気持ちがざわざわしているのは、なぜなのかー。
この本についての感想が、うまく心のなかの引き出しに納まってくれないからだと、
なんとなく気付いていました。
君といたとき、いないとき
作・絵:ジミー
「地下鉄」や「Separate Ways君のいる場所」の作者でもある
ジミーさんのことをつい最近までまったく知らず、読んだ本も、これ1冊。
他の絵本を読んでからあらためて感想を、とも思いましたが、ほおっておくことで、
さらにざわざわが広がっていく感じがして‥何か書かずにはいられませんでした。
空から、風に吹かれて月が落ちてくる。それをアパートメントのベランダの
手摺りに座っていた男が見ている。驚いて、男は落ちる。月のない世界は
人々を不安にさせ、人工の月が作られる。
人工の月? そう、工場で、ただにこにこと笑っているだけの明るい月が
大量に生産されるのです。
一方。
はらっぱの中の水溜りに落ちた月。死にかけているようにも、これから
生まれてくるようにも見える月。偶然、それを見つけた少年。
だいじなものをささげ持つようにして月をひろって、走って帰る。
それを見ていたのは、草色をしたうさぎたちとその何十倍にもなった巨大なうさぎ。
月は、少年のおかげで、光ることや、満ち欠けをたどり、明るい笑顔を
取り戻していくけれど、月が優しく描かれているのとは対象的に、ペンで
カリカリと描かれた森の動物や鳥たちは何を暗示しているのでしょう。
木立からのぞく小動物の目。橋の上に立つ鋭い爪をもった鳥。ビルの陰の
ふくろう。建設中の鉄骨のなかのキリン。 階段の上のカモノハシ。
私の気持ちを波立たせ、どうにも落ち着かなくさせるのは、空から月が
なくなったこの世界が(少年が本物の月と暮らしているこの世界が)
『近未来』に思えるからなんだと思うのです。
近未来ー。いつの時代から見て、いつを近未来というのか、あまりにも
漠然としているけれど。何度何度も読み返すうちに、20年くらい前に見た映画
『ブレードランナー』が思い出され、その頃読んだ本『都市の感受性』の中で、
川本三郎氏があげていた『天窓のあるガレージ』を思い出したのです。
その頃の自分自身が抱いていた、漠然とした不安が呼び戻されて不安になるのか。
それとも、20年前の「近未来」に、現在の自分が近づいていることで不安になるのか。
いずれにしても、裏表紙を閉じだあとも、安心できないざらっとしたものが、
どうしても残ってしまう本でした。
少年は、月を夜空に(たくさんの人たちに明るい月夜を)返しにいこうと思い、
引き出しをひっかきまわして、耳としっぽのついた黒い服を着込みます。
マッチ売りの少女が、天国のおばあさんと会えてしあわせだったように、
人魚姫が好きな人のために、海の泡となったように、少年も、黒猫の
着ぐるみのままユリの匂いに包まれて、静かな眠りから覚めることはないのでしょうか‥。
月の落下を目撃した男の病室のベッドの横に、白いユリの花が、
描きこまれています。大きな後ろ姿が不穏な感じを与えます。
「誰か、夜空から戻ってきた少年を見た人はいるの?」
胸の中での問いかけに答えはなく、ざらっとした不安だけがそこにあるのを
感じます。
君といたとき、いないとき。
「君」=月のことだと思っていたけど、「君」はきみのことでもあり、
遠いいつかのわたしやぼくのことであるのかもしれません。