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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

ナイジェリア盤再発に乾杯!

2008-01-09 01:32:46 | アフリカ


 下は、”2007年にリリースされた再発盤(リイシュー盤)の中から、 「これはスゴかった」「この再発には泣けたゼ」と思われるアルバムを 10枚選らんで下さい”とのアンケートに対する回答です。
 ちとルールから外れた回答だけど、こんな表現しか思いつかなかった。AYINLA OMOWURAって、我が最愛の歌手なんだよな~。
 それにしてもナイジェリア盤、ともかく手に入りにくいんだよ~。現地に行った人にも難しいってんだから弱ったものです。なんとかならんかの~。

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☆ AYINLA OMOWURA AND HIS APALA GROUP/ CHALLENGE CUP 1974
☆ AYINLA OMOWURA AND HIS APALA GROUP/ OMI TUNTUN TIRU
☆ AYINLA OMOWURA AND HIS APALA GROUP/ ABODE MECCO
☆ AYINLA OMOWURA AND HIS APALA GROUP/ OWO TUTUN
☆ AYINLA OMOWURA AND HIS APALA GROUP/ AWA KISE OLODI WON
☆ HARUNA ISHOLA & HIS APALA GROUP / EGBE PARKERS
☆ HARUNA ISHOLA & HIS APALA GROUP / OGUN LONILE ARO
☆ HARUNA ISHOLA & HIS APALA GROUP / PALUDA
☆ YUSUFU OLATUNJI & HIS GROUP / BOLOWO BATE
☆ YUSUFU OLATUNJI & HIS GROUP / O'WOLE OLONGO


 かっては実現の可能性もなさそうな、単なるジョークにしかならなかった、アフリカはナイジェリアのイスラム系ポップス、”アパラ”や”フジ”や”サカラ”の70~80年代(全盛期!)のアルバムのCD再発が、なんと現地において着々と進んでいた!これは嬉しいニュースでした。
 もっとも、はるか彼方の、なおかつかなりワイルドな(?)リリース事情の国の事とて、現物の入手も困難を極めるのだけれど。
 そんな訳で上に挙げたのはあくまでも順不同。入ってきたリリース情報をコピーしただけで、入手出来なかった盤もいくつか混じっています。日本のレコード会社は出して・・・くれるわけ無いかぁ。

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モザンビークの鰯雲

2007-09-10 22:46:17 | アフリカ


 ”Yellela”by Eyuphuro

 ケニアからタンザニアへ。そしてモザンビーク。ひねもすのたりのインド洋を左手に見ながら、アフリカ東海岸を南に向う。名所も多い。広大なる大地を切り裂く大地溝帯。人類発祥の地。キリマンジャロの頂上の豹の死体。
 それより何より。このあたりは”アフリカン・ポップスの微妙なところ”が気になるファンには見逃せないところ。

 遥か西アフリカでは、ユッスーやサリフの活躍で世界の最前線に躍り出た独自のポップスが躍動し、赤道直下のコンゴでは”アフリカンポップス総本山”の自負に溢れた洒落者のバンドマン連中が、天の神々も踊り倒せとオダを挙げる。
 冒頭に挙げた東アフリカの国々には、そんな極彩色のアフリカ大陸ポップス事情の、いわば裏通り、あるいはカウンター・カルチャーといった趣をそこはかとなく漂わせている。

 東アフリカとは古くから交易によって経済的、文化的に関係の深いアラブ世界。さらに大洋を挟んで対峙する南アジア諸国と蒼古より構成する”インド洋文化圏”なるもの。そして、そのど真ん中に呪物のように屹立する不思議の島、マダガスカル。
 これらの文化的背景が玄妙に絡み合い、独特の味を醸し出す東アフリカのポップス。古くから成立していた海洋性のアフリカ風アラビアン・ポップスであるターラブもあり、どこからどうして生まれ出たのかさっぱり分からぬ新しいサウンドもあり。興味は尽きない。

 そんな東アフリカはモザンビークからの、もうベテランと言っていいのかも知れないバンドが、新譜を出していた。これが2ndであり、と言っても前作、デビュー作が出たのは80年代というから、ほぼ20年ぶりのリリースとなる。悠然たるペースであるが、好き好んでそうなったのかは知らない、もちろん。そして残念ながら当方、前作は聞いていないのだが。

 男女一名ずつのボーカリストと、パーカッションが3名、加えてギターとベース、という編成。
 アフリカ音楽でパーカッション主体のサウンド作り、となると狂熱のリズムの饗宴を連想してしまうが、そこはそれ、だてに海峡を挟んでマダガスカル島が存在している訳ではない。そのサウンドはいかにもアフリカ東海岸のインド洋文化圏ポップス、どこかに潮の香りを感じさせるゆったりとしたノリの複合リズムを聴かせてくれる。

 それはちょうど日本のこの季節を例に取るのがふさわしい。
 まだ夏の暑苦しい太陽は空高く輝いているが、そんな日に、ふと吹き抜ける風一陣。そいつには明らかな秋の気配がしていて、いつの間にか忍び入っていた季節の変化に驚かされる、そんな、シンと静まった空気の固まりを忍ばせた夏の終わりの大気の手触り。
 そんな陰影が、マダガスカル島周辺ポップス(と、仮に呼んでみようか)には潜んでいる。
 その静けさは、どこからやって来たのかいつも不思議に思う、これまたこの地域のポップス特有の哀感を秘めたメロディ・ラインと微妙に響きあい、独特の世界を形作っている。

 光と影の微妙な混交を描きつつ、バンドの音は流れてゆく。ほのかにイスラム色も漂わせつつ、しみじみと哀感漂う女性歌手Zenaの歌声と、どちらかといえば飄々とした個性で歌い流す男性歌手、Issufo。

 二人の歌声の素朴さのわりに、歌詞の英語対訳を読んでみると、いわゆる”メッセージ色”の濃い内容が、やや意外である。
 アフリカの過酷な現実が、当然のものとしてそのような歌詞を歌わせているのか、それとも結成当時から国際舞台で活躍していたバンドの立場から、そのような歌が増えてしまったのだろうか。このあたりは、余所者があれこれ言えることでもないようだ。

 いずれにせよ、よく出来たアルバムで、なかなかの収穫だなと思うのだが、苦言一つ。男女二人のボーカリストはともにシンガー・ソングライターなのであって、自作の歌を交互にこのアルバムに収めているのだが、両者の個性、あんまり響きあっていないような気がする。

 ユッスー等、西アフリカの音に影響を受けたのではないかと思われる女性歌手、Zenaの音楽性と、コンゴあたりの音楽の影響もうかがえる昔ながらのアフリカン・ポップスのありようを受け継ぐスタイルの持ち主、そしてデビュー・アルバムからのメンバーであるIssufoの音楽世界とは、ちょっとズレがありはしないかなあ?
 Zenaがバンドを離れてソロアルバムを世に問い、Issufoがバンドの主導権を握るのがベストではないかと思う。やや社会派色の強いZenaの歌は、元来、飄々としたこのバンドの個性とはちょっと違うような気がする。まあ、この辺は趣味の問題、別の意見もあろうけれども。

ケニア・ナイロビ80's

2007-08-23 01:42:05 | アフリカ


 ”Kenya dance mania”

 日本においてザイール(当時は、その国名だった。今はコンゴである)原産のリンガラ・ミュージックに注目が集まり始めたのはやはり80年代の始め頃と考えていいのだろうか。ルンバ=ロックなる今日的リンガラのパターンをぶち上げたパパ・ウェンバなんて”スター”も生まれたりしたのだった。

 そのあたりにはいろいろ不思議な騒ぎも起こったりしたようだが、ちょうどその頃、田舎暮らしを始めてしまった当方は”東京リンガラ・シーン”の活況を具体的には知らない。どなたか詳しい向きが書き記して下さるのを待つのみである。

 ところであの頃、本場であるコンゴはキンシャサから、はるか離れて東アフリカめざして辺境巡業の旅に出たバンドたちに思い入れていた方は、どのくらいおられたのだろうか。

 オンボロ・トラックに楽器とバンドのメンバーを積み込み、大平原を東へと旅に出る”放浪のバンド”のロマンはなかなかおいしい幻想をかき立てる。 が、もちろん現実は厳しいものだったろう。それでも出かける東アフリカ、ケニアのナイロビなどには、それなりの稼ぎの場が控えていたのだろうか。

 ・・・なんか話の運びがギクシャクしてしまうが、実は暑さのゆえに頭が少々茹っている、お許し願いたい。

 あの80年代、我が日本のリンガラ・ファンの皆がルンバ・ロックに狂い、パパ・ウェンバの動向に注目していた頃、私はそっぽを向いてケニアの音楽シーンに思いをはせ、国境線をまたいでコンゴからケニアに流入したバンドたちの音を追いかけたりしていた。
 まあ、生来のへそ曲がり、という事情もあるが、それ以上にリンガラ音楽展開の地としては”辺境”である東アフリカで、ある意味、歪んだ形に表現を尖らせている連中の音に、不思議に血が騒ぐ、そんな事情もあったのである。

 これに関してはブログをはじめたばかりの頃に、大好きだった在ケニアのコンゴ人バンド、”モジャ・ワン”についての記事も書いたので、参照願いたいが。

 で、この盤、”ケニア・ダンスマニア”は、70年代終わりから80年代にかけての、ケニアにおける音楽シーンを飾った歴史的録音を集めたアルバムである。現地ケニアのバンドあり、コンゴからの、あるいは南の隣国タンザニアからの、国境超えのバンドあり。
 80年代当時は、このような音に焦がれて、ケニアからの直輸入のシングル盤など、どうして見つけ出したのか我ながら驚いてしまうのだが、ともかく買い集めて聴きまくっていたのだった。

 ”本家”たるコンゴのリンガラポップスの音はケニアにおいて、ルオーやキクユといった現地の部族ポップスの影響を受けつつ変質していった。その変質具合に、現実との感性高いバンドマンたちの切り結びようが窺われて、実にスリリングである。

 先に、これもケニアの部族ポップスとして気を惹かれる、ベンガ・ビートについても感じたのだが、バンドの音は、コンゴのものよりずっと”ロックバンド”っぽくなる。よりコンパクトにまとまり、都会の喧騒を駆け抜ける要領を身に付けた、みたいなシャープさを感ずるのだ。

 南アフリカ共和国から、ここケニアあたりにかけての地域における低音楽器の充実を指摘していたのは中村とうよう氏だったか?ともかくここにおいてもベースギターのプレイは確かに素晴らしいものがあり、その方面のプレイヤーの方は是非御一聴をお願いしたいものである。かっこいいぞ。

 ともかく。80年代頃のケニアの文化的状況というもの、どうなっていたのだろう、などと思いをはせてしまう。ここには明らかに、ある一面において、世界の最先鋭に触れた瞬間がある。80年代のケニアはナイロビ!多くの音楽ファンには知られることなく、しかし、最高に弾けていた!

レユニオン島からの便り

2007-07-31 04:19:00 | アフリカ


 ”Sitantelman”by Tifred

 アフリカの東海岸に浮かぶ小島、レユニオン島のローカルポップスである”マロヤ”・・・なんてものがたびたび話題になるなんて場はここぐらいのものだぞ、と無意味に威張っておくけど。
 これは、そのマロヤ・ミュージックのの新人である”ティフレッド”のデビュー・アルバムであります。

 ジャケの、昭和30年代の日本風の版画(?)が気になる。
 あの頃のアクションものの貸本漫画に出て来た”殺し屋”みたいなシルエットが佇んでいる。胸にハート型の風穴が空いていて。

 昔の漫画に出て来た殺し屋ってイメージを受けてしまったのは、その斜めにかぶった帽子や大き目のコートのせいだけれど、これはもしかしたら1940年代のアメリカの黒人たちの間で流行ったズートスーツという奴を身にまとっているのかも知れない。

 聴こえてくるのはいつものマロヤのシンプルなサウンド。メロディ楽器は一切使われていない。パーカッション群とコーラスのみをバックに、ティフレッドの錆びた歌声が、時におどけて、時にしみじみと響き渡る。使われている言葉は、もの凄く訛ったフランス語。おそらく普通のフランス人には理解できないであろうと思われるくらいの、アフリカ語化したフランス語である。

 どれも、長くても8小説ほどのシンプルな、どこか悲しげな風の吹くメロディだ。マロヤを聴くたびに思うのだ、このメロディの中に漂う独特の哀愁はどこからやって来たのだ?と。インド洋に面したアフリカ東海岸の音楽というより、むしろある種のサンバなんかを連想させる部分もなくはない。

 打楽器群だけをバックに、男女数名のコーラスとコール&レスポンスしながら進む歌といえば、まず頭に浮かぶのはナイジェリアのフジやアパラだが、あのような凶悪な熱狂とは程遠い、素朴な民謡調の不思議な哀感を伴う瀟洒な音楽。どこかに潮風の香りも漂っていて。

 シンプルなリズムやメロディを執拗に反復するうちに、どんどん熱くなって行くのがアフリカ音楽の一典型と言えるのだが、マロヤの場合そうはならず、静かな反復のうちに、ただ進んで行く。ある意味、クールである。ミニマル・ミュージックなんて言葉もふと思い浮かんだりするが、それがこの場合、適切であるのかどうかは分からず。

 そしてある時、ふと思いついたからとでもいう感じで、まるで気ままな散歩の終わりみたいに音楽は立ち止まり、終わる。それから再び”詠唱”なんて表現を持ち出したい感じの無伴奏のメロディが歌い上げられ、リズムが入り、次の曲がはじまる。

 聞けば聴くほど、奇妙な音楽だなあとの思いが濃くなる。時の止ったような、古代の世界を描いた絵画から聴こえてくるみたいな、乾いた哀感が吹き抜ける音楽。まだ生まれて間もないこの音楽がどのように変化して行くのか、非常に気になる。そして、音のうちに漂う、正体不明の独特の哀愁の出所も。

陽のあたる島、あのあたりに

2007-06-23 01:20:35 | アフリカ


 ”Mgodro gori”by Mikidache

 ボサノバを”ジャズの一種”呼ばわりにされて頭にきたアントニオ・カルロス・ジョビンが、「ジャズの誕生などよりずっと前から、ブラジルの海岸に寄せる波の音の内から、あのリズムは聴こえてきていたのだ」なんて言ったのだったが、(うん、細部はちょっと記憶が怪しい話だが)そんな挿話など思い出してしまう、これもまた海から生まれ、陽のあたる島で育った伸びやかなリズムの物語である。

 コモロ諸島の音楽、と言ってもそれがどこなのか、すぐに見当の付く人は少ないだろう。アフリカは東南の海岸、マダガスカル島との間に広がる海峡に点在する島々であり、これはその地のローカルポップスのヒーロー、Mikidacheがものしたアルバムである。

 ともかく爽やかな海辺の音楽である。アフリカの地にありながらどこかほのかにアジアの気配をも漂わせる。いかにもインド洋の音楽らしい、といって良いのか、ハチロク系の軽やかなリズムは、まるで南の島に打ち寄せる波のように寄せては返す。
 アルバムの主人公、Mikidacheの陽気な歌声が、晴れ上がった空に向かってどこまでも登って行く。アコーディオンがメインに出てくる部分では、なんだかブラジルっぽくも感じるニュアンスまで現われ、なかなかに楽しいものがある。

 このあたり、つまりはアフリカ東南部はマダガスカル島周辺で歌われる音楽のメロディラインの正体には、以前から非常に興味を惹かれている。
 カラッと乾いているように聴こえるものの、その奥深くのどこかに不思議な湿り気が含まれている旋律。降り注ぐ陽光の元の不意の陰り。あるいは真夏を吹き抜ける一陣の冷風。

 どこからやって来たのやら履歴の分からない奇妙な哀感が、太陽の賜物とも言いたい、このあたりの音楽の芯の部分にひっそりと身を潜めている。それが音楽の表情に、その土地にはありえない日本の秋をも連想させる微妙な陰影を刻んでいる。
 どこからやって来たのか、この湿り気は。

 などというこちらの、もしかしたら考え過ぎの観察を尻目に、この”世界のバス通り裏”みたいな(?)気の置けないちっぽけで愛すべき大衆音楽は、ローカルな祭の華やぎを繰り広げて行く。

 コモロ諸島を構成する島のうちの大部分は、独立国としてささやかな産業なども持ちはするものの、いわゆる”世界の最貧国”のレベルの生活に苦吟しているようである。
 その一方、このアルバムに収められた音楽の故郷であるマヨッテ島はいまだフランス領の内にとどまり、それゆえに、観光地としてそれなりの栄華を享受しているとのこと。

 これもなにやら微妙な気分に誘われはするのだが。
 まあ、そのような部分に関して、地球の裏側の住人たる我々があれこれ言うのも余計なお世話であろう。
 ああ。波の上を音楽が渡って行く。

還れ、アフリカの吠え王

2007-06-13 01:25:24 | アフリカ


 ”1974 CHALLENGE CUP ”by ALHAJI AYINLA OMOWURA

 てな訳で。我が最愛の歌い手、アフリカの暴虐王、故・アインラ・オモウラの名作アルバムがやっぱり現地でCD化されていたのであります。

 入手できて、ともあれめでたい。なんて言わなくてはならないのが悲しいが。思い出す80年代、このアルバムのアナログ盤を中村とうよう氏がMM誌の輸入盤レビューで傑作とほめていたのを読んで、おお、これは入手せねばと翌日、今は亡きメルリ堂なんてレコード店に飛び込んだら楽勝でエサ箱に並んでいて、ホクホクしつつ購入した、なんて記憶があるからだ。

 あの頃は我が国の輸入レコード店に、普通にナイジェリア盤が並んでいたんだよなあ。そいつがまさか、「どこに行っても見つからない。こうなったら現地ナイジェリアまで買出しに行くしかないのか」とか悲壮な決意を固める日が来ようとはね。まったく。

 久しぶりに聞く”チャレンジカップ”は、やはり良い。ジャケとタイトルから想像するにサッカー絡みの作品らしいが、バックグラウンドに関してはなにも分からず。ただ、サッカーなる競技とオモウラの音楽、ともにそのパワフルな疾走感に通ずるものがあり、意味が分からぬままに普通に納得させられてしまうのも、昔と同じだ。

 それにしても、この頃のナイジェリアの音楽というのは力があったんだなあと嘆息せざるを得ない。オモウラの鋼の喉から飛び出す、強力にイスラムっぽいコブシのかかったボーカル、それに呼応して吠えるワイルドなコーラス陣、乱打されるパーカッション群と、音楽全てが一体となって実に堅牢な存在感を主張しつつ、強力にスイングしている。音楽全体に鞭のようなしなやかな躍動感や生命感が漲っていて、いやあ、良いよなあ。

 当時、というのはいつ頃を言うのか私もしかとはわかっていない、なんとなく70~80年代くらいを想定して読んでいただきたいが、あの頃のナイジェリアの音、オモウラのやってるアパラに限らず同じイスラム系のフジや、イスラムと離れて、あのサニー・アデのジュジュ・ミュージックと、どれもほんとに黒光りのする生き生きとした輝きを放っていたものだった。

 今、細々と聴こえてくるナイジェリアの音楽の近況、今ひとつ迷いがあるようにも思えてなんだか心細いのであるが、なんとか昔日の勢いを取り戻してくれる事を遥か地球の裏側から祈るものである。
 いやそれ以前にかの国の音楽、もっと気軽に手に入るようになると良いんだけどねえ、ともう一度ぼやきつつ。

フジミュージック3本勝負・後編

2007-05-22 05:22:13 | アフリカ


 ” FLAVOURS(の2枚目と3枚目) ” by KING WASIU AYINDE MARSHAL

 というわけで、フジ・ミュージックのワシウ・アインデ・マーシャルの新譜3枚組への挑戦は続くのであります。

 そもそもナイジェリアのフジ・ミュージックとの出会いは、同好の志の皆さんと同じくでありまして。あのサニー・アデが”シンクロ・システム”で国際的な成功を勝ち得た80年代に、「ナイジェリアには、こんな音楽もあった」なんて形で知った次第です。

 かの国のイスラム系の人々が生み出した音楽であり、トーキング・ドラムを中心とする打楽器だけによるストイックなサウンド構成、強力なイスラムっぽいコブシを伴うボーカルなどなど、非常に独特の響きがあり、西欧のポップスの影響がまったく感じられない、アフリカ的洗練の極地とでも言いたいその美学が、たまらない魅力でした。

 で、すっかりファンになったのはいいけれど、その後、ナイジェリアの音楽そのものが我が国にはレコード等もまるで入ってこなくなってしまい、もどかしい思いがずっと続いている訳なんですが。

 さて、2枚目。スタートさせるといきなり飛び出すワシウの強烈なしわがれ声。イスラムっぽいコブシがコロコロの痛快なもので、ついで飛び出すトーキング・ドラムの連打。おお、フジだフジだ。こいつは良い。
 1枚目に収められていた演奏よりグンと良くなっている。なにしろこちらはドラムセットが使われておらず、あくまでもトーキング・ドラム中心の重心の低いビートが演奏をリードして行く、それが嬉しい。

 が、喜んだのもつかの間、2曲目はなんと、コンゴ風のギターの音などが派手に鳴り渡るリンガラ調の曲が始まってしまう。なかなかパワフルで出来は良いけど、なにもワシウの盤を買ってまでリンガラを聞く必要はないんだが。

 その後も、正調フジに戻るかと思えばハイライフ風の演奏が始まったりの調子で、もしかしてワシウの今回のアルバムにおける真意は、アフリカ各地の大衆音楽を網羅することであるのか?などと首をかしげた次第。何をやりたいんだろうなあ、彼は。
 なんて調子でいちいち書いて行くと疲れてしょうがないのでラストに行っちゃいますけど、3枚目なんか相当に良い、オーソドックスなフジ・ミュージックの演奏です。

 とにかく原点に返ったプリミティブな響きが良い。この辺は、フジの世界の流行の中心がメロディ楽器の導入等、軽く明るい方向へ流れた際にもプリミティヴな打楽器中心の音作りに固執したワシウの面目躍如たるものがありますな。
 でも。なんですかね、そんな演奏が快調に続く3枚目にいたっても、やはり途中でサックスの音が響き、ハイライフ風の演奏が差し挟まれてしまう。もったいないなあ。フジ一辺倒でやってくれたらどんなに良いか。

 ワシウの真意は分かりません。まあ、聞く側のこちらもフジに固執するのはやめて飛び出してくるすべての音楽を楽しんでしまう気持ちになれば、それで良いのかも知れない。知れないけど・・・

 遠いアフリカ、ミュージシャンの考えなど、分かっていたつもりが全然見当も付かないものだよなあと、チョイほろ苦気味の結論であります。いや、良いんだけどねえ、演奏そのものは。

フジ新作三本勝負・その一

2007-05-21 04:05:21 | アフリカ


 ” FLAVOURS ” by KING WASIU AYINDE MARSHAL

 ”紙ジャケ”なんてお上品なものじゃないです。ヨレヨレとなったボール紙を適当な形に折りたたんで、そこに埃だらけのCDが三枚、押し込んである。まあ、「さすがだなあ。ナイジェリア盤は、こうでなくてはいかん」という気がしないでもない。
 中のミュージシャン自身の解説では、「我が国における初の3枚組CDである。ワシが最初じゃ。開拓者じゃ。わははははは」てなことが書いてあるけど、どういうもんかね。

 というわけで、さっばり音盤も情報も手に入らず、なかなかにもどかしいナイジェリアからの音の便りであります。それも、かの国でひときわ血が騒ぐイスラム系ダンス・ミュージックであるフジの新譜!

 なおかつ歌手は、あのワシウ・アインデ・マーシャル。昔々はワシウ・アインデ・バリスターと名乗り、変質して行くフジ・ミュージック・シーン主流を尻目に、シンプルなサウンド構成で本家(?)シキル・アインデ・バリスターをガシガシ追い上げていた男となれば、これは期待せずにはおれません。

 とは言え、現地の音楽事情がいかがなものかさっぱり分からずなんで、どんな出来やら?無邪気に胸ときめかせつつ、というわけにも行かないのであって。恐る恐るCDを再生してみるのであります。
 まず飛び出してきたのが、おおお、パーカッションのみを従えた作法通りのフジ・ミュージック!余計なキーボードとか入っていないのには救われた気分ですな。

 なにしろ、妙に軽くて明るい音になったり、さまざまな楽器が混入して、ジュジュ・ミュージックっぽくなったりでファンとしては悲しい思いをさせられていた近年のフジ・ミュージックだったんで。もう、イスラミックなメリスマのかかったボーカルとパーカッション、それだけ、というだけで嬉しい。

 とはいうものの、全盛期、と勝手に決め付けますが、あの80年代のフジの、地の底から湧いて出るような重々しいパーカッション群の鳴りは、求むべくもない。あれらが地の底で鳴り響いていたとすれば、この新譜におけるそれは、地上数十センチあたりで鳴っている感じ。軽いです。

 その代りというべきかどうなのか、疾走感が凄い。さながらラゴス発特別快速といった趣で、各楽器絡み合いながら駆け抜けて行く。売り物のトーキング・ドラムよりもペースを握っているのは普通のドラムセット、とりわけスネアの響きのようで。ドドドではなく、スタタタなのですね。軽い。早い。これが今のナイジェリアを支配するリズム感なんだろうか?

 などと言っているうち1曲目が終わりまして、やっぱり始まってしまいます、2曲目はキーボードなどが加わってのアフロビート仕立て。こういうのは好きでやっているのか、やらずには受けないのだろうか?分かりませんが、まあ、フジに集中して欲しいのは言うまでもないことであります。

 それにしてもこの曲もなんか慌しい印象があり、もっとリズムの重心を低くして勝負したらいいのにと思わずにはいられない。ひょっとしてナイジェリアの民衆の心が浮き足立っている事の表象なんだろうか?
 その後、ジュジュになったり、最後にはまた正調フジに戻ったりで1枚目は終わる。ううむ、この時点ではめでたさほどほど、といったところなのであります。

 以下、次回に続く。

エチオピアの秋

2007-02-26 04:23:11 | アフリカ


 ”Zion Roots”by Abyssinia Infinite

 あれはもう20年近くも前になってしまうのか、ワールドミュージックなる言葉がまだ新鮮だった頃、それなりの”ワールドもの小ブーム”に乗って世界各地から渡ってくる珍奇な音を、もともとスキモノの私は大喜びで迎えたのだった。
 それらの中でも”最先鋭”と呼び声も高かったいくつかの作品は、現地の音にヨーロッパの、時にはアメリカの、稀には日本のプロデューサーが手を加えた、”ハイブリッド”なものである事が多かったと記憶している。

 それらの音楽の売り出し文句にいわく、「現地の伝統的な××音楽とヒップホップの出会い!」「民族楽器××と強力に渡り合う、スリリングなシンセの響き!」「まさに原始vs原子!」とかなんとか。
 こちらもまた、その惹き句をそのまま信じ、「このさんざめく民俗打楽器のハザマから沸き起こる現地語のラップの、なんと格好よいものか!」なんて感嘆の声を挙げていたものだった。

 が、”ワールドもの”を聴き重ね、自分なりのワールドミュージック感らしきものが確立されてくると、それらのものがだんだん空しいものに思えてくるのだった。なんか、無理やりの空騒ぎではないのか?
 その”話題性”は、その音楽が世界に向けて飛び出して行く際に人々の耳目を集めるため、必要なものではあったのだろうが、しかし、不自然な形で”いわゆる先進国”のプロデュースが加わることは、そんなにめでたい事なのだろうか?むしろ、音楽そのものを歪める余計なお世話だったのではないか?

 そんなものより現地の人々が日常、聴き馴染んでいる、なんでもない”港々の歌謡曲”のいなたい響きの方がずっと好ましい。
 それはもちろん、”ハイブリッド”な音作りのものにも傑作はあった、それはあったのだが。でもまあ私はかなりの数の”音楽の歴史を変える”筈だったアルバムを、いつのまにか色あせて感じられて来て、中古レコード屋送りとした。それも事実だ。

 さて、3年ほど前に出たこのアルバム。主人公の女性歌手ジジはワールドものの敏腕プロデューサーとして鳴らすビル・ラズウェルの奥さんであるエチオピア人である。現在、二人はニューヨーク在住らしい。となればこれも”時代の先端を行くハイブリッドな大傑作”なのかなあと、ある種、不安に駆られつつ聴いてみたのですよ。という感性も捻じ曲がったものかもしれないが。

 まずは、いかにもエチオピアな、まるで日本民謡みたいな感触の曲で始まる。尺八のようなフレーズで絡んでくるサックスとともに、”津軽平野に雪降る頃はよ~♪”みたいなメロディが歌われ、解説を読むと、これはエチオピアの民謡のようだ。

 分厚い響きの打楽器が空間を埋め、それに乗ってジジの歌声が流れる。恐れていた(?)満艦飾のきらびやかななものではない。とはいえ洗練された音作りではあり、エチオピアものに多いアクの強い響きではない、むしろ、なんとなくマダガスカルやらレユニオン、といったインド洋ものを思い出させる、淡い水彩画的な手触りがある。

 ここではアフリカは生々しいものではない。擦りガラスの向こう、そぼ降る雨のむこうから広大な大地が呼びかけてくる感じだ。
 ここでの、ジジにとってのアフリカは何なのか?ニューヨーク暮らしを続けているから、と言っても、そこにあるのは望郷の念でもなし。いずれにせよ、ラズウェルの手により抽象化された”アフリカ”をジジは演じている。

 音楽として好ましいものであるか否かと問われれば、好ましい感触はある、と言わざるを得ないだろう。だが、「これは一体どこの音楽なのか?」といった若干の落ち着かなさもまた、あることは事実だ。
 かって、ブーム全盛期(?)のような派手な演出ではない、むしろ”引き”の印象が強い作りのこの作品、”外国人が手を出した現地音”の新機軸であるのかどうか。
 現地エチオピアの人々には、この音はどう聴こえるのだろうか?このあたりの本音を尋ねてみたいと思うのだが。
 

ニジェール河のサイケデリック

2007-01-06 03:10:45 | アフリカ

 ”Introducing ” by Etran Finatawa

 アフリカはサハラ砂漠のただ中に浮かぶように存在する国、ニジェール共和国の新進グループのデビュー・アルバム。
 遊牧民たちのディープ・ブルースといったところなんだろうか。いかにもハードな砂漠の暮らしに耐えつつ生きて行く人々らしい、どす黒く重たい、タフな音楽が展開されている。

 編成としては、エレクトリック・ギターが二人に民族楽器とコーラス担当が4名という折衷ものだけど、電気楽器はかの地の伝統音楽の流れに忠実に従い、音楽上の革命を起こすなんて気はないようだ。
 反復される呪術的な重みも伝わる複合リズム。土俗的歌声。エレクトリックギターも地道に反復フレーズを奏で、バンド全体が織り成す複合リズム網の一要素に終始しようとしている。

 聞いているとイメージ的に初期のシカゴ=ブルースとか、その辺を想起させる響きがある。音楽的に似ているわけじゃないんだけれど、地面から引っこ抜いてきたばかりの音楽に、荒々しく重苦しい電気ギターの響きが無理やり乱入した結果、音楽的にはイナカ当時の姿のまま、奇妙に今日的な生々しさを獲得してしまっている、その辺りが。

 その生々しさを持ってワールドミュージック最前線へ、と持ち上げたいところだが、実はひとつ注文があるのであって。
 3曲目だったかな、そこにおいてギターが、ある種サイケデリックというかニューロック的というか、そんな世界を予見させる動きをひととき、見せるのだが、それがある種の妖気を放っていて、ちょっと良い感じだったのだ。

 というか、それを聴いて「おっ!」といきり立ってしまった当方としては、その世界をもっと膨らませて欲しいのだ。こちらの血を騒がせた”サイケな予感”は、その一曲だけで収まってしまったのだが、あれ、全面展開してくれないかなあ。

 まあ、彼らがベースとしているのであろう現地の民俗音楽の、ろくな知識もない当方なのであって、まるでむちゃくちゃな要望を出しているのかも知れないが、いや、おいしかった料理は何度でもリクエストする、客としての当然の権利として、勝手な事を言わせていただく。それに、私のような物好きがもっといたとしたら、めっけものじゃないか。