BOY”by 張恵妹(A-MEI)

 俺ってバカじゃね?「今頃気がついたのか」とお笑いの貴兄に。いや、すんませんなあ、毎度毎度ご迷惑かけて。

 いやなにがバカってねえ、この9日に私、この場でアフリカン・ポップス古層発掘盤”アナログ・アフリカ”の中の一枚、”Afro-Beat Airways”について書いたでしょ? あれ、CD置き場の片隅でほこりを被っていた盤を見つけて「お、これは忘れないうちに論じておかねばならん」とかいいつつ慌てて文章をアップしたんだけど、後で調べてみたらちょうど一ヶ月前、盤を手に入れた直後にすでに記事にしていた盤だったのでした。今頃気がつきました。
 ボケかましちゃったなあ。同じアルバム、2度紹介しちゃったよ。検索でこのページに来た人、なんと思うだろう?かっこ悪いなあ。恥かしいからどっちか消そうかと思ったんだけど、まあどうせ書いたんだからそのまま残しておきます。バカにするがいいさ、ふんっ。

 とか、これがはじめてのつもりで書いてるけど、以前にもこんなこと、やっていないと言う保証はない。もうずいぶんいろんな盤を話題にして来た。記憶巣はすっかり錆び付き、自分でも何をやってしまうやら、何の自信もない。まあともあれ、気をつけていかねばなあ。
 という訳で今回、台湾の人気歌手の阿妹(A-Mei)こと張恵妹が1997年に出した、彼女にとっては初期作品、2ndアルバムの”Bad Boy”であります。大丈夫、昔に手に入れたアルバムだからと言って、過去に取り上げた作品を再度論じてしまう心配はない。だってこのCDには、まだシールで封がしてあって買いはしたものの一回も聴いていないこと、丸分かりなんでね。いや、これだって、せっかく買ったCDを10年以上も忘れていたのかよ、というバカの証明になりかねないが。

 A-MEIは1972年、台湾の生まれ。のど自慢番組で25人抜きをやったのち、台北のライブハウスで歌っていたところをスカウトされ、1996年12月、デビュー。 1stアルバムは連続9週売り上げチャート第一位と大成功で、ついには台湾だけで売り上げが100万枚を記録し、一気に人気歌手となる。
 なお、彼女は台湾先住民のプーマ族(卑南族)の血を受け継いでいる。彼女の登場によって台湾では先住民の歌い手に注目が集まり、ちょっとしたブームになった、なんて余談もあるそうな。
 このアルバムはデビュー・アルバムの成功を受けて翌年、リリースされたもので、これもまた連続売り上げNo1.を記録し、台湾のみならず中国本土や香港、シンガポールにまで、彼女の人気は広がっていった。

 で、何で私がせっかく買ったこのアルバムを聴かずに放り出していたのかといえば、彼女の”台湾先住民の血を受け継ぐ歌手”って所に過度の思い入れをしてしまったから、ということになる。
 先住民独自のポップスというのは台湾には確かに存在していて、独自のジャンルを形成しているのだけれど、A=MEIもそんな音楽をやっているに違いない、こリャ面白そうだぞと。
 ところがそんな私の期待を裏切って、どうやら音楽のジャンル的には普通のポップスをA-MEIはやっているようだと知って、ガックリしちゃったのだ。なんだ、そうと知ってりゃ、この間見かけた2ndアルバム、買わなかったのになあ。ああ、損した。と。
 さて、10数年の恩讐を越えて(?)こちらの勝手な期待も捨てて、あらためて虚心坦懐に聴いてみるA-MEIの歌声は。
 うん、これがなかなか良いのだった。あやあ、これなら素直に彼女の音楽を受け入れておけばよかったなあ。

 一部では”台湾のアムロ”と渾名される彼女、見かけはアイドルっぽいけれど、その地声は結構太く力強くドスが聴いていて、ある種、オトコマエな魅力さえ感ずるキップのよさがある。しゃがれ声を張り上げてシャウトなんかすると、相当にロックなヤサグレ感が漂い、これも良い。
 ともかく、熱くハードなナンバーを歌い上げても、その底には結構クールでハードボイルドな闇みたいなものが潜んでいる歌声で、4曲目のようなジャジーなナンバーを歌うと、深夜の都会の裏通りに野生のケモノが迷い込み、月に浮かれてジャンプしている、そんな幻想的な風景などまで浮かんでくる。
 このあたり、彼女の個性なのか部族の特性が表に出てきているのか、まだ良く分からないんだけれど、ちょっと聴いていて血が騒ぐ感じだ。

 うう、こういうことなら。実はA-MEIの新作アルバムが相当に傑作であるらしい、そんな噂が伝わってきているのであって、これは”買い”だろうね、そのアルバムも。と、何をいまさら、なA-MEIファンは舌なめずりするのであった。うん、彼女は良いよ。今頃気がつくのもドンくさくてカッコ悪いけどな。



ワン・レイニーナイト・イン・サイゴン

2011-06-03 04:30:58 | アジア

 ”Ao Hoa - The Best Of Nhu Quynh 2”

 しのつく雨がうっとうしく降りつのる夜などには、なぜかシンセ関係の音楽を聴く事が多かった。宅録の多重録音でシコシコお宅っぽく作り上げた無機的な音が描き出す虚構の銀河の囁きなどに耳を傾けて自分を閉ざしているのが、そんな雨の夜の無聊を慰めるにはふさわしく思えた。
 最近はこの、米国在住のベトナム民歌系ポップスの歌い手、ニュ・クインの歌など聴いて過ごす方が多くなった。たとえば今日のように。
 しっとりと濡れたような歌声で南アジア特有の湿度と哀感を多く含んだ歌謡をしとやかに歌い上げるニュ・クインの音楽が、湿っぽい夜をやり過ごすのに、大いに救いになると思えるのだった。

 彼女の音楽をこの場で取り上げるのは2度目、一度目はこのベスト盤のパート1について書いたのだった。今はアメリカに住み、世界中のベトナム人社会に向けてベトナム歌謡を歌い続ける彼女が放ったヒット曲を集めた、CD2枚組のシリーズのこちらは2組目。とはいうが、3や4が出る事があるのかどうかは知らない。ともかく。まだ若いのにこのようなボリュームのベスト盤がたて続けに発売されるくらい、彼女は人気者であるといい事なのだろう。
 今、ざっと聴いてみている最中なのだが、こちらは一枚目より若干地味と言うか落ち着いた感触の作品が多く感じるが、これは私の今の気分に左右された感想かも知れず、あまりあてにはならない。ともかく資料が見つからないので、各曲の発表年代等の最低限の記録もなしで聴いているのだ。

 一枚目を聴いた時にも感じたのだが、バックのバンドの音がクリヤーというか今日の欧米のポップスを聴きなれた耳にも違和感がなさ過ぎ、なんだか不思議な気がした。いわゆる第三世界(こんな言葉、今どき使わないか)のポピュラー音楽を演奏する現地のバンドが多く発している、西欧世界の最新流行の音との落差がまるで感じられないのだ。
 それで私は「そうか、アメリカ在住の彼女なら、アメリカ人に譜面を渡して演奏させているのだろうな」などといい加減な空想をしていたのだが。しかし、プロモーション・ビデオなど見る限り、バックの演奏もべトナム人によるもののようだ。普通にロックをやるようなバンド編成にベトナムの民俗楽器を加えた、ベトナム人によるメンバー編成。

 考えてみれば、ベトナム戦争終結前の南ベトナムはサイゴン市などは、当時のアメリカの世界戦略の最前線であり、世界最先端の音が届く快楽の巷であっても不思議はなかったし、そんな状況に生きたミュージシャンたちが今日、米国のベトナム人社会に流入していても、これまた不思議ではないはずだ。
 ニュ・クインの楚々たる歌の響きの底には、そんな歴史の傷跡が一筋の影を落としている。そう思うと、ますますニュ・クインの歌が魅惑的に感ぜられてきて、これはたまりません。それにしても良い女だよなあ、ニュ・クイン。





ソン・ダムビ、女王あり、乙女歌あり

2011-05-22 04:04:01 | アジア

 ”Type B” by Son dam bi

 雑誌みたいな手触りのミニ写真集付きの凝ったジャケであり、いかにも「満を持して真打登場!」みたいな気合いが伝わってくる、ソン・ダンビ嬢のデビュー・アルバム。 何の真打かと言えば、韓国のセクシー・ダンスクィーンの、である。そういえば、このアルバムに先行する予告編たる(?)ミニ・アルバムのタイトルも、そのものズバリ「クィーン」だったのだ。
 ネットなどを覗いてみると、ダンビ嬢を「最近韓国で流行している“セクシーダンス”とは違い本格的な“パワフルなダンス”で“韓国のビヨンセ”と称されている」なんて紹介文に出会うことがある。
 問題のジャケの写真も、あのやたら目を吊り上げて描く韓国化粧も濃厚にカリスマ・スタイリスト大動員、もうめいっぱい行ってしまっているファッションに身を固め、時代の先端に飛び出す者の輝きで眩いばかりである。さすが、所属事務所も決まらないうちからCM出演の依頼が続々と飛び込んだという逸話が納得できる逸材の証明と言えよう。

 実際、収められた楽曲も、どれも一癖あるものばかり。このデビュー・アルバムのコンセプトは副題にあるように「Back to 80's”」となっているようだが、スタッフはそれらしい楽曲を用意するに飽き足らず、レコーディングにいたって80年代当時の録音機材まで揃えてしまった、という入れ込みよう。
 まあ当方、60~70年代の仔であるのでその辺の成果のほどは良く分からぬが、よく出来たダンスポップスのアルバムと評価するにやぶさかでない。
 あえて過ぎ去った時代の魂を今日の風俗最前線に持ち込むというバイアスのかけ方は、アルバムの表現に独特の緊張感をもたらすことに成功しており、湿った激情とでも言うべき、独特の熱っぽさがアルバムを支配している。なかなか快感である。

 でも、ちょっと違和感が伴うのは肝心の主役のダンビ嬢の声質である。なんか、”ダンスクィーン”とスポットライトをあてるには、やや線が細くないか?いや、下手だといっているのではなく、なんだかエエトコのお嬢さんがとんでもないところに引っ張り出されて戸惑いつつ、必至で与えられた役割を演じている、みたいに聴こえる歌唱とも聴こえるのである。
 強力なバックサウンドにごまかされずに注意深く耳を傾ければ、ダンス曲の狭間に置かれた可憐なバラード、「ゆっくり忘れる」などの慎ましやかな昔ながらの乙女世界が彼女の本領と分かってくる。
 この辺が、ちょっと面白いのですね。

 根っからのビッチと想像できる同業のダンスクィーン、イ・ヒョリなんかとは決定的に違う佇まいである。そういえばダムビ嬢、もともとは女優志願の人であった、とのこと。事務所の事情など、いろいろあるのかも知れないですなあ。
 また、ダンスで売り出すと決まったはいいが実は彼女、あまりダンスのセンスはなく、しょうがないからデビューを前にしてアメリカに三年もダンス修行に出された、なんて話も聞いた。
 ・・・三年て、なあ?さすが男は万人が徴兵されて鍛えられる国である。半端なことはしない。その辺、アマチュア同然でデビューさせ、プロらしくなって行くのを見て楽しむ、日本の緩い芸能界とは決定的に違う。
 なんて昔ながらの裏構造を勘ぐりながら聴く、大衆音楽ビッグビジネス部門。いやあ、罪深くも甘美なものでございます。