10月21日(金)は5年生のクラスでの読み聞かせでした。
少し大きい子のクラスへ行ったら、読もうと決めていたのがこの本、
はなのすきなうし 岩波の子どもの本 です。
私がこの本を知ったのは、つい最近。今年の2月に、私の住んでいるK市主催の
「読み聞かせ」に関する講座に出席した時です。3回ある講座の第3週目に、
講師の方の前で、読み聞かせの実践というものがあり、そこで参加者のある方が
この本を選んで読んでくれました。
はじめて出会う本が、自分で読んだのではなく、誰かの声で読まれたものだった、
というのは、とても新鮮な経験でした。「目」からではなく、「耳」から届いたお話‥。
場所はスペイン、どこかの牧場。
子牛たちは毎日跳んだりはねたり、駆け回ったりして遊んでいます。そんな中、
主人公のふぇるじなんどだけは、ひとり別行動。静かに草の上に座っています。
ふぇるじなんどのおかあさんは心配になり、彼に聞きに来ます。
「どうしてほかのこどもたちと一緒にあそばないの?」
(牛のお母さんも、人間のお母さんと心配になることは同じです)
ふぇるじなんどは丁寧に答えます。「ぼくは こうして、ひとり、はなのにおいを
かいで いるほうが、すきなんです」
ふぇじなんどのお母さんは、彼がさびしがってないことを知って、好きなように
させておきます。(たまにはみんなと遊んだらとか、つい言いたくなってしまう
ところだと思うのですが、このお母さんはえらいです)
月日は流れ、ふぇるじなんども他の子牛たちも大きくなっていきます。
みんなの願いは、まどりーどの大闘牛で戦うこと。だから、男たちが強い牛を探しに
やってきたときは、大騒ぎ。猛烈にあばれてみせたりします。でも、ふぇるじなんどは、
そんなことには興味なし。いつものようにお気に入りの場所に座りに行きます。
しかしお話は、くまんばちの登場で急展開。「あっ」ということが起こり、
彼がまどりーどへ行くことになってしまうのです。
そして迎えた大闘牛の日。ここまできたら戦うしかないんじゃないの?
という状況の中でも、彼は彼のままでした。大観衆の目前でも、自分自身を忘れません
でした。(もしも私がふぇるじなんどだったら、崖っぷちに立たされたと観念し、
好むと好まざるとにかかわらず、戦ってしまったと思います。せっかく見にきてくれた
人もいることだし、とへんなサービス精神?で)
いろんなメッセージを、感じることができる本だと思います。
しかし、5年生の教室でこの本を読むことで、ひとりひとりの個性が大事とか、
個人を尊重しようとか、そんな大きなテーマを掲げていたわけではありません。
子どもたちが(私もそうでしたが)、自分からは、積極的に手にすることは
少ないかなあと思ったので、ちょっと耳に入れておきたかったぐらいの気持ちです。
もしも、子どもの頃に、この本を読んでいたら、私は何を感じていたかなあ?