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「プリンセスチュチュ」ファンページ

11Akt

2009-09-12 16:44:24 | チュチュ感想文
タイトル曲の「ラ・シルフィード」は典型的な『バレエの伴奏』音楽なので、とりたててコメントすることも無いですね。チュチュで使われてるのはブルノンヴィル版(←デンマーク王立劇場版)の音楽(レーヴェンショルド作曲)のみで、ラコット版(←パリ・オペラ座版)の音楽(シュナイツホーファー作曲)は使われてないようです。いずれにしろ、単独で演奏されることはまず無い、印象の薄い曲(バレエが付いてないと)...たぶん、冒頭、前夜の『まさかよりにもよってお前だったとは事件(笑)』に動揺を隠せないふぁきあ君&あひるちゃんのバックに流れてる「コリオラン」序曲(ベートーヴェン作曲)の方が皆様の御記憶にも残ってるんじゃないでしょうか?

さて、で、お話の方の話。
一応チュチュが”シルフィード”という位置付けなんでしょうね(羽もあることだし 笑)。ただしチュチュの羽は落ちないし、死にもしないし...
『愛が(シルフィードを)縛る(or縛る愛)』ってところにテーマとしての共通性を持たせてるようですが、それも結構無理矢理な感が拭えないかも...まあ、深読みすれば、婚約者のいる男にちょっかい出してしっぺ返しを喰らったシルフィードとチュチュの立場的な相似性を示してると言えないこともない?かな?

それよりもむしろ、「ラ・シルフィード」本来のテーマである『迷い』の方が「チュチュ」的な気がしますね。
婚約者と妖精と二股かけたあげく、妖精は自分の手で殺してしまい、婚約者にも去られたジェイムズ君は『大間抜け』というのが一般的解釈だと思われますが、私はむしろ予定調和的な話の落ちどころなように感じます。ジェイムズのどっちつかずさが、「堅実な生活と見果てぬ夢の間で迷わずにはいられない、人間の普遍的な姿」を投影しているから、というのももちろんありますが、私が見る限り、エフィ(婚約者)とガーン(エフィを愛していたジェイムズの親友)はもちろん、シルフィードも、ジェイムズでさえも「在るべき所に落ち着いた」ように思えます。もしジェイムズが予定通りエフィと結婚してたら、たぶん皆んな不幸になってたんじゃないでしょうか?たぶんその場合でも、シルフィードは結局死んでたでしょうし...ああ、でも、そっちの方がドロッセルマイヤー好みの悲劇かな(笑)

さてさて、今回も見事な役立たずっぷりを披露してくれた騎士ふぁきあ君、この後、今まで目の敵にしていたチュチュに不本意ながらお世話になっちゃうわけですが、次回、名誉挽回は成るのか?!というところでこの回は終わり(笑)