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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

時間鉄道の旅

2012-05-16 02:24:00 | アジア


 ”remake Romantic 1”by Soe Young Eun

 このジャケ写員、電車の乗降口なのだろうか。駅の向こうに広がる情景を眺める彼女は、何を想っているのか。この電車で、どこかへ行くところなのか、それとも彼女は、元いた場所に帰るところなのか。
 彼女に関しては、確か2年ほど前、出たばかりのアルバム、”Rainbow”をここで取り上げたことがある。You-tubeのコメント欄に「美人じゃないけど歌はうまいね」とか書かれちゃった彼女が、人の良さそうな笑顔で粉雪舞う空を見上げ、クリスマス近い街角の叙景を歌っている、そのアルバムが大好きだったから。(ちなみに、私は彼女を可愛いと思っているのだが)

 という訳で、韓国の実力派ポップス歌手、ソ・ヨンウンである。元々はジャズ歌手であり、その後、テレビ番組のBGM用の歌手を経てポップスの世界に足を踏み入れた。彼女の韓国ポップス界における立場を私は、日本で言えば岩崎宏美みたいな感じかと推察しているのだが。
 これは、そんな彼女が2004年に世に問うた懐メロ集、”remake Romantic”の第一集である。韓国で過去にヒットした歌の中からセレクトしたものをカバーした、とのことだが、それらの歌のどのあたりに韓国の人々が特別の感慨を持っているのか、もちろん当方もよくわからず。ただ、彼女の達者な歌声の向こうに浮かぶ感傷の蜃気楼を眺めるのみ。

 一体自分はどの時代あたりの韓国の街をさまよっているのだろう。どの曲も過度に思い入れず、軽い仕上がりが心地好い。特にボサノバ・アレンジのものが出来が良く、このあたりにソ・ヨンウンの資質があるようだ。
 などと気持ちよくなっていると、終わり近く、急に聴き知った曲が飛び出してきて、しかもその曲が曲なのでドギマギする。それは「離別」というタイトルで我が国でも知られている曲であり、このタイトルに「イビョル」とカナが振られたりする。「いつかは思い出すでしょ、優しい人だもの~♪」とかいう日本語詞がつき、サラリーマンのオヤジたちが演歌の扱いでカラオケで歌っているのをご記憶の向きも多いだろう。
 そういや、あの頃は韓国の幻想と言えばオヤジたちの専売特許ではなかったか。韓流などは思いもよらず。

 ソ・ヨンウンのヴァージョンは演歌よりは賛美歌に近い仕上がりとなっている。で、次の曲は本物のクリスマス・ソングで締めとなり。なんか彼女のアルバムって、どれもどこかにクリスマスの気配が秘められているって気がしないか。などと思ってしまうのは、ソ・ヨンウンのポヤッとしたキャラクターに引きずられているのか。
 ともあれ。季節外れのクリスマス幻想のうちにも、時はさらに過ぎて行く。



カンボジアのロックな日々

2012-05-11 05:59:47 | アジア

 ”cambodia rock spectacular!”

 1960年代の終わりから70年代初めにかけて密かに燃え上がり、そして儚く消えていったカンボジアのサイケデリック・ロック。もちろんそれはそのまま歴史の闇に消えてよいはずのものではなく、すでに素早い人々のアンテナはその存在を受信済みであり、その全貌は徐々に明らかにされてゆくのだろうが。
 そのための鍵の一つが、このアルバムだろうか。
 とにかくここに収められている当時のレコーディングの数々には、まさに口をあんぐり。あの国の、しかもあのような時代背景において、ここまでぶっ飛んだ”ロック”が演奏されていたとは。唖然とするばかりである。

 それまでのカンボジアにどのようなポピュラー・ミュージックが存在していたのかは知らない。が、ある日、ジミヘンやらクリームやらといった連中がかの国の大地に降臨し、一夜にして天地はひっくり返り、ファズ(ディストーションなんてナウい言葉は使いたくない。似合わない)の効いたギターのサイケなソロがカンボジアの夜を切り裂いていったのだ。
 同じ時代のアジアにおいて、などと言って我が国のGSやら韓国のシン・ジョンヒョンなどを持ち出すのも我ながら芸がないが、思いついたんで書いてしまう。 
 それら東北アジアのサイケデリック・ロック勢は、ゴールデン・カップスにしてもジョンヒョンにしても、生真面目に真正面から”サイケ道”に対峙していたのだが、こちら南のカンボジアの地では、山があるから登る、ロックがあるからロックする、といった、より身軽なノリが支配していた感がある。

 各楽器も歌手勢も、ともかく出す音に屈託がない。めいっぱい行く。容赦なくロックである。取り上げられる楽曲は、当時のカンボジアの人々が創造した”ロック的なるもの”であったり、アーシーなカンボジアの伝統音楽色濃いもののロック化であったり様々なのだが、どれも奔放な感性で歌い上げられており、聴いているうちにこちらの心まで広々としてくるようだ。特に、駆け回りっぱなしといった感じのギターやキーボードには、拍手を贈りたい。
 そんな彼らのほとんどがこのレコーディングの後に、悪名高きクメール・ルージュ政権により惨殺される運命にあるのだが、それは今のところ、その事実を一行記せばいいだろう。それよりも彼らが生ある日々に成し得たロックな時間に光が当てられる事を切に祈りたい。



スターと歌と、、あともう一つのもの

2012-05-03 04:01:32 | アジア

 ”Her Story ”by Star (Byul)

 韓国の、バラードが売りの女性歌手であります。キラキラとゴージャスに光る厚紙を使ったジャケには大きく、”STAR”とネオンサイン風に書いてある。これが芸名なんだからすごいよね。
 なんでもレコード会社が彼女に「空の星のごとくのビッグネームに育て!」との願いを込めて付けたステージ・ネームだそうだから、強力です。なんかデビューするにあたっては英才教育というか、ハードなレッスンがあったようですよ。期待の新人てことで。
 タイに”アーン・ザ・スター”なんて芸名の人がいるが、あの人も同じような事情なのかなあ。

 ジャケを開くと、健康的な人柄をしのばせる明るい笑顔で、彼女が、”スター”嬢が微笑んでおります。その清潔そうなキャラクターをある意味裏切るような彼女のグラマラスな姿態は、いやでも目についてしまいますが、いや、すまんこってす、男のサガです、許しておくんなさい。そういやあ、このCDを買うにあたってもレコード店主氏と、「この巨乳がどうのこうの」とか、そんな話しかしなかったなあ。

 もちろん、期待の新人として会社が命運をかけた彼女ん歌手としての資質になんの問題もある訳はなく、この4枚目にあたるアルバムも充実の内容となっております。
 溌剌としたダンス・ナンバーも心地よく、そして売り物のバラードものは、夢見るような美しいメロディの連発はするものの、その甘やかな世界に酔い過ぎないある種カラッとした”スター”嬢の歌唱が爽やかです。
 そしてまあ、その音楽世界に魅せられるにつけても、やっぱり気になってくるのは彼女の巨乳であります。なんでまた神様は、こんな清純な娘に、こんなにエロい体をお与えになったのか。そういやあ、60年代アメリカのロックバンド、ラビン・スプーンフルに、「そこまで君は素敵でなくともよかったんだ」なんてヒット曲があったなあ。

 スケベなこと言ってんじゃねえよって?はい、そりゃなんと言われても仕方がないと自分でも思いますがね、
 でもまあ、本国である韓国でも皆の考えることは同じのようでして、彼女に義乳疑惑が囁かれている、なんて記事を、韓流好きの人が読む雑誌で立ち読みしたことがあります。まあしかし、そんな噂までたてられちゃうんじゃ、胸がでかいのも喜んでばかりはいられないなあとか、私は”Star”ちゃんの怒りの反論文など読みなら思ったものです。

 その後は、彼女の活動の噂があまり伝わってこなかったから私もStarちゃんのことはしばらく忘れていたんですが、ふと覗いてみたYou-tubeで彼女の出た映画の一場面を見て、唖然とさせられることにあります。彼女は、韓国の女性コメディアンと共演でセクシー・コメディに出ていたのであります。
 それは、日本語字幕がついていないんで詳細はわからないが、セクシー姐さんとブサイク・ギャルの人生を面白おかしく描いたもののようでした。そして我がStarちゃんはもちろん、頭がパーでオッパイばかりが大きいケバい女の役を快調に演じておりました。
 ありゃりゃ、結局、そういうことになっちゃうんだねえと嘆息し、でも一応、見るべきシーンは記憶にとどめねばな、とか思いつつ画面に見入った、その夜の私なのでした。

 それにしても気になるのはStarちゃんが映画のその役を、あくまでも演技としてやっていると受け取るにはあまりにも身につき過ぎた雰囲気で演じていたことだったのであります。染めた髪も厚化粧も、ごく自然にその時の彼女には似合っていたのですね。時は流れるお城が見える、無傷な心がどこにある、と呟いておきしょうか。




ベトナムの、喉元に詰まった石

2012-05-01 05:51:12 | アジア

 ”Dem Phuong Nam Nghe Cau ho Hue”by Van Khanh

 ずっと以前、東南アジア方面のポップスを聴き始めた頃、ベトナムの音楽というのが苦手でした。音楽が好きなタイプじゃなかった、というのではない、なんというのかなあ、その音楽の核の当たりに、こちらを撥ね付ける何かがあるような気がしたのですね。
 そればたとえばインドネシア音楽の妖しげな香気、たとえば底知れぬ深さの生暖かい水田の中にズブズブとどこまでも引き込まれてゆくようなタイ音楽の奇妙な快感、などなどは気の置けない様子で他国からの野次馬たるこちらを笑顔で迎えてくれているような気がしました。まあ、それさえも勘違いの可能性はあるんですが、とりあえずは。

 ところがベトナム音楽というのは。なんかねえ、聴いてゆくとコチンと奥歯にあたるものを感じるのですね。それは、音楽の奥の間に、”モノノフのココロ”かなんかを懐に飲んでる感じの背筋のピッと伸びた生真面目そうな老人が座っていて、ベトナムの音楽を聴いて浮かれているヨソモノたるこちらをキッと睨み、「我々は我々なりの想いがあってこの音楽を愛している。あなたがそれに何の用事があるのか知らぬが」とか言われてしまう。叱られてしまう。なんかねえ、ベトナムの音楽を聴いていると、そんなやましさみたいなものが心のうちに湧き出してきて、どうも落ち着かないのですな。

 この「やましさ」の正体が何なのか、いまだに分かっていません。ただ、ベトナム音楽の芯に、そしてその向こうにあるベトナム人の魂の奥底に、なんとも言えない剛直な心情みたいなものを私は予感しています。 
 他の東南アジア諸国の国民と比べて、何か質実剛健な心の有り様。
 それは、あのアメリカ相手に長い壮絶な戦争をして勝った国民であるから、なんて先入観もあるのかもしれません。でもそれだけではない、なんかやっぱりね、岩オコシみたいなごっついものがベトナム人民の心中に横たわっていて、そいつはその音楽にも生真面目な相を与えている。それを感じ取って私はベトナム音楽に馴染めなかった、そんな気がする。

 で、時は流れましてですね。この1~2年ほど、またおずおずとベトナム音楽を聴き始めているのですよ、そのへんが好きな知人からの影響もありまして。
 ベトナム音楽との”再会”はニュ・クィンからですかねえ。「あれ?」とか思いましたね。以前感じた、こちらを撥ね付けてくるような何者かの存在を、私は彼女の歌からは感じなかったのですよ。ひたすらたおやかに優美に流れてゆく南華風情とでもいうのですかね、まさに南中国から一山超えた谷間に咲いた一輪の花、みたいな歌声には、美とか安らぎとか、そんなものしか感じ取れなかった。
 あ、これなら行けるかも知れないと私は思いまして私は、ベトナム歌謡のCDを安心して買い集め始めた次第なんですが。そして実際、かってのようなヨソモノたるこちらを拒否するみたいな反発力は、もうベトナム歌謡には感ずることはなかったのです。

 でも、かって感じたあの圧迫感というのは、なんだったのでしょうかねえ。もやは、普通にBGMとしてベトナム音楽を聞き流せるまでになった今、あれに関する総括が済んでいないことに、すっきりしないものを感じないでもない私なのです。
 かって聴いた盤をもう一度聴いてみて、そちらは昔と同じような感じを受けるのか、など試してみるのもありか?とも思うんですが、そんなことをして過去の感覚が蘇り、またベトナム音楽が聴けなくなってしまうのも面白くないな、なとと躊躇している私なのであります。

 今回貼ったのは、ベトナム中部の古都フエの伝統歌謡の形を伝える人なんだそうです、ヴァン・カイン女史。たおやかに流れる古き古都風情。その一方で、結構気の置けない歌謡曲っぽさの発露もある。素敵な音楽と思うのであります。



雨上がりのバンコクで

2012-04-29 02:29:37 | アジア


 ”A Little Big Thing”by Ging

 え~、可愛い子だからCD買っちゃいました。毎度、ジャケ買いの誘惑に負けてばかりで面目ない。
 彼女、ギンちゃんと呼べばいいのですかね、2009年デビューのタイのアイドル歌手であります。

 ギンちゃんはルックスよりは若干大人びた歌声で、アメリカの黒人音楽のナウいあたりやボサノバのリズムなんかも援用しつつ、雨上がりの都会を行くちょっとおしゃれな女の子の日常などを歌っている・・・のではないかと思います。そんな感じの涼やかなポップ感覚が鮮烈に香ります。
 多用されるメジャー・セブンス系の和音が、ビルの間をか細い糸を引いて流れ、そして消えて行く淡い感傷を繊細に響かせます。

 このようなアルバムを聴くにつけても、タイの若い世代には、もう全く新しい感性が育っているのだろうな、なんて思います。このアルバムで聞かれるような都会の洗練された日々の織り成す喜怒哀楽って・・・金子光晴のアジア滞在記なんかを片手に、”シナ海の南風下るところ”に想いを馳せて東南アジア・ポップスを聴き始めた私なんかの世代の理解の及ぶところではないのかも、なんて思ったりします。

 それにしても昨今のタイの女の子たちの、”顔立ちを欧米の女性っぽく見せる技術”の進歩というものは目覚しいもので、みんなほんとにきれいになりました。そしてどこの子も同じような顔立ちで見分けが付け難くもなりつつあるようです。
 これはメイク技術とかカメラマンのテクニックなどによるものであって、彼女らが一斉にメイクをぬぐい去れば、そこには昔私がタイ文字だらけのカセットテープのジャケ写真で見慣れていた、素朴なタイの少女たちの笑顔が戻ってくるのでしょうか。それとも、彼女らは、もう骨格の段階から欧米の女性みたいな顔立ちに変化を遂げたのでしょうか。

 アイドルとはいえ、ギンちゃんは芸能人としてしっかりした考えをもった人のようで、テレビの番組中でもウクレレの弾き語りなど披露して”ミュージシャン”たる自分をアピールしたりすることを忘れません。歌唱力は先に述べたように立派なものだし、大手レコード会社のイチオシでもあり、これからも堂々の進撃を続けるのでしょうね。
 そして次元の低い私は、「CDもいいけど、この子、写真集でも出さないかな」とか、しょうもないことを考えてみたりするのでした。




台湾、雨上がり

2012-04-16 03:42:58 | アジア

 ”査某人的話”by 李愛綺

 台湾歌謡界で20年以上のキャリアを誇るベテランの歌い手が、あるテレビ番組におけるあるアーティストとの出会いに刺激を受けて意識変革、名前を芸名から本名の李愛綺に戻し、まるで新人歌手にもう一度戻ったかのような新鮮な感覚の歌を歌い始めたという。
 そんな彼女の、これは新路線後2作目のアルバム。先行する一作目は、様々な音楽要素が飛び回るカラフルな出来上がりだったそうだが、残念ながら未入手。そのうち聴いてみねば。

 こちらの盤は逆にテーマを”故郷・台湾”に絞った、落ち着いた仕上がりだ。何か、どこかでしっとりと雨の降った後のような濡れた静けさの気配を感ずる。

 このアルバムに、彼女もスタッフも相当の力を入れているのであろうこと、CDのヴィジュアルからも推し量ることが可能だ。まず、なにやら紙袋に入れられたパッケージを開いてみると、グラビア・アイドル然とした歌手本人の姿が写し込まれた、大判の絵はがき風のものが何枚も封入されている。
 なかなかエッチでいいじゃないかとニヤつきながら裏をひっくり返すと、これが一曲一枚あての歌詞カード群であることがわかる。ということは、これはCDケースごと、李愛綺から届いた手紙、というコンセプトになっているのかと気がつく、という懲りようである。

 冒頭のアルバム・タイトル曲、曲調は台湾の演歌によくある、かっての日本支配の忘れ形見の如きもの。すなわち、昭和30年代くらいで時が止まったままの演歌を思わせる切ないワルツ曲。私などは子供時代、友人たちと日の暮れるまで裏の小川で遊んだ記憶など懐かしく思い起こしてしまうが、ほかの人々はどう感ずるのか?そして台湾の人々はどんな具合にこれらの曲を愛してきたのか。
 いずれにせよ、キイ・ワードは郷愁であること、間違いないのだろうが、それ以上の勝手な解釈は避けるべきだろう。

 それに続いて、今度は今日風の美しいフォーク調のバラードが、そして軽快なポップスがと飛び出してくる。いずれも、これがベテランの歌かと思うほどしっとりと水を含んだような新鮮さを持ち、これまでの彼女の歌より数倍、リアルな今日の台湾の手触りを感ずることができる。
 こんなふうに彼女ほどのベテランを変えてしまった、アーティスト(ロック系の人みたいだが)と彼女の間のやりとりとは、どのようなものであったのだろう。知りたいものだけれど、もう伝え聞けるのは噂の中で変形してしまった神話の類だけかも知れないな。




囁きの港

2012-04-10 15:02:16 | アジア

 ”快楽眼涙”by Vincy Chan

 もう何度かしてきた話で申し訳ないが、香港が北京政府に”返還”される直前の数年間、香港ポップスの内に木霊する独特の”何か”に惹かれ、夢中で聴きまくっていた。
 それは、「もうまもなく、”英国領香港”市民が生きてきた”借り物の土地 借り物の時間”が終わってしまい、その生活は中華人民共和国という大河の中の一滴として埋没してしまうのではないか」という方向の不安や焦燥と私には理解された。
 とはいえ相手が時の経過ではどこへ逃げるわけにも行かず、出口なしの袋小路で炸裂する、まさに世紀末的ヤケクソ饗宴の壮絶な疾走が、音楽のヒリヒリする手触りとして狂おしく旋回していた。そのように感じられた。私には。

 そのような思い入れは現実の香港返還より早く、崩れ落ちることとなる。それまで欧米のデザイナーズ・ブランドの服を粋に着こなしていた香港の歌手たちが突然、地味で無粋な人民服に着替え、「中国万歳!」などと北京政府へのゴマスリ・ソングを歌うようになったり、それまでの広東語歌唱を捨て、大陸市場狙いと称して全曲北京語で歌った新譜など発表するようになったから。私は香港芸能界の世渡りのうまさに大いにしらけ、返還を前にして、あれほど入れ込んでいた香港ポップスを聴くのをやめてしまったのだ。
 まあ、現実を生きていたのは香港の歌手たちであり、勝手なロマンチシズムを弄んでいたのは私の方、ということになるのであるが。

 そんなしだいで傷心の私は、香港の音楽から縁を切ってしまったつもりでいたのだが、なに、あれほど惚れ込んでいた音楽だ、その後が気にならない訳はなく、話題の新譜など機会があれば聴いてみる。その頻度も、年々、増して行っているような気がする。
 この盤も、香港の当世人気者の新譜ということで。

 スタイリッシュなキャラに相応しい、物憂げなウィスパーボイスが売り物のようだ。これが冒頭のバラードやらボサノバものなどではピタリと決まり、音数を抑えたバッキングと相まって、シンと静まり返った深夜、そっと灯した明かりみたいな切なくもデリケートな感傷を伝えてくる。モデルっぽい女性歌手の歌う世界としては、ずいぶん内省的な、閉じた雰囲気を感ずる。このへんが彼女の持ち味なんだろうか。ダンサブルに迫る曲でも、聴き終えたのちに残るのは、やはり物静かな印象だったりする。感情の露骨な吐露もなく、おおむねクールな展開だ。

 ともした明かりを手のひらのうちで守りながら、表情を崩すこともなく過ごした時間。クールに装った心のうちでは、だが、熱いものが静かに燃え続けている。長い夜はまだ明けない。なんて情景を思い浮かべてみる。

 (ウィスパーボイスが売り物、と書いたんで、下にはあえて一番声を張っている曲を貼ってみた(!?)
 ↓



ソウル&パクチー、960ポンド

2012-03-26 03:42:52 | アジア

 ”อยากอกหักบ้างไรบ้าง ”by Ten Nararak

 テン・ナラーラック。タイの大手グラミーの推す新人女性R&Bシンガーなんだそうで。どうりで黒を基調としたクールなデザインのジャケもかっこいいCD仕様となっております。で、ドシッと腰の座った渋いバンドをバックに、結構な貫禄と迫力の”黒っぽい”ナンバーを歌いまくっている。

 でも、よく見りゃ、バンコクの陽の当たる表通りによく似合う、人の良さそうなコロコロ太った娘が、スタイリストの指示通りに精一杯かっこつけてる様子も透けて見えてくる気がする
 もう今後は、どこやらの国発の”世界標準”とやらが流入する地域にはどこでも、このようなR&B娘が生まれでて、その土地の夜を吹き抜ける風とイカした与太者の噂話をブルージーなギターとオルガンの響きを従えて粋に歌いまくることになるのでしょう。

 今回のナラーラック嬢が好ましいのは、その種の歌い手が一様に持っている、なんかベトベトした感傷があまり感じられない、ということ。なんかいかにも南国の娘って感じの風通しの良さを感じる歌声だ。
 それに彼女のコブシ回しって、黒人ぽさへのただ憧れだけじゃなくて、タイ歌謡の延長線上にある、アジアの人肌のぬくもりが基調になっているようでね。その辺も憎めないなあって思えるんですよ。




お姉さんのカヤグム

2012-03-19 03:12:04 | アジア

 ”2集 ”by Kayarang

 韓国のユニークな女性デュオ、”カヤラン”の新作であります。
 演ずるはトロット、つまり韓国演歌なのだけれど、それを彼女らは韓国の伝統的民族楽器、”カヤグム”なる、琴を弾きながら歌う。ここがユニークたる所以で、ミスマッチというのか、なんとも不思議な効果を出している。

 彼女らのデビュー作はこの場でも取り上げたと思うんだけど、その時、私は完全に一発限りで終わりの”企画モノ”と感じていた。なにやら典雅な韓国琴の響きと、打ち込みのリズムも慌ただしい、えげつなさが売りのトロット演歌の世界とは、いかにも似合わない。物珍しさで注目を得るための、無理やりの一発限りの企画なんだろうな、と予想された。
 だからこうして昨年出たばかりの2ndアルバムを手にし、ずいぶん驚いたものだった。うわ、まだやってたのか。

 どうやら演歌の世界に定住してしまうらしい彼女らなのだけれど、そもそもはやはり”琴演奏家”なのであって、歌の方は他の同業者たち、パンソリとかをルーツに持つどすこいパワフルなトロット演歌女子たちとはやはり一味違い、かなり泥臭い演歌を歌うにあたっても、隣のウチの歌好きなお姉さん的な淡いコーラスのままだったりする。
 そこがなにやらいたいけで良いのですねえ。今回のジャケ写真など見るにつけても、ジャケで身に付けているアイドル丸出しのフリフリのミニの衣装など、実に”萌え”な感じを出しておりまして、そういう方向で再評価したくなってくるな。
 とか思いつつ、ミニ写真集のような作りの歌詞カードを繰って行きますと・・・ありゃりゃ、写っている角度によっては相当な貫禄を感じさせるものもあり、うわ、彼女たちっていったい何歳なんだ?どうやら姉妹らしいんだけど。なんて落とし穴もまた、大衆音楽の真実でありますなあ。

 今回の作は、演歌サイド、民謡サイド、アイドルサイド、などなど数曲ずつに分けられた、彼女らの多彩な持ち味を生かした作りになっており、そういう面でも楽しめるカラフルな作品。
 まあ、民謡サイドとはいっても、古式ゆかしいカヤグムの爪弾きで、ロシアの流行歌、”百万本のバラ”なんかを演奏してみせる気の置けなさであり、そこはやっぱり徹頭徹尾大衆音楽のトロット演歌界であります。



ヘビメタの中心でアリランを叫んだ女

2012-02-29 02:00:17 | アジア

 ”Smile Again”by Hong Ju Hyun

 というわけで。ヤケクソでお送りしております”クソ寒い国の音楽シリーズ”は、さらに進行中なのであります。
 なんかあれだってねえ、明日、というかもう今日だな、ともかく明けて29日には関東とかにも雪が積もるんだって?ふざけたこと言ってくれるなよ、だよなあ。もう3月になるんだぜ。いいから。もう冬はいいから。まあ、皆がこの文章を読む頃には結果が出てるんだろうけど。やめろよなあ。もう寒いのは飽き飽きだ。

 韓国というのも、そりゃあクソ寒いんだろうなあ。韓国の食べ物の上にかけられた唐辛子の量にかけても。北のキム王族の代々が身にまとってきたオーバーの、その分厚さにかけても。
 実は昨年は韓国のトロット演歌がドッと”来る”のではないかと期待していたんですがね、あまりそうでもなかったみたいなんで拍子抜けしてしまった。いや、私のアンテナに引っかからなかっただけのことかも知れないんだけど。

 という訳で一昨年発売のこのアルバムなんかを2年遅れで聴くにつけても、やっぱりトロット演歌、充実してそうなんだけどなあ、と。
 このアルバムの主人公、ホン・ジュヒョン。若そうだけど歌の実力から考えて結構キャリアがあるのかも。なんの資料にも出会えてないんですが。韓流ブームとか言っても、トロットは蚊帳の外だなあ。
 ともかく冒頭。いかにも今日風なファンク演歌であります。どこぞの音楽を思い出させる、ボーカルにエフェクトかけて歪ませて電子コブシを表現する、なんて小細工も嬉しい一発。ジュヒョン嬢、堂々の歌唱。やっぱりこれ、かなり場数を踏んでるんだろうな。その他、スローものもじっくり情感込めて聴かせるのであって、これは良い歌手だねえ。

 なんてのんきなことを行っていられたのもそこまで。「ミステリ、ミッスミッステリテリ」「なんちゃらなんちゃミステリー」と聴こえる歌詞を、「ビンギラギンにさりげなく」みたいなメロディに乗せてまくし立てるアイドル演歌の4曲目にはまいった!ああ、こんな飛んでる曲も歌えるんだ。というか、こっちの方が生き生きしてる。
 その後、さらにパンクロックにアレンジされた「アリラン」が追い打ちをかける。ジャケ写真では民俗打楽器を手に、「パンソリがルーツなのかな?」などと思わせておいて、こりゃとんでもないロック姐ちゃんだった。ヘビメタ丸出しの甲高く金属的な声を思いっきり響かせる。バックコーラスも「テーハンミングッ!テーハンミングッ!」と民族意識を煽り立て、何を歌っているんだろうなあ、歌詞が分からないから聴いていられるのかもな、日本人の当方。なんぞと思う。

 凄いね、彼女、本格派の歌唱を聴かせるけど、ホントの良さは破調にあるようだ。 アルバムの後半、冒頭に置かれていたヒット曲のリミックスが収められているんだけど、ヒップホップ調に料理され直したそいつがさらにカッコいいのであって。うん、認めよう、彼女は逸材。持ってゆきようではすごく面白いものを作ってくれるんではないか。
 次作が楽しみだな。あるいは、他に作品があれば聴いてみたい。動画を見ると、なんか全盛時代の千葉マリアみたいなルックスで、これもいいじゃねえか、なんて言っても誰もわからん。

 下に画像を一応、貼っておきますが、ほんとに面白い曲はYou-tubeには上がっていないみたい。下の画像でも、一番彼女らしさが発揮されるのは、最初の挨拶の中で唐突に一言、奇声を上げて、でも浮いただけだった、なんて瞬間だったりして。

 寒いっスねえ、しかし。