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「プリンセスチュチュ」ファンページ

20Akt-3

2005-11-17 22:07:26 | チュチュ感想文
微妙な態度ときわどい会話で色んな人をうろたえさせ、
「あひるさんとお散歩」しながら水車小屋へと向かったレーツェルさん、
「ふぁきあの書いた物語はね、時々本当になることがあったの」
というところで第2組曲のインテルメッツォ(間奏曲)です。

アルトサックスの響きがメランコリックな第2主題の甘い旋律
(4小節分ほど切られてますが)に乗って、
”元々は素直で可愛かった”ちびふぁきあの逸話が意味ありげに語られ、
(今ふと思ったんですが、レーツェルさんが「ふぁきあが変わった」と言ったのは
花屋前のふぁきあの態度も含むのかな?
まぁ確かに、子供の頃は『姉』にあんな優しげな態度は見せないだろう・・・)
それをきっかけにあひるちゃんの突っ込み無用な妄想が繰り広げられます。

そして古本屋に引き続き今度は厩でヘコんでいるふぁきあを探し出した
あひるちゃんが、ふぁきあのトラウマをざっくり抉り出す瞬間、
劇的な第1主題の再現部に突入。お見事。


ちびふぁきあが両親に見守られて(どんな顔で見てたのかなぁ?)書いてたお話は
'Es war einmal ein Junge. +++. Das ist...' (昔々、少年がいました。それは・・・)
という、わりとオーソドックスなものでしたね。+++のところにもなんかありそうなんですが、
ふぁきあが手で隠してるんで読めません。
続きもありますが、やっぱり読めません。

ついでに20Akt冒頭、古本屋の2階で無意味にぐるぐる悩むふぁきあの脇に積んであった
本の一番上のヤツのタイトルが'ein wunderlicher Mann'(奇妙な男)で、ちょっと象徴的。
・・・たしかにふぁきあは奇妙な男かも・・・


そして黒みゅうとxふぁきあ一騎打ち。
役立たずな上に死に損ないの騎士、詰めの甘さは健在。
一度足を封じられて剣を抜かざるを得なくなったというのに、
性懲りもなく再びとっ捕まり、文字通り手も足も出ないふぁきあに
キレた黒みゅうとが斬りかかり、危機一髪!
(あの近さだと、目は開いてようと思っても、反射運動で閉じるんじゃないかな?)

ここでチュチュが叫ぶのは「ふぁきあ!」
・・・みゅうとを止めなきゃならないんだから、呼ぶのはみゅうとの方が良かったのでは・・・

しかしさすがは王子、カラスの血に蝕まれ「大切な人を傷つけるのを止めることもできない」
はずなのに、ちゃんと止めてます。
まあ、「それでも悲劇からは逃れられない」と。

そういや、黒みゅうとの守備範囲ってどれくらいなんでしょうか?
「若い心臓」ってあいまいな表現だよな・・・内臓年齢って人によって違うし・・・
レーツェルさんの歳が幾つなのか知りませんが、
だいたい10代くらいって感じなのかな?

20Akt-2

2005-11-10 21:15:05 | チュチュ感想文
レーツェルさんのテーマ(と私が思っている)アダージェットは
カット無しで全曲聴ける(あひるの「あ・・・ふぁきあ」の後から
「時々もっのすごく憎たらし・・・あ!」まで)んで、すごく嬉しいv
まあ、もともと短い(=3分弱)曲なんで・・・

どっかのバカップルみたいに花屋前でいちゃつくふぁきあとレーツェルさんのバックに
ふわっと流れ始めるこの曲、「アルルの女」では、主人公(裕福な農家のせがれ)
の家の老農夫が、昔の恋人に再会するシーンのもの。
穏やかで優しい曲ですが、諦観というか、溢れ出す甘い記憶に浸りながらも
同時にそれが既に過ぎ去ったものと認識してるという、一種の寂しさが
感じられる気がします。

で、ここのシーンは色々萌えポイントが多い~
「姉みたいなものだから」と言われてついほっとして、そんな自分に焦るあひるとか、
「姉はらぶらぶと違うズラか?」と訊かれて固まり、横目でうずらを睨むふぁきあとか、
みゅうとのことを適当に誤魔化すふぁきあを心配そうに見ているあひるとか。

気になったのがレーツェルさんの台詞「まさかカロンの・・・」。
そのあと何て言おうとしてましたか、レーツェルさん?『隠し子』?
(奥さんがいないってのは分かってるんだから、そういうことになるよな)
カロンもふぁきあも躊躇なく首を振ってましたが、「カロンがこっそりつくった」
という点から言えば、あながち間違いではないかもしれない・・・

レーツェルさんって含みのある言い方することが多いですね。これも。
「ふぁきあがこんな可愛い子と・・・」
・・・可愛い子と、何?
あひるは「可愛い」の方に気をとられて、レーツェルさんの誤解はスルーですが。
でもさすがのレーツェルさんも、まさか二人が裸を見せ合った(見せたわけじゃないか)
仲だとは思わなかったに違いない。

色々とスゴイ人だと思わされるレーツェルさんですが、何より
誰も居ない所に向かって話しかけてるあひるに対して平然と
「おもしろい人ねv」と言えるとは、まさに「大人の女の余裕」です。
そういやこの回、ぴけとりりえも絶好調。
「さんざん弄ばれて、ぼろぞーきんのように捨てられるふぁきあ様」は
私も是非見てみたかったなあ(鬼)
いや、ある意味、みゅうとにされた仕打ちはそうだと言えるか?

(まだ続きます)

20Akt ・・・つか、アルルの女。

2005-11-06 01:14:35 | チュチュ感想文
19Aktラスト、みゅうとの「どいつもこいつも愛されたいだけのくせに」を受けて(?)
「誰だって愛する人には愛されたい」の20Akt。
最終ステージの超重要アイテム(?)「ふぁきあの物語の力」が明かされ、
一見ただのヘタレな従者と思われたふぁきあが実は「魔法使い」だった
(しかも力の発動を自分で制御できないヘタレ魔法使いだった)てことが判明する、
一大イベントの回ですね。


20Aktの変身時テーマ曲は「売られた花嫁」ですが、全体的な比重から言えば
「アルルの女」かな。
個人的にいろいろと思い出のある曲なんで、20Aktのフランス映画っぽい(?)
ほろ苦さの滲む話と相まって、胸に込み上げるものがあります。

第1・第2組曲の中で私が一番好きな前奏曲とアダージェット(どちらも第1組曲)
が使われてて嬉しいです。
(有名なのは第2組曲のメヌエット(←本当はアルルの女じゃない)、
ファランドール辺りでしょうけど)
「アルルの女」はストーリー的には「カルメン」と対になってると言えるでしょうね。
ただし女は名前すら出てこなくて、男の(かなり一方的と見える)執着と、
田舎の家族との軋轢がメイン。
簡単に要約すると、都会の女にのぼせ上がった男が苦悩のあまり自殺し、入れ替わりに
白痴だった男の弟が正気になるという話(省略し過ぎ?)。
でも、正気に戻った弟が果たして幸せだったかどうかは私には分かりません。

後半始まってからわりとすぐ、レーツェルさんの「ふぁきあがそんなことを」から、
あひる「その人を助けられると思ったんですけど」の間に一瞬聞こえてくるのが
前奏曲(それぞれ別の主題を持つ3曲から成る三部構成)の第2曲で、
そのあとすぐに第3曲に代わっちゃうんですが、この第2曲が白痴の弟のテーマです。
(短過ぎてよく分からないかも)
アルトサックスの奏でる、夢見るような純粋で優しいメロディーが表すように、
現実の苦しみを知らない彼の世界は、憂いの無い、平和なものだったはず。
そこから、兄が自殺した厳しい現実に連れ戻されるのは、
彼にとって良かったと言えるんでしょうか?
・・・うーん、これはむしろ6Aktのテーマか?

(話はまだまだ続きますが、今日はここまで)

19Akt

2005-10-29 22:22:38 | チュチュ感想文
21Aktと並ぶ、もう一つのメンデルスゾーンタイトルの回。
もっとも「真夏の夜の夢」は1Aktから出てますけどね・・・
結婚行進曲はこれと「ローエングリン」のが有名ですが、結婚式で演るなら
「真夏の夜の夢」の方がいいんじゃないかな。と思います。
(「ローエングリン」の結婚はあっというまに破綻しちまいますので)

「真夏の夜の夢」で私が一番好きなのが夜想曲(ただのホルン好きか?)。
この曲は静かで穏やかな感じで、あんまり甘いイメージは無かったんですが、
クレールとみゅうとの色っぽいパドドゥに意外と合ってて面白かったです。
元々の劇付随音楽としては妖精が恋人達を眠らせるところの音楽だそうですが、
つい先日或る方からお借りした(ありがとうございましたvv)DVDで初めてバレエ版を
見させていただいたところ、妖精の王と女王が仲直りして踊るシーンで使われてました
(確かにバレエにするならその方が音楽的に合ってる)。
なるほど~ それでクレールとみゅうとか・・・


さて、カラスなみゅうとは、17Aktでプレッシャーかけられたせいか、ラブレター配達屋サンに
毎日顔出したりして、地道に候補者集めをしているようで(笑)
しかしそこに戻ってきた「誇り高き心」、意外な抵抗力を発揮。
やはり「プライド」は「愛」に勝つのか・・・

一方ふぁきあ、初っ端から驚き過ぎです。別に水が掛かったって、裸になるだけで
怪物化するわけじゃあるまいし・・・(むしろ、見られるあひるの方が気にするべきだと
思うんですが、彼女はいつも彼ほどには取り乱さないですね)
それにしても夜の暗がりの中、2階の窓から見下ろした状態で、よく
道端にいる小っちゃい(しかも動いてもいない)アヒルを一発で見つけられたな・・・
余程目がいいのか、アヒルの色が目立ったのか、それともやっぱり「愛」か?

この回もうずらの印象が強いです。
突っ張りふぁきあと男のロマンより現実重視なあひるの言い合いのシーンでも、
睨み合う二人の方じゃなくて、自分がぶちまけた水を拭き(拭かせられ?)ながら、
言い争う両親・・・じゃなくてあひるとふぁきあを興味津々に眺めているうずらの方に
つい目が行っちゃいます。
そしてうずらと言えばこのセリフ!というアレもこの回。
「しっぽ」と「らぶらぶ」に飽くなき探究心を燃やす、
いたずら盛りのうずらの魅力たっぷりな19Aktでした。

14Akt

2005-10-22 21:40:47 | チュチュ感想文
もう一つの印象的なシェエラザード、猫先生の青春の思い出(?)を彩る
「若い王子と王女の物語」。
前からこの曲は、「現在進行形のロマンス」というより「きれいな思い出」
って感じだと思ってたんで、この回想シーンはぴったりだと思いました。
26Akt教会の塔のシーンでも使われてますが、そこでも「若い王子と王女」たる
みゅうととるうを表しているというより、現実を去って思い出になっていく二人を
象徴しているような気がしました。

・・・でも、いくらなんでも舞台で基礎練習をするダンサー(アーティスト)
はいないんじゃないでしょうか。大抵の劇場には練習用の小部屋があるし。


さて1Aktとふたごの14Aktですが、話も細工もずっとエレガント。こなれてるって言うのかな?
卵の章を経て、表現技術がより繊細になり、独特の世界観も熟成されてきた感がありますね。
1Aktとのシンメトリーの面白さも勿論ありますが、それがただ出来事をなぞるだけに終わってません。

でも正直に言えば、冒頭の夢が「みゅうと先輩の夢」だったのが「ふぁきあの夢」(あひるちゃん言)
になってるのが一番象徴的で萌え。その後のあひるちゃんの狼狽ぶりも意味ありげで、オイシイです。

あと、落下王子を助けるため、寮の屋根を斜め走りするあひるちゃんに、
ついコ○ン(未来少年の方)を連想しました・・・(歳がバレる)

それにしても落ちてどうするつもりだったのか、みゅうとの意図がイマイチ掴めません。
おせっかいでお人好しの騎士を嵌めるにしても、自分が死んじゃってはしょうがないんじゃないでしょうか?
(1Aktのドロの台詞からすると、2階からでも落ちたら死ぬみたいだし)
もっと言うと、いてもいなくても変わらない「用済みの騎士」を
なぜいまさら罠に嵌めて追い払う必要があるのか?
ヘタレ騎士でもやっぱり脅威だったのか?(まあ、結果的にはそうですが)
うーん、よく分かりません。

24Akt

2005-10-15 18:35:49 | チュチュ感想文
さて、24Aktはカラスみゅうとの踊る(暴走する)「死の舞踏」がメイン曲ですが、
印象が強いのは「カランダール王子の物語(シェエラザード)」。

前半冒頭、次元移動で疲れておやすみなさいなあひるちゃんをよっこらせなふぁきあと、
なんでそんなに興奮しやすいんだなあおとあとのやりとり(内容はなかなか奥深い・・・)
シーンに始まり、
お持ち帰りしたあひるちゃんを自分のベッドに連れ込んで一人悶々とするふぁきあ
(間違ってないですよね?)
そして微妙に緊迫した会話が繰り広げられているとは全く思えない平和な朝食風景
(既に学校に行く気はまったく無さそう)
さらにふぁきあの怪しい態度にさっぱり気づかず、能天気に行って来ますのあひるちゃん
(ふぁきあを信用し過ぎだ!色んな意味で)
までのバックにずっとかかってます。

シェエラザードといえば12Aktのタイトル曲ですが、こちらの方が他の音やセリフとの関係で
聴き取りやすいですね。他の回でもしょっちゅう使われてますが、いずれもかなり編曲されてますし
(繋ぎ方が上手いのであまり気になりませんが)。
と言っても、ここでもやっぱり微妙にフレーズの反復が減らされちゃってたりするんですが・・・
シェエラザードはあのしつこいくらいの繰り返しが、絡みつくような色気を醸し出しているので、
削られちゃうとどうしてもあっさりし過ぎと言うか、物足りない感じ。
ま、ローティーン同士であんまりそうねっとりと官能的なムードを出すのもなんなので、
このくらいがちょうどいいのかも。

ちょっとマニアックな話になりますが、この演奏で使われているファゴット(冒頭バイオリンソロの後、
ソロで出る楽器です)はフレンチバスーンかな?と思われます。まあ基本的には同じ楽器ですが、
一般的なファゴットが明るくのどかな音色なのに比べて、フレンチバスーンは暗く柔らかな音色で、
それがこの話のBGMとしてはすごくよく合ってると思います。違うかもしれませんが。

写真はるうちゃんが立ってた(みゅうとが飛んでった)レプジンガー通りです。
しかし王子様、<呪いが解けなかったらあとはよろしく>ってのはあんまりじゃないですか・・・
と、視聴者は皆思ったに違いない。

21Akt

2005-10-09 17:25:34 | チュチュ感想文
さりげなく自己主張してたにも関わらずいつまで経っても目に留めてもらえない
あおとあ、ついにしびれを切らしてもう少し直接的な手段に訴えることにしたようですね。
(これってあれだな、バーで気になる女性を見かけて「マスター、あそこのレディに
同じものをもう一杯」とか言ってお近づきになろうとするのと同じ手だ)
しかし、人の話を中途半端に聞いているうずらには「変なあおとあ」呼ばわりされ、
さらに、うずらとあひるに向かって「なんの関わりも無い者」とか抜かしてしまって
ふぁきあに鼻で笑われ・・・哀れだ、あおとあ。

さて、余計なオマケ付きながらも、どうにか意中の人を深夜の博物館裏庭に連れ出したあおとあ、
得意満面に知識をひけらかして優位に立とうとするも、ふぁきあは例の石が目に入った途端
そちらに釘付け、あおとあの話も聞いてるんだかどうだか・・・
ここで「新世界」の第2楽章、超有名な第1主題(「遠き山に日は落ちて」として知ってる方も多いかも)
の直後の部分が流れます。

実はほぼ同じ部分が24Aktの後半冒頭でも使われてるんですね。
ふぁきあがプライドを枉げてあおとあに協力を要請する(でも態度はえらそう)シーンだから、
紡ぐ者のテーマなのかな?
それともあひるがうずらちゃんの心臓の音を通じてエデルに再会するところまでかかってる
ことからして、別の世界(真理の沼?)と繋がって死せる者とコンタクトする時の音楽?
どちらとも取れます。

それから「詩人のハープ(無言歌集)」。
言うまでも無くこれは元々ピアノ曲で、ピアノで弾けばそんなにめちゃめちゃ難しいってわけじゃ
ないですが(でも私は弾けませんが)、これをホルンで吹くのは、はっきり言って超絶技巧です。
このホルン奏者は素晴らしいです。音色も柔らかだけどしっかりした張りと輝きがあり、
必死でふぁきあを呼び戻そうとするチュチュの姿にとても合っていると思います。
ここのシーンはほんとにきれいで、何度見てもつい見入ってしまいますよ。

しかし・・・ふぁきあ!どさくさ紛れになんつーことを!!
ああでも、チュチュの胸は柔らかくて気持ち良さそう・・・
その後チュチュ(or あひる)は朝までふぁきあを抱っこしてたんだろうかとか、
あおとあは多分、朝までほったらかしにされてたんだろうなとか、
色々楽しい想像が拡がりますね。

23 Akt

2005-10-02 18:48:21 | チュチュ感想文
たぶん、お好きな方が多いと思われるこの回、私も音楽的にはこの回が一番好きです。

タイトル曲(「ルスランとリュドミーラ」序曲)はコンサートの前プロでよく演られる曲ですが、
元が短い(5分半くらい)ので、アニメの中でかなりまとまった形で聞けて
(長さは半分ですが、繰り返しなので譜面上はほとんど全体)満足感が有ります。

しかも使い方がうまい。
途中、緩やかな部分にうずら&エデルのシーンが納まっているのなんて脱帽モノ。
曲のエンディングが抱擁(って言うのかあれ?)シーンでぴったり終わるのもいいですが、
私が鳥肌立ったのはあひる&ふぁきあシンクロ部分。
緊迫感を掻き立てる上昇音型の連なり、ジェットコースターのような勢いで滑り降りてくる下降音型、
さらに弦楽器が重なってユニゾンで奏される一体感と力強さは、まさに二人の心理状態そのもの。
あの曲がこうなるとは!スゴイよ・・・

「ルスランとリュドミーラ」はロシア民話を現代(?)に甦らせたプーシキンの詩を元に
グリンカが作ったオペラで、典型的なお姫様救出モノですが、初演時の評価は
あまりよくなかったそうです。(ロシア貴族には、ロシア民話なんて泥臭いと思われたらしい)
最近とあるテレビ番組で知ったのですが、プーシキンの原詩では語り手は猫だそうです。
そのまま引用すると

 入り江に緑の樫の樹があり
 金の鎖が巻き付いていた
 鎖の端に繋がれた物知り猫が
 昼も夜も樹の周りを歩く
 猫は右に歩いては唄を唄い
 左に歩いてはお伽噺を語る

てな感じ。ちょっとチュチュっぽいですよね。

ついでに、ふぁきあが叫ぶ直前書いてた原稿は(読めなくても分かるとは思いますが)
<プリンセスチュチュ・・・><”ここから出たい!”。その・・・>
というものでした。ふぁきあが何をどこまで書いたのか、私もちょっと読んでみたかったです。

突っ込みどころとしては、ドロッセルマイヤーのお茶会でるうちゃん達の様子を見せられた
チュチュでしょうか。ふぁきあの背後にあおとあもいたのに、全く目に入ってませんでしたね。
ちゃんと状況解説したりして活躍するのに、哀れ・・・

しかしこの回の真の主役はうずら。文字通りうずらに始まり、うずらに終わるこの回、
話を動かすのもうずらなら、内面に劇的な変化を生じるのもうずら(とふぁきあ)。
最後の一言はチュチュきっての名セリフの一つだと思います。

1Akt

2005-09-24 01:18:22 | チュチュ感想文
そしてかなり後になって見た第1話。
正直に言ってもいいですかね?
初めてDVDでこの回を見た時には仰け反りました。
その衝撃は、ビートルズの後期の作品を聴いた後で初期の作品を聴くのに
匹敵すると言ってもいいでしょう。

あひる、うるさっっ!
全体にバタバタしてて落ち着きが無いし、必殺技の出方もとってつけたよう。
猫先生もちょっと違う感じですね。結婚行進曲の流れ方もこの後とは違ってますし。
他の音楽の使われ方も今一つぎこちない感じ。
初っ端に王子様はいきなり裸で御登場だし・・・いやそれは予想範囲内か・・・

でも光の使い方とかはさすがに効果的だし、綺麗です。
物語っぽいちょっとアヤシゲな雰囲気、さらに決して楽ではない今後の展開を
窺わせる暗い予感のようなものも当初からちゃんと出ていたというのはスゴイです。
(後から見たからそう思うのかもしれませんが)

萌え的には、一番萌えは、一見ふぁきあの言葉を素直に聞いてるように見えて、
実は全然従う気のないみゅうと様。最高です。ふぁきあの苦労が偲ばれます (笑)

25Akt-2

2005-09-18 23:15:06 | チュチュ感想文
その他雑感。

誰もが気になるふぁきあの出血、いったいどの程度ぐっさりいってるのか?
ペーパーナイフで刺して血が出るほどってことは、鋭利な刃物で刺すより
ひどいことになってそうな気がするんですが・・・
ナイフの柄の鳥は・・・やっぱりカラスですかね?あんまりそうは見えないけど。

でも一番気になるのは、ふぁきあが(右手を押さえてた)左手で掴んだあおとあのタイ。
教育的配慮なのか、ふぁきあが手を放した後も血がついてませんでしたが、
実際には血まみれになっていたはず。
『秘密のお部屋』の惨状も含め、後で親に何て説明したんだろうと心配してしまいます。

ちなみにぶっ刺す直前にふぁきあが書いていた文章は、読めるところから判断すると
「・・・命を投げ打つしかない。彼女は絶望の湖に沈んだ。・・・」というくだり。
その後にも続きがあるんですが、ふぁきあの手が邪魔で読めません(「さあ」だけは分かる)。
お分かりになった方がいらしたら是非教えてください。

あと、アッサムにダージリンをブレンドするのはいかがなものかと思います。
せっかくのアッサムのコクが台無しなのでは?
私はやっぱり紅茶は濃いアッサムに濃いミルクたっぷりが最高だと思います。
(んなことどうでもいいって・・・)


ドロッセルマイヤーがなんでわざわざあひるちゃんの物語をふぁきあに書かせて
「ふぁきあが書いたお話が現実になる」ことを証明してやったのか謎ですが、
(ふぁきあの話の方があひるちゃんを動かす力がある?それとも単なるいやがらせ?)
それはともかく「ふぁきあに」絶望の湖に沈められたあひるちゃん、なんだかんだの末、
今回はエデルさんならぬ、うずらちゃんに導かれて地上に帰還。
そして「夫」と「子供」に見送られて戦場へ。(そうとしか見えないですよね)

「白鳥の女王の踊り」はエデル&うずらの「心の揺れ」の主題として使われてるようですね。
そうして「ジークフリート牧歌」をバックに王子復活。ここで王子の本名が明らかに?
この曲は本来、ワーグナーが長男ジークフリート誕生の喜びを込めて妻の誕生日に贈った
優しい曲なんですが、妙に緊迫してます。(ちなみに長女の名はイゾルデ)
さらに「エグモント序曲」で白鳥の剣を召還。断頭台の露と消えたオランダ独立の英雄
エグモント伯の悲劇がちらつく中、王子は自由を勝ち取れるのか?というところで最終回へ。