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「プリンセスチュチュ」ファンページ

7Akt

2006-12-30 03:39:36 | チュチュ感想文
7Aktは川がモチーフ?で、「美しく青きドナウ」。
たしかにネルトリンゲンの川とドナウ川は物理的に繋がってるけど...
この曲の優雅で華やかで能天気な雰囲気が、どんより不安を醸す7Aktのストーリー
(初っ端からいきなりヒロイン泣いてるし)に合ってるかどうかってのは、かなり微妙なところ。
でも話が湿っぽくなり過ぎて鼻につくのを防いでるのは確かかな?

ウィンナワルツは3拍目を心持ち遅く入る「ウィーンなまり」が特徴ですが、
この演奏ではあまりはっきり出していないようですね。
それなりに長い(と言っても約10分)曲ですが、いろんな主題が次々に現れるので飽きさせませんし、
全体に軽くて楽しい曲。
(けど自分が演るとなると、このテンションを保ち続けるのが結構大変...
私は、ですが)
TV番組のBGMなどで耳にする機会も多いですが、全曲聴くならやっぱりウィーンフィルのニューイヤーコンサート?
アンコールとして毎年やることが決まってるので、お正月のN○K(教育 1/1 19:00-22:00)でどうぞ。
ウィーンシュターツオパー(たぶん)のバレエと一緒に楽しめます。


さて、記念すべきクレール様初出なんですが、残念ながらネタバレ状態で見たので、あまり感動は無し。
ジムノペディが使われてるってのは、禍々しい感じとかあるいは華々しい感じとかじゃなくて、
透明で繊細な雰囲気(あと、洗練された上品な色気とか?)を感じさせる演出なんでしょうね。

一方、橋の下で長年色んな人にちょっかい出してきたらしい『知りたい気持ち』。
この後もるうちゃん(クレール)に連れられて女子寮に入り込んだり、
ふぁきあに跳ね飛ばされて遥か彼方に飛ばされてったりと、あちこち転々とするのは、
やっぱり『知りたい気持ち(=好奇心旺盛)』だから?(笑)

4Akt

2006-12-24 02:01:03 | チュチュ感想文
Frohe Weihnachten!

ペンギンさん大活躍の回。
彼(?)のおだやかで明るいピアノはいつ聴いても心がなごみます。
その控えめでこまやかな人(?)柄は、居残りあひるちゃんに黙って付き合ってあげる(サービス残業...)
ところからもうかがえますが(あひるちゃん、ちゃんとお礼言わないとダメだよ)、
勝手に練習を中断してキャーキャー賑やかな女の子達にも文句一つ言わず、
突然ロフト(テラスと言うべき?)から降って来る猫先生にも動じることもなく、
全ての人をあるがままに受け入れてあげられるところが、オトナだなぁと思いました。

それにしてもあひるちゃん、「独りで居残りさせられてすっごく落ち込んでるだろうと思って
(楽しみにして)来た」りりえに腕を後ろで固められ、首を180度回されてます。
鳥じゃなきゃ死んでるよ...


ところでN○Kの「スーパーバレエレッスン」を見てて思ったんですが、
「ジゼル」の曲はオーケストラよりピアノ演奏の方が良い感じですね。
これくらいの和声の厚みならオーケストラでやる必然性は無いし、
ピアノの方が叙情性が引き出されて味わい深くなる気がしました。


まあそれはともかく、みゅうとが地縛霊のウィリーに招ばれて(ふらふら付いて行くなよ...)
あの世に連れてかれそうになる時のBGMがヒラリオンの音楽なのは、つまりみゅうとも
「身代わりの男」に過ぎないってことを意味してるんでしょうか?
『悲しみ』の心が呼んだにしろ、ウィリーにとっては赤の他人だしな...

「お話の乙女」は新入りウィリーのジゼルっていうより、ウィリーの女王ミルタのように見えますね。
なりもそうだし、貫禄も有るし、他のウィリー達も彼女にかしずいてるし。
そういえばウィリーってのはみんな「結婚前に死んだ娘」だから、
ミルタや他のウィリー達にもジゼルとおんなじような過去があったのかなぁ。
今まで考えたことなかったけど。


そしてチュチュは達者な『踊り』と『口先』(←共感する『心』があったにしろ、これが重要だったのは確か)
でウィリー達を見事成仏(昇天?)させ、王子様の御心のカケラを奪い返すと同時に除霊も完了。
チュチュと「乙女」は左右対称の動きですね。
どっちが本来の動きで、どっちがシャドーの動きなのか私には分かりませんが、
そんなに簡単にできるものとは思えないです。どっちにしてもスゴイ。

それはそれとして、チュチュはいかにも「自分も同じ」みたいなことを言ってますが、
本当はチュチュとジゼルじゃ、基本的な状況に大きな違いが有ると思います。
チュチュの場合は最初から片思いと分かってるけど、ジゼルははっきり言って騙されてたわけですから。
命を落とすほどの『悲しみ』は、単に「愛する人には愛されない運命」だからじゃなくて、
恋人に裏切られたことによるものだと思うんですが。

アルブレヒトがジゼルを好きだったのは嘘じゃなかったにしろ、バチルダに婚約指輪を贈ってるところからして、
最終的には、そう簡単に婚約解消できない方(つまりバチルダ)と結婚するつもりだったのは明らか。
たぶんアルブレヒトは、哀れなほどに純心なジゼルのおかげで辛うじて生き延びた後、
じきにそんなことも忘れて、他の誰かとそれなりに幸せで平凡な結婚生活を送ったんじゃないかな。

3Akt

2006-12-17 00:52:06 | チュチュ感想文
N○K教育の<スーパーバレエレッスン>で「眠りの森の美女」の”パノラマ”が流れてたんで、なんとなくこの回を...
(なんで「ジゼル」じゃないんだ、ってツッコまないで下さい 笑)

(注:いちいちお断りする必要も無いとは思いますが、
ペローの童話は「眠れる森の美女」、チャイコフスキーのバレエは「眠りの森の美女」
と表記されるのが慣例なので、それに従ってます。
同様にシェイクスピアの戯曲は「ロミオとジュリエット」、音楽の方は「ロメオとジュリエット」で。
『統一性が無い!』と思われるかもしれないので、念のため)

「眠りの森の美女」の全曲を初めて聴いた時はえっ?!と思いました。
実は3Aktタイトル曲”パノラマ”の前に在るパ・ド・ドゥ、眠れる城にやってきたデジレ王子が
オーロラ姫の幻と踊るシーンの旋律は、チャイコフスキーの交響曲第5番第2楽章とソックリ。
だいたい同じ頃に書かれたためなんでしょうが、曲全体のイメージもすごく似てます。
他にも「白鳥の湖」は交響曲第1番(冬の日の幻想)と、「くるみ割り人形」は交響曲第2番
(ウクライナ)とよく似てます(と思います)。もし機会があったら聴き比べてみて下さい。


さて、3Aktの最初であひるちゃんは「みゅうと先輩はお話の中の王子様だ」と明確に認識し、
最後に「プリンセスチュチュ(自分)もお話の中の登場人物だ」と知るわけですが、
ふぁきあ達と違ってずっと町の中で暮らしてきたわけでもないのに、あっさり
「お話が現実になる」と納得してしまえるとは、人並みはずれた(ヒトじゃないか)適応力です。
通りすがりのレストランに入って、水をくれ(しかもビンに)と頼むくらいだから、
もともと常識にこだわらない性格なんでしょうね...

この回でどうにも納得できないのが、みゅうとの「感覚」。
心が無くても「怪我して痛い」とか「お腹いっぱい」とかは、気持ちで感じる(大脳を通る)わけじゃないからわかると思うんですが。
そうでないと日常生活にも支障を来すはず(来してるか 笑)。ちょっと回路が混乱してるだけなのかな?

3Aktにして初めてまともに一人合点以外の台詞を喋ったと言えるふぁきあですが、態度の悪さは相変わらず。
幼馴染のるうちゃんはともかく、格別親しくもない2つも年下の後輩を脅すなんて、どーゆう了見なのか。
あと、あんな狭い町の中で人を探すのにわざわざ馬に乗る必要無いのでは...(てゆーか乗らない方が便利なのでは?)
若いんだから、歩け(笑)

それにしてもえびねさんの料理は美味しそうだったなぁ。
ドイツ料理って、たしかに量は多いけど、けっこう日本人向きの味ですよね?

5Akt

2006-11-11 14:34:58 | チュチュ感想文
もひとつ『展覧会の絵』。

よく言われることですが、この曲をオケ用に編曲したラヴェルの識見と手腕は
特筆モノですね。
超絶技巧のピアノで聴くムソルグスキーの原曲(orリムスキー=コルサコフ版)
にもまた良さはあるんですが、ラヴェルによるオーケストラ化によって、
まるで荒削りのデッサンに鮮やかな色彩が付けられたように
この曲が潜在的に持っていた表情の豊かさやロマンチックな味わいが最大限に引き出され、
その結果、現在のように絶大な人気を誇るポピュラークラシックになったわけですから。
そして、どちらかというとストイックなイメージの原曲よりも、むしろ管弦楽用に編曲されたものの方が
元の絵に合っているような気がするのが不思議です。

元の絵は色調もタッチも柔らかで、一見お伽話風なんですが、
醸し出す雰囲気にどこか霧がかかったような翳というか毒があり、
そういう意味でもチュチュと通じるものがあるように思います。
5Aktタイトル曲「カタコンベ」の絵は、その不気味さがわりとはっきり表に表れていて、
石か漆喰塗りのような狭い地下墓地にぼんやりとした明かりが射し、その中に影のような男達の
シルエットが浮かぶという、いかにも『サスペンスもの』な絵だったように記憶しています。

お話の方も、夜だったり地下だったり完全個室(←書庫?)だったりと、けっこうはっきり『闇の中』。
お子様向けドタバタアニメの雰囲気は(まだ)残ってますが、内容的な重さとの間で
多少、齟齬を生じている感があります。

そんな中、あえて突っ込むとすれば、謎ななぞなぞ。
ランプの芯は、まあ長いこと使ってれば多少は縮むかもしれませんが、
洋蝋燭の芯みたいに「立って(火をつけて)いればいるほど(見た目に分かるくらい)背が低くなる」
ってことはないと思うんですが。どうなんでしょう?

さて、相変わらず他人の話を聞いちゃいない王子様。
あひるちゃんがちゃんと「罰のお掃除当番」だって言ってるにもかかわらず、「踊ろうよ、あひる」。
(そして結構あからさまに『相手は誰でもいい』って態度なのに、
手を取られてぽわんとなっちゃうあひるちゃんがいじらしい)
あげくの果て、「他のヤツの言うことは聞くな」「そこで大人しくしてろ」と言ったふぁきあの言葉を完全にシカトして、
どう考えても怪しげなランプの精の声にふらふらついて行ってしまいます。
そりゃ、ふぁきあでなくたって文句の一つも言いたくなるでしょ...

一方、浮気は絶対許さないふぁきあ君、決定的現場を目撃してから名セリフを連発。
『俺のみゅうと』が自分から「あのアヒルみたいな女」を誘ったと聞いて、愉快なブチ切れぶりを披露してくれます。
彼はちょっと怒らせた方がいい仕事をするらしい...
その上、ふいを衝かれたとはいえ2つも年下のひょろい女の子にぶっ飛ばされたのでは、
この年頃の男の子としては、いたくプライドを傷つけられたんじゃないでしょうか(笑)
今後のベタベタぶり(鳥とだけど)が考えられない初接触でしたね。
まあ、今後さらに彼女に翻弄され、いいようにこき使われることになるのをまだ知らないのは幸せなのかも...

自分の正義とそれがもたらす幸福を100%信じていられた幸せな時代に影が差し始める
重要なターニングポイントですが、その時点ではなかなか気づかないもんです...

9Akt

2006-10-27 23:17:11 | チュチュ感想文
この回は何と言っても『展覧会の絵』(他の回でもしょっちゅう出てきますが)。
タイトル曲の「古城」の他、「こびと(地の精)」「チュイルリー」「ビドロ」
それにもちろん「プロムナード」と、『展覧会の絵』がいっぱいです。

標題音楽の中でも、これほど元の『モノ』と曲とがはっきり結びついているのは珍しいですね。
表現対象自体が絵画という「芸術表現」だというのも、反語的でおもしろいと思います。
ただし、組曲の中で私が一番好きなのは「ビドロ(ポーランドの牛車)」なのですが、
組曲の元になったムソルグスキーの友人の絵の中には、どうもそういう絵は無いらしいです。
で、以前書いたN○Kの番組でこの曲の元絵に比定されていたのが、
(ロシアによる)ポーランドの強制労働を描いた絵(元絵のタイトルは忘れました)。
ロシア当局による圧力を懸念したムソルグスキーがわざとタイトルを変え、
牛車のように働かされる人々という意味を込めてつけたたのではないかという推理でした。
一般的な「牛車」のイメージとこの曲の印象とはイマイチ合わないですけど、
そう言われてこの曲を聴くと実にすんなり聴けるんですよね。
特にチューバばりばりの華麗なラヴェル版じゃなくて、(誰版だったか忘れましたが)
弦楽合奏ですさまじい低弦が鳴り響く編曲のヤツで聴くと、荘重さに圧倒されます。


さて、みゅうと様は戻ってきたばかりの新鮮な『知りたい気持ち』をさっそくフル活用。
ふぁきあとるうちゃんに爆弾発言をかまして二人を動揺させ、ある意味、自分の首を締めておいでです。
好奇心は身を滅ぼすよ...

一方、『一途に思う気持ち』にとり憑かれたまれんちゃん(ドイツ名だと例のマレー熊の
お嬢さんと同じ「マレーネ」だと思いますが、これは曲に合わせてフランス名なのかな?)、
るうちゃんストーキングするだけあって、一見シャイに見えてあひるにも容赦ないですね。
「バレエもへたっぴなんですけど...」とメゲるあひるに「そうなの?ごめんなさい」と
フォローも無しです。

古本屋のオヤジも初登場。この時点ではドロッセルマイヤー側っぽい雰囲気でしょうか。
実際この人は、他人の人生を侵害することに疑問も罪悪感もためらいも抱かないという点において、
ドロッセルマイヤーと同類だったな...

16Akt

2006-09-22 00:28:19 | チュチュ感想文
記念すべきうずらちゃん初登場の回。
ふれいあさんに無謀な憧れを抱くあひるちゃんの独り言に
絶妙のタイミングで割り込むうずらちゃん、ナイスv
軽快で可愛い「殻をつけた雛鳥の踊り」(展覧会の絵)は、
うずらちゃんにもあひる(アヒル)ちゃんにもよく似合ってますね。
ふぁきあ君を狼狽させるうずらちゃんの天才的な才能も、初っ端から光ってます(笑)

この回の音楽で「うまい!」と思ったのは、フレンチカンカンの音楽(運動会の音楽と言うべきか?)で有名な
「天国と地獄」序曲。コンクールのシーンで使われていた部分をはじめ、きれいなメロディーがいっぱいの楽しい曲
(演奏するのも楽しい)ですが、りりえのセリフ(「優勝すれば天国、一歩間違えば地獄」)を聞いて爆笑しました。

「乙女の祈り」はピアノをやる人は必ずといっていいほど一度は弾く曲ですが、
作曲者のバダルジェフスカさんは(例によって)この曲「だけ」が有名な人なんですよね。
プロフィールも不明な点が多くて、簡単に言うと、ポーランド生まれの女性で、20歳前後でこの曲を書き、
その5年後には亡くなった、というくらいしか知りません。
ちなみに「かなえられた祈り」という姉妹曲もあって、楽譜を見た限りでは「乙女の祈り」同様、
簡潔できれいな曲のようです(弾いたことも聴いたこともない)。


さて、北欧神話の花の女神「フレイア」さん。ピアノがイメージ楽器なようです。
美人で、性格は控えめで優しく、しかもバレエが上手とくれば、男子生徒どもが
ほっとかないだろうと思うんですが、そういう様子はほのめかしも無かったですね。
ま、いたとしても、相手がみゅうとじゃ勝ち目は無いとあきらめるしかなかったでしょうが。

一方、自宅謹慎中のふぁきあをこっそり手引きするあひる、「女神様」に説教垂れるチュチュ、
どっちもいい度胸してます(同じ人ですが)。
チュチュは珍しく1話の中で2回も変身してますね。他にもあったかな?

個人的には、みゅうと(⇔カラス王子・変換中)に突き飛ばされてぶざまに転げ落ちたふぁきあが、
すぐに立ち上がり、ちゃんとチュチュとふれいあさんの前に出たのに、いたく心を打たれました。
心意気「だけ」は立派だよ、ふぁきあ・・・

15Akt

2006-08-31 01:28:10 | チュチュ感想文
雛の章で、15&16Aktもまだ書いてませんでしたね。ウソつきですみません...
順番メチャクチャで書いてるからよく分からなくなる...


「コッペリア、エナメルの目の娘」の音楽はイージーリスニングな曲が多くて、
BGMにいいかなという気がします。
親しみがあるという点では、組曲に入ってる第1幕のワルツ、マズルカ、チャールダーシュあたりが有名かと思いますが、
チュチュでは、曲とそれが表現するものとの合致を重視して選曲がなされてるようですね。
ぴけが踊る第2幕の「人形のワルツ」とか、この回には出てきませんがエデルさんのテーマ曲である
「オートマタの音楽」とか(”オートマタ”は狭義にはオルゴールと連動した自動人形を指すようですが、
もともとは機械仕掛けのカラクリはみなオートマタというみたいです)、
金冠学園のチャイムになってる第3幕の「時(←授業時間という意味もある)のワルツ」とか、
あつらえたようにピッタリはまってて、感心させられます。

コッペリアは滑稽で楽しいコメディーですが、なんといってもスゴイと思うのは、
恋人に裏切られても負けずに恋敵の家まで乗り込んで(不法侵入)いって戦い、
影の黒幕を叩きのめし、浮気した恋人をあっさり許しちゃうスワニルダ。
なんつーか、とても「フツーの女の子」とは思えないです。


さていよいよ本格的に活動開始のカラス王子、うっとうしい騎士を念入りに蹴り落とし、
まずは手近なところから、ってんで、飛び込んで来た獲物に目をつけました。
この回、みんな結構深刻で真剣なのに、りりえだけはいつも以上に絶好調。
数々の名セリフを聞かせてくれてます。
ふぇみおといい、りりえといい、この、周囲の雰囲気にまったく流されないゴーマンさが
すごくイイです。友達だと大変だと思うけど(笑)

あひるがぴけを連れて帰ったとすればみゅうとはどうしたのか?ってのは誰しも気になるところですが、
私は、たぶんふぁきあ君が遅ればせながらやってきて連れ帰ったんじゃないかなぁと思っています。
いくらみゅうとが反抗期で手に負えないとはいえ、あの過保護な騎士殿が、
あぶなっかしい王子様を捜さずにほっとくとは思えない。
で、説明しようとするあひるちゃんの話も聞かず、もちろんぴけを運ぶのを手伝おうともせず、
さっさと王子様をお部屋に連れ戻し、そして一人淋しく去っていく...
救いようのないヤツ(笑)

22Akt

2006-07-09 19:31:01 | チュチュ感想文
雛の章でこの回だけまだ感想文を書いてなかったので、まずこれから片付けますか・・・

この回も音楽が非常によく嵌ってますね。
「展覧会の絵」はほとんどチュチュの第2の(第3かな?)テーマ曲と言っていいくらい
よく使われてますが(特に「古城」・・・この哀愁を帯びたアルトサックス&
ファゴットソロは、ほんとにチュチュのゴシックな雰囲気によく合う!)、
「バーバヤーガの小屋」~「キエフの大門」はここでしか使われてない・・・ですよね?(違ってたらゴメンナサイ)

で、お話の方も『門』がキーポイント。
昔、N○Kの音楽番組でこの「展覧会の絵」の元絵(ムソルグスキーの友達の画家が描いた絵)を見たことがあるんですが
(相当昔なんで、あんまりはっきり覚えてないですが)、結構豪勢な門だったような気が・・・
金冠町のシンプルな門とはちょっと違うかも(笑)

それはともかく、あひるちゃんは猫先生に励まされ(?)て町中を駆けずり回った挙句(まあそんなに広い町じゃないけど)、
どっかで聞いたようなセリフを再び耳にし、エデルさんの言葉まで思い出して(鳥頭なのによく覚えてるなぁ)、
カラクリのヒントをゲット!
場所はよりにもよってあの「劇場」のすぐ傍の門。演出が細かい・・・
そして、あひるちゃんの勘の良さもさることながら、そこから更に町を一周(近く)走る体力には全く感服しました。

一方のふぁきあ、あっさり図書の者に拉致られた上に、助けてくれたチュチュを文字通り目の前から攫われて、
騎士の面目丸潰れ・・・(もともと潰れまくってるか?)
次回頑張れ(笑)

ところで「石の冠」って何なんでしょうね?
素直に考えれば、金冠町を物語に閉じ込めている(と同時に大鴉を抑えている)円形の城壁のことなんでしょうが。
門の外に在る王子の心のカケラは、さしずめ、冠にはめ込まれた封印の宝石というところか。
他にも、死者の副葬品として埋められる石冠とかもありますが・・・違うかな。

18Akt

2005-11-30 21:03:38 | チュチュ感想文
ふぇみおに続き、今度は「電波っぽい人達」に目を付けられてしまったあひるちゃん。
でもぴけとりりえは「気をつけるのよ」と言ってたわりには、ふぇみおの時と同様、
あっさり見捨てて行ってしまいましたね。女友達って・・・

一方、ショッキングな夢を見て動揺した上に、復帰早々待ち構えていた(らしい)みゅうとに
捕まり、ネチネチとイジメられて、気分は最悪な(と思われる)ふぁきあ。
朝っぱらからハイテンションで、相変わらず何が言いたいかよく分からないあひるを
どう感じたんでしょうか?

ふぁきあの不機嫌に気がついたわけじゃないんでしょうが、あひるも一応気を使ったらしい。
「お芝居の中のバレエを『ふぁきあに』踊ってほしいんだって」と持ち上げ、正確には
「『この際』ふぁきあ先輩『でも』いいですわ」と言われたことは黙っていたようですね。
・・・いや、ただ単に、何が何でもやらせようと思っただけなのかも知れませんが。
台本押し付けて逃げたところを見ると、そっちの方が正解なのかな。

けど、ふぁきあはなんで台本が途中で終わってるって分かったんでしょうね?
話を聞いてる限りでは、そこで終わりでも一向におかしくないような気がするんですが。
「さすが直系の子孫」ということなのか・・・


ところで、幽霊騎士の踊りに使われていた「レ・プレリュード」(リスト)。
チュチュで使われてた部分以外もぞくぞくするくらいめっちゃカッコいいです~
それほど難しくないわりに聴き映えがするので、演る方にとってはオイシイ曲。

リストとワーグナーの仲が最悪だったのは有名ですね。
余談になりますが、御存知ない方もいらっしゃるかもしれませんし、
「おもしろい」ので簡単にお話しすると・・・

リストはワーグナーの後妻コジマのお父さんでした。
で、何が問題だったかと言うと、コジマがワーグナーの長女イゾルデを身籠った時、
ワーグナーには長年連れ添った妻(歌手)、コジマには2児をもうけた夫(指揮者)
がいました。(ちなみにリストとワーグナーは同年代で、コジマはワーグナーより
20歳以上年下。そりゃ親父も怒るよ)
そしてワーグナーの妻が亡くなってからコジマは離婚し、ワーグナーと再婚。
コジマの「元」夫ハンス・フォン・ビューローは、当初ワーグナーの音楽の支持者でしたが、
後に批判側に転向。・・・芸術の評価に私情を持ち込むべきではないとは思いますが、
こういう事情では仕方ないですね。
コジマとワーグナーがとても愛し合っていたのは確かなようですが、
その波紋も大きく、クラッシック音楽界最大と言ってもいいスキャンダルになりました。

メインテーマのエグモントについては前にもちらっと書いたので省略。
これも思い出の多い曲なので、語りだすと止まらない・・・
一言だけコメントすると、最後辺りがばっさりカットされてるのが笑えます。
ベートーベンの曲って、彼の粘着気質を表して(?)終わり方がやけにくどくて、
演る方も聴く方も疲れちゃうんですよね(笑)


さて、幽霊騎士とナシをつけに向かったふぁきあ、みゅうとのお払い箱宣言にもめげず
(一瞬めげてたか)力ずくの解決に突入。噂どおり短気なヤツだなぁ。
しかし、飛び込んできたチュチュを助けた反射神経はスゴイよ!
あのタイミングで有り得ないでしょう・・・まあでも、チュチュ殺しちゃうとお話が止まっちゃうし・・・

最後にドロッセルマイヤーがなんであんなに困ってるのかは、よく分かりません。
心のカケラも戻ってお話はちゃんと進んでるし、ふぁきあは自分の役立たずぶりを
あらためて噛み締めて悲嘆に暮れてるし、そんなに悪くないと思うんですけどね。


・・・というわけで、チュチュ感想文はしばらく止まると思います。
いつ再開するか分かりませんが、いつかは再開するつもりですので、
気長にお待ちいただけると有り難く存じます。

17Akt

2005-11-23 01:51:55 | チュチュ感想文
ビゼーと言えば『カルメン』の17Akt。
サブテーマ曲?もドビュッシーだし、ふぇみおはフランス語(もどき)を喋ってるし、
全体にフランス色にしたかったんだな、て感じですね。
(念のため・・・『カルメン』は舞台はスペインですが原作者はフランス人、
オペラ台本もフランス語です)

メインテーマのアラゴネーズは第4幕(最終幕)への間奏曲で、
破滅的な結末を暗示する派手な曲。聴きようによってはちょっと大袈裟で、
滑稽な感じもします。(そこがふぇみおらしいとも言える)
でも個人的には第3幕への間奏曲(チュチュ未出)の方が繊細で好きかな。
同じく第3幕の夜想曲(ミカエラのアリア;これもチュチュ未出)がまた、
温かく穏やかで心安らぐ素晴らしい曲。激情的な音楽が目立つ『カルメン』
の中では異色とすら感じられます。優しく語りかけるような音楽は、
自分を捨てた男を許し、あまつさえ危険を冒しても救おうとするミカエラの寛容さ、
心の強さといった、カルメンとは正反対の人物像(チュチュもそうだな・・・)
の表現なのでしょう。(にしてはちょっと甘すぎるけど)
まぁ結局のところこの二人は、男が求める二つの対極的な理想の女性像
(母親と娼婦)を象徴しているんでしょうね。(チュチュとクレールもか?)


話をチュチュに戻して・・・なんと言ってもふぇみお!
この回、ふぇみおのキャラだけで成り立っていると言っても過言ではない!
(あと、ふぁきあの狼狽と)
チュチュ登場人物中で唯一人、自力でカラスの闇から抜け出した男!
他人の反応を気にしようとか、話を聞こうとかいう気がカケラも無い男!
ビバふぇみお!!
ドロッセルマイヤーの次くらいに私が共感するのは、りりえと彼かもしれない・・・
そういやりりえの「彼とあひるなら・・・」はかなりツボでした。

それにしても、ラスコーリニコフを捕らえていた「罪と罰」と比べて、
ふぇみおのはなんと単純でお手軽で罪が無いことか。
(ロシアとフランスの太陽の差かな)
まぁでも自己完結してしまってるところは同じか。


サイトの方でも書きましたが、ふぇみおの『牧神の午後への前奏曲』は
そんなに妙じゃなかったって気がするんですけど、どうなんでしょう?
このバレエはだいぶ前に1回見たきりですが、こんなもんだったような気が・・・
それとも私の贔屓目?

で、その抜き打ち実力テストの件ですが、ああいうのって普通、
成績の悪い方からやるもんなんじゃないでしょうか?
だから、ふぇみおが言ったこと(「一番に・・・」)は間違いじゃないと思うんですが。
どうですか、猫先生?

しかしさすがはみゅうと、一瞬とはいえ、あのふぇみおをたじろがせるとは。
そしてみゅうとがふぇみおの憎いくらいの眩しさ(違)に失神した後、
猫先生はみゅうとに付き添い・・・てことは、レッスンは自習になったのか?
だとすると、ふぇみおは見事抜き打ちテストをぶっ潰したわけで、
ある意味英雄だったかも。