ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

山のフールス

2013-01-06 22:18:14 | ヨーロッパ

 ”Cry of the Mountain”by Micheal O' Suilleabhain

 ジャケの、夜闇をバックに目を見開く野鳥のイラストを見ていたら、「山のフールス」なんて数奇話を思い出してしまったのだった。
 あれは誰か作家の思い出話だったかなあ、例の「カラスなぜ鳴くの カラスは山に」って童謡、あの二番の歌詞、「山の古巣に来てみてごらん」の意味を彼は誤解して聞き違え、「山のフールスに」と思い込んだというのだ。

 山のフールス。そこは、人知の及ばぬ深山幽谷にあり、様々な獣や妖怪のたぐいが跳梁跋扈する魔境である。
 彼の想像の中で、山のフールスとはそのような不気味な場所であり、「気味の悪い歌だなあ」と震え上がったというのだが、うん、良い話じゃないか。

 で、このアルバム、アイルランドのトラッド界の要人の一人、Micheal O' Suilleabhain が1981年にリリースしたアルバムのCD化である。実に山のフールス的な驚異に満ちた良作と思う。
 80年代の当方はヨーロッパの音楽といえばプログレばかり聴いていてトラッドとの関わりは全くなく、状況がよくわかっていないのだが、当時、アイルランドのトラッド界は創造の雰囲気が高まっていたのだろうか。

 そもそもこのアルバムは、音楽作品として世に出す前に、何かの映像につけられるものとして作られたものらしいが、そのある意味の気楽さが逆に音楽的な冒険を試みる姿勢をこの盤にもたらした、なんてこともあるのではないか。
 ともかく、随所で使われているアフリカの親指ピアノなどを例にとっても、アイリッシュのイメージを壊すことなく音楽の世界拡大に大いに寄与しており、これには舌を巻く。こいつらの発想、この時点でもうワールドミュージック状態に手が届いていたんだ。

 盤のあちこちにそのような創造的雰囲気はみなぎっており、明るく力強い感性に裏打ちされた音が弾む。バンドっぽい音ではなく、室内楽的セッションに終始するのだが、トラッドの楽しさがいっぱいで、何やら嬉しくなってくる山のフールスなのだった。

 (このアルバムの音は、You-tubeには見当たらないようで。しょうがないから、 Micheal O' Suilleabhain の比較的最近の仕事でもご覧ください↓)




フィンランドの合言葉は森

2013-01-04 17:35:15 | ヨーロッパ

 ”SUDENMORSIAM”by JOHANNA KURKELA

 この人も初めて聴く人だが、フィンランドの人気ポップス歌手とのこと。北国の澄んだ大気の広がりに、いかにも似合いの澄んだ可憐な歌声を響かせる。音楽そのものも、またジャケ写真など見ているとその外見も妖精めいて、アイドル歌手かとも見えるのだが、既に彼女、歌手としてのキャリアは10年近いものがあるようだ。

 在フィンランドの日本人によるネット上の文章に、「フィンランドの大衆音楽はヘビメタやラップなど、どうも好きになれないものが多く残念なのだが、彼女だけは別」といった表現があり、かなりかの国では独自のポジションを保つ歌い手のようだ。いわゆる、「こんな世の中で耳にするとホッとさせられる」という存在か。

 彼女の歌声も、それを包むサウンドも、シンプルながら極北の森の国の幻想に聴く者の心を遊ばせてくれるのだが、その元ネタは汎ヨーロッパ的な中世的官能美演出や神秘なケルト趣味などでもなく、これもフィンランドの大地の上に伝承されてきた素朴なフォークロアにもとずくもののようだ。
 などということを書いていると、ムーミンなどという絵物語などふと思い出してしまったのだが、あれはフィンランドのスエーデン語圏で書かれた物語だったか。

 決して激することなくじっくり世界を見据え、内なる物語を静かに語り継いで行く。ある人のレポートにあったような北国の小さな教会における彼女のライブなど、いつか見ることができればと想う。



バルト海のロック姉ちゃん

2013-01-03 05:25:31 | ヨーロッパ

 ” Egle Jakstyte”

 とりあえずアーティスト名、どう発音するやら見当がつきません。エグレ・ジャススタイテ?まさかねえ・・・
 リトアニアの新人歌手のデビュー盤であります。とは言っても2010年発売の盤なので、もはやここで聞かれる音は歌い手にとってすでに過去の思い出になっているのかも知れません。

 ”あのバルト三国”の一国であるリトアニアのポップス、なんてあたりに思い入れしてかの国の流行歌を聞いてみる、なんてのは極めて作為的な側面のある音楽の楽しみ方で、もう聞く前から思い切り偏見や過大評価やら勘違いな思い込みやらが入り込み、しまいには聞こえてもいない音を聞いてしまうことだってあるのでして。
 いかにも大変な思いをしそうな位置にある小国、そして実際、彼らが刻んできた苦難の歴史、なんてものがその音楽にも影を落としているのではないか、なんて気を回してみたりですな。

 というわけでエグレ嬢の歌でありますが、少女時代からコンテスト荒しとして恐れられ、実力派の新人として堂々のデビューを飾った人ですから、そんな悲痛な影は見つからない。むしろ、アメリカのロックや黒人音楽から受けた大々的な影響を前面に押し出し、過剰に鑑賞に溺れることなくクールに、そのぶっとい声でドスコイ!と歌い倒す、その男勝りのロック魂が爽やかだ。
 なんか、こちらの感傷や思い入れをせせら笑われているみたいで、それが逆に心地よい、みたいな気分になってくるのですなあ、年老いた浪漫主義者としては(?)




追い詰められて、雑感。

2012-12-29 23:26:08 | いわゆる日記

 レコード会社の広告に、ライトニン・ホプキンス生誕100周年企画とて、彼の残したアルバムをまとめてCD化、などとあり、その広告のジャケ写真を見ているだけで嬉しくなってくるものがあり、これは楽しみだと舌なめずりしたのだが、よく見れば”世界初・紙ジャケ仕様”と記されてあった。
 なんだ、紙ジャケかよ。買いたかねえな、そんなもの。一気にやる気を失い、白々とした気分に。まあ、買わずに済んで経済的には助かったとでも考えてみることにしよう。
 あ、当方、アンチ紙ジャケ・アンチデジリマ・アンチボートラ主義者ですんで、よろしく。
 まったくね、みんながどうでもいいものを価値あるものと信じ込まされて、買わなくてもいいものに大枚使わされている事実に、そのペテンに、早く気がつかないものか。それとも皆、永遠にドレイの日々をあえて送るつもりなのか。

 ×××

 つけっぱなしにしておいたラジオからYUIの歌が流れてきて、彼女独特のあの頼りないヘロヘロ声で”がんばれ~~がんばれ~~”とか歌っていたんで、思わず笑ってしまう。人にがんばれとか言う前に、お前自身がもっと歌をがんばれ。

 ×××

 ディズニー仕様の携帯のコマーシャルも、もはや見慣れたものになったが、あれのバックで流れているミッキーマウス・マーチ、本来の「ミッキーマウス!ミッキーマウス!」という歯切れの良いものではなく「ミッキマ~ア~ア~アウス、ミッキマ~ア~ア~アウス」なる、垂れ流し状態の歌い方で、いや、私、デイズニー関係の熱心なファンでもなんでもないのだが、ともかく気持ち悪くてならない。
 あの「マ~ア~ア~」を平気で聞いていられる奴って、相当に感性が鈍麻していると考えていいのではないか。

 ×××

 あれはクリスマス直前の夜だったが。急に胃に痛みを感じ、どうにもならなくなった。何年か前に胃潰瘍になった、あの感じと似ている。一夜明けたらひどい痛みでもなくなっていたのだが、それなりの腹痛はその後も残っている。
 これは歳が明けて病院が通常営業に戻ったら出かけて行き、胃カメラのひとつも飲まねばならないのかもしれない。などと覚悟を決めているのだが、年明けの最初の仕事がそれかよ。来年もろくな年にならないと決まったようなものだ。
 
 こんなふうになんとも出口なしみたいな塞いだ気分の時、音楽はあまり関係ない気がする。少なくとも私は、あんまり積極的に聴きたい気分にはならない。そんなところにふと聞こえてきた、いつもはなんでもないと思っていたタイプの音楽にスッと心を持って行かれたりする。

 そんな体験の最初のものは、あれは私が小学校の低学年頃だろうか、中耳炎か何か耳の中に激痛が走るヤマイに一人苦しんでいた。夜が明けたら医者のところに連れて行ってもらおう。それまでの辛抱だ。そう自分に言い聞かせるものの、そんな時の夜は長い。
 と、そこに、隣家からギターをつま弾く音が聞こえてきた。隣家といっても老舗の大旅館なんだが。おそらく、そこの従業員か何かが趣味で練習しているのだろう。

 そのギターがまた、まあ、今思い出しても下手くそなギターで、何度引いても同じところを弾き間違う。漏れ聞こえてくるギターの音を耳で追い、「ああ、そろそろ間違うぞ。ほら、ここのところだ」と、何度か聞くうち、予想がつくようになっていった。
 その曲はちなみに”ジングルベル”だったのだが、季節は確か初夏だったはずだ。初心者用の練習曲として使われる曲とも思えず、なんだって彼はそんな曲を執拗に繰り返していたのだろう。

 とはいえ。耳の痛みで眠れぬ夜、その間抜けな調べは確かにつかの間の癒し、救いにはなったのだった。ああ、音楽ってそういうものだったのか。
 それを機会に音楽に開眼した、といえば話はうまく出来上がるのだがそうでもなくて、私はそれ以前もそれ以後も、怪獣映画やら週刊誌の漫画なんかが好きな、つまんないガキでしかなかったのだった。

2012年度・年間CDベスト10

2012-12-27 09:45:42 | 年間ベストCD10選

 1)O.K.Boe A I - Kawatip Thidadin (Thailand)
 2)Ben Buraya Ciplak Geldim - Nil Karaibrahimgil (Turkey)
 3)Guzo - Samuel Yirga(Ethiopia)
 4)No Sudden Movements - Gaiser Presents Void (Germany)
 5)Sou Hrostao Akoma Ena Klama - Peggy Zina (Greece)
 6)MJK - Haifa (Lebanon)
 7)L'ombra Della Sera (Italy)
 8)Purely - Lily Chan (Hong Kong)
 9)Tortadur - Nazarkhan (Uzbekistan)
 10)Mukimukimanmansu (Korea)


 さて、年に一度のお楽しみ、私版・年間ベストCDの発表であります。え。お前のベストなんか楽しみにしてない?いや、私が楽しみにしてるの。
 毎度お馴染み選考基準は、今年発表された新作盤のうちから選び、だが盤が外国から入ってくる時間差も考慮し、一年くらいの誤差はお許し願う、また製作年度のよくわからない盤に関しては、選者の都合の良いような解釈をさせていただく、ということになっております。
 付記・アフリカに関しては、アナログ・アフリカに代表される過去の音源発掘に相変わらず夢中で、新録はろくに聴いていない。アフリカは思い出ならずや。というのも困るけどな。

 1)まあ、要するにこの子のこのジャケ写真を、我が年間ベストCD発表のアタマに掲げたかった、今年の思い入れはそれだけでね。
 いいじゃありませんか、タイの土俗ポップス・モーラムを歌う、おしゃれな女子大生歌手ってのは。歌声もサウンドもポップで新鮮で爽やかで可愛くて素敵だ。こういうのを一位にしたいね、アイドル好きのワールドものファンとしては。
 
 2)トルコの新感覚派女性歌手とのことで。でも当方が気に入ってしまったのは、彼女の音楽の向こうから、60年代ポップス、それもなんだか日本のGSみたいな感触が伝わってきたからなのであって。こちらの勘違いなんだろうけどさ。

 3)エチオピアのピアニスト。エチオピア音楽でジャズ・ピアノを決めてくれるのだけれど、ともかくその徹頭徹尾、ドス黒いノリで、ゴリゴリに迫るズージャ魂に惚れた。そのバンドマン臭さがカッコいいんだ、とにかく。

 4)ジャケが入っていたビニール袋に貼ってあった「Made in Germany」の文字がかっこよくて仕方がない。まあ、たんなる商標なんだけど。
 ドイツのテクノの名人が発表したアンビエントな一発。
 凍りつくベルリンの街の大気を貫き、闇の中に木霊する電子音が鋭利なメスみたいに煌く。

 5)ギリシャ歌謡のライカを、ヒット曲に一つもまぐれで出ないかしら?ってなノリのナウい(というほどナウくはない)バッキングで婀娜っぽく歌う。
 この辺に漂う哀愁、当方のテーマとしております”港々の歌謡曲”の世界に、非常に似つかわしい匂いを漂わせてくれていると思う。

 6)この盤、エロいダンスポップ盤というのが定番の評価みたいだけど、私みたいに少年の日の夢にいまだ生きている者には、なにやらSFっぽい世界だなあ、と聴こえる。打ち込みのマシンもペラペラな材質で出来上がった安物のおもちゃみたいな手触りで、空中に浮かんでいる。そこに立ち込める、ピンク色の夜霧みたいなハイファの唄声。その非現実的な美しさが素敵だ。

 7)この盤限りの覆面バンドが演ずるのは、70年代イタリアのテレビで放映されていた三流SF映画への音によるオマージュ。サウンドも当然、確信を持って過去の亡霊、70年代のイタリア・プログレの再現に徹している。
 アナログシンセやらムーグやらのレトロな電子楽器が夜霧のような音幕を巡らせ、リードギター代わりのテラミンが地下室の中で悲鳴を上げる。この淫靡な美意識に、夜はますます深い。
 
 8)懐かしいあの”返還”前の日々。リリィが歌うのは、香港がまだまだ素敵だった頃の歌だよ。まるで風に吹かれて飛び去っていった思い出みたいに響く、淡く透き通ったサウンドと歌声の行先に、帰れる場所があるみたいに思えてくる。どこかにきっと。

 9)この歌い手が祖母の法事の席にやって来て歌ってくれたことは、よく覚えている。なんてエピソードがあってもいいような気もする。あるわけがないにしても。
 それは子供の頃、祖母の背中に負われて聴いた遠い日の子守唄のような、あるいは高熱にうかされて布団の中で寝汗にまみれながら見た奇怪な悪夢の中で鳴り響いていた歌にも似ている。
 彼女は遠くウズベクの地で砂嵐に吹かれながら、我々はこの東の小島で、時のはじめから同じ歌を歌ってきた同胞なのだ。

 10)実は、これをベスト1に選ぶって行き方もあったんだけど、そこまでの度胸はありませんでした。
 ギター&民俗パーカッションの、韓国の女の子二人による笑いと狂気のユニット。韓国の民族音楽やロックやフォークがユーモアとヒステリーの狭間を、溶け合わぬままの塊で漂流している。
 実は彼女等の演奏、めちゃくちゃをやっているのかと思っていたのだが、イントロでトチり、何度も同じ演奏をやり直すライブ映像を見、これはすべてアレンジされたものを演奏しているのだと知り、ますます頭を抱えた。
 ああ、やっぱり一位にしておくべきだったかな。このヒリヒリする違和感が大好きだ。



香港のホワイトクリスマス

2012-12-24 11:16:29 | アジア

 ”Pause”by Jade Kwan

 さてクリスマスか、などといって香港のジェイド・クァンの今年の新譜など取り出したのだが、考えてみればこれ、クリスマス・アルバムでもなんでもないのだった。なのに私は、何の疑いもなくこのCDをクリスマスに聴くためのものとして購入したのだった。
 だってねえ。彼女との出会いは2009年に出た”Shine”なるアルバムだったのだが、クリスチャン色の濃厚に漂う歌詞に、切実な想いの込められた切なすぎるメロディの附された、しかも南の島、香港にも似合わぬ清涼感に包まれたそのアルバムの佇まいは、どう考えたってクリスマスを寿ぐアルバムとしか思えなかったのだ。

 そして一年後に届けられた彼女の新譜、”Beginning”は、雪まみれになりながらどこともしれぬ荒野で、同じように雪に埋もれたピアノと向かい合うジェイド・クァンの幻想的な姿を捉えたジャケが象徴的な、これも冬景色が似合いなアルバムだった。
 凍りつく冬の大気の中でリンと一筋、弦を震わせて、雪の結晶を見るような精巧なメロディを謳う氷のピアノ、そんな壊れそうな道具を相棒に、彼女の歌うバラードは、すべてがクリスマスという舞台装置に見事に収まるような気がした。だから私は、彼女の歌う歌は全てクリスマスソング、みたいな思い込みをしていたのだった。

 彼女の歌の前では、香港島は現実のそれよりずっと北の緯度に位置する、シベリア寒気の只中に位置する小島にと変質する。
 チムサァアチョイに大雪は降り積み、人々は香港名物の2階建てバスを降りながら吹き付ける北風に思わず分厚いコートの襟を合わせる。コーズウェイ・ベイは凍りつき、フェリーは今日も欠航だ。降り止まない吹雪の向こうからかすかに聞こえるのは教会の鐘の音だろうか。人々は誰に言うとでもなく呟く。メリー・クリスマス、こちら九龍は、素敵なホワイト・クリスマスだよと。

 んなこたあねえよっと。冗談じゃない、香港は沖縄よりも台湾よりも南にあるんだ。熱帯の、クソ暑い島なんだよ。

 調べてみるとジェイド・クァンは20歳の時にカナダ国籍を取り、大学もカナダのものを卒業している。が、その後、彼女は香港の会社のオーディソンを受け、香港のレコード会社からアルバムを発表し続けている。
 彼女がカナダ国籍の人となったのは、まあ、それなりの事情といったところなのだろうが、歌手として世に出るために香港に還るあたりが面白い。おそらくは生活の場はカナダ、金稼ぎには香港、及びその周辺の中華地域ということなんだろうけど。

 彼女の歌世界に頻出する北の叙情は、おそらくはそのカナダで心の中に育て上げたものなのではないかと想像するのだが、そいつと彼女のクリスチャンとしての感性などがないまぜになり、南のファンキーな小島、香港を歌ってしまっている。その強引な幻想のありようが素敵で、どうにも彼女のファンはやめられないな、というお話。
 そんな次第でこのアルバムも、彼女らしい可愛いバラードが収められた、いつもの素敵なクリスマス・アルバムだったのである、




ベツレヘムを遠く離れて

2012-12-23 01:37:33 | 北アメリカ

 ”Christmas Carols for Solo Guitar”by Charlie Byrd

 土曜日の夕食時、母が私に尋ねたのだった。「おまえ、去年の年の暮れは一人で何してたの?」と。何って、昼間はあなたを病院に見舞い、夜はコンビニ弁当を食べながらテレビを見てたのさ。まあ、今やってることと大差はないやね。
 それにしても我が母、今頃になって、つまり一年も経ってから、去年末の自分の入院騒ぎの際、私がどんな暮らしをしていたのか気になりだしたのか。まあ、いいけどねえ。

 特に面白いこともない年の瀬。それでも、母が倒れて入院し、今後、寝たきりかも、とか認知症発症の可能性とか言われて真っ暗になっていた昨年の年の瀬を思えば、何もないのは何よりのこと、とも思えて来る。天国にさえ。いや、まったく。

 ちょっと不思議なポジションを取り続けたジャズギタリスト、チャーリー・バード。彼の出したクリスマスキャロル集である。大向うに受けそうなクリスマスソングの有名どころなど一曲も含まず、地味なキャロルばかりが並んでいる。
 チャーリーもジャズギタリストとしての個性はここでは封印し、クラシックギターの教則本的テクニックによる、シンプルなメロディ提示に終始している。真摯な演奏とでも言うべきか。聴いていると、シンと澄んだ心になって行く気がする。

 ガットギターがバランと和音を奏でると、それが教会の鐘の音を思わせる響きで、空気の中に広がって行くようだ。ベツレヘムの町の名が付された二つの曲が妙に心に残った。



光の王国の思い出のために

2012-12-21 06:14:19 | いわゆる日記

 深夜ラジオを聴きながら、この頃、消したままのことが多いテレビの暗い画面をぼんやり見ながら、「ああ、もう二度と、あの素敵だった”日本の夜景シリーズ”を見る機会もないのだろうなあ」との、苦い確信を噛み締める。あれらの映像を享受していた時期と今とのあいだに起こった、”テレビの地デジ化”と、東日本大震災という二つの事件を思い、その荒波に翻弄されて消えて行った儚きものたちを想う。

 ”日本の夜景シリーズ”とは、NHKの総合テレビがかって、深夜3時頃から朝五時近くまでの、放映時間の深夜の分と早朝の分との狭間に流されていた埋草番組、「映像散歩」から生まれた大傑作だった。
 どれも、大都市の夜景のゆっくり時間をかけた空撮から始まり、地上の、例えばクリスマスのオーナメントなど、夜の闇と光の造形との饗宴やら、深夜の街灯に照らし出された、もはや人影も途絶えた都会のメインストリートの上空からの眺めをじっくり追ったりしていた。
 夜の大都会の輪郭を、光の輝きを辿ることによって描き出していたというべきだろうか。
 ”東京・横浜””神戸””北九州””札幌”などなど、シリーズはいくつかの作品に分かれ、そのどれもがたまらなく美しい映像詩だった。

 何しろ埋め草番組であるので、それらはいくつかのフィルムが交代交代に、何度も何度も繰り返し放映されていた。深夜のNHKファンというか映像散歩ファンは人が電源を切る時間帯にテレビの前に座り、お気に入りのフィルムに出会う偶然に期待しながら胸ときめかせて、チャンネルをNHKに合わせたものだった。
 その後。どのような事情があったのかは知らぬ、いつの間にか我々は”映像散歩”を失っていた。その時間がNHKにとって埋草番組の時間であるのに代わりはなかったのだが、かっての黄金の時間帯、午前三時すぎは執拗に繰り返される蒸気機関車の記録フィルムの放映時間と化し、あるいは不人気らしい大河ドラマのアピール&再放送のために使われるようになってしまった。

 何処も同じ経費節減で、NHKは埋草番組を作る費用もケチるようになったのか。(いや、我々マニアは新作など望まぬ、ただ”日本の夜景シリーズ”を繰り返し巻き返し放映してくれれば大満足なんだが)
 また、あのような夜の都会に溢れかえる光の海を描き出す映像は、大震災以降の省エネルギーを謳う世相にはいかにも合わない、そんな事情があるのやもしれなかった。
 放映がかなわぬならば、あれらを収めたDVDの制作など、なされないものだろうか。いや、何しろ埋め草番組で、放映当時もNHKのサイトに番組の詳細さえ掲載されていなかったくらいだから、そのような形で商品化など、あちらでは考えてもいなかったとしても不思議はない。
 それにそもそも、「深夜、なんの気なしにつけてみたテレビで、たまらなく心に残る映像に出会う」という偶然の驚きも込めての楽しみがあった”映像散歩”であり、DVDになったものを手元に置いておく、などということをするべきものではないのかもしれない。

 ついでに書くが。さっきから我々我々と言っているが、たとえばmixiには「深夜のNHK」なる、その方面の愛好家の集まりさえあるのだ。ここに書いたことは、決して私一人の奇矯な愛好癖の紹介ではない。

 ここは、新趣向少年合唱団である”リベラ”の歌など聴きたい。サウス・ロンドンの教会付きだった少年合唱団にエレクトリック・ポップの意匠を組み合わせ出来上がったサウンド。聖なる祈りと、最新技術による作り物感がないまぜとなった、不思議な輝きのあるその銀色の響きは、いかにも”日本の夜景”のBGMにふさわしかったもの。




ハープの向こうの春

2012-12-19 16:50:32 | ヨーロッパ

 ”Shall We Gather”by Kim Robertson

 アメリカにおけるケルティック・ハープの第一人者のKim が、これまでリリースしたアルバムの中から、とりわけ精神性の高い楽曲を集めたものとのこと。副題に”Hyms & Inspiring Air From Kim Robertson's Collected Recordings”とある。
 収められた曲はどれも美しいメロディを持つ曲ばかりで、単なるBGMとして聴いても十分に成立してしまう。というのが良いことなのかどうか、よくわからないのだが。

 ゴージャスなクラシック音楽の世界のハープ音楽しか知らない人は、同じハープを名乗りながら、こちらのハープの素朴な音色と演奏に拍子抜けするのかもしれない。が、すぐにこの遠い古代に生きた人々の心を伝える音楽に共鳴する術を覚えることになるのではないか。

 ここでこうしてアルバムを聴いていると、なんだか部屋の中を春の風が吹き抜けて行くような気分になる。自分は緑萌える丘の上かどこかにいて、何に心を悩ませることもなく、古代人の生きた時間に、ただ身を任せているばかり。”The Water is Wide”で始まり、以後、トラッド定番曲頻出の桃源郷。どうか、一刻も早く本物の春の到来のならんことを。

 (残念ながら You-tube には、このアルバムの収録曲をみつけられなかったので、とりあえず Kim のライブ演奏などお楽しみください↓)



ニュージーランド、おおニュージーランド!(S氏に捧ぐ)

2012-12-18 06:07:20 | 時事
ほ~、あなたは選挙結果から日本の将来が不安になり、ニュージーランド移住をお考えですか。原発はないし、TPPに反対する国民が多数だし、外国人も自治体レベルで選挙権持てるから?なるほどねえ。

そうだ、それなら世界中の飢えに苦しむ人々、武力紛争で傷ついた人々のすべても全員、ニュージーランドに逃げ込めばいいんだ。それで全ては解決♪そうでしょ?

世界の人口の何割が飢えているんでしたっけ?紛争地域も、世界中にありますね。その人たち、ニュージーランドに入りきれるかな?

でもきっと大丈夫!だってニュージーランドは素敵なところらしいですもんね!

そう、ニュージーランドがそんなに良い所ならいっそ全人類が(何十億人いるのか知らないけどさ)ニュージーランドに移住すればいい。これで人類は一人残らず幸せになれる。違いますか?ねえ、Sさん。