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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

ラゴス行き最終出口

2009-01-23 04:27:24 | アフリカ


 ” HAPPY DAY ”by Oluwe

 この頃、なんとなく気になっているナイジェリアのヒップホップ。手に入る機会があったんで、その中で一番マイナーでローカル、というこのアルバムを買ってみた。ヨルバ語のラップをやるというんだが、人相も悪くていいじゃないか。
 で、ほんとにマイナーな人らしくて、彼に関する情報を求めてネットの世界を探りまわったんだけど、記述一行、画像一枚、出てこなかった。無名の新人ってところなんだろうねえ。ちなみにこれ、2008年盤。

 気になっているとは言っても、「ヒップホップ」と銘打っている以上、アメリカの黒人が、いや、いまや世界中の若者がやってるような、どこに参りましても変わり映えもせず同じような出来上がりの「レベルは~低いが~クラブじゃ~オシャレ~♪」みたいな音を聞かされる危険性は十分あるわけだから、恐る恐るCDを回転させてみたわけですよ。

 まず聞こえてくるのはドッスンバッタンと重苦しくも性急な打ち込みのリズム。シンセがその裏で悲痛な響きの短調の和音を積み上げて行く。そいつに乗ってアルバムの主人公、OLUWEの野太い吠え声が響く。いかにもアフリカ風なもっこりとしたコーラスがコール&レスポンス状態で後に続く。

 ラップ、とはいっても。それは確かにそうなんだけど、そこにはやっぱり濃厚にヨルバの血が息ずいている感じだ。フジやらジュジュやらの伝統的部族ポップスの語り口にかなり通ずるところのある、時にイスラミックなメリスマさえ聞こえる代物なのである。
 見えない大蛇が通り過ぎて行くような、音楽の底に沈む深いコブシのうねりが伝わってくる、そんな歌いっぷりの”ラップ”なのである。

 良かった。こいつ、”当たり”だよ。”アクセント言語”であるところのヨルバ語でラップを行なったがために言語の呪縛により、こんなことが起こっているのかなあ、などとも思ったのだが、まあ、確証はない。
 その後、”むずかしいべ”とか”あとでブス”とか”サイコー”とか”虫歯”なんて空耳アワーを展開しつつOLUWEの”ラップ”は続いて行くのだが。うん、ほんとにこれ、いいんじゃないか?

 私なんかが初対面した頃、80年代の、地の底から湧き上がって来るようなどす黒いリズムの蠕動や情感の迸りが、なんだか希薄になってしまった感も否めない昨今のナイジェリアのイスラム系音楽である。
 そして、なぜか理由は知らないが、今日のフジ・ミュージックやアパラ・ミュージックが失ってしまった、そんなどす黒い音楽的衝動は、むしろこのようなラップを演ずるナイジェリア人に受け継がれているような気配がある。
 いや、まだ2~3枚しかその種のアルバムを聞いてはいないのだがね、どうもそんな感じを受けるのだ。

 まだ・・・実は一度見放しかけたナイジェリアの音楽だが、そうやらまだまだ捨てたものではなさそうだ、そんな風に信じてもいいような可能性を、私はこのアルバムに感じる。いけるよ、まだ。と思うよ。

ラゴス・夜の最前線

2008-11-20 22:56:38 | アフリカ

 ”LAGOS STORI PLENTI (Urban Sounds From Nigeria)”

 アフリカはナイジェリアの首都、ラゴスで今日、活躍する、”ストリート系”と言うのか、ラップやらヒップホップなどのミュージシャンを集めたコンピレーション盤である。

 こちらとしてはナイジェリアといえば、やはりフジやアパラといったイスラム系音楽の、太いアフリカン・ビートとイスラム色濃いコブシ付き歌唱のぶつかり合う世界に血が騒ぎ、そちらが気になって仕方がないのではあるが、ともかくなかなか盤が手に入らないし、フジやアパラのシーン自体も、こちらが熱狂した当時の音から大分、様相を変えてしまった部分もあるようだ。

 たとえば80年代のフジの持っていた、地の底で煮えたぎるような重くどす黒いビートは、こちらが現地の音を聴けずにいた空白期間のうちにすっかり変質し、数倍のスピード感を持って疾走するようなものに変わってしまっている。
 スピード感を獲得した代わりに、それら今日のフジは重さや黒さはずいぶん希薄なものになっていて、なおかつ、本来それら音楽には入らなかったはずのシンセ等のメロディ楽器が幅を利かせるようになっていたり。なんか薄くないか?これがあのフジかなあ?

 それが今日を生きるナイジェリアのイスラム系ポップスの姿なのだと言われれば、もとより他国の音楽、あれこれ文句をつける筋合いもないのではあるが。
 とはいえ、やはりナイジェリア音楽の熱さに入れ込んだ、かっての想いは簡単には忘れられず、こうして本来は苦手であるヒップホップなどにもとりあえず耳を通してみる次第である。

 ああでも、これも”あり”じゃないのかなあ、と思うよ。聞き始めは、何しろ大嫌いなラップなんで嫌悪感ばかりだったのだが、聴き進むに連れ、結構引き込まれる瞬間にも遭遇できるのだった。
 かってここで西アフリカ風に変形されたファンク音楽の話などしたのだが、あそこで遭遇したアメリカの黒人音楽のアフリカ風変質はここでも起こっている。

 ナイジェリア風に誤読されたヒップホップやラップは、グニャリとデフォルメされるうち、いつのまにか太古のアフリカにまで遡り、ラゴスの”今”の夜に、ドロリと熱い汗を分泌しているのだった。
 そいつはある意味、かってフジやアパラが持っていた、熱気を孕んだアフリカ独自の黒光りのする美学の実現を果たしていると感じられる。

 おそらくは誤解や勘違いに元を発するのだろうが、本家・アメリカのそれよりずっとプリミティヴな響きを獲得している打ち込みのリズムをバックに歌い交わされる、野太い声のラップのフレーズや、そいつを煽り立てるコーラス隊は、いつの間にかラップより発してラップではない、
 やってる奴ら自身は結構、”アメリカ風のナウ”の猿真似以上の意識はなかったりするのかも知れないが。いや実際、そんなものだろう。この段階では。でも、こいつはもしかしたら、面白い化け方をするかも知れないぜ。

 かってアフリカに先祖がえりをしたアフロ・キューバン音楽が、アフリカ的洗練を経てアフリカ独自のハイライフやリンガラ・ポップスなどに進化していったように、このあたりからとんでもないものが生まれ出てくるような、予感を感ずるラゴスの夜だったりするのだった。


ラゴスの沖でパイプライン

2008-10-03 02:16:53 | アフリカ


 ”AFRICAN MUMMY JUJU ”by QUEEN OLADUNNI DECENCY

 ナイジェリアのジュジュ・ミュージック界の、珍しい女性アーティストである、QUEEN OLADUNNI DECENCY の70年度作品をCD化したもの。
 彼女は1950年代の生まれで28歳で亡くなってしまったそうだ。ジャケに、”ナイジェリアで最初の女性ギタリスト”とある。
 これまで聴いてきた男性によるジュジュ・ミュージックよりも、なんだか輪郭のくっきりした骨太の押しの強いサウンドと感じるのは私だけ?複雑に絡み合うギター群も、おなじみトーキング・ドラムの音も、その他のパーカッションの響きも、なんだか妙に生々しい手触りの音で跳ね回る。

 バックバンドのリーダーは彼女の夫だそうだが、サウンド作りの実権は彼女と夫、どちらが握っていたのだろう?まだまだ男権社会であったろう当時のナイジェリアで、その辺の力関係はどうなっていたのか、気になるところだ。
 これまで聴いてきた、どことなくホワホワした印象の男性ジュジュ歌手に比べると、芯が強く粘着力のある感じのQUEEN OLADUNNI DECENCY のボーカルであり、迫力あるその声を聴いていると、バンドの実権も彼女が握っていたと考えたくなって来るのだが。

 複数聞こえるギターの、どのパートを彼女が弾いていたのか分からないのだが、軽くディストーション(というか、”ファズ”と呼びたい、ある種、古めかしい響きなのだが)のかかった音で、かなり自由な感じで間奏を弾きまくるのがQUEEN OLADUNNI DECENCY と、これも信じたいところ。
 これは、このようなプレイが他のジュジュのアルバムで聴かれないところから、そう断じてもいいのではないか。
 なんだかサイケというか日本のグループサウンズなどにも通じるような”エレキでゴーゴー”な響きのギターなのだ、意味が分かる人とそうでない人がいる表現で申し訳ないが。

 ベンチャーズがアフリカに与えた影響、なんてことも脳裏に浮ぶ。かのバンドがアフリカで人気があったのかどうか知らないが、ともかくトーキングドラムの叩き出す南国のリズムに乗って、”エレキでゴーゴー”的な、良い意味で60年代風の軽薄な(?)フレーズ連発が嬉しい。
 ここまで来たら、いっそ”パイプライン”とか”十番街の殺人”とかを弾いてしまってくれたらいいのに、なんてめちゃくちゃな事まで言い出したくなる当方なのである。

 こういうのを”同時代感”というのかどうか。ともかく独特の刺激的なジュジュ・ミュージックが演じられていて、QUEEN OLADUNNI DECENCY の夭折は、ほんとにもったいないことだったなあと言わずにはいられないのだった。

アフリカの神が降臨した頃

2008-09-13 21:17:01 | アフリカ


 ”African Scream Contest ”
 <Raw & Psychedelic Afro Beat From Benin & Togo 70's>

 数日前に、「スライ・ストーンの屈託も知らずに呑気に音楽形式だけ流用して軽薄に盛り上がる”お手軽ファンク”なんか大嫌いだ」、とかなんとか書いた私でありますが、この盤は良いよ!

 60年代末から70年代初めにかけて、西アフリカはベニンとトーゴ両国で燃え上がったいくつもの”ご当地ファンクバンド”のレコーディングを再録したアルバム。
 つまり、アメリカ合衆国々内のアフロ=アメリカンの人々の間で発生したファンクなる濃厚なダンスミュージックが大西洋を渡ってアフリカに逆輸入というか先祖がえりをし、アフリカの人々にも広く愛好され演奏され踊られた、その記録である。

 で、聴いてみた感想なんですが、工夫のない言い方で恐縮ですが、60年代と70年代の狭間、アフリカのこのあたりのファンク・シーンは凄い事になっていたんだね!
 アメリカのファンクバンドの影響が、どのようにして当時の西アフリカにもたらされ、どのように受け入れられたのか、詳しい話は付属の小冊子に書いてあるみたいなんだけど、英語なんで面倒でまだ読んでいない。申し訳ない。ちなみにこのCDはドイツの編集盤。

 海を渡った音楽を聴く際の楽しみに”誤読を味わう”というのがある。
 たとえばこの盤に収められた演奏から、当時のアフリカの人々がいかにアメリカのファンクミュージックを誤解しつつ受け入れて行ったか、なんてあたりを楽しむわけで。

 実際、ここで聴かれる西アフリカ製の”ファンクミュージック”は、本場アメリカのそれとは、やる側は同じつもりだったかもしれないが結果としては相当に見当はずれなものになっているものが多い。
 まあ、我々も我が国の60年代グループサウンズの音楽を聴く際、当時の日本人の感性によって誤読されたロックミュージックを笑って楽しむ、なんて事をしますな。

 けど、この場合の”誤読”は最高の結果をもたらしているのだった、意外にも。

 たとえば、冒頭に収められた”Lokonon Andre & Les Volcans”の演奏などは、西アフリカ風に変形してしまった”ファンクミュージック”の演奏が、とてつもなくかっこ良いアフリカ特有のダンス・ミュージックを結果として生み出してしまっている。
 アタマの、無伴奏の強力に渋い歌声に始まり、無骨にスイングする演奏が脈打つリズムを送り込むタイミングといい、黒く、地を這うような重いビートといい、これはまるで全盛期のナイジェリアのフジ・ミュージックあたりに極めて近い演奏と言えるだろう。

 ここでは、アメリカのファンク・サウンドをアフリカ風に捻じ曲げつつ模しているうちにミュージシャンたちの上にアフリカの祖霊が降臨して来る、アフリカの伝統音楽の真髄に触れてしまっている、そんな素晴らしい瞬間を何度も味わうことが出来る。
 その後に続くバンドたちも各々のやり方で、同じように熱く美しい”アフリカの声”を発するに至ってしまっているのであって。こんなに美しい瞬間の連続は、たまりませんな。

 あくまでもミュージシャン当人たちは、彼らのヒーローたるアメリカのファンクバンドに近付きたいと一途に思ってやっていただけなのに、というあたりがまた素敵だ。自覚がないままにとんでもない事をやっていた、その辺の間合いがね。
 これらのバンドたちの活躍はひと時の花火と終わってしまったようで、これが契機となって現地独自のポップスが生まれたりシーンとして成立はしなかったのは、なんとも惜しく思われるのだった。

 まあ、あの地域も大衆音楽を育むどころではない時期も長かったわけで。このあたりは複雑な気分ですなあ。
 というか、ここまで黒く脈打つ、禍々しいまでの切れ味を示すアフロ・ポップスが今日ではあまり聴けなくなっている事実もまた、残念に思える次第。

リベリアの一夜

2008-06-17 01:53:32 | アフリカ


 ”SONGS OF THE AFRICAN COAST, CAFE MUSIC OF LIBERIA ”

 先に、”ブラック・ヘブライ”の音楽について書いた際、アフリカのリベリアなる国がチラッと絡んだ。そこでこのアルバムを思い出して引っ張り出してみた次第。
 民俗音楽研究家のアーサー・アルバーツが1949年にアフリカはリベリアに赴いて行なったフィールド・レコーディングであり、その時点における西アフリカの大衆音楽の一様相が覗える仕様となっている。

 とはいってもこのリベリアなる国がややこしい国で、何度その歴史を読み返しても、その概要も把握が出来ない。
 そもそも19世紀の初めにアメリカ合衆国内の、奴隷の立場から解放された黒人たちをアフリカに帰し、ひとつの国を成立させようなど、どのような者が思いついたのか。ぶっちゃけた話、その予算は誰が出したのか?計画の成功にどれほどの目算があったのか?
 ともかくも、その運動を計画した”アメリカ植民協会”なる組織は西アフリカの一角に土地を獲得し、その土地に向けて何回にも渡ってアメリカからの黒人たちの”帰還”は行なわれた。

 当然ながら、というべきか、その土地に住んでいたアフリカ人と、”還って”来たアメリカ黒人たちとの間には、今日イスラエルとパレスチナとの間で起こっているのと同質の軋轢も発生した。
 また、強引に建国はしたものの、国を支える産業がないため、外国にゴムの木を貸与を依頼してみたり、時には外貨を稼ぐためにリベリア人労働者をスペイン領赤道ギニアに向けて船積みし、それが”かっての奴隷貿易と変わらないではないか”と国際的批判を受けるという、まことに皮肉な結果を呼んだりした。

 その他、この国の歴史は前述の帰還者と先住民の抗争やら帰還者同志による勢力争いなどが複雑に絡み合い、長きに渡る内戦が繰りかえされ、まことに錯綜した様相を呈している。

 このアルバムの前半には、1940年代終わり頃のそんなリベリアの、とあるピアノ・バーにおける”一夜のお楽しみ”が収められている。
 演ずるは、”ハワード・ヘイズとメリンダ”なる、ミュージシャンよりはあえて”芸人”と愛情込めて呼びたい感じのピアノ弾きと歌手のコンビである。コロニアル感覚横溢した、愉快な酒場芸が堪能出来る。
 後半には、40年代のリベリアの大衆音楽を体現すると考えていいのだろう、グリーンウッド・シンガーズなる歌と楽器演奏を共に行なう、こちらの感覚ではフォークグループと呼ぶしかないグループの、素朴なパフォーマンスが収められている。

 どちらも演目は古形のカリプソや、ラグタイムやらカントリー音楽やら、当時のアメリカ風ダンスホール音楽の影響色濃いものである。このような音楽が熱気わだかまる西アフリカの夜の中で溶け崩れ、やがてアフリカ独自のポピュラー音楽を形成して行ったのだろうな、などと想像すると、なんだか血が騒ぐものがあるのだ。

 ことに、アフリカ大衆音楽の古層を成す”ハイライフ・ミュージック”の世界で古典とされる”All fo You ”や、”ココナツの木の下で”などといった、アフリカ音楽好きには気になる曲の原型が聴けたのも嬉しいことだった。
 こんな音楽が流れていた、当時の西アフリカの街角のありよう、どんな感じだったんだろうな。その音楽を愛したリベリアの人々は、どのような喜怒哀楽を生きたのだろう。音の向こうに想いは膨らむ、膨らむ。

ヴィクトリア湖畔のご乱行

2008-05-28 03:17:08 | アフリカ


 ”Introducing ”by Kenge Kenge

 コンゴ発のリンガラ音楽の影響下に独自の展開を示すケニアのローカル・ポップスは、独特の野趣溢れる味わいがあって好きでねえ。
 以前よりずっと惹かれていたのだが、いかんせん、音の方があんまり入ってこない。じれったい思いをして来ているのであります、もう80年代くらいから。

 ケニア西南部のルオ人たちによる”ベンガ”なる音楽。そう銘打たれた盤を聞くのはこれが初めてではないのだが、このバンドの音はまったく独自のスタイル。なにしろ、あの特徴あるギター中心の音作りじゃないのだ。

 素朴な、なんかフォルクローレにでも出て来そうな笛の音や、鄙びて枯れ切った一弦フィドルに導かれ、炸裂するパーカッション群。それは民俗楽器というよりは、とりあえずそこら辺にある音の出そうなものをひっぱたいてみた、みたいなアナーキーな迫力に溢れている。
 コンゴのルンバの流れというよりは、もしかしたらナイジェリアのフジやアパラの影響を受けたんじゃないかなんて考えてしまう。

 そうそう、昔、フジのアインデ・バリスターが富士山をバックにした記念写真を撮りに(!)来日した際、東京のアフリカ料理店で店専属のリンガラのバンドをバックにフジを歌った、なんてエピソードがあったっけ。あれはパーカッションをバックに歌うべき音楽をギターバンドをバックに歌った、これとは逆のパターンだが。

 一方、そんなパーカッションの奔流に乗って展開されるのは、確かにコンゴ音楽の流れを汲むルンバ系統のメロディ。ただし、リンガラ音楽の後半部分、ダンスパートのみの展開である。ラテン音楽で言えばソン・モントゥーノというのか、執拗にコーラス隊によって繰り返されるシンプルなメロディと、そいつとコール&レスポンスしまくるリード・ボーカルの雄叫び。

 前半はじっくり歌で聞かせて後半、ダンスパートに入ったらリズム・チェンジして思い切り踊らせる、なんて昔からのコンゴ音楽の美学の構造は、ここではすっ飛ばされている。もういきなり”狂乱のダンス”に持って行って、ただひたすら押しまくる。まあ、ある種ミもフタもない展開で、そのあっけらかんとしたしたたかさが今日的といえるのかも知れない。

 なんかこのミもフタもなさに、ふと韓国のポンチャク・ミュージックなど連想してしまったのですがね、音楽的にはまるで関係ないが。あの、いきなり最高潮に持って行き、そのまま一本調子に突っ走る、原始的といえば原始的、未来的といえば未来的、みたいなあんまりな世界に、どこか通じていないか、この音楽は。

 しかし凄い迫力だね。次回作、次々回作はどんな具合になるのか。あるとすれば、だが。
 

世界の合言葉は森

2008-05-16 04:16:13 | アフリカ


 ”LIVE EN HOLLANDE”by FRANCO ET LE T.P.OK JAZZ

 アフリカン・ポップスの総本山とも言われるコンゴ(当方としては呼び馴染んだ”ザイール”という旧国名でないとしっくりこないんだが)のルンバ音楽。我が国では、その使用言語名を採って”リンガラ・ポップス”なんて呼ばれているが。
 概要を言えば、アフリカに先祖がえりしたアフロ・キューバン音楽がアフリカ的洗練を経て独自の表現を獲得したもの、とでも言えばいいのか。サハラ以南、ブラックアフリカ全土で愛好されている汎アフリカ的大衆音楽となって久しい。

 これはその巨大な音楽体系の頂点に、その生成期からまさしく君臨していた偉大なるミュージシャン、フランコと彼の楽団が80年代初めに行なった、ヨーロッパにおけるライブ録音である。
 フランコも楽団もまさに何度目かの絶頂期にあり、また、当時興隆しかけていた”ワールドミュージック”のブームの後押しもあり、異郷であるヨーロッパの地でも、その音楽はまさに横綱相撲の貫禄を見せつつ激しく燃え盛っている。

 名盤と評価も高いこのアルバム、なぜか入手しそこなっていた(まったく違う方面の音楽にでも夢中になっていたのだろう)ので、昨年末の日本盤による再発を歓喜して購入したものだ。

 聞き始めると、気分はまさに赤道直下アフリカ気分だ。アフリカ人特有のモッコリと分厚いコーラスと、各楽器による複雑に交錯するリズムの魔力が奥深い幻惑を演出し、アフリカど真ん中、奥深いイトゥリの森のざわめきにスポンと包まれる幻想に聞き手を連れ去る。
 盤の解説にも書かれているが、ギター弾き8人、歌手だけでも7人を擁する、総勢30人近い大所帯の、しかも腕利きばかりが集まった豪華客船状態のバンドが一体となって強力にスイングするのである。これは豪華な快楽だ。

 快調なダンスナンバーが続いた後に現われる、ひときわ印象深い、語り中心のスローナンバー、”ミゲル”などは、まさにフランコの独壇場といったところで、こんな深い味わいは、もう出せる歌手はいないのではないか。
 かって人類が深い森の中で、木々のざわめきや風の語りかけと共に暮らしていた太古の記憶を呼び起こすような、つややかに交錯するコーラスと果てしなく鳴り渡り響きあうギター群。しなやかに打ち寄せては永遠を謳う複合リズム。生命賛歌の輝きに終わりはない。

 この録音を残してほどなく巨人フランコは、彼自身も「豊かな国は、殺し合いのための武器ではなく、これと戦うための武器を供与して欲しい」と訴えかけていたエイズ渦に犯され、1989年、命を落とす。だが、彼の音楽は今日も、いやこれからもずっと輝きを失うことはない。

アフリカン・ゴスペルの世界

2008-05-08 03:43:11 | アフリカ


 ”HIGH RISE ”by OYIND AMOLA ADEJUMO

 タイだったら仏教ポップスのレー、インドネシアだったらキリスト教ポップスのロハニ、パキスタンだったらお馴染みイスラム教神秘主義派の音楽、カッワーリーと、おっと、中華文化圏に散在するお経にフォーク調のメロディをつけて歌い上げるナンマイダ・フォーク(?)も忘れるな。

 というわけで、別に信心深いわけでもないのに、妙に宗教絡みの音楽に惹かれてしまう私なのでありまして、この嗜好がどこから来ているのかいつかきっちり分析してみなければと思っている次第ではあります。
 そうこうするうちに、こんなアルバムが手に入った。ナイジェリアのゴスペル系音楽だそうです。なんかジャンル名があるのやら分かりませんが。

 ナイジェリアのゴスペルというと、80年代、ナイジェリア音楽聴き始めの頃に見て強烈な印象を受けた、かの国の音楽探訪ビデオ”コンコンベ”に収められていた現地の教会の風景です。酷暑の中で炸裂する、アメリカ南部の黒人教会におけるミサをさらに濃厚にしたような激しい叫びとダンスが印象的でした。

 そのようなものが聞こえてくるのかなと予想しながら聞いてみると、流れ出たのはずっと爽やかな音楽。ナイジェリアにおけるキリスト教内部のことは何も知らないけれど、より穏やかな宗派の音楽なのか、それとも、この音楽も”ライブ”となるとあの狂乱の世界に突入して行くのだろうか?

 終始バックに流れるのは、ヨルバ民族の世界では定番のトーキング・ドラムをメインとする打楽器のアンサンブル。最近のフジ・ミュージックに聴かれるようなかなりの高速な疾走感のあるビートがたたき出されている。、しかしかってのフジのような粘り付き、地を這いまわるような重さはないパターンのもの。
 それに軽やかに乗るOYIND AMOLA ADEJUMO の爽やかなボーカル。ずいぶんと洗練された印象で、むしろ猛暑のナイジェリアをクールに吹き抜けるんじゃないかなあ、この音楽は。

 曲想は、アメリカ南部のジュビリーソングというんですかね、こちらとしてもある程度聴き慣れているゴスペル音楽的なもののようでもあれば、古いカリプソに通ずるハイライフ・ミュージックのような、あるいは初期のジュジュ・ミュージックのようでもある。それらの音楽の交差点を浮遊するようなメロディが歌い上げられて行く。
 ヨーロッパとアフリカとアメリカと。大西洋を越え、各大陸を結んで展開された文化の混交が体現されている感があり、この辺はやはり興奮させられますな。

 それにしても敬虔で爽やかで、ある種ゴージャスでもある音楽世界。歌い手はナイジェリアの有名コメディアンを父に持ち、本人も大学も出たインテリとの事で、今日のナイジェリアの、まさに”ハイライフ”な富裕層を象徴する音楽なのだろうか?
 いやいや実はこのような音楽が意外に普通の庶民に愛好されているのかな?などと想像をめぐらすのですが、まあとりあえず、いつか真相を知る日もあるでしょう、と気長にかまえる・・・しかないですな、何の情報もない今のところは。

マダガスカル・太陽の賜物

2008-03-03 00:46:14 | アフリカ


 "Sofera" by Rajery

 あ~調子悪い。
 いやね、このところ、すっかりしつこい風邪にやられてまして。何をする気にもなれない。
 記事の更新もままならず申し訳ないです。

 それにしても妙な風邪で。他の方々も同じですかねえ。それほど熱は出ないものの、いつまでも喉の痛みが引かず、ずっと頭が重苦しく、妙な寒気が体の中心にわだかまっている。
 こんな調子の日は部屋でおとなしくしていたいんだが、そんなときに限ってしょうもない用事が出来てしまって、鼻汁ジュルジュル喉ゲホゲホ状態で問題解決に出かけねばならなくなったりする。そんなもんですねえ。あ~調子悪い。

 そんなときはアフリカ音楽、それも”熱帯が盛り上がる!”みたいな奴じゃなく、爽やかなマダガスカル方面が良いですなあ。明るい太陽の下、押し寄せ、そして引いて行くしなやかなリズムの潮流に身を任せて来たるべき春の日を夢見る。

 さて、さっき検索をかけたら”ヴァリハのプリンス”なんてチャッチ・フレーズも目に付いたマダガスカルのRajeryの昨年作です。やあしまったな、昨年聞いていたら我が年間ベスト10に確実に入れていたのになあと歯噛みする思い。良い作品です。私好みのアルバムです。

 冒頭、ホッコリしたアフリカ人独特の分厚いコーラスが聴こえ、続いて軽快なリズムに導かれ、ヴァリハの軽やかなアルペジオが素朴な和音を奏でる。マダガスカル独特の、竹筒の周囲に弦を張り渡したハープというか琴というか、の楽器であるヴァリハの、まさに風みたいなタッチで鳴り渡る軽やかな感触が快い。
 そして始まるRajeryのボーカル。これもひたすら爽やかで良いです、うっとうしい冬の日にすっかり飽いた身には。

 曲調はカリプソ、それもまんまハリー・ベラフォンテが「おい、それは俺が歌う曲だろ?」と怒鳴り込んできそうなメロディで、ああすいません、でもいいじゃないですか、ついでだから一緒に歌っちゃいましょうよ、と言われたらベラフォンテも苦笑しつつコーラスに加わるかもしれない。

 ともかくそんな人懐こいRajeryの人間性がよく投影された音楽で、ちょっと立ち寄って一杯飲んで行こうかなんて思わせる、音楽の基本の部分に溢れる気安さが嬉しい。

 走り抜けるリズム、カラカラと鳴り渡るヴァリハ、憂鬱を撥ね退ける陽気な鼻歌。空で微笑むお日さまの賜物。ほかにいったい何が必要なんだい?とRajeryは笑いかけてくる。

 上記、検索をかけている途中で、”ヴァリハのジャンゴ・ラインハルト”なんて表現にも出会って、まるで共通するところのない演奏と思えたんで首をかしげたんだけれど、なんとRajeryは子供の頃の怪我が原因で右手の指を失っているんだね。それでジャンゴの名なんかが引き合いに出されたのか。

 ヴァリハというのは先に述べたとおり、竹筒の周りに張り巡らせた弦を両手で掴むようにして掻き鳴らす楽器で、あれを片手だけでどうやって演奏しているのか、まるで見当がつかない。う~む・・・
 とはいえ、そんな事実を持ち出して”だから偉い!”なんて方向に話を持っていってしまうと、昨今の我が国のテレビ事情と同じ愚劣なお涙頂戴感動押し付け話に堕ちてしまうので、ここは”参考までに”程度で収めておきたい。

 さて、もう一度、不思議の島、マダガスカルに溢れる陽の光と潮の香りを堪能するとしよう。
 

砂塵とサカラの日々

2008-02-25 01:09:08 | アフリカ


 ”Bolowo Bate ”by Yusufu Olatunji & His Group

 まさに”繰言”として何度も繰り返してしまうが、あれはサニー・アデが”ワールド・ミュージックの大スター”として国際的に成功を収めた頃、というからもう20年も前の話になってしまうのか、ある日突如として我が国の輸入レコード店にアフリカはナイジェリア直輸入盤が溢れかえったことがある。アデの人気に便乗して一儲けを企んだ人物がいたんだろうが、いや、あんな企みならいくらでもしてもらってかまわないんだが。

 ともあれ。当方としては狂喜し、あれこれ買い求めたものだったが、すべてを買い占める金はさすがになかった。
 そうこうするうちレコード店もそんなものがそれほど売れる筈も無いと気がつくが早いか、音楽ファンが”流行りものとしてのワールドミュージック”に飽きるが早いか、ともかくその奇妙な商品の洪水は始まったときと同じく、ある日突然に終わってしまった。

 後に残されたのはごく少数の、「どこかに売ってないかなあ、ナイジェリア盤」などとウワゴトを呟きながら街をさすらうアフリカ音楽に飢えた亡者たちだけであった。もちろん、その一人が私なのであるが。ああもう一度、あんな日々がやって来ないものか。

 さて、ユスフ・オラトゥンジである。ナイジェリアのイスラム系音楽、”サカラ”の第一人者。今回、全盛期の70年代レコーディングが現地盤でCD再発されたものを幸運にも手に入れた。

 彼の音楽は、あの”ナイジェリア盤がレコード店に溢れかえった頃”に、たぶん耳にしている。行きつけのレコード店主に聞かせてもらったのか、もしかしたら当時中村とうよう氏が主宰しておられた”アフリカ音楽を聴く会”の例会において、だったかも知れない。

 ともかく当時の印象としては、「これは地味過ぎるなあ」であり、実際、ナイジェリアのイスラム系ポップスというよりは単なる民俗音楽にも聴こえ、まあ言ってみれば外角低めに打球を見送ってしまったのだった。今にしてみれば惜しい、彼の盤も見かけたら買っておくべきだったと反省させられるのだが、まあ今にして思えば、であり、どうにもなることではない。

 オラトゥンジの演じるサカラなる音楽のもっとも特徴的なのは、ナイジェリアの民俗楽器であるバイオリン系の擦弦楽器が使われている点だろう。
 その鄙びたキーコキーコという響きに導かれてオラトゥンジの錆びきった歌声が流れ、それをパーカッションのアンサンブルとユニゾンのコーラスがバックアップする。

 やはりパーカッション+ヴォーカルのみの音楽とは言え、聴き馴れた同じナイジェリアのイスラム系ポップスたるフジやアパラと比べると、確かにずいぶんと素朴な響きのものだ。

 リード・ボーカルとコーラスの、コール&レスポンスを基調にした丁々発止としたやりとりがあるでもなし、パーカッション間の火を吹くようなリズム合戦があるでもなし。まったりとしたメンバー間のやり取りが悠々と流れて行く、ずっとのどかな音楽。
 使用されている音階のせいもあろうが、なんだか日本のご詠歌の合唱みたいに響く瞬間もある。

 聴いていると、かの地のイスラムの人々の日々の生活から流れ出た素朴な祈りそのものを受け止めているような気分になってくる。
 空を覆うサハラ砂漠から吹き寄せてくる砂嵐に吹かれながら、彼らがよくすると言う牛の放牧を行なっている姿などが浮かんでくる。いつか、ナイジェリア音楽を紹介するビデオで見た一シーンだが。

 その悠長な音の響きから伝わってくるアフリカ人の体温の感触をしみじみと噛み締めつつ、うん、”あの頃”の自分にはこの良さは分からなかったかも知れないなあと、分かったような事を呟きつつ。ああ、あなた、どこか知りませんか、ナイジェリア盤が店頭に溢れかえっているようなレコード店を。