50歳で始めた海外ひとり旅 と 自費出版

50歳にして「海外ひとり旅」の楽しさを知る。最近は野菜づくり、本づくりにも挑戦。

網膜剥離 手術の顛末 その5

2013年07月31日 00時25分40秒 | 網膜剥離
<< 退院する >>


 手術の初日は、痛み止め や、抗生剤、胃薬の3錠を3時間置きくらいに
飲まされたので、大半はうつらうつらして終わった。翌日も薬のせいか
あまり動く気もせずに、ベッドに座ったり、横向きになったりして時間が過ぎた。
食事は2日目から食堂で食べた。昼間も寝るので夜はなかなか眠れない。
やることは、ラジオを聴くくらいしかない。ベッドの頭側にあるジャックに
イヤホンを刺して聴く。夜にラジオを聴くのは久しぶりだ。NHKのFMと民放FMを
交互に聴く。音楽番組やラジオドラマも意外におもしろい。
音楽番組はTVではお目にかからないバンドやミュージシャンのが聴けて興味深かった。
若い人たちの曲は、しばらく聴いてやっと 日本語だとわかるようなのが多いなあ。
それにテンポが速いというか 前のめりで、昔いた 「ブルーハーツ」を思い起させた。
それと、気が付いたことがあった。それは、今さらという感じだが、
最近は、歌手が居ないのだな。プロの作曲家と作詞家が作った歌を唄う 歌手が。
だから普遍性のある曲、スタンダードになる曲が出てこない気がする。
と感じるのは 私みたいな人間は減ってしまったのだろう。

3日目に、右目を覆っていたガーゼが取られた。看護師さんから前もって
ドラマみたいに、ガーゼを取ると視界が開けて「見えた!!という感動はありませんよ」と
言われていたが、まさにそのとおりだった。眼球の中の空気の球のせいで、目の中は、オレンジ色の
ような色で覆われ上のまぶた付近から外界がわずかに覗けるが、ボケていた。

<< イメージはこんな感じでしょうか>>


 以後、痛み止め、抗生剤、胃薬の投与は必要なくなった。
目薬は4種類を1日に7回。感染防止が主な目的だそうだ。

5日目あたりになると、視界の上部の隙間が少し広がり、水平線の湾曲が大きくなったような
見え方になった。これは、空気の球が少し小さくなり、その浮いている下部の曲面が
見えているのだ。浮いているが、網膜には反転して像を結ぶので、視界の下部にあるように
認識されるのでした。
参議院選挙が明けた月曜日(22日)に執刀した先生の診断があり、洗髪頭も石鹸を使っての洗顔も
OKとのこと。また視力や視野の検査を受けて異常がなければ翌日には退院してもいいとの。

<< 無事に退院 >>

退院はしてきたものの、暫くは 病院に居た時と同じ生活をすることの制限付だった。
・散歩、運動、家事、庭の草むしりなどは禁止。
・飲酒も原則、禁止。

この時点での見え方はというと だいたい 以下のような感じだった。

例えば、TVがこんな感じだとすると



こういう感じに見える。



・退院後4日目(27日)になると、こんな感じまで空気の球が小さくなった。




この状態だと、体を後ろで反らす(仰向けに寝て頭をクッションで持ち上げる)と、球の位置が
変わり下の方へ行くのでTVを見るのにはほぼ支障がなくなった。


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