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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

やさぐれ歌謡最前線

2011-07-21 03:00:24 | 60~70年代音楽

 ”やけっぱちロック~やさぐれ歌謡最前線:ビクター編”

 台風は来るんだか来ないんだか、降ったりやんだりする雨を見つめて一日が過ぎてしまった、昨日。
 東電の原発を台風が直撃、炉が一つ、波にさらわれてどこ行ったか分からなくなっちゃいました、なんてことにはならないのかね。東電の説明担当者いわく、「まあ、どこかに流れていったとしても同じことですから」と説明する、なんてね。大スポンサーの東電の説明ゆえ、いつもの通り記者諸君、何も言わずに納得する、とかね。

 このアルバムをどう説明したものか。あのやさぐれた60~70年代をやさぐれて生きたお姉さんたちがやさぐれて歌ったダルな昭和歌謡を集めたものだ。冒頭、池玲子、杉本美樹と、当時人気のあったポルノ女優の歌が2曲ずつ収められている。まあ、そういう時代だったわけだ。とはいえ、このアルバムで私は彼女らの歌をはじめてまともに聴いたわけだが、いや、こんなにヘッポコだったとはね。
 私としては、このアルバムを聴いていると、70年代初めの頃の東京は新宿の裏通りの飲み屋とか、終電を乗り過ごして途方にくれている池袋駅前とか、当時のバンド仲間とか、そんなものを思い出すのだが、別種の思い出のある方もさまざまおられよう。

 あの時代。人々は今よりずっと生臭くて愚かで喧嘩っ早くてギトギトの生を生きていた。などと言っても、いまさら意味はないが。いやなに、間抜けな話だったんだよ、何もかも。
 ちなみにここにはヒット曲なんて一曲も収められていない。それが証拠に、今、You-tubeをさんざん探したが、収録曲はほとんど見つけられなかった。にもかかわらず、これはあの時代の音楽である。本当は中村晃子の「裸足のブルース」か内藤やす子の「ひとりぼっい」とか、張りたかったんだけどね。
 あと、「ケリ」が収められている山川ユキがやっぱり良い。ほらあの「新宿ダダ」の。といったって分かる人はそうはいないか。この子のアルバム、出してくれないものかなあ。いや、ユキが残したレコーディング、全部集めてもアルバム一枚にもならないのかも知れないが。

 ネオン花咲く新宿で、女の子が靴を投げ出し、一人歩いてくのだ。赤いドレスも車もなんにもいらなくなってしまったから。帰るはずのない男を一人待っていたり知らない町に電車で着いてしまったり、そこらあたりの腰抜けに私を口説けはしない、勇気と金のある人だけ私を口説いてごらんと立ち去ったり、二杯目のコーヒーは苦いがあなたはどうやら来ないらしかったり、あなたは死んでしまったり、でもあたしだったらどうにかなるわ、たかがおんなの人生じゃないのと自分で自分を抱きしめて口笛を吹くのだ、ぐれて流れて3年経って肌にゃ真っ赤なバラが咲くのだ。

 下の曲、本当はこの盤には原田芳雄ではなく、安田南の歌で収められています。でも、こちらがオリジナルらしいし、この時期だから、ね。




海洋地形学の物語

2011-05-13 03:55:11 | 60~70年代音楽

 ”Tales from Topographic Oceans”by Yes

 プログレの大御所バンド、”イエス”の1973作年作品、6枚目のアルバムにあたるそうで。邦題も『海洋地形学の物語』と、ものものしい。
 なんでも、イエスのファンの間では毀誉褒貶喧しい作品であるようだ。それもどちらかと言えば批判派の方がかなり優勢である。いわく、冗長である。難解である。緊張感に欠ける。などという不支持の理由を聞いた。
 その辺の人々からすると、イエスの作品はこのアルバムしか持っていない、なんて私はさしずめ、”何も分かっておらん外道”てな扱いになってしまうのだろう。うん、いいっス。人間、いろいろっスから。

 まあ確かに冗長と言う感想も出るわな、オリジナルのアナログ時代には2枚組のLPの、各面に一曲ずつ、どれも20分かかる曲の入った長大曲4題としてリリースされ、軽快を好むロックファンの心を憂鬱にした。
 しかもそれらの曲からは、メンバー・チェンジの関係もあって、それまでのアルバムにあったような構成美やテンションの高さは、確かにうかがえなかったのだから。
 でも私は、このアルバムの、その独特の”緩さ”の茫洋たる感触を愛さずには入られないのだった。

 収められている各曲、どれも太洋を行く船の悠々と波頭をかき分けて行く姿など想像させるゆったりとしたリズムが基調となって繰り返される。その狭間に浮んでへ消えて行く、遥かな時と記憶との幻想。古代文明と伝説の巨人の万華鏡。
 全体の運びは緩いけれども、このバンド特有の流麗な歌心は失われてはおらず、各楽器の滑らかなプレイと、ボーカルのジョン・アンダースンの甲高い、これも現実離れのした歌声が、心地良い潮風を送ってくれる。

ー やっと見つけたよ
ー 何を?
ー 海だ。太陽と一緒に行ってしまった永遠のことだ。

 などと大昔、詩人のランボーは謳ったものだ。いやあ、良いと思うけどねえ、このアルバム。どちらかといえば、遠い少年時代の夏休みの記憶の一部に属する。

 そして私は深夜に一人、原発の残骸が北の海に垂れ流した、信じられないくらいの大量の汚れた水の行方を思っている。それらの毒液は、どのような海洋下の地形を辿り、どこへ行き着くのか。見守る者もいない海の底で。





北風のネットワーク

2011-04-03 02:19:56 | 60~70年代音楽

 ”北風よ”by 荒木一郎

 冬の空の高みに潜む見えない想念のネットワークに関しては、ずっと以前にこの場に書いたことがある。まあ、わざわざ振り返って読んでいただくほどの内容じゃない、ここに概要で再録してしまうが。

 あれは私が高校生だった頃。放課後、下駄箱の向かいにあるトイレでオシッコをしたのだが、モノをしまう段になって、うっかりチンチンの皮をファスナーに挟んでしまった。これは男ならば経験がある人もおられようが、まことに進退窮まるものがある。ファスナーを引き下げてチン皮を解放してやろうにも、やり方を間違えれば皮は破れ大出血なんてことになりかねず、と言ってそのままにしておくわけにも行かぬ。
 などと蒼ざめて立ち尽くす私の耳に、トイレの外で言葉を交わす男女の声が聞こえてきたのである。女は私が「ちょっと可愛いかも」と思っていたA子であり、男は隣のクラスのB男だったようだ。で、どうやらB男は彼女に恋の告白をしているようだった。

 まさに悲劇と喜劇は裏表。と、この場合、言うのかどうか知らないが、まあ人生、いろんなことがありますよ。あなたが恋の告白をされている、ほんの数メートル先で、チンチンをファスナーに挟んで苦境に陥っている男がいるんだからなあ。
 それでも数分かかってチン皮をファスナーから解放した私は、一部擦り切れた股間の痛みにがに股となりつつ、通学路を下って行った。ずっと前方にA子とB男が並んで歩いてゆくのが見え、仲良く語り合いつつの様子を見ると、話は順調に決着したようだった。

 ああ、なにもかもくだらねえなあ。通学路が面する国道は、どこかでやっている建築工事のためだろう、一日中資材を積んだ大型トラックがひっきりなしに通り、やかましく埃っぽかった。
 見上げればそれでも冬の空は青く高く広がっていて、そいつのどこかに自分の想いがどこかの誰かに伝わる見えないネットワークが潜んでいる、そんな幻想がふと頭を過ぎった。頭の隅っこで、その頃はやっていたタイガースの”風は知らない”なんて歌が、なぜか鳴っていた。
 なんて話なのだが。

 この”空の不可視のネットーワーク”に関する歌でもうひとつ忘れられないのが、荒木一郎が歌う”北風よ”なる歌である。
 遠くはなれて生活している、どうやら年上の男に恋した少女が、「あなたと離れて暮らしている時間の中で私は、もうすっかり大人になって、恋愛の秘密も、もう十分理解できる。そんな私をあなたに見せたい」なんて想いを北風に託す、そんな歌である。
 確かこの曲は岸本加代子がデビュー曲かなんかに使った曲と思うが、それを聴いた時はなんとも感じず、ずっと後になってラジオか何かで作曲者の荒木一郎自身が歌うヴァージョンを聴き、はじめて感心をしたのだった。

 なぜなんだろう。のん気な春風なんかに託すより、人間の日々にずっとハードにかかわってくる北風のほうが、ずっと重要な想いを伝えてくれそうな気がするのは。
 なんてのも、すべては妄想、真面目に考えてみるのも無意味と言うものなんだが。といいつつ人はある日、胸に去来する想いを持て余して、ふと冬の空を吹き抜ける風の中に想いを伝えるネットワークを探してみたりする。





ブルー・スピリット・ブルース

2011-02-15 02:02:13 | 60~70年代音楽
 ”Blue Spirit Brues”by 浅川マキ

 この間も書いたけど、事情が事情だけに「待ちに待った!」とか書くわけにも行かない複雑な成り行き。
 自作のCD化を強硬に拒んでいた歌手本人の死去によって、やっと再び世に出ることの可能になった、浅川マキ70年代作品の一つ。今回が初CD化である。
 などと言っているけど、このアルバムは当方も聴いたことはなかった。オリジナルは1972年度発売ということで、その頃には私も、それほど気の入ったマキ・ファンでもなくなっていたということか。

 飛び出してきた音の、ある種の湯上り感覚に、こちらの方の力も抜ける思いがした。湯上り感覚ったって、冒頭の曲は”自分が死んだ夢を見て、夢の中で地獄の鬼にフォークで差されて・・・」なんて歌詞内容のドロドロのブルースなんだから、こんな不適当な表現もないものだが。
 それでも。なんかマキの背負っていたいろいろなものが洗い流されていて、そのスッキリ感がまず印象に残る。

 淡々とリズムを刻むギターとブルージィに合いの手のフレーズを入れるギター、これだけをお供のブルース小唄集だ。細かく見れば、それにトランペットが入ったりピアノが入ったりはあるけれど、基本はシンプル、モノクロな音像で事は淡々と進んで行く。マキの歌声も明るい。いや、明るくはないか、暗くはあるが湿度がずいぶんと排除された歌声である。
 そこにはデビュー当時色濃く影を落としていた寺山修司もいなければ、60年代末の重苦しいアングラ魂も淀んでいない。フフン~♪と好きなブルースをハミングしてみるマキがいるだけだ。

 ある日ふと立ち止り、歌手稼業をここまで続けて来た自分を振り返ってみた。そして、いつのまにか背負わされていたさまざまなものを、いったん地面に下ろしてみた。そんな盤じゃないのか、これ?
 そうだよ、重過ぎる曲、”奇妙な果実”だって、「あのビリー・ホリディの」なんて考えすぎずに歌ってしまえばいいんだ。という次第でここに収められたそれは、”洋楽好きなマキ”の横顔をがうかがえる嬉しい作品となった。

 それから。ライブや別の盤で聴いてよく意味の分からなかった"大砂塵”なんて曲がスッと心に入ってきた。何でそんなことになったのかまるで分からぬままに見知らぬ街の夕暮れを見上げる永遠の迷子。それにしても、”ハスリン・ダン”みたいな歌、もっと歌ってくれたら良かったのにな。
 とはいえ荷を下ろし一息ついたのもつかの間。人間は生きて行くうちに、またいつかいろいろ余計なものを背負い込んでしまうわけなんだけれども。




ロック少年のフォークな日々

2010-11-27 20:15:16 | 60~70年代音楽

 掲示板や友人・知人のmixi日記なんかに書き込んだメッセージというのもオノレの貴重な記録ではあるんで、そのまま散逸させるのは残念だなと思っていた。そこで、ここに再録してみました。どんな流れの中での発言かお分かりにならないかと思いますが、まあ、お読みください。

 ~~~~~
 ☆2010年11月01日
 谷啓氏もそうだったのだけれど、今回の野沢那智氏もそうだ、ほんとに大事な思い出のある人の訃報は、軽々と日記には出来ないものなんですね。何もかけなかった、というか書く気になれなかった。
 那智氏はラジオの深夜放送、パックイン・ミュージックを聴いてました。深夜のラジオの楽しみを教えてくれた人と申しましょうか。
 「風のささやき」は、当時、平凡パンチ別冊号の付録の歌本(ギター・コード付きで、中高生バンドは大変重宝した)に載っていて、そこに付けられたコメントが記憶に残っています。いわく、「息の長いヒットになりました。このままスタンダード・ナンバーになるでしょう」と。
 そりゃあどうかな?と当時の私はガキながら首を傾げました。だって、もうとうにみもフタもないロックの時代はやってきていて、「良い曲を何人もの実力派歌手が歌い継ぐ」なんて悠長なことは今後、誰もやらないかもしれないのに、スタンダードナンバーも何もあるもんかよ、と。まあ実際、そんな時代がやってきていましたね。

 ☆2010年10月28日 04:15
 マリアンヌ・フェイスフルというと初期英国ロックの歴史における助演女優賞、みたいなスケベな視線で見ていたもので、レコードは”涙溢れて”くらいしか聴いていなかった!
 けど、こんな良い感じのアルバム(注)を出していたんですね。調べてみたけど盤としては廃盤みたいで残念です。別にオリジナル盤が欲しいとか言わない、CD再発してくれえ!盤が欲しい、盤が! (注)Marianne Faithfull / North Country Maid

 ☆2010年10月30日 00:52
 ナッシュビル・スカイラインは、考えてみれば最初に聞いたディランのレコード。それまで、バーズとかマンフレッドマンとか、ディランの曲をカバーしたロックバンドのレコードには親しんでいたので、まるではじめてって気はしなかったが。
 聞かせてくれたのは高校の先輩のタナカさんで、東京の大学に通いながら”フォークゲリラ”をやっていた人。春休みの里帰りのついでに、故郷の町にもゲリラの下部組織を作ろうとしていて、そのメンバー候補として、我々音楽好きの後輩が「俺っちに遊びにに来いよ」とか誘われた次第。
 私は、本とレコードだらけで壁にモジリアニの展覧会のポスターなんか貼ってあるインテリチックな(?)先輩の部屋に感心してしまっていた。単純だったねえ。
 春風の中でつまらないことにもドキドキしていたあの頃。そんな風にこの盤を聴いたのだった。

 ☆11月25日
 エレキから入った私だけど、生ギターも面白いかと思い始めた高校時代、好きだった曲(注)だった。でも周囲に賛同者がいなかったから、冬、水の入っていない高校のプールサイドで一人で弾き語りの練習をしていた。「その曲好き」と言って隣に座ってくれる女子一名・・・は、現れなかった。(注・Early Morning Rain)




リッケンパッカーの12弦ギターが欲しかったんだよ

2010-10-18 01:12:37 | 60~70年代音楽
 ☆ビートルズとアメリカ・ロック史(フォーク・ロックの時代)
                    中山康樹・著 河出書房新社

 先日、ジョン・レノン分析本(?)が面白かった中山康樹の著作が、市の図書館に何冊か置いてあったので、借りてみた。その一冊。
 これは、1960年代の半ば、ビートルズをはじめとするイギリス勢にヒットチャートを”乗っ取られた”形勢のアメリカン・ポップス界が、フォークロックなる新しいサウンドをもって反攻に出た、そんな時代を検証した作品である。
 フォークロックの嚆矢となったバーズの”ミスター・タンブリンマン”がどのような成り行きで出来上がったか、ボブ・ディランの”ライク・ア・ローリングストーン”でアル・クーパーはいかにしてオルガン奏者の席にもぐりこんだか、などなどを著者は、きわめて綿密に事実を追い、伝説に分け入り、どのような経緯で”フォークロックの時代”の真相に迫る。

 何しろこちらはそんなシーンの進行を駆け出しの洋楽ファンとして、ラジオのヒットパレード番組を追いかけ、あるいはなけなしの百円玉数枚を握り締めてレコード店に走りなどして、まあこちらの気持ちとしてはきっちり並走しつつ見届けたわけだから、当時のヒット曲一曲一曲の裏側にどのようなドラマが展開されていたかを知るのは、非常にエキサイティングな思いだった。
 著者の、まあ妥協を許さず、実証を求めてしつこく記録を穿り返す姿勢には感嘆するやら辟易するやら(?)そして、こちらがロック雑誌などで見知っていた表の歴史とは若干様相を異にするフォークロックの時代の真の姿が全貌を現す。これが面白い、面白い。

 (輝かしき夏の思い出・・・それにしてもバリー・マクガイアは可哀相な奴だ。ママス&パパスの”カリフォルニア・ドリーミン”のヒットの影で、こんなひどい目にあっていたとはなあ。そういえばママス&パパスのジョン・フィリップスって、すごく鋭い奴なのかと思っていたんだけど、その実態はただの時代遅れのフォーク野郎だったんだ。デビッド・クロスビーはともかく自分勝手な奴で、こんな奴とは一緒にバンドは出来ないなあ。とはいえ、もしかしたら青春時代の自分は、周囲から見たらこんな奴だったかも知れん)

 ・・・などと青春時代の思い出に酔っていたのだが、終盤、”フォークロックの時代”のあっけないエンディングに唖然とする。バーズが”ミスター・タンブリンマン”をレコーディングし、フォークロックの歴史が始まるのが1965年の春、というか初夏の頃であり、そして1967年にはすでにフォークロックそのものに秋風が吹きかけていたのだ。そうか、2年足らずの命だったのか。
 その波に便乗すれば一山当てられた時代はあっという間に過ぎ去り、フォークロックはすでに古臭い音楽と目されるようになっていた。67年にはもう、ヒットチャートからその種の音楽は姿を消している。音楽ファンの関心は、ジェファーソン・エアプレインやドアーズ、ジミ・ヘンドリックスといった、次の時代のヒーローに移っていた。

 ロックの3大フェスティバルにかけて、「モンタレーは結婚、ウッドストックは離婚、オルタモントは葬儀」なんて言葉が引用されている。幸福な時代は、実は本当にあっけなくこの卑しい地上を去って行ったのだ。ウッドストックが”離婚”?あれからすべてが始まった、と信じ込んだ時代もあったのだったが。
 そしてまた思い出されるのが、鈴木いずみのあの言葉。「皆は1969年をすべての始まりの年と思っているが、本当はあの年、すべてが終わったのだ」と。




秋の揺籃66’

2010-10-03 03:03:03 | 60~70年代音楽
 ”AUTUMN '66”by THE SPENCER DAVIS GROUP

 何しろタイトルに秋とあるので、いかにも秋、と言った季節に聴こうなんて考えていたら、毎度お馴染み、「せっかく買ったのにいつまで放置しておくつもりだ」の状態になってしまい、何年か前に買ったこのアルバムを、本日やっと聴取に成功した次第。

 音楽ファンとしての第一歩を当方は、60年代イギリスのビートグループの崇拝者として踏み出したのだった。はじめはストーンズやアニマルズに夢中だったのだが、あれこれ聴き進みそれなりに生意気になりだした頃には、このスペンサー・デイビスグループが大のゴヒイキとなっていた。グループというより、ご多分に漏れずこのバンドの擁する天才少年、スティービー・ウィンウッドの大ファンだった。
 こいつは何者だ。まだこの当時、高校生そこそこの年齢のくせに、まるで黒人みたいなむちゃくちゃ濃厚な喉を聴かせる。そのうえギターやオルガンの腕も達者だ。手がつけられないじゃないか。

 このアルバムは、そんな天才少年スティービーがいよいよその才能を縦横に発揮し、グループをさらにディープな境地に連れて行った記録だ。この後、スティービーは、自分の戦場としては、このバンドは狭過ぎるとでも言うようにバンドを脱退して行くことになる。
 いやその前に、「ギミ・サム・ラビン」というとんでもないかっこ良いナンバーを炸裂させて行くのだが、とりあえずスペンサー・デイビスグループのアルバムとしては、これがスティービーの最後の参加作品となる。
 などと言っているが、かって現役ファンだった頃の私は小遣いをかき集めてやっとシングル盤を買っていたチューボーだったのであって、アルバム作品としての”秋66”を聴くのはこれが初めてなのだけれど。

 ずいぶん堅牢な出来上がりだな、というのが最初の感想。何だかこげ茶色に煮しめられた古い家具みたいな鈍い光沢を放って、音が存在している。スティービーがガキのくせしてドンと重心を落として歌う渋いスローバラードなどが要所を締めているせいもあるだろう。
 一方、ブルースロックやらアメリカのフォークソングのカバーなど、もう無効となってしまったジャンルも、スティービーの歌唱のリアルさにより、それなりに聴けてしまうのだった。
 そして、このアルバムからはみ出した前出、「ギミ・サム・ラビン」などの、ボーナストラックとして収められている作品群に漲る、新しいロックのページを開こうとするスティービーの気迫は、それから何が起こるのか知っている、21世紀に生きるこの身にも、なにやら身を切るような切迫感を伝えて来る。

 この1966年秋の英国ロック最前線からの便りは、間近かにやって来ているロックの革命の予感を孕み、今だ生々しい光を放っているのだった。



路面電車去って後

2010-05-27 04:57:55 | 60~70年代音楽

 昨夜は作詞家・松本隆に関する特集番組のようなものをやっていたらしい。それについて書かれた感傷的なWEB日記をさっき読んだ。まあ、彼に対する一般的評価と言うのがあれなのだろう。

 あれは70年代、松本がかって属していたバンド、”はっぴいえんど”がアメリカでレコーディングしてきた、彼らとしては最後のオリジナル・アルバムであるところの「さようならアメリカ・さようならニッポン」がリリースされた直後のこと。
 私はある女性ロック評論家(彼女の名前が思い出せたら、と思うのだが)が書いたアルバム評を読み、いわゆる目から鱗の落ちる経験をさせられたのだった。
 彼女は書いていた。「松本隆の作る歌詞は、すでに腐臭を放ち始めている」と。
 とりあえず、その一年前になるのか2年前になるのか、短い間ではあったがバイトで”はっぴいえんど”のアンプ運びなどやっていて、それは得がたい体験だったなあなどと日に日に重く思えてきていたし、なによりまだ”はっぴいえんど”の信奉者であった私は、彼女のその文章にドキリとさせられた。

 そうなのだ。その時の私も「さようならアメリカ・・・」に収録されている松本隆の作詞には、なんだか物足りないものを感じてはいたのだった。1stアルバムにおける、やや山師めいたものも感じさせる迷宮的な言葉の積み重ねや、2ndにおける”風都市”なる空想をモチーフにして繰り広げられたイメージの世界に比べると、3rdである「さようなら・・・」で見られる歌詞は、なんだかつかみ所がないと感じてはいた。
 が、”腐臭”とは。激烈な表現に驚いたのだが、しかし反発は感じず、「ああそうだったのか」とむしろ納得してしまったのは、すでに私も心の奥では似たような感想を持ってはいたのだろう。「今回の歌詞はパッとしないな」と。

 言われて見ればそのとおり。かってあれほど共感をさせられた松本隆の詞の世界の煌きは失われてしまっていたのだった。
 それからは。それをきっかけに、といいたいほどのタイミングでさまざまな変化がやって来た。それまで愛好していたシンガー・ソングライターやアメリカのルーツ・ロックの世界が、まるでつまらないものに思えてきてしまったこと。かっての仲間たちが、それぞれに新しい生き方を求め、歩む道筋を変えて行ったこと。ある者は髪を切ってマトモな会社に就職を決め、ある者は家業を継ぐために故郷に帰っていった。
 それまで信じていたことすべてが揺らぎ、だが私は新しい価値観も見つけられずにいた。親しかった友人の下宿を訪ねれば、いつの間にか彼は引越しをしていて、空っぽの部屋に風だけが吹き抜けていた。

 まあ、これらはすべて、かって荒木一郎が歌った、「それは誰にもきっとあるような、ただの季節の変わり目の頃」となるんだろうけれど。
 その後、作詞家・松本隆の詞業はさらに濃い腐臭を漂わせながら歌謡曲の世界にも進出して行った。そして人々はその腐臭を愛しむように競って飲み干し、松本隆の歌謡界における活躍が始まった。
 その後の話は話せば長いがすべて省略する。今、”大御所”としてテレビで特集番組を組まれるベテラン作詞家の松本隆がいて、その現実にいまだに納得の出来ない、かってのファンとしての私がいる。それだけのこと。
 多分私は一生、納得する道は見つけられないだろう。あれこれ言っても仕方がないのだけれど。ただの季節の変わり目だったのだから、あれは。



シーシー・ライダーの午後

2010-01-18 04:51:14 | 60~70年代音楽

 ”See See Rider”by Eric Burdon & Animals

 ネット上の知り合いのE+Opさんがアニマルズの歌っていた”シーシー・ライダー”に関する話を書いておられた。何だか便乗したくなって来たので、下のようなものを書いてみた次第である。私のものはE+Opさんのそれと違って、なんの含蓄も資料的価値もないのだが。

 シーシー・ライダー。私はこの曲に最初、アニマルズ盤で接した。だから私にとってこの曲の”正しい演奏”はアニマルズのものである。
 ヒラヒラしたオルガンのフレーズをまとわり付かせながら、ドスドスと重いリズムが遠くから、まるで特撮映画における恐竜の接近音みたいに近付いてくる。エリック・バートンのヤクザな叫びが重なる。やあ、いいな、いいな。
 間奏の、ヒルトン・バレンタインのキンキンとアタマの芯に響く硬質な、やかましいギター・ソロもはた迷惑でザマミロ気分に心地良くなれた。意味の分らない文章だろうが、まあヘビメタ聴いている青少年のような心境だったわけだ。

 ストーンズの場合は”海の向こうのロンドンの不良”だったのだが、アニマルズの不良っぽさはどこか演歌に通ずるような垢抜けなさがあり、そこがカッコ悪くもあり親しみやすくも感じられていた。ゆえに、好んで聴いてはいたがあまり自慢の出来る趣味とは思っていなかった。
 プロのミュージシャンでも”アニマルズ好き”を表明していた奴なんて故・鈴木ヒロミツくらいしかいなかったろう。人気はあったバンドだから、もっと支持者がいてもおかしくないんだが。

 確かこの曲の前にヒットした”孤独の叫び”って唄は、アメリカ南部の刑務所の労働歌を集めた録音テープから見つけてきた曲の切片をメンバーがアレンジしたもの、と聞いていた。(後にグランド・ファンクがカバーした奴だ)この曲だってルーツを辿ればアメリカ大衆音楽の相当な深みに至る。
 でもそんなことには気が廻らずに、単なるポップスとして受け止めて浮かれていたのが神話時代の60年代だ。若く純粋な日々。曲の背景を知る楽しみを見出すのを、智恵の実を食べてエデンの園を追われたアダムとイブに例えたら見当ハズレか?

 高校受験の時、私は休み時間に同じ中学からその高校を受けに来た連中と、手拍子打ちながら、何度も何度も”シーシー・ライダー”を歌っていたのを思い出す。
 何が面白かったのか、ゲラゲラ笑いながら歌っていた、何度も何度も。
 私たちのほぼ全員にとってその高校は滑り止めであり、たとえ受かろうとこんな学校に入ってやるもんか、アホと思われるじゃないか、とバカにし切っていた。
 結果。その場にいた者のほとんどはその高校ではなく、第一志望校に入れたのだが、皆、入った高校の校風に馴染めず落ちこぼれ、非行化するか自閉した。私を含めて。

 やはりロックは悪魔の音楽と思う。よく分らない結論だが。



ロック最後の50枚

2010-01-06 03:23:45 | 60~70年代音楽

 ”愛と勇気のロック50 ベテラン・ロッカーの「新作」名盤を聴け! ”
 (中山康樹 著 小学館文庫)

 それにしても、どういうセンスのタイトルだ。もの凄く恥ずかしかったぞ、買うのが。かって”ジャズ名盤を聴け”なる書で、書店店頭で立ち読み中の私を発作的哄笑に叩き込んだ実績のある中山康樹の著書でなかったら当方、手に取る事もなかったろう。
 本書は、1950年代、60年代、70年代と言う、”ロックの黄金時代”に活躍したミュージシャンたちが世に出した”最近の新譜”ばかりが取り上げられている。奴等は”晩年”をどう生きているか?

 私のように”あの時代のロック”をリアルタイムで体験しながらもロックへの支持を途中でやめてしまった者にはこの本、興味深くもなかなかむず痒い気分のものである。
 本業がジャズ評論家である著者は、ジャズのファンが気に入ったミュージシャンをその生涯にわたって追い続けるのに対し、ロック・ファンはそうしないのをもったいないと感じてこのような本を書くことになったようだが。

 聴く事をやめてしまったものとして言わせてもらえばロックが”終わった”から聴くのをやめたのであって、もったいないといわれても困る。火の落ちた風呂桶に入り続けても、寒くなって風邪でもひくのがオチではないか。
 と、著者と読み手であるこちらの意識も微妙に食い違いつつ、それでもかって青春の血を滾らせて追いかけていたミュージシャンたちが今日、発表したアルバムへのきちんとした評をまとめて読めるのは興味深い。楽しんで読んだ、と言っていいだろう。それらアルバムを実際に聴く日はおそらく、来ないのだろうが。

 読んで行って感じたのは、彼らの人生は普通に続いている、ということだ。祭りの季節は終わっても、彼らはまたギターに弦を張り、スタジオに明かりをともす。それがつまり、ミュージシャンというものだから。ジャニスやジミのように都合よく夭折し得た者は少数派なのだ、言うまでもなく。
 そして私は、出る気持ちもない同窓会の案内状に目を通すような気分でこの書を読み終える。著者と評論家の坪内祐三の巻末対談には「ロックの最後を見届ける50枚」とのタイトルが付されてあった。