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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

マダガスカルの夕日の唄

2009-10-09 02:32:14 | アフリカ

 ”Lafrikindmada” by Lindigo

 久々、アフリカはマダガスカル島の沖に浮ぶ島国、レユニオンから届いた島唄”マロヤ”の新作ヒットアルバムだ。
 冒頭、無伴奏のコブシ入りの詠唱が始まったときは、そのニュアンスがまるでナイジェリアのアパラみたいに聴こえてドキリとさせられたのだが、リズムが入りコーラスが被さりしてみれば、そのノリはずっと軽やかで、どこかにほのかな潮の香りさえ漂う。

 どちらもパーカッションとボーカルがメインの音楽でリードボーカルとコーラス隊のコール&レスポンスも多いという事情もあり、行き掛かりのついでで比べてしまえば、ナイジェリアのフジやアパラとこのマロヤでは、この涼やかさが決定的な違いだろう。地の底に引きずり込まれそうな重苦しさはマロヤにはなく、パーカッションのアンサンブルもむしろサンバなどに近い軽やかさ。

 また、イスラム風に曲がりくねったコブシ入りのメロディがうねりつつ続くフジ等と比べ、このマロヤはよりシンプルな、メロディというよりは断片的なフレーズの繰り返しがメインであり、構造的には原始的な民俗音楽に近いものである。にもかかわらずマロヤのほうがずっとお洒落な都会調の響きがあるのはなぜだろう?これも旧宗主国、フランスの影響なんだろうか?そういえば一部、歌詞がフランス語だったりする。

 ミュージシャン自身にしてもそうで、中ジャケの写真など、さっきシャワーを浴びてコロンを振ってきました、みたいな爽やかさが漂うリンディゴのメンバーである。
 もう何枚もアルバムを聴いてきたのだが、このマロヤなる音楽、さっぱり正体がつかめない。マダガスカル沖ということで、アフリカのインド洋領域の音楽と捉えるべきとは分っているのだが、その先の見当が付かない。

 見当をつけようとしても、この涼やかさ、軽やかさ、そしてどこかにふと漂う潮の香りと不思議な哀感に心をもって行かれてしまって、インド洋の果てに吹く風の感触など茫然と想っていたりする。この哀感漂うメロディはどこからどのような道を辿ってやって来たのだろう、なんて事をぼんやり考えていたりする。

 アフリカン・ポップスといったってこのマロヤ、聴く側の感じで言えば、むしろ秋が似合う音楽なのだ。アルバムの終わり近く、アコーディオンが簡単なフレーズを何度も繰り返し、パーカッションのアンサンブルがそれに呼応してリズムの共演が行なわれても、演奏の場は熱狂に向うことなく、どこかにシンとした島の空気の存在を伝えるばかりだ。

 そうこうするうちにアルバムの最終曲に至り、インド洋に沈む夕日のイメージを残しながら、パーカッションのアンサンブルはフェイド・アウトして行く・・・




アフリカン・カリプソの午後

2009-09-04 20:49:48 | アフリカ
 ”Marvellous Boy ; Calypso From West Africa”

 1950~60年代あたりに西アフリカ各地で愛好されていたというカリプソ音楽のヴィンテージ録音集。ガーナやナイジェリアあたりのミュージシャンによるレコーディングということであります。
 かってベルギーの植民地であった関係で公用語としてフランス語が使われていたコンゴで、アフロ=キューバン音楽が好まれていたなんて歴史とどうしても並行して考えてみたくなる。 やはり言葉が分るというのは重要な要素なんでしょうか。

 イギリスの植民地支配を受けていたガーナやナイジェリアで受けていた”洋楽”が、カリブ海でも同じイギリス領で、唄も英語で歌われているトリニダッドで生まれたカリプソである。 一方、元ベルギー領でフランス語が公用語として使われているコンゴで流行したのが、同じラテン系の言葉であるスペイン語の歌詞を持つアフロ=キューバン系の音楽であった、という。まあ、そこまできっちり分かれるものかどうか不明ですが。

 とりあえず聴いてみたのですが。同じアフリカ人による”洋楽コピー”でも、アフロ・キューバン系音楽の持つミステリアスでエロティックな雰囲気というのとは、確かに違うものがあると感じられます。
 こちらは、元が風刺と諧謔の音楽であるカリプソでありますからね、音楽に込められた情念のようなものについては、よりクールな覚醒感覚があるように思えますな。アフロ・キューバンのカチッと決まった形式と比べると、よりルーズで、なおかつユーモラスなパフォーマンスもあるカリプソでありますゆえ、かなり肩の力の抜けたやりたい放題の姿勢が覗われるわけです。

 その”やりたい放題”ゆえに、結果として”アフリカン・カリプソ”はアフリカの伝統音楽の水脈にもぬけぬけと直結してしまっているんじゃないでしょうか。各楽器が長々とジャズィーなソロを聴かせる、なんて技巧的な箇所においても、その、ちょっとした間抜け感覚もある飄々とした手触りが、まぐれ当たりでアフリカ音楽の古層に到達してしまっている、そんな風景が見えてくるような瞬間があるのです。

 そしてこれらの音が時を経、たとえばフェラ・クティのアフロ・ビートに、あるいはサニー・アデのジュジュ・ミュージックへと展開して行く訳ですな。と思って聴いて行くとなかなかに血が騒ぐものがある。
 けどまあそんな事を思う以前に、日向ぼっこ感覚の間抜けた(褒め言葉)ファンキー感覚の緩い刺激を楽しんでいたい気がするのですね。

 この盤自体に関わる試聴は見つけられなかったのですが、この盤に収録されているミュージシャンによる別の録音など貼っておきますんで、どんな感じの音楽かなどお確かめください。
 ↓



あの日、コンゴのディスコでは

2009-08-10 01:35:51 | アフリカ
 ”THE WORLD IS SHAKING”
 (Cubanismo From The Congo,1954-55)

 独立前の”両コンゴ”における都市型大衆音楽の記録という事で。つまりは、コンゴが独自のルンバ世界を確立してブラック・アフリカを席巻、”アフリカン・ポップスの総本山”とまで言われる以前、まだアフリカに里帰りをしたアフロ・キューバン音楽のコピーなどにコンゴの人々が夢中になんっていた頃の記録なのだろう。
 リンガラ・ポップスの夜明け前、神話時代のレコーディング。こういうのってワクワクしてしまうよなあ。失われた歴史のページを開けるって感じかな。

 当時のコンゴの社交界、いやいや盛り場の雰囲気を伝える中ジャケの写真群が興味深い。これもズート・スーツの流れを汲むものといってしまっていいのか、独特の幅のパンツを履いた伊達男どもと、アフリカの伝統衣装で着飾った女たちが踊りを楽しむダンスホールが泣ける。
 ステージの上のバンドの足元に置かれた優雅なほど古臭いスピーカーが嬉しい。当時は、「そんなものはジャンゴ・ラインハルトしか弾きたがらないだろう」と突っ込みたくなるようなF穴のギターが愛用されていたようだ。バンドのメンバーには革靴を履いている者も、サンダル履きもいる。

 そして聴こえ来るは、物悲しくも懐かしい、アフリカ式キューバン音楽の鄙びた響き・・・・と言ってしまうのは簡単だが、なんか聴いているうちに「今も昔も変わらないんじゃないのか」なんて気がしてきてしまったのだった。
 だって、このギター群の響き。こいつはそのまま今のキンシャサに直結するものとして聴こえるんだもの。この”ギター・愛好会”ぶりが、さあ。「ほら、あのフレーズが出たじゃないか、あ、これは」と、入り込んで聴いているとそんなに昔の音楽を聴いている気分でもなくなってくるのだった。

 さすがに途中でブレイクしてリズムが変わりダンス・パートに突入、なんて事にはならないし、パーカッションの大々的な参加もなく、カチカチとクラーベを打つのんびりとした拍子木の音が響くのみではあるのだが。それでもともかく複数のギターが技巧を凝らして絡み合いつつバンドをガシガシと引っ張って行くのだ、リンガラ・ポップスに向って。

 親指ピアノが前面に出た曲もカッコいいし、あちこちで濃厚に漂うアフリカ臭(あって当たり前なんだが)には、やっぱりドキドキさせられる。
 この頃からすでにコンゴは一歩前に出ていたと思わせる前のめりの創造性が刺激的だ。カッコ良いっス。
 
 (さすがに試聴は、You-tubeにはありませんでした)



ケニアを流れて

2009-08-02 05:23:43 | アフリカ


 ”3rd Album”by Lovy

 えーと、これはオルケストル・スーパー・ロヴィの盤ですね。何度かこちらでもお話に出てきました、より安定した働き口とギャラを求めて国境を越え、東アフリカへ向ったコンゴ(旧ザイール)のバンドの一つですな。そんな彼らが出稼ぎの地、ケニアでリリースしたアルバムのようです。

 これ、手に入れたのはもう20年以上前なんだなあ。当時、東アフリカで活躍する出稼ぎリンガラバンドに興味を惹かれ、何とかその連中の現在進行形の音が聴けないかなあ、とか思っていた。けど、当たり前のザイールのバンドの盤の入手も思うに任せない状況なのに、ケニアの音なんて。とハナから諦めていたところに、ひょっこり数種のケニア直輸入盤が現われましてね、我が日本の輸入レコード店の店頭に。

 もちろん、大喜びで買い漁りましたよ。その中には、そのすぐ後に日本の写真雑誌、”写楽”なんてのにオフ・ステージ姿が載って驚かされた”ファースト・モジャ・ワン”とか、最近、名作と噂の盤をリリースしましたモーゼ・ファンファンなんかの作品が含まれていた。
 で、「この調子でガンガン、ケニアの音が聴けるようになるんだろうか」とか期待したんだけど、この一波で終わりだったなあ。その後、こんな上手い話はないまま、ワールド・ミュージックの季節は終わって行ったのだった。

 スーパー・ロビーの音楽は好きでしたね。リーダーのロビーの素っ頓狂なくらい甲高く、でも強靭なバネを感じさせる歌声と、故郷コンゴにいる頃よりは(って、その頃を知っている訳じゃないけど、まあ、想像でね)ずっと音数は少なく、でも何倍も鋭角的なものになっているサウンドがカチカチと地を穿つ、そんな、ある意味、都会的なタフさを帯びたその響き。いかにも”異郷で戦っている”って感じがして、かっこ良かった。

 まあこのアルバム、音楽もそんな具合でもちろん好きなんですが、上に掲げたジャケ、これが妙に気に入ってましてですね、ちょっとこのブログにも載せておきたかった、そんな事情もあるんです。
 かっこつけてカメラの前でポーズをとる歌手のロビー。でも、後ろに写っているのは古ぼけたオート三輪の軽トラ。このズッコケ感がなんともいえず楽しくてね。この写真がコンゴで撮られたのかケニアで撮られたのかわからないけど、このいかにも路地裏のヒーローって感じ、愛さずにはいられません。

 どうしているんでしょうねえ、彼らなんかは今頃。まだステージに立っているんだろうか?立てているんだろうか?20年以上の歳月ってのは重いよなあ・・・

 (さすがに試聴は見つかりませんでした)

乾杯、ダルエスサラーム!

2009-07-31 02:08:35 | アフリカ

 ザンジバラ第5集 ”Hot in Dar”

 東アフリカのスワヒリ大衆音楽を紹介するシリーズの第5集である本作は、70年代から80年代にかけてのタンザニアのダンス・ミュージックの姿が捉えられている。
 サハラ以南の、いわゆるブラック・アフリカを席巻したコンゴ(旧ザイール)のルンバの影響を、彼らもまた濃厚に受けつつ、しかし独自の、良い意味での緩さを獲得し、独自のファンキーさを謳歌していた、そんな時代のタンザニアのダンス・バンドたち。これは、久しぶりに聴いてみたらなかなかの拾い物だったのだ。

 この頃はもう、”本家”のコンゴの最前線では時代遅れとなりつつあったのではないか、トランペットとサックスからなるホーンセクションが奏でる、どこか素っ頓狂なイントロがすでに楽しい。同じくコンゴのそれと比べるとずいぶん水分の少ない感じのギターが数台、似て非なるフレーズを絡ませ合い、その交錯する辺りから生き生きとしたリズムの泉が湧き出る。

 それにしても、ベースの自由度は恐るべきものだ。リズム楽器としての自覚さえなく、気ままに弾きたいフレーズを弾き散らしているだけとさえ思えてくる。が、楽曲を支える大きなリズムのくくりの中では、そいつは強力なスパイスとして機能する。
 そして始まるボーカル群は、まさにインド洋の果てしない広がりの中をのんびり水浴しながら世間話を交わすような、雄大にして伸びやかな響きがあり、聞き手をすっかりリラックスさせてくれるのだった。

 ともかくここに収められたどのバンドの音楽にも、タンザニアの夜を覆う、どこかに海の風を孕んだ熱くでっかい空気の感触が覗われて、その独特のリズミックな極楽感覚はたまらない魅力である。で、どうしても綾なす海、インド洋の潮の香りなんてものをこの音楽から感じてしまうのだが、それはこちらの思い込みなんだろうか?
 というわけで、このクソ暑い日本の夜の向こうに無理やり幻視してみるタンザニアはダルエスサラームの一夜に乾杯。

 (試聴は、探したけれど見つけられなかったので・・・)

ヴィクトリア湖の雲

2009-07-05 02:28:25 | アフリカ

 ”ENDURANCE”by Les Mangelepa

 もう日付けは昨日になってしまったが、いきなりクソ暑い夏が一気にやって来た土曜日、もはや海水浴モードに入ったかに見える観光客諸氏の群れを背に家にこもり、役所に提出する面倒くさい書類2通を作成するために、めったに座らない仕事机の前に座り、覚悟を決めてCDプレイヤーをスタートさせたのだった。
 仕事のBGMに選んだのが、東アフリカ流浪バンドの元祖と言えるのかもしれないコンゴ・ルンバの”マンゲレパ”のアルバムだった。

 バンドのメンバーから機材から家族に家財道具一切までを車に押し込み、より良いギャラを求めて国境線を越えて東に向かったコンゴ(当時ザイール)のまさに”トラベリン”バンドの流浪の物語は以前、この場に書いたことがある。
 まあこちらは、アフリカの太陽の下、そんな風の吹くままのバンドマン稼業なんてちょっと良いじゃないか、とか適当な事を言って安易なロマンに酔っていればいいが、現実にやるとしたら、そりゃハードだろう。と言いつつ、資料さえ揃えば彼らを主人公に小説の一本も書いてみたい欲望にも駆られる。

 東アフリカを流浪したバンドを聴く醍醐味の一つは、行く土地それぞれの現地の音楽に影響を受け、というより現地の人々に”受ける”ためにというべきか、さまざまに変化していったサウンドだろう。もともと彼らが持っていた”本家コンゴ・ルンバ”たるリンガラ・ポップスに現地のリズムが、メロディが、言語が混じりこみ、異郷にある緊迫感と自由さが不思議に交錯した、独特のファンキーさを形作っていた。

 そんな東アフリカ出稼ぎバンドのサウンドに惹かれ、彼らのアルバムを夢中になって探していたのは、もう20年以上も前になるのか。このCDだって、そんな昔の思い出のために買い求めたものだが、実は一度も聴く事もなく退蔵していたものだった。
 久しぶりに聴くマンゲレパの音は、当然というべきか二周りくらい時代が過ぎてしまった音がした。アフリカン・ポップスの辺境にあって時代を鋭く撃つ!なんてこちらの思い入れから解き放たれたその音からは、やっぱり広大なアフリカの草原の空を悠然と行く雲のイメージがこぼれた。

 ボコボコと地の底から湧き出るような、独特のファンキーなフレーズをベースが奏で、ドラムが奔放に暴れまわる。ギターやホーンやボーカル群が織りなすアンサンブルもずいぶん隙間の多いもので、そのルーズさが生み出す高いファンキー度が嬉しい。
 間奏でホーン・セクションがアドリブ合戦を繰り広げる一幕があるが、こいつも”東アフリカ・ジャズ研究会”とあだ名を付けたくなるような気楽なノリがあり、こちらまでニコニコと幸せになってしまう運びだ。

 そんなバンド全体を覆うアバウトな乗りが、”本家”コンゴのバンドの、きっちりと構築されたアフリカン・ルンバの美学をあざ笑うかのように陽の当たる草原を疾走して行く。良いよなあ。昔好きだった”Malawi Zikama”なんて曲は今聴くと、倍、良い曲に感じられる。いかにもアフリカらしい、野生が吠えてる感じのメロディ。

 そんな彼らの出稼ぎ天国も永遠のものではなく、そのうちケニアの政府が自国の芸能者保護のために外国人バンドを締め出すような政策を取り、バンドたちは一番の稼ぎ場所を失って、さらに東アフリカの辺縁へと流浪を続けて行くのだった。
 とか言ってるが私も彼らのその後の運命を知らない。ちょうど同じ頃、本家コンゴで興隆を迎えていた過激なサウンド、”ルンバロック”の諸作がようやく日本でも手に入るようになって来ていて、そちらを追いかけるのに忙しくなって来ていたからだ。うん、観客なんて気ままなものです。

 いやほんとうに、彼らはその後、どうしたんだろう?などと今頃思ってみても、調べようもないことなのだが。
 

●試聴はこちらで


ギニア・ビサウのサイケな夜

2009-06-26 01:57:00 | アフリカ


 ”Super Mama Djombo ”

 あれはなんて雑誌に掲載されたのかなあ、ある人が書いた東アフリカ放浪記の中に、現地ケニアの若者と二人でギターを弾き合うなんてシーンがあって、そこで弾かれたのがブルースだと言うんで、あれ、そうなのか?と意外な気分になったものだった。
 だってさあ、アフリカのあの辺りだったらコンゴっぽい、リンガラ・ポップスのギターとか弾くんじゃないの?とか思ったんだけど、アフリカ人なら誰でもあのコロコロキラキラしたフレーズを弾けるってものでもないってことですかね?「とりあえず弾けはします」レベルの奴は、我々日本人のシロウトが酔った勢いでギター抱えた時とあんまり変わらないネタを披露するものなのかも知れない。

 なんてどうでもいい事を思い出してしまったのであります。70年代、独立直後のアフリカはギニア・ビサウで活躍したという、かの国の当時のトップバンド、Super Mama Djomboを聴いていたら。
 なにしろ突然、”サイケなブルース・ロック”ってな感触のギター・ソロが飛び出してきたんで。音楽の全体の形としてはやはりリンガラっぽい、コンゴ・ルンバの影響大の世界なんだけど、そのど真ん中に、私なんかの年代には”懐かしのニュー・ロック”とか言いたくなるギターの長めのアドリブが置かれている。こいつはなかなか不思議な気分であります。
 ことに、ちょっとモトネタの分からないモヤッとした雰囲気のスローものなんか、60年代末の欧米のサイケデリック・サウンドのバンドに極似した瞬間があったりもするわけで。うわわ、なんだこりゃ?

 この辺、どのくらい自覚的にやっているのかなあ?結構ドサクサにブルースっぽいギターを間奏として放りこんで行くうちに出来上がってしまったサウンドではないか?なんて想像したりもするんだけど。なにしろ全体に、濃厚にB級っぽさの漂うSuper Mama Djomboであります。なんか、まぐれ当たりで相当スリリングな表現を生み出しかけていた、とか言ったら失礼か?
 そして、コンゴのバンドの影響を受けているとはいえ、決してあの狂おしき恋歌から狂乱のダンスパートへ突入し、終わりなきダンス・ワールドに観衆を誘う、なんて熱っぽさもまた、バンドからは感じられない。どこか音楽の底の方に、ひんやりとした感触が横たわっている。 この辺りは元ポルトガル領の国の音楽らしいと言えば言えるでしょう。

 いや、不思議なバンドがいたものです。この奇怪な熱帯サイケ世界が、独自性を保ちながらうまい事成長して行ったら、ずいぶん面白い物が出来上がっていた・・・かも知れないと思います。まあ、なんとも分かりませんがね。今日、ギニア・ビサウにそのような音楽が存在するとの噂は聞きませんが。

フィレンゼの屈辱

2009-05-22 03:38:51 | アフリカ


 ”BEST OF PAPA WEMBA ”

 欧米で言うところのルンバ・コンゴリーズ、我が国ではなぜかリンガラ・ポップスと呼ばれる音楽。カリブ海からアフリカの地に里帰りしたアフロ・キューバン音楽が、再びアフリカの地に馴染んで、馥郁たるリズムの宮殿として生まれ変わった。
 アフリカど真ん中、コンゴに発してブラックアフリカ全域を席巻するリンガラポップスはこのようにして発生し発展して行った、と言う事でいいですか?
 めんどくさいなあ。こういう説明的な文章を書くのがともかく退屈で大嫌いなんだ、前にも書いたけど。何とか省略する方法は無いものですかね。

 で、ですね、そのリンガラの世界に”ロック世代”の感性を売り物に飛び込んで”ルンバロック”の看板を掲げてリンガラの世界を大改革した男、パパ・ウエンバ。こいつはかっこよかったですなあ。
 我が国でも一時は結構な人気者で、毎年のように来日して公演して行きましたな。今となっては、よくそんなことが起こり得たのかと呆れてしまうんだが。だって今、”結構な人気者で”と書いたけど、アフリカ音楽に注目している仲間なんて、今も昔も変わらず、ほんの一握りの物好きたちだけでしかなかったんだからさ。(何度も行なわれた日本公演、とはいえ、場所は東京ドームなんかじゃない、ほんとに小さな会場だったんだからね)

 あの頃の、あの盛り上がりはどうしたんだ、とか言いたくなるんだけれど、ようするにワールドミュージックのつかの間のブームもバブルと共に去ってしまって久しい、と言うわけだ。
 そんなわけで、遠いアフリカのポップス界の噂も途切れ途切れとなり、日本の我々がやって来た不況をどうにかして生き残らんとしていた頃、年代で言えば1990年代から2000年代にかけて。アフリカンポップスの総本山と人の呼ぶコンゴはキンシャサの街で、パパ・ウエンバもまた、生き残るための戦いを続けていた。その記録たるアルバムが、この二枚組CDであるわけだ。。あ~、やっと本題に入れる。ここまで来るのに疲れちゃったから本題は軽く流すけどね(おいおい・・・)

 冒頭、ギターなどよりシンセの目立つクールめいた音作りが聴こえてきて、日本や欧米を相手にするならともかく、現地アフリカでこんな音を出していたのかと驚かされる。
 もうここでは、かってのリンガラで聴かれたような、何本ものギターのフレーズが絡み合い、赤道直下の広大な雨林地帯を覆う木々の囁きあいが再現されたり、熱気のうちで鳴き交わす生き物たちのぬくもりを伝える分厚いコーラスが大気を震わせたりはしない。あるのは電子楽器中心に構成されたファンキーなダンスミュージックと、パパ・ウエンバのパワフルなソロの歌声ばかりだ。

 が、聴き進むにつれ音の内にはアフリカの熱い魂が徐々に漲って行き、こちらもいつかスピーカーの前で握りこぶしを固めている自分に気が付く次第。形はリンガラとかなり違ったものになったとはいえ、戸惑いが去れば後はパパ・ウエンバの構想する新しいアフリカ音楽の世界の広がりに魅了されるばかりなのだ。新しいリズムの展開、パワフルなコーラスの提示、いやもう、ともかく聴いてみてくれっ。

 私が一番好きになったのは意外に、二枚目の冒頭のちょっと気取った曲だったりする。あちこちの曲のうちで、掛け声に日本人の名前が使われていたり、”コンピラフネフネ”のメロディがブラスの音で変奏されたりするのはかなりむずがゆい気分だが、これも何度にも及んだ日本公演の”成果”なんだろう。
 でもやっぱり・・・現地の人たちにはどんな具合に迎えられたのかねえこの音は?とも思わずにはいられないのだが。

 そして。このアルバム評を絶賛では終われない事情に、最後に触れねばならない。ジャケ写真である。

 ジャケ裏の写真は、暗闇の中で目を見開き大口を開けたパパ・ウエンバの顔のアップである。バックの黒に顔の輪郭は溶け込み、目と歯ばかりがギラギラと目立つ絵柄。こんなの、フェラ・クティなんかがよくやっていた構図だけど。それから中ジャケ。金の”玉座”に座って、ハリウッド調?のキンキラキンの装飾品だけを身に付けた半裸のパパ・ウエンバ。彼のこんな姿は、はじめて見た。
 おい、いつの間に、そんなヨーロッパの白人連中のカビの生えたような”暗黒大陸アフリカ”観に沿った演出に付き合ってやり、奴らのご機嫌を取るような人間になってしまったんだ、パパ・ウエンバ?

 これはかなり情けないと言うか見たくない写真だった。フェラなんかがそのような写真を撮る際に滲ませたアイロニーは、そこには感じられない。ただ、グロテスクな昔ながらの”アフリカの土人”を演じて外国人の異国趣味にアピールしたい、そんなスケベ根性だけである、そこにあるのは。
 ウエンバよ、あなたはアルマーニのスーツでビシッと決めてマイクの前に立つのを好んだ”サップール”ではなかったのか?それが”カッコ良い”と認識されるものなら、たとえそこが赤道直下アフリカの熱気でうだりそうなディスコであろうと分厚い革ジャンを羽織ってステージに上る、そんな”ディンドングリッフ”精神で生きている男だったはずじゃないか?

 どういう事情でこうなったのか知らないが、やはり生きて行くのはままならないものがあると、舌の奥に苦いものの残る一枚ではあったのだった。音は結局は好きになれたんだけどねえ。

爆走車椅子inキンシャサ

2009-05-11 02:10:16 | アフリカ


 ”Tres Tres Fort”by STAFF BENDA BILILI

 あのとてつもないアフリカン・バンド、コノノNo.1の仕掛け人氏が満を持してまたもコンゴ国はキンシャサから送り出したバンドがこれで、もう目端の利く人は話題にしているから、私がいまさら話題にする必要もないのかもしれない。が、文章にしたいから勝手に書く。文句あっか。
 キンシャサの街頭で路上生活をしている、体にハンディキャップを持つ人々と、彼らの世話をしている少年たちによるバンドとの事。小児麻痺で下半身をやられた人がほとんどらしく、皆、車椅子に乗っているのだが、その前部に自転車の前輪が付けられて暴走可能(?)な構造になっているあたり、その心意気や佳し。集合したメンバーを見ると、バイクに乗った暴走族にどうしても見えてしまうあたり、痛快である。

 バンドの楽器事情も、一応ギターやベースは使っているのだが、全体にそこはかとなくコノノに通ずる”ゴミの山から拾って来た”みたいな風格?が漂う。
 ことに、少年メンバーの一人が奏でる一弦ギター(何のことはない、空き缶の上に張り渡した弦を引っ張ったり緩めたりして音程を作り、指で弾いて演奏するもの)が素晴らしい。
 大正琴がスチールギター化したみたいなスラーのかかった哀感ある音で、不安定な音程をむしろ逆手にとって奇妙な幻想味をまき散らしながら、メロディを紡いで行く。こいつが実にファンキーで、アップテンポの曲で長めのソロなど取られると、たまりません。もっとやれもっとやれ。しかし、妙なものを発明したものだ。

 バンド全体のサウンドはやはり破格のリンガラと言ったところなのだが、冒頭の曲が高揚した際に発生したリズムの”ガッガガガガッダガッガッガ”とハードなクラーベの乗りに、あのスリット・ドラムの響きなど思い出し、彼らにルンバロックの残滓を見て勝手に嬉しくなったりする。
 3曲目のリンガラ化したジェイムス・ブラウンのナンバー”Sex Machine”など、ことに楽しい。その他、レゲなども良い味を出し、幅の広いところを見せつける。

 素晴らしかったコノノNo.1だったけど、すぐに名前を聞かなくなってしまった。この連中は、どこまで行ってくれるんだろう。ブラック・アフリカの音楽、このところ景気の良い話は聞けないので、なんとか前線に踏みとどまって欲しいものだ。
 ところで彼ら、どこの出身なんだろうか?標準リンガラ語で歌っているのだろうか?なんか妙に”空耳アワー度”の高い歌詞群なのだ。妙な「日本語歌詞」を口走っている場面、いくつも見つかる。リンガラ語って、こんな響きだったっけ?

地球の岸辺にて

2009-03-26 04:19:02 | アフリカ

 ”Afai Bawon Ja”by King Sunny Ade

 昔、こういう人がいたんだけれど、もうお忘れでしょう?・・・とか、同好の方々にジョークで呼びかけてみたくなるんですが。まあでもこの言い方は、半分ほんとに皮肉ですからね。だってサニー・アデが今、何をしているか知っている方、おられますか?あれほど大評判を取った人だったのに。私は知りません、自慢じゃないが。
 あのナイジェリアのジュジュ・キングの、これは70年代初頭に行なった演奏の発掘音源のようです。裏ジャケに”1970-75”とあるんで、そのあたりのレコーディングでしょうか?

 まだ、”ワールドミュージック・ブームの大看板”として大舞台に引っ張り出される事になろうなんてご当人もまったく考えていなかったであろう頃のサニー・アデの、のびのびとしたプレイが聴ける。
 ナイジェリアものとしては毎度お馴染みの長尺の演奏で、各楽器とも、心行くまでインプロヴィゼーションを繰り出し、絡み合い、白熱のノリを織り成しています。全体のサウンドは、まだまだ”世界デビュー”以前のゴツゴツとした手触りで、アフリカ・ローカルの鄙びた輝きに満たされている。

 ポコポコと口数多く動き回るベースとか、結構”ニューロック”状態のフレーズもあり、で切り込むギターとか、この辺は初めて聞くパターンなんでなかなか楽しく、また刺激的です。 定番の複数のギターのキビキビとしたフレーズの応報、その狭間を駆け抜けるスチールギターの響き、おなじみトーキング・ドラムを中心とした各種パーカッションの繰り出すリズムも強烈で、ああ良いよね、アフリカ音楽ってと、ごく普通に思えたりします。
 ほんとに生命が沸き立ってくるような演奏で、これはナイジェリア音楽が、いや少なくともアデの音楽が非常に幸福だった時代の記録と言えるんではないでしょうか。

 これがいつの間にか”時代の最前線”に押し出されて「シンクロ~ッ!システムッ!」とかシンセの響きかなんかお供に叫んでみたりで。西欧文明のビジネス・スタイルの中でもみくちゃにされて。いつのまにか”忘れられた人”のポジションに押し込まれちゃったりして。
 ほんとにどうしてるんでしょうね、サニーアデ。明るい太陽に照らされて、どこまでもコロコロと転がって行くようなアデの歌声にひととき包まれつつ、遠いナイジェリアの日々を思う。炎熱のラゴスの街の喧騒を思う。

 時は容赦なく過ぎ行き、ちっぽけな人間の営為など知らぬげに地球は周り続ける。我らはその岸辺でひととき、許されて果てしない幸福の調べを奏でる。